第5話
「今日もご迷惑おかけしました」
「キミの気にすることじゃない。むしろ、波留ちゃんのおかげで助かってる」
冬子が唐突に帰ってしまったので、波留も退散する事にした。美結の様子も気になっている事だ。西山と形ばかりのお辞儀を交わしていると、後ろから若い男が姿を現した。小清水だ。
「ちーっす。あ、西山さぁん。またトーコちゃんに現場荒らさせたんですか? 怒られますよぉ」
「ああ、小清水くん。まあ彼女達も節度はわきまえているから……」
「ハルちゃんも、カイゾー先生にバレたらまた怒られちゃうよ?」
ポケットに手を突っ込んだ小清水がへらへらと風船に貼り付けたような笑みを浮かべながら言う。カイゾー先生というのは、波留の指導教官の海蔵教授の事だ。カイゾー、と呼ばれているが、海蔵と書いて"みくら"と読む。法医学の権威なんて呼ばれる事もある人で、この小清水も学生時代は海蔵の研究室に居たらしい。
「あはは……」
冬子も波留もこの男の事が苦手だった。冬子は純粋な嫌悪からだろうが、波留としては、小清水の底の見えないような笑いが苦手、というか、警戒してしまう。どうにも敵に回すべきでないタイプに思えて仕方ないのだ。
「それで、どうだった?」
「はぁ、何がです?」
小清水の突然の質問に波留は少しうろたえた。出来れば早く帰らせて欲しい。
「死体。どーせまた勝手に見たんでしょ?」
「えぇ? 自分で見たら良いじゃないですか」
「……前から思ってたけど、ハルちゃん、オレに対して厳しくない?」
「や、そんなことは、ない……、ですよ?」少しだけ変な発音になってしまう。話題をそらすことにしよう。「それで、死体でしたっけ。どこまで聞きました?」
「なーんにも? 浴槽で死んでたとしか」
「えっと、とりあえず死因は縊死だと思います。内部索溝と縊血点がありましたから。首も綺麗だったので恐らくは自殺で、後から浴槽に移動させられたんでしょう。死斑が確認できなかったので、死後すぐに移動させられたはずです」
「なるほど、流石は先生の教え子だな。だが条件がそれだけじゃ自殺かどうかは分からない。例えば薬か何かで意識を失わせてから、首を吊って殺したらその状態ができるだろう」
小清水が真面目な顔を見せる。こんな時の彼はあまり嫌いではない。根は真面目、なのかもしれない。
「えっと、それは無いんじゃないですか? 自殺に見せかけたかったなら死体を移動するのはおかしいですよ」
波留がそう言うと、小清水が「ちちち」と舌を鳴らして指を振った。その動作を現実に見たのは初めてだったので、波留はこれまたうろたえてしまった。というか、薄ら寒さを覚えた。
「ダメだぜハルちゃん、結果ありきで考えちゃ。いつだって、客観的に事実を導くのがボクらの仕事だ。覚えておいて損はないぜ、このセリフ」
「あ、はい」
「ホントに分かってる? まぁ、いいや」手袋と作業着を身に着けながら小清水が部屋に向かう。
「さて、じゃあまたねハルちゃん。トーコちゃんにもよろしく言っといて。着拒解除してくれないんだ」
小清水はそれだけ言って、手を振りながら部屋の中に消えていった。
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