第32話 耐え難い悪意渦巻く修羅の世界

68年未来、へきの葬儀が済んだ頃のことです。

この前お話ししたばかりですから、ご記憶の方も多いですよね。碧が貧民街で見つけ、末の神の教団長に保護され、鉄棍会議で働くようになった、白蛇を思わせる女の子のこと。教団長は孤児である彼女を娘と呼び、山吹と名を与えました。


叔父様(末の神)は、彼女の休日に玄関の呼び鈴を鳴らす形で降臨しました。

神官の青年姿の叔父様は、山吹の客間へ通されました。趣味の良い調度品が、必要最小限並んでいますね。壁には教団の孤児院の子の描いたものかしら、幾つかの絵が額装されて飾られています。


「神々の降臨って、夜間に行われる物かと思っていました」

「ええ、闇の中で光と共に現れるのは、

 神聖な体験として歓迎されることも多いですからね」

「でも、私にはそうなさらなかった」

「美の神が、英雄の器を備えた多くの女性に半神を産ませたことはご存知ですよね」

「ええ」

「いくら信仰対象であっても、女性の寝室に降臨するのは問題だという指摘が

 あったものですから、私達神族も慣習を改めました」

「まあ、私の言いそうなことね。私にとって初めての降臨ですけど、

 末の神様からすると、私と話すのは数回目なのかしら?」

「ご想像にお任せしますよ。私はに会うのは初めてです」


「降臨の用件を伺っても?」

「用件に入る前に、感謝を伝えさせて下さい。碧の静かな晩年を守ってくれて

 ありがとうございました。国葬に匹敵する彼の葬儀も、あなたが裏方として

 取り仕切ってくれましたね。碧は私にとって家族のような存在です。

 感謝しています」


山吹は、揃えた膝頭の上で、こぶしに力を入れて応えました。

「碧のおじさまのことは、私がしたくてしたことです。礼にはおよびません」


「では用件に入りましょう。2つあります。1つはあなたのお仕事に関すること。

 1つはあなたのルーツに関すること」

「お聴きします」

「あなたは『鉄棍会議』で、人と共存することを選んだモンスターや

 モンスターとのハーフの利益を確保するために働いていますね」

「私自身がモンスターとのハーフです。母(末の神の教団長)と

 碧のおじさまと会うことが出来なければ、今の私はいません。

 彼らにとっての、母や碧のおじさまの代わりになりたいと願っています」

「碧の志を継いでくれたのですね」

「私だけではありませんよ。碧のおじさまに助けられた者は、それぞれのやり方で

 出来ることをしています」

「人と共存することを望まない・望めない・性質の書き換えも望まない・

 ダンジョンで殺し合うことも拒否する者たちのための新天地を

 用意して68年ほど経ちましたが、何か気づかれたことは?」

「人との共存を望まない者達の大移住は、はるか昔の出来事です。

 そうですね。今は、生きてみて、どうしてもこの世の仕組みに

 馴染めない者が利用する程度で、かなり例外的な選択肢になっています」

「選択肢があること自体は、あなた達の仕事に役立っていますか?」

「無ければ、絶望する者が今より多かったでしょうね」

「ありがとう。参考になりました」


「もう1つは、あなたのご両親に関してです。詳細は語りませんが、

 あなたを孤児として苦しませたこと自体、世の中の仕組みや

 私達神族の不手際だと考えています。申し訳ありませんでした」

「済んだことです。母(教団長)や碧のおじさまに保護されましたし、

 家族(末の神の教団が運営する孤児院の人々)も与えられましたから」

「あなたが現在までに築き上げた、人生を大切にしていることを知っています。

 あなたがどう生まれたのか、ご両親に何があったのかを語ることは

 あなたを苦しめたり、あなたの過去を改変してしまう問題ですね」

「ええ」

「あなたの人生には影響が無い形で、あなたのご両親に起きた悲劇を

 回避することが出来たら、どう思われますか?」

「私が私で無くなる事が無いのなら、反対する理由は無いでしょう」

「分かりました。では、あなたのご両親の件は私が預かります。

 あなたは長命種だから、時間があります。いつか会いたいと思う日が来たら

 あなたが母と呼ぶ教団長を通してくれてもいいですし、

 直接私に祈って知らせてくれても構いません。教えてください」

「どうして、私を特別扱いなさるの?」

「悔いがあるからでしょうか。さ、貴重な休日にお邪魔しましたね。

 私はおいとまします」


釈然としない顔をした山吹は、叔父様を送り出すと、部屋着から、教団の神官着へ着替えました。バスケットに子どもたちへのお土産を詰め、戸締まりをして徒歩で教団へ向かいます。


(私は薄情な娘なのかしら。末の神様に踏み込んで尋ねれば、じつの両親のことを知ることが出来たわよね。両親の片方は人間だから存命でも、もう高齢よね。私が長命種であることから、モンスター側は老いとは無縁でしょうけれど。それでも、半世紀以上経って、再会するのは抵抗がある。私は私の暮らしを守りたい。


――それにしても、孤児院へ預けられる子の数も減ったわよね)


「あ、山吹のお姉ちゃん!」

「イタズラ屋さん、元気にしてた?」

「もー、母ちゃんに叱られたから、いい子にしてるってば」

「あなたのイタズラは、なかなか独創的で面白いと思うのよ?」

「それ、母ちゃんに話してよー」

「ふふふ。みんなも元気?」

「うん! ほらほら、こっちこっち」


山吹は子どものような孫のような、年の離れた弟に手を引かれて教団の孤児院へ入って行きました。



山吹の人生に影響を与えない範囲で、彼女のお母さん(大蛇)とお父さん(人間)を救うということは、彼らにとって一人娘である山吹の記憶を奪うことになるのよね。見捨てても残酷、記憶を奪うのも残酷、山吹の人生を変えてしまうことも残酷、どう行動しても後味が悪いわ。未然に防ぐことが出来なければ、こうなると私達が自戒するしかありませんね。


17年未来のことです。

山吹の両親の保護は、お父様(武神)が行いました。人間同士・モンスター同士なら発症しない感染症が、低確率ではあるけれど、人とモンスターのカップルだと発症する可能性があることを説明し、問題の芽を摘みました。困ることがあれば、どの教団でもいいから神官の手を借りるようにとも。

彼らは山吹の記憶を失ったことを自覚出来ません。夫婦が異種族間の感染症によって死に別れる危険を取り除いてくれたことで感謝されますが、お父様は内心苦しいですよね。山吹のためとはいえ、彼らの愛娘の記憶を奪ったのですから。


そして、幼い山吹にとっては、いつの間にか両親が消えた形になっていますから、貧民街で碧に保護されるまで、お父様が幼い山吹を見守りました。



さて、現在では、1つ問題が起きていました。

真朱が用意してくれたモンスター達の新天地であるもう一つの世界には、結果的に、人の世と相容れない反社会的な存在、邪悪と感じる存在、知性が高く邪神を今も大切に思っている存在等、真朱の想像を絶する暴力をやすやすと振るう者達が集まりました。


人も動物も居ない世界ですから、モンスター同士の共食いも起きます。


私も見守っていてかなり辛かったのですけど、管理者として関わる頻度の高い真朱が潰れました。想像を絶する邪悪さであっても、そう生まれついただけであって、モンスターの尺度では『悪』では無いんですよね。とりあえず、管理者が潰れていますから、私は新天地をまるごと凍結しました。


「真朱。あなたが不安に感じたり不快に感じたことを、『同期』してくれる?」

「いえ、この内容は、ちょっとお見せしたくありません」

「共有しないと対策とれないでしょ。遠慮してどうするの」

「食事とれなくなっても知りませんよ? 私も母神様の力を弾くから、

 記憶を消すことが出来ませんけど、母神様も記憶の消去が出来ないのですから」

「いいから」


――あ、うん。想像以上でした。善意とか優しさと暮らしている身には、地獄絵図でしか無いわよね。吐くものが無くて、胃液というか、胃液の酸味すらしない粘液をしばらく吐いていました。真朱がオロオロしながら背中をさすってくれます。


「これは、真朱が潰れるの分かる。彼らとの共存・すみ分けという原点を忘れれば、

 討伐隊を送り込みたいもの。お互い、忘れられないのは辛いわね」

「体力消耗されたでしょう。また後日にしませんか?」

「心配しないで。あなただって精神的に危なかったでしょ」

「壊れる前に潰れましたから」

「いい判断ね。あなたが、あの悪意や邪悪さをこの世から切り離したいと

 管理者として危機感を抱いたのは理解できます」

「はい」

「でも、それは彼らとの約束を違えることになるからダメです」

「はい」

「邪神を求める子達が、管理者であるあなたを新たな邪神として扱う件ですけど、

 相手にしなくていいです。彼らは知性の高い種族だから、影響を受けないように

 あなたに加護をかけます」

「ありがとうございます」

「彼らに食事を与えるか否かですけれど、猫や犬みたいに餌では満たされず、

 人や動物を切り裂いて残酷に食べること自体を求めているでしょ。

 その欲求には応じられないから、共食いを続けてもらいます」

「そうですか……」

「そして、この世へ戻りたいと求めた時に応じる約束よね? ダンジョンで

 冒険者がフルカンするみたいに、あの修羅の世界を生きた者は

 能力も精神も変質しているでしょう。一切の経験や能力をこの世へ

 持ち帰ることを禁じます」

「母神様、それって実質、あの世界とこの世を切り離していますよね」

「ええ、そうよ。でも、あの世界で身につけた経験や能力まで、

 持ち帰れるとは約束していないでしょ?」


「今後ですけど、2つ約束をして」

「はい」

「あなたがあの世界に影響を受けていないか・汚染されていないか、

 定期的に私のチェック受けること。加護はかけたから、念のためですけれど」

「お願いします」

「もう一つは、あそこは彼らの楽園で、私達の価値観では無法地帯です。

 耐え難いですから、あの世界の維持のみ機械的に行い心を動かさないこと」

「難題ですけれど、努力します」


私達神族や精霊がいて、魔法が使えるこの世界には、世界の停滞という問題があります。私達の庇護下を離れたモンスターにとっての楽園は、皮肉なことですけれど、禍々しい方向にどんどん進歩しています。


私が力を振るわなくても、あの世界で研ぎ澄まされた悪意や暴力をこの世に反映させれば、世界を終わらせるなんて簡単でしょうね。

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