第6話 broken masks
実家で聞く雨の音は、いつも過ごしている安アパートに比べて壁が厚いのか、少しだけくぐもって聞こえた。
数年前に使っていた部屋はもうとっくに片付けられていて、もうただの物置のようになっていたが、その乱雑さが今の俺には心地よかった。
数年前に姉が買い集めていた美容グッズが埃をかぶっている。今住んでいるアパートからとりあえず不可欠なものを入れてきたギターケースを置くいい台になるな、と思いながら、でもやっぱり遠慮しておいた。
だが、本棚だけはそのままになっていたらしく、当時読み漁っていた音楽雑誌が目に入る。
保管状態があまりよくなかったのか、すっかり色褪せてしまったページで特集を組まれていたバンドは数年前に突然解散し、今ではそのベーシストがプロデュース業で一躍有名になっている。もう、所属していたバンドが何だったかはほとんど話題にならないが。
そんな彼が「これからもずっと伝説として語り継がれるバンドを目指していきたい」という旨のことを語っていた記事を見て、かなりの時間が経っているのだと実感した。
「
相変わらずノックもせずに部屋のドアを開けて、絶賛婚活中の姉が声をかけてきた。今年の初めに聞いた話では、とりあえず容姿と性格と年収が完璧な相手を探したいとか言っていた。
まだ若いしね、って言うが、30歳はそんな夢を見られるほど若いのか?
そんなことはもちろん口が裂けても言わないが。
「んー、入るわ」
「んー」
簡単な言葉だけでコミュニケーションを終わらせ、また1人。
血の繋がりがあるとはいえ、姉とは数年ぶりに会ってもこんなに簡単にコミュニケーションがとれる。
それが、あの頃は全然できなかったのだ。
今あいつに会えたら、また違う言葉をかけてやれたのかな……?
雨の夜空に、ふとそんなことを思った。
中学2年の秋。
指を疲労骨折した俺がライブに出られなかった学園祭が終わった、まだ熱気と喧騒の気配がそこかしこに残る、胸が掻き毟られるような放課後。
生徒会室に入った俺が見たのは、無表情で用具や景品の残り物、そして生徒会室内にちらかったゴミの片付けをしている
たった1人で。
俺がその教室に入る直前、別の役員たちが笑いながら廊下を歩いてくるのを見た。どこに遊びに行くかとか、そんな話をしていた。それを見ていたから、もうみんな帰ってしまったのかと思っていた。
誰もいないと思って入った教室に人がいたことに、まず驚いた。
思わず声を漏らした俺に、宇津美はハッとしたように、でもそうとはすぐに気付かないくらいには自然に、笑顔を作った。
「あ、
たぶん、俺は色々と苛立っていた。
「そうじゃねぇだろ……」
だから、言葉を我慢できなかったのだ。
「さっきさ、お前の後輩が帰ってくの見た。つーか会ったし。何かお疲れ様だとかかっこよかっただとか調子いいこと言いながら、帰ってたぞ」
「あ、そうなんだ。よかったね沢上くん! たぶんその娘、沢上くんのファンの
「だから!」
そのときの宇津美の明るい声は、正直聞いていられなかった。
角が立たないように1年半以上頑張ってきたのをかなぐり捨ててまで声を荒らげて、その声を止めたいと思うほどに。
少しだけ訪れた静寂は、とても重かった。
だから、俺はそれを打ち破った。
「お前は、それでいいのかよ」
「ん?」
「たった1人で居残ってこんなつまんねぇことしてて! お前はそれでいいのかよ! ……つってんだよ」
鈍感そうな調子で聞き返してくるその態度に、本気で苛立った。
何より、その数分前に無責任に仕事を投げ出して帰ろうとしている宇津美の後輩たちを見かけていたのに何もできなかった自分と、そんな状況で笑っている宇津美の姿に、苛立ってしまった。
「いいんだよ、だって生徒会長だし。これくらいの仕事はしとかなくちゃ」
「だからって……! もっと他のやつも頼れよ、全部お前が背負い込むもんじゃねぇだろ、お前だって……その、」
しどろもどろになった俺の言葉は、宇津美のおかしそうな笑い声で遮られてしまった。
「な、何だよ……」
呟いた俺に彼女が言った言葉は、今でも忘れられない。
「意外だね、そんなに優しいなんて。沢上くんは、わたしのこと嫌いなんだと思ってた」
「…………っ!!」
俺は、一体どんな顔をしていたのだろう。
宇津美は俺の反応を見てから、フッと寂しげに微笑み、呟いた。
「何かさ……、わたしってみんなに嫌われてるのかな」
生徒会室の片隅で発せられた、そのまま空気に溶けて消えてしまいそうな声は、後にも先にもその1回しか宇津美の口から聞いたことがない弱々しい声だった。
「わたしさ、一応頑張ってるんだよ? 勉強だって頑張ってきたし、運動だって決して得意じゃなかったけど練習してどうにかまともにできるようにしたし、それにみんなと一緒に話を合わせられるようにいろんなテレビ見てるし、けっこう悩みとかも聞いたりもしてたんだよ? 友達の悩みとか聞くとさ、ほっとけないじゃん。だからわからないようなことでもちょっと調べたりして、何とか答えてきたんだ。
でもさ……、陰で色々言われてるの、ずっと知ってたんだ。
1年生の頃から、ずっと。みんなずるいんだよね、一緒にいるときはニコニコ笑ってくれてるのにさ、たまたま忘れ物取りに戻ったら、『いつもいい子ちゃんしててうざい』って笑ってるの聞いちゃって。でも、それでも頑張って笑ってたんだよ? いつかは本当に仲良くなれるはずだ、って思って」
だけど。
そう言葉を切った宇津美の姿は、見ていられなかった。
辛かった。
俺だって、ずっと宇津美のことを毛嫌いして色々言ったり、何かを成し遂げたりしても祝福なんてしてやらなかったり、敢えて冷たくあしらったりしてきた。
だからそんな俺が言えた義理じゃないのはわかってる。
わかってても。
言わずにいられなかった。
「何でそこまでして、そんなやつらと一緒にいようとするんだよ? お前なら、もっといるだろ、ほんとに仲がいいやつがいるはずだろ?」
「いないよ」
「そんなのわかんねぇだろ」
「じゃあ、沢上くん友達になってよ」
「…………は? も、もう友達だろ?」
咄嗟のことに反応できずに、つい間を置きたくて聞き返してしまった。その後辛うじてついた嘘なんて、もちろん宇津美には通用しなくて。
「ほらね、やっぱり」
そう暗い声で言った宇津美の顔を、俺は直視できていなかった。
その直後、宇津美はまた「いつものような」笑顔を浮かべて、俺を見た。
「あ、何だかんだ手伝ってもらってたんだね! ありがとう、沢上くん。ほんとに、沢上くんって優しいよね」
……無責任なくらいに。
それが本当に彼女の言ったことなのか、それとも俺が勝手に想像してしまったことなのかはわからない。だって、もう確かめることなんてできないのだから。
「もういいからさ。沢上くんも、部活の打ち上げ行ってくれば? 奈留島くんから電話来たけど、一応待っててくれてるみたいよ?」
断ろうとした。
でも、俺は目の前にいる同級生が理解できなくなっていた。
怖くて、気持ち悪くなって、いたたまれなくなって、俺は逃げるように生徒会室を後にした。
見上げた夜空はどこまでも暗くて、星なんてどこにも見えなかった。
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