第20話 君はそれを口にしてもいいし、しなくてもいい
虫ってお好きですか?
私は、部屋が快適に散らかった状態だから、さすがに虫まで同居するとお母様に泣かれるじゃない? だから、私の部屋へ入ることを禁じています。でも、嫌悪感とかは無いのよね。居間や食卓で見かけたら、殺さずに家の外に出しています。
「私達は姉妹ということにしましょう」
「叡智の女神様の方が、実年齢では年下だから妹?」
「ふふふ。創世神話的な事実では無いの。私はあなたにとって未知の世界の
案内人だし保護者でしょ?」
「うん」
「それに、あなたは女の子の義体に入っていて、私は大人の体でしょ?
他人に私達の関係を説明する時に、分かりやすいの」
「女神様だと分からないように、神官の姿してるんだものね。
分かりました、お姉ちゃん」
村へ、植物系の大きなモンスターが、鞄を担いでやってきました。村の衆は彼に慣れていますから、騒ぎにはなりません。食虫植物から無数の触手を生やした異形のモンスターですね。この子はお父様に倒されて、ダンジョン行きではなく、人との共生を選びました。
「おう、久しいな。どうだ商いは」
「順調です」
「まさか毒の息を、薄めて虫除けにするとはなあ」
「私はそもそも虫が避けますから、人やエルフや亜人達が、
虫で困るということを知りませんでした」
「そうだな」
「私と人やエルフや亜人は異なりすぎますから、
『こいつは無害だ。言葉も通じる。何かあれば武神へ言え』と、
調整して下さらなかったら、今も虫除けは作れなかったでしょう」
「オレの信者になったのだから、その程度のことはするさ」
「売り切れる前に、1つ売って貰えるか?」
「差し上げますよ」
「対価は受け取りなさい」
「分かりました。お買上げありがとうございます」
「これから広場で店を開くのか?」
「まだ朝ですから、村の衆も忙しいでしょう。昼過ぎにでもと考えています」
「そうか。では、あいつの所かな?」
「ええ。骸骨村に来る楽しみですから」
植物系の大きなモンスターは、鞄を担いで、ご先祖様スケルトン達の暮らす長屋の方へ向かいました。職人で、道具から家屋の修繕まで、村の面倒を見てくれている老ドワーフがいるでしょ? 彼の友達なの。
「来たか。まあ、入りなさい」
「体を壊したと聞きましたよ」
「質の悪い風邪を引いた程度だ、問題ない」
「それは良かった」
「これが、描きためた絵、こちらは道具類です」
「分かった。修繕をする前に、絵を見てもいいかな?」
「どうぞどうぞ」
植物系の大きなモンスターに見える(感じられる)世界は、人とまったく異なります。画材は彼の触手でも使いやすいように老ドワーフが調整しています。
不慣れな「人の道具や技術」を使って、彼は描きたいものを描きます。
――美の神・美の神の教団員のごく一部、そして老ドワーフだけね、今のところ、彼の絵から「美」を感じ取れる人は。私は絵を見ると、彼が仕事を終えて余暇に描いている姿が重なってしまって、「美」よりも愛おしく感じてしまうから、絵そのものを鑑賞しにくいんです。
「理解不能な何か」ではなくて、何をどう描いたのか分かりますし、それがどんなに楽しいことなのかも分かるから、こういう接し方もいいのかな。
まだ答えが出ません。
植物系の大きなモンスターは、虫よけのおっちゃんと、村の衆に親しまれています。
「君は村の入口へ行ってもいいし、行かなくてもいい」
「碧は、それ気に入ったのか?」
「ちょっと気に入った」
「あの神官の姉ちゃん達、変だよなあ」
「変なのは神官の人だけだよ」
「まあな。オレが『領主の街へ行くと王立図書館分館があるよ』って話たら、
『君は王立図書館分館へ行ってもいいし、行かなくてもいい』だもんな」
「うんうん。ニヤッてしてたから、冗談なんだろうね」
「あれまさか、村へ来た旅人にはそう言えってことじゃねえよな」
「それは無いよ。だってあの人、神族が神官の姿してるっぽいもの」
「神族の冗談は難しいな」
「ねー」
「男神が化けたのでなければ、女神は3柱だよな」
「うん。1柱は普通にうちの村で暮らしてるけどね」
「豊穣神様か叡智の女神様の2択だろ」
「そそ」
「豊穣神様は言わないで欲しい。叡智の女神様は知的な感じだろうからなあ」
「君は真実に気がついてもいいし、気が付かなくてもいい」
「分かったから、普通に話せよ」
「あははー」
叡智の女神ったら、神族に慣れてる村の子に見抜かれてるじゃないの。姉妹の設定にしてたけど、真朱ではなくて叡智の女神のせいで露見しそうよね……。
そんな叡智の女神と、真朱は、叔父様夫婦のお宅に居ました。
叡智「朝食時に訪ねてしまってすみません」
陽 「今朝は、私の支度が遅かったから。それに、お引き止めしたのは私達です。
気になさらないで」
末 『叡智の女神はなぜ、我が家でも神官姿なのですか?』(※思念で話してます)
叡智『私が、場によって神の姿と神官の姿を切り替えたら、真朱が混乱するでしょ』
末 『了解』
真朱「陽の君さん、これはエルフの里の伝統料理ですか?」
陽 「そうなの。人の味覚にはどうしても合わなくて、
うちの人も苦手なんですけれど、新鮮な食材が手に入ると作りたくなるの。
無理して食べなくて大丈夫よ?」
真朱「不思議な味。陽の君さんが楽しく作ってくれたのが、伝わる感じ」
陽 「エルフの里の伝統料理だから、あなたたち精霊と相性いいのかな」
叡智「うーん。他の精霊達は、城下町の屋台とか行ってますから、
この子達の義体は人寄りの味覚に調整されてるはずなのよね」
陽 「そうなのね。私はうちの人が神族だから平気かなって出したら、
だいたい冷静なこの人が、しばらく固まりましたからね」
末 「未知の味で戸惑っただけです」
陽 「故郷の味ですし、独特の癖が好きだけど、あなたが苦手なのは分かります。
その割に、マズイから作るなって仰らないわよね?」
末 「私は、幼体時代からこの村で過ごしたでしょう。味覚も人の感覚に近い。
エルフの里と文化が異なって戸惑う事はあります。
でもそれだけのことでしょう? 違って戸惑った部分は理解すればいい。
理解することが難しい事柄なら、理解できるようになるのを待つだけです」
叡智「奥様は、朝食にご主人の口に合うものも用意されている。
お二人は、お互いに歩み寄ろうとされているのね」
陽の君は、なんだか照れくさそうにしています。
真朱「陽の君さん、貴重なお料理ありがとうございました。
まだ『美味しい』はよく分からないけれど、食べることが出来て嬉しかった。
人の世で初めて口にしたのが、陽の君さんのお料理で良かった」
陽 「初めてなの? 癖の強い物食べさせてごめんなさいね」
真朱「ううん。お伝えした通り、私は嬉しいの。
それに、お2人が『違うから戸惑う、戸惑うから工夫する』ことを
意識されていることも、印象に残りました」
――彼らは、ゆっくりと食事を取り、たくさん話しました。
真朱「そうだ。楽しくて、訪問した目的を忘れるところでした。
末の神様、精霊達のために教団を作ってまで受け入れて下さって
ありがとうございます」
末 「いえいえ。私達は精霊界へ行けませんから、世界を維持してくれている
あなた達にお礼を伝えることが出来ません。
わざわざ、会いにきて頂いて恐縮しますよ」
叔父様のお宅を後にした真朱達は――
「精霊王の妻が近所に住んでるけど、会いたい?」
「精霊達は義体に入って、歌姫様に会いに来ている?」
「ううん、みんな、好奇心を満たすのが先だから」
「なら、会わないと」
――ということで、歌の母様のお宅にも伺うことになりました。
歌 「精霊が義体に入って人の世に来ていると、夫から聞いてはいましたけれど
こうして見ると、人間の女の子にしか見えないわね」
叡智「ええ。この外見なら、少し変わった子の幅に収まるでしょうね」
真朱「歌姫様」
歌 「なあに」
真朱「精霊王と『歌』で話すことは出来ても、直接会うことは出来ないのでしょ」
歌 「彼は精霊界にいますからね」
真朱「ええと。人の世と精霊界は違いすぎて説明出来ないけれど、
精霊王が来てから、賑やかになったし、先日お会いした時もお元気でした」
歌 「わざわざ、それを伝えに来てくれたの?」
真朱「私は、直接会うことが出来るから」
歌 「ありがとう。とても嬉しいです」
歌の母様って、華の母様が引くくらい包容力あるし、話し方や物腰も柔らかいでしょ? ふんわかしてる。話し方や、間の取り方、声の調子等、言葉の選び方の他に、それをどう声に乗せるかも優しいの。
真朱は、叡智の女神から微笑み方を吸収したじゃない?
歌の母様とこうして言葉を交わすうちに、真朱の話し方もみるみる優しくなっていきました。気がついて、身につけるの早いのね。
「真朱ちゃん。王都の末の神の教団まで旅するのでしょ?」
「ええ、教団長様にお会いしたいから」
「このマント、私のお古で申し訳ないけれど、使って貰えないかな」
「精霊の加護がとても強くかけてありますね。貴重な品でしょう?」
「丈夫で軽いから便利ですよ。
神官さんは旅装だけど、あなたはマント持ってないから、使って欲しいな」
「では旅の間だけお借りします。旅を終えたらお返しに伺います」
「差し上げてもいいのよ?」
「この体も時が来れば、母神様にお返しします。
精霊界へは記憶しか持っていけませんから」
「分かりました。旅の安全を祈っていますよ」
――歌の母様のお宅を後にして。
「真朱、そのマント、歌姫が精霊王と旅をした時の品ですよ」
「貴重な品の上に想い出の品なら、お借りするの問題では」
「歌姫がそうしたかったのだから、借りておきなさい」
「教えて下さったら断ったのに」
「だから言わないの。今教えたのは、彼女の想い出の品だと知っていれば、
傷つけたりしたくないでしょ。借りた以上は知りたいでしょうから」
「教えて下さってありがとう。ねえ、お姉ちゃん」
「何かしら」
「村の子達が言っていた、王立図書館分館に寄ってもいい?」
「もちろん」
まだ叔父様が幼体だった頃、お父様に連れられて旅をしたことがあるんです。その時は、焚き火をして野宿したんですけれど、叡智の女神は宙に「部屋」を呼び出す奇跡を使えます。お祖父様の魔法と似て、扉が宙に現れて、開くと部屋に繋がっているの。だから2人は野宿はせずに、体を清め、食卓で夕食を取り、ベッドで休むことが出来ました。
そして、真朱が楽しみにしていた、領主の街の王立図書館分館へやって来ました。
「読まないの?」
「こんなにたくさんあって、どれを選んでもいいのね」
「そうよ」
「もう少し、図書館の中を見ていてもいい?」
「ええ、いいわよ」
「多くの本が、整然と並んでいますね。とても心地良い」
「そうね」
「ねえ見て。あの本は少し出っ張ってるでしょ、整えたくなる」
「ふふ、私も。整えていいのよ?」
真朱はいそいそと、本の位置を調整しました。
「精霊に関する本はある?」
「あるわよ。こっちかな。ほら、そこ」
「これ?」
「それは大人向けで、子どもが読む絵本ならあっちかな」
「精霊王しか精霊界へ来た者はいないから仕方ないけれど、
人はこんな風に想像したのね」
「創世神話は正しく伝わっているのは、お姉ちゃん達のおかげ?」
「神族が関われる部分はねー」
「おとぎ話は、正確?」
「うーん。史実を含む物もあるけれど、それは人の語り継いだ物語だからね。
私達は介入しないわね」
「なるほど。――この『抜け無さそうだけど抜けるかもしれない感じの岩に、
明らかに伝説級の剣が刺さっているお話』は
『伝説級の剣が岩に刺さっていた』じゃだめなのかしら」
「抜け無さそうだけど抜けるかもしれない感じを、語り継ぎたかったのかな?」
「微妙な岩ねえ」
「待ってね。
――あはは、確かにすごく微妙な岩に剣が刺さってる」
「それ便利ね」
「いいでしょ」
「建国王のメイスも伝説級なの?」
「いいえ。王都のダンジョンほど深い迷宮も、強いモンスター達が集まる場所も
当時は無かったのだから、人間の持ち時間でカンスト出来ないでしょ」
「?」
「どうしたの」
「じゃあ、おとぎ話の伝説級の剣って、つまりLv95以上装備だから、
時間をかけてカンストしたエルフとか長命種が手にしたの?」
「正解話してもいい?」
「語り継ぐ間に話を盛ったか、本当に伝説級の武器だったかどちらかよね。
どちらでも楽しいから、正解は教えてくれなくて大丈夫」
「賢者に呼び名を決めてくれって言った子が、
どちらでもいいと言えるようになったかあ」
「変?」
「いいえ。あなたの変化を好ましく感じていますよ」
2人は高台にある王立図書館分館を後にしました。湖が風を受けてゆらぎながら、柔らかく輝く様子が一望出来ます。
「静かな骸骨村も綺麗だけど、炎の精霊としてはこれだけの水は怖いはずなのに、
綺麗だなって思えるの」
「精霊界とここは異なるし、あなたは母神謹製の義体に守られています」
「この体は不思議。世界の側からすると、私は精霊ではなくて、
人とみなされるのでしょ」
「ええ、そうよ。ねえ真朱。あの湖は、湖畔から眺めても素敵よ。行かない?」
「嬉しい」
湖畔には住居も兼ねた作りのお店が1つ建っています。「あなたの夢魔の店 湖畔支店」と看板が出ているわね。湖では、うちのお父様より一回りくらい体の大きな者、たぶんモンスターかな、豪快に泳いでいます。
真朱はしゃがんで頬杖をついて、その泳ぐ姿をぼーっと眺めています。
「そんなところにいないで、うちへいらっしゃい。飲み物くらい出すわよ」
17年先の未来で碧の妻になるサッキュバス(姉)が、真朱と叡智の女神(神官姿)に声をかけました。
叡智「昼間から営業しているの?」
サ 「昼間だけ営業してるの。お酒も出してませんよ女神様?」
叡智「……私の神官姿って、そんなに違和感ある?」
サ 「ちょ、近い近い、顔近いから。なんで涙目なのよ」
叡智「湖畔の風に目をやられてな」
サ 「私はサッキュバスだから、人をよく見るでしょ?
精霊魔法使いが、無意識に人の心の精霊を確認するみたいに。
人にしては徳が高すぎるというか、神族の気配がしたの」
叡智「つまり違和感?」
サ 「そうだけど、私も特殊だから、気づく人は少ないわよ。
とりあえず、その子と一緒に、いらっしゃい」
店内からも湖が一望できます。2人は冷たい飲み物を出され、真朱はその冷たさを手のひらで楽しみながら、ただただ湖を眺めています。
サ 「豪快に泳いでるのは、うちのお客さんなの」
叡智「ここは何のお店なの?」
サ 「売り物は『高揚』と『鎮静・気怠さ』かな」
叡智「淫らな夢を見せるお店にはしなかったの」
サ 「サッキュバスならそうしがちに思うでしょ? でもね、
心の精霊の力も借りずに、淫らな気持ちに出来るなら、
力の調節を覚えれば、高揚させたり鎮静させるのも出来ます。
私は、人と共存するならこのやり方がいいの」
叡智「なるほど。鎮静の方はエナジードレインの応用かな?」
サ 「ええ、そうよ。あっちで泳いでいるのは、武神様の熱心な信者さん」
叡智「鍛錬中なのね」
サ 「彼はモンスターなんだけど、鍛えに鍛えて、最後に湖を泳ぎまくって、
一日の仕上げにするの。それでも、鍛えるほどに、血はたぎるじゃない」
叡智「ええ」
サ 「彼は、使いきれなかった有り余る体力を使い果たして、
心鎮める時間が欲しいわけ。だから、お得意様」
サ 「ところで、お連れの少女は、飲み物がぬるくなってもまだ湖を眺めてるわね。
まるで初めて見たみたい。異国育ちなのかな」
叡智「ええ、遠い国から遊びに来ているの」
サ 「ねえ、あなた」
真朱「はい?」
サ 「湖は好き?」
真朱「さざめきも、湖面の光も、遠くを泳いでいるひとも、湖を渡ってくる風も、
何もかも、飽きないです」
サ 「泳いでみない? 水着あるけど」
真朱「水着?」
サ 「裸や下着じゃ困らない? 湖や海や川で水遊びする時に着るの」
真朱「お姉ちゃん、サッキュバスさんのご厚意どうしよう?」
叡智「真朱は着替えてもいいし、しなくてもいい」
サ 「真朱さんて言うのね。とりあえず、水着着てみない?」
真朱は、サッキュバス(姉)が出してくれた水着の中で、一番露出の少ない物を選びました。
サ 「どう、お姉さん?」
叡智「ええ、健康的で似合っていますね」
サ 「一番地味な水着が、素材の良さを引き立てたわねー」
真朱「スースーします」
サ 「他のはもっとスースーするわよ?
あなたはそこで湖を眺めてるだけでもいいし、もちろん泳いでもいい。
あなたのお姉さんと、空を飛べる私がいるから、溺れる心配ないし」
真朱「せっかくだから、少し入ってみます」
真朱は湖畔まで駆けていくと、そっと足先を水につけました。水は水の精霊の領分です。炎の精霊は世界を維持するために、もちろん水の精霊とも協力しますけれど、関わりを間違えれば消滅する事故も起きる相手です。
でもここは精霊界ではありません。
私の用意した義体に入ってもいます。
真朱は、ゆっくりと湖へ入ると、体が浮く感覚を面白く感じました。背泳ぎのように仰向けに浮かび、流れる雲を飽きること無くずっと見ていました。
真朱の気持ちは、どう説明したらいいでしょう。防護服を脱いだら即死するけれど、とても美しい場所があったら、似ているかもしれませんね。
――さすがにもう体冷えるし、あなたは浮いてるのが好きなの? と、サッキュバス(姉)が様子を見に来るまで、ずっと彼女は湖に抱かれて雲を眺めていました。
この日は、叡智の女神が出す『部屋』ではなく、サッキュバス(姉)の店に泊めてもらいました。もともと、あまり食事や睡眠を必要としない体(義体)ではありますけれど、真朱は、夜の湖と星空を眺めるのが楽しくて、なかなか寝付けませんでした。
彼女の旅と休暇が終わって、精霊界へ帰ったら、彼女はこの湖のことから話そうとするかもしれませんね。
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