第21話 貧民街から低く轟く『歌』

初めての旅先へ到着したら、何から始めますか?

まず宿の確保をして、荷解きを済ませて散策するのかな。あるいは、直接目的地へ行って用件を済ませる人もいるわよね。


「お姉ちゃん。教団長さんに会う前に、城下町を少し見ても平気?」

「ええ、まだ朝ですから時間は十分ありますよ」


叡智の女神はどちらでも無く、真朱まそおのしたいようにさせました。


屋台が並んでいる通りは、まだ今日の仕込みをしていますね。

「ここが、精霊王が仰っていた屋台のある所?」

「そうよ。精霊たちはここに遊びに来る者もいますよ」

「あそこに、板状の石に文字が刻んであるのは何かしら」

「石碑のこと? 街の人達の『忘れたくないです』という印ね」

「『私達の先生の私塾跡』って書いてある?」

「ええ、その通りです。真朱は学院って分かる?」

「人や亜人が学ぶ場所」


「そうね。昔は学院って貴族だけが使っていました。

 でも、村人から初めて学院に入った者が出て、今では異種族も通うわね。

 まだ中興の祖と呼ばれる鉄棍女王がいた時代の出来事です。

 その人は、領主として働き、領主を引退して王都で私塾を開いたの」

「うん」

「彼の門下生が、彼にしてもらったことを忘れたくなくて、

 後世に語り継ぎたくて、この石碑を建てたの」


真朱は、石碑を横から、そして後ろも回り込むようにして、観察しています。


「石碑に興味がある?」

「精霊は不要になった情報を消去したりされることはあっても、

 必要な情報を呼び出せないことって起きません。だから、興味深いです」

「なるほど」

「数百年ここにこの石碑があるのでしょ?」

「そうね」

「風雨で石が傷んでいる部分はあるけど、綺麗に手入れされています。

 忘れてほしくないという願いは、受け継がれたのね」

「ええ」

「人の寿命は短いでしょ?

 何人の人が携わり、石碑の想いが次の世代へ伝わって来たことで、

 何人の人が喜んだのかなって考えると、楽しいの」



真朱は叡智の女神と城下町を歩く内に、精霊にとっては耳障りな歌が低く強く流れてくる地区があることに気が付きました。

「……ねえ」

「どうしたの」

「向こうから、怖い『歌』が聴こえてくるの」

「嫌な気配みたいな感じかな?」

「ええ。屋台があるあたりも、他の通りも、活気があって、

 精霊語では無いし人も歌ってはいないけれど、私にはお姉ちゃんの言う

 『雰囲気』って一種の歌のように感じられるの」

「私には無い感覚ね」

「でも、向こうからは、聴いているのが、いたたまれない『歌』がするの」


「貧民街のことを言ってると思う。あなたにそう響くなら戻りましょうか」

「まだ我慢できます。見に行ってもいい?」

「構いませんよ」



真朱が貧民街からの『歌』を気にするのは、精霊としての価値観では、「打ち捨てれられる存在」が生じることはあり得ないからですね。

少し長くなりますが、真朱の感覚を説明しましょう――


精霊たちは創世神話の時代から総数は変化していません。寿命は無いでしょ? ごく稀に、例えば炎の精霊と水の精霊の関わり方で事故が生じ、消滅する者が出ることはあります。彼らは死者にはならず、事故直前の状態で復元されますし、周囲の精霊達や事故が起きたことを知った上位精霊の保護によって、事故自体も回避されます。


いつかお話ししたみたいに、精霊達は2つの役割があります。『精霊使いへ応答する者』と『世界の維持を担う者』ですね。世界が作られた時点で、エルフは存在しますけれど、まだ精霊魔法の体系は存在しませんでした。時間をかけて『歌』や精霊語を理解し、精霊に認められるための『格』が存在することを理解したのですね。

その頃は、全ての精霊が『世界の維持』に関わっていました。


もしその頃、現代ほど精霊魔法の体系が整っていても、『歌』による呼びかけに応答できる者は上位精霊くらいだったでしょう。今よりずっと非効率なやり方で、世界の維持を行っていましたから、手の空いている精霊が居なかったのです。


長い年月をかけて、精霊達は同じことを繰り返す中で、だんだんと効率的なやり方を見つけていきました。結果、手の空く精霊も出てきます。こうした流れで、エルフ達が精霊使うたうたいとしての文化を育て始める頃には、呼びかけへの応答に専念出来る精霊・手の空いている精霊も十分にいました。


どのような役目であれ、精霊達がそれぞれの役割に集中できるようにすることは、上位精霊の仕事です。彼らが調整するので、何か問題が起きて、困ったり考えたりすることはあっても、精霊たちは失意を抱いたり、捨て置かれたりすることはありません。

真朱の精霊としての感覚では、貧民街から無数の重くていたたまれない歌(嘆きの歌)が響いている状態は、精霊界になぞらえるなら、上位精霊が仕事を放棄した状態に見えたのですね。

叡智の女神は察してはいますけれど、真朱が口にするまで、黙って見守っているのね。


――そんな2人の話に戻しましょう。


貧民街の入り口で、とうとう真朱は足が動かなくなりました。

「限界かな?」

「でも、知らないといけない気がします」


顔色の悪い青年が、2人に話しかけました。

「巡礼のお方。迷われましたか? 行きたい教団があるなら教えるよ」

「いえ。妹の社会勉強だと言ったら、あなたは気分を害するかしら」

「妹さん、真っ青になって震えてるじゃないか。

 オレたち貧民街の住人は見世物じゃないと、言いたいところだが、

 その状態の子には言えないなあ」


「……あの、お兄さんのお話を伺ってもいいですか?」

「オレの? そうだなあ。君のお姉さんは熟練の神官戦士みたいだね。

 危険から身を守る自信はあるのだろう。

 だが、妹を庇いつつ、貧民街で危険を冒すことに賛成できない。

 二度と、貧民街へ関わらないことを約束できるかい」

「……それは、お話を伺ってみないと約束できません」

「頑固な子だね。だが、君らの様子からは、憐憫も好奇心も

 君たちを気に入った。ついてきなさい」


貧民街の入り口から少し入ったところにある、青年の部屋へ2人は通されました。

小さな部屋は、粗末なベッドが1つと、何度も修繕した跡のある壊れかけの机、それに木箱があるだけでした。

「何もなくて驚いたかな。そこの木箱が丈夫だ。よければ腰掛けなさい」


「どうして、ここにお住まいなのですか?」

「気の荒い者もいるし、私のように会話に応じる者は例外だと思って欲しい。

 貧民街は流れ着く場所であって、ここが好きで住む場所では無いんだ。

 つまり、貧民街の住人にその質問は、残酷だよ」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。ただ、君と住む世界が異なる者もいる。

 そして、君の無邪気さが、人を傷つけることもある。

 きっと君は、幸せな子なんだろう。そのことを、君くらいの歳の私なら、

 不公平だと許せなかったと思うよ。君の幸せを壊さないように、気をつけなさい。

 貧民街へ流れ着く理由は様々なんだよ。共通するのは他に行き場が無いのさ」

「お兄さんも?」

「君に聞かせるには抵抗のある内容もあるからなあ……。

 私はモンスターと人の間に産まれた。帰る場所・行く場所の無い理由はそれさ」


「話を遮ってごめんなさいね。あなたは冒険者になるか、教団での信仰生活は

 選ばなかったの?」

「そう考えられるのはもっともですね。

 冒険者として稼ぐならダンジョンへ潜ることになる。私には適性がある。

 だが、逆の立場を想像してくれないか?

 ある日、地上も海の底も含めて全ての場所で生きるなら、

 本能を殺してそこに住む者と共存することを強制されることになった。

 生まれ持った在り方を通したいのなら、ダンジョンへ押し込められ、

 同族や冒険者との殺し合いを強制される。理不尽だろ?」

「割り切って冒険者をするモンスターもいるけれど、あなたは違ったわけね」

「ああ。剣を手にしたこともあるが、同族殺しに思えてオレには無理だった」

「あなたは人とモンスターの間に産まれたけれど、心情はモンスター寄りなのね」

「いや、人やエルフと殺し合いをしろと言われても拒否するよ。

 モンスターとしての本能も受け継いではいるが、それでもね。

 私の立ち位置からすると、人の世の作りって乱暴だと思わないか?」

「ありがとう。あなたの気持ちは伺いました」


「お兄さんは何か願いはありますか」

「今は、もう何もないかな」

「本当?」

「君は不思議な瞳をしているね。私の中を覗き込まれるみたいな気がする。

 正直に言おう。2つある。

 1つは誰も叶えることが出来ない『私の消滅』だね」

「お兄さんが亡くなった後に、輪廻転生の輪から出て精霊になることはダメ?」

「輪廻転生から自由になれない以上、それが一番マシなのは理解できるんだ。

 ただ、今日に至るまでに、憎んだり憎まれたり恨んだり様々なことがあってね。

 一つ一つ手放して、『ただ消えて滅びる』ことのみを願えるようになるまで、

 かなり苦労したんだ。精霊として生きること、あるいは他の生命に転生することは

 生きてみたら素晴らしいかもしれない。

 けれど、正直、世の仕組みに愛想が尽きた」

「お兄さんの願いは他にはないの?

 手助けがあれば居場所を作ることは出来ますか」

「いや。君くらいの歳の頃は、神にも祈ったことがある。

 でも、私には神はいなかった。

 今は何も願っていない。

 強いて言えば、いや、聞けば君が傷つく。もうこの話はやめよう」


「妹が傷つけば、私が面倒見ます。話してやって下さい」

「あんたらは変な姉妹だな。――単純なことなんだよ。

 『オレを放っておいてくれ』

 輪廻転生の輪から自由になれない以上、オレはこれしか望めないんだ」

「……どうして、その願いを曲げてまで、話して下さったの?」

「自分でも不思議だよ。君達はかんに障らなかった。

 生きてみると、不思議な日もあるものだね」



顔色の悪い青年は、2人を貧民街の出口まで送り届けました。

――「もう、来るなよ」と念を押して。


青年が立ち去ると、叡智の女神は人払いの奇跡を使い、他人が2人のすることを知覚出来なくしました。そして、真朱を抱き寄せて転移の奇跡で、王都郊外の高台に飛びます。周囲にひとけはありません。真朱の義体がもともと保管されていた地域ですね。


「あなた、死人みたいな顔してるわよ。教団長を訪問できる状態ではないでしょ。

 少し、休みなさい」


叡智の女神は「部屋」へ続く扉を宙に呼び出すと、真朱は俯いたまま、入って行きました。叡智の女神も続きます。

真朱は靴も脱げず、ベッドに倒れ込みました。叡智の女神が靴紐を解いて、靴を脱がせてやります。真朱は仰向けになって、じっと天井を眺めていました。

今は、両手で顔を覆っています。

叡智の女神は、真朱の隣のベッドへ浅く腰掛けています。


「楽になった?」

「ええ、今は何も聞こえない」


「貧民街があって不愉快?」

「違うの。驚いただけ。あのお兄さん、心の精霊の動きが特殊だったの。

 ほとんどが動かないように抑制されている。

 賢者様やイルカさんが聞かせてくれた『寂しい』も殺してあるかもしれない」

「彼は、諦めて諦めて、生きてきたのでしょう」

「ねえ、女神様」

「なあに」

「あんな悲痛な『歌』は聴いたことがありません」

「精霊界には無いでしょう」

「神族にも彼の嘆きは届くでしょ。どうしてこんな残酷なことができるの?

 残酷というのも少し違うかしら。

 精霊は困れば上位精霊が必ず手助けをして、それぞれの役割に集中できるように

 してくれるから、私達の感覚では、

 あのお兄さんはと思う」


「そうねえ。まだ人間達が未熟だと言い切ると、私達神族の怠慢になるかしら」


「人の世に神が直接介入しすぎると、人が神を頼ってしまうから、

 出来るだけ人にやらせる、ということでしたよね」

「私達は、じりじりしながら見守っています。人の手に余る問題か、

 人に出来ることであっても現時点では手が回らないと判断できれば介入します」


「あのお兄さんの祈りに応えなかったのは誰なのかしら」

「私も含めて、誰もが彼の事情は知っています」


「私は人の世の者では無いですから、間違っているかもしれないけれど、

 祈った時に助けを与えないことが、私には理解が難しいです」


「私達神族の行動の偏りと、不公平さは認めましょう。

 私達はほぼ無限に力を行使できる存在なのに、人の世に関わる方法も

 とても少ないですね。例えば、神官達に神聖魔法の奇跡を授ける等」

「うまくいっていないことは理解しました。

 上位精霊は全ての精霊がそれぞれの役割に集中できるようにしています。

 人の世で上位精霊に当たる者が、機能していないのね」

「ええ、人の世の複雑さを横において、俯瞰するならその通りです」


「真朱、あなたが驚き困惑したことは理解します。

 あなたはこの街に教団長へお礼を伝えに来たのでしょ?」

「うん」

「厳しいことを言いますけど、貧民街の彼らの嘆きに対して、神族である私でも

 今すぐ出来ることは無いの。ましてあなたなら、なおのこと。

 休んで、気持ちを落ち着けてみない?」

「……はい」


「ねえ、叡智の女神様」

「なあに」

「王都へ旅する間に泊めて下さったり、こうして休ませて頂いている

 このお部屋は、人間にしろモンスターにしろ、きっと快適な物なのでしょ?」

「モンスターに関しては、沼を好むとかと生態が無数にあるわね。

 人と亜人系モンスターに限れば、快適でしょう」

「貧民街の人達に、このお部屋を呼び出す方法を教えてあげられますか」

「呼び出す方法は2つあります。私達神族の行う『奇跡』。残念だけど、

 人間に与えた神聖魔法では行えない種類の奇跡です。

 もう一つは、魔法ね。ただ、習得するには骸骨村の賢者のように

 かなり深く学ばないと身につきません」


「誰でも使えるわけではないのね。

 貧民街の人達に、この部屋の使い方を教えることはダメなのでしょ?」

「私が人数分出すことは可能です。でも、やってしまうと、彼らは神族に

 依存しすぎてしまうし、貧民街以外の地区に住んでいる者達から不満も出ますね。

 ですから、与えることが出来ないの」

「そうなのね。私が精霊だから特別扱いして頂いているとはいえ、

 貧民街の人達の『歌』を聴いてしまうと、この部屋を使えることも、辛い」



叡智の女神は、真朱の気持ちが落ち着くのを待ちました――

そして、2人は今、末の神の教団長の私室へ通されています。

長 「あんたも、変わった子だね。

   一万体の義体を精霊達は交代で使っているけれど、

   わざわざ私に会いに来る者は初めてだよ」

真朱「誰かが来ているなら、私は来なかったと思います」

長 「そりゃそうだ。で、連れのお姉ちゃんとやらのことは、

   気付いてない振りを続けた方がいいのかい?」

叡智「いえ、あなたの私室は末の神に『人払い』の奇跡をかけさせましたね?」

長 「ああ。聴くべきではない事柄を、うちの子達に背負わせたくはないからね」

叡智「神官姿ですが、私は叡智の女神として接して下さって構いません」


長 「人の世を旅してみて、どうだった?」

真朱「綺麗な物も楽しそうにしている人達の雰囲気うたも、とても素敵」

長 「だが、それだけじゃなさそうな顔をしているね」

真朱「教団長さんにお礼を伝えに来ました。だからすごく心苦しいけれど、

   神族も教団も機能出来ていないことをお伝えします」

長 「聞こうじゃないか。私に遠慮することは無いよ」



長 「――うーん。貧民街のことか。あんたの言うことは正しい。

   ただ、冒険者か教団での信仰生活を拒否した者たちだからね。

   正直、悩みのタネではある」

真朱「教団長様は、彼らは好きであそこにいると考えている?」

長 「抜け出そうという気持ちさえあれば、私達でも、誰でも手は貸すんだ」

真朱「あそこは流れ着く場所で、好きであそこに居る者はいないと聞きました」

長 「そう感じる者もいるのだろうね」


真朱「お伝えしたみたいに、精霊界で言うところの、上位精霊のような役が

   きちんと機能して、それでも抜け出さない人はいるかもしれないけれど、

   今より苦しむ人は減ると思いませんか?」

長 「私達には限界がある。ほぼ限界の無い神族は縛りがある。

   あんたならどうする?」


真朱「神族が、適切な相手に力を分け与え、鼓舞すれば解決すると思います」


真朱の言葉を聴いて、教団長はニヤッと笑いました。

「あんた、面白いこと言うね。末の神にぜひ、聞かせてやりたいよ」

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