第4話
準備を終え、西山と共に部屋に入った私はある事に気が付いた。
――臭いがしない。
「自殺って言ってましたよね。すぐに発見されたんですか?」
「見ればわかる」
そう言うと西山は浴室のドアを開き、入るよう促した。
「あぁ……、なるほど」
浴槽に女性が横たえられているのが見える。シャワーヘッドが浴槽に入っており、温度は最低に設定されている。今は止められているが、恐らく水が流されていたに違いない。明らかに、腐敗を抑えるための措置だ。
「触っても?」
「ああ」
それを聞いてから、私は死体の状況を確認する。まずは水に浸かっていない首から上だ。
「……眼圧低下と、それから角膜混濁の所見がある。発見はいつ?」
「今日の、昼の一時だな」
「唇も乾燥しているし、少なくとも死後二日は経過……してると思う」
首の辺りを見ていると、くっきりと索痕がついているのに気付いた。思わず目を背けてしまう。
首を吊ったのだ……。
あの光景が、波留の脳裏を掠める。
彼の死体。
郷愁的な、白昼夢。
「おい、大丈夫か?」
西山の言葉で、波留は現実の認識を取り戻した。まだ頭にある過去の残滓を振り払う。まだ少し動悸がしていたが、それは吊り橋効果の為にとっておくことにした。
「……いえ、大丈夫です」
そう言った波留に、西山は、ああ、と頷いた。気遣っているのだろうか? ずいぶん今更だな、と可笑しくて波留は笑いたくなった。先ほどの幻視は、もうずっと遠くに消え去ってしまったようだった。
再び死体の顔に目を向けて、瞼を観察すると縊血点が確認できる。生きている内に首を吊ったのは明らかと言えるだろう。
「恐らくは縊死でしょう。なるほど、確かに自殺のようですね。ちょっと失礼、っ……!」
浴槽内で死体の足を持ち上げる。身体は綺麗だ。死斑は存在しない。それを確認した後、足を元に戻しておく。
「波留、何か分かった?」
唐突に背後から冬子が話しかけてきた。接近に全く気付かなかった私は驚いて声を上げてしまう。
「びっくりさせるんじゃねーよ……」
「ごめんあそばせ、そんなつもりはなかったんだけど」冬子は表情を変えることなく言う。「で、何か分かった?」
「ああ、まぁな……。死因は縊死。少なくとも死後二日は経過している。死斑が無いから死後すぐに誰かに浴槽へと移動させられたんだろう。恐らくは自殺だ。なぜ死体を移動させたのかは分からんが」
「完璧ね。でももっと重要な事があるわ。気付かない? あーあ、気付かないのね」
やはりというか、冬子はとても上機嫌だ。冬子は機嫌が良いと、仕草には出ないが口数が多くなる傾向がある。
「面白くなるわよ……」
彼女はうっとりしたように言い、浴室の壁に触れる。そこで波留は初めて、壁に赤い縦線が一本走っているのに気付いた。
「意味が分かるのか?」西山が尋ねる。
「エル、アイ、もしくは数字かしらね」
「重要な事っていうのは、それか?」
「口紅で書かれてる。西山さん、無くなった口紅は見つかった?」
「見つかってない。なぜ口紅が無くなったって?」
「最高だわ! そう来なくちゃ!」
冬子は言い終わらない内に急ぎ足で浴室から去っていった。
「……確かに、ハイになってるみたいだな」そう西山が言い終わらない内に、冬子
「携帯電話とパソコンを調べなさい、メールを送ったはずよ。あぁ、一応部屋も指紋検査をしておいて」
冬子が、ため息をついていた西山にひとしきりまくし立てる。そしてそれを終えると、再び部屋の外に向かっていった。
「一体なんなんだ?」
まさにドアから外に出ようとしている冬子に西山が叫ぶ。冬子は振り向いて言った。
「ゲームは始まったばかりよ! 口紅の分析、忘れないでね!」
今度こそ、冬子はドアを閉めて部屋から出て行った。
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