06-4/4 世界か家族か

*****


 東棟へ入りこんだ瞬間、眼の色を変えた人間たちが高橋を追いかけてきた。


「――ゲッ!」


 その生身の人間に、さすがに手を出すワケにはいかない。

 ――だがある秘策がある。


 一度は建物の外へ逃げ出したが、二度目は飛行バイクに跨り建物内へと激昂。

 ゲームマニアとは本来攻略本を読むモノだ……。

 そのことから、飛行バイクのある機能を知っていた。――自動運転のルート設定には自身が決めたルートを走行できる。


 それに自動危機回避設定を加えるとあら不思議……。


 キョンシーが追い掛け回す中、まるでアーケードゲームのように目的地へと向かう。


 突如として目の前に黒く得体の知れない闇。――それが、ウイルスなのか?


 マップで位置をもう一度確認する。そこには赤い点が何度も点滅をする。


 高速で動き回るバイクの上で、高橋は眼を拵える。

 なにやら、闇の中に一筋白く眼玉のようなモノが見えた。――間違えない! それが、上谷が言うウイルスの弱点。


 乗物の上、銃で目玉を狙うときの簡単なコツがある。


 それは、慣性の法則を忘れないことだ。

 拳銃から放たれる弾もその感性に則り、微妙なズレがある。だが、下手に重心をズラして撃とうとかそういうことは一切考えてはいけない。


 ただ、狙うだけ――そして、彼が過ぎ去るとき、あの闇の目玉はなくなる。


 それが何度も続いた。――ウイルスの数なんて数えてもいられない。

 そうだ、いつもの集中力でひたすたウイルスの目を壊していく。



 だが急遽、揺れと同時に――破壊音のような不協和音。


「――な、ナンジャコリャ!」

 ――そのとき、バイクから転げ落ちた先だった。


 なぜかココで絶体絶命のアカリ、その頭になにかをしている男性がヤケに高橋の感情を躍らせた。


 当然ながら、あの男がどれだけ残虐で、恐ろしく強大であるのかは知らない。

 だが、その反面、高橋は思う。――彼女を守れないぐらいなら死んだ方がマシ。


 それが、今回はうまい方向に転がったとしか言えない。



「……あ、アナタは馬鹿ですか?」

 アカリの顔は今でも壊れそうだ。

「もしかしたら、アナタも殺されていたかもしれません。

 相手の力がどれだけだか知らずに――」


 さすがに高橋も頬を掻く。

 よくよく考えれば、あのアカリが勝てない存在。


「な……なんでかな……」

 血がのぼったからなんて口が滑っても言えないよな。「そ、そんなことよりだ!」


 程なく高橋は本来の目的を忘れるところだった。

 形態のアプリを起動して、今までヤッつけてきたウイルスを確認。――そして。


「――ミッションコンプリート」

 そう、高橋は呟く。


 あのバイクで、走り回っているうちにいつの間にか、ウイルスはすべて焼き尽くしていた。


「……みっしょんこんぷりーと?」

 その言葉の意味を、アカリは未だ知らない。


「……ああ、またあとで教えるよ」


 二人はその奥へと進んでいく。



 屋上に向かうには、エレベーターと非常階段から登る方法の二通りある。

 エレベーターの前を二人が通ったとき、ランプが消え乗ることができない。

 当然ながら歩いて階段へと向かう。


「それで、なんでアカリはここにいたんだ?」

「……わたし、ココしかオサムが来そうな場所を知りませんから」

「……あ、そういえば、スマン。というか、元気もどってよかったよ」

「――え? ……昨日は、迷惑かけました。

 それで、今からドコ行くんですか?」

「え? ああ」


 高橋はスーパーウイルスの件で、自身がこの東棟を走り回っていたこと説明。


 キョンシーのような操り人形がいくつも倒れている。

 術が解かれたのか、操られていた人間は眠るように崩れ落ちていた。


それを無視しながら、とにかく屋上の階段を登り始める。


「……さっき、わたしが戦っていた男も、光幻術を使えるそうです。

 おそらく、彼が幻術を解いたのでしょう」


「彼らは……」

 そこで高橋は息が詰まってしまう。


 口が裂けても、それ以上は語れない。まるで、それは魂が抜かれているみたいだった。

 それでも、アカリは彼が言おうとしたことは察していた。


「……副作用で気絶しているだけですから。……大丈夫です」


 高橋とアカリが屋上に着くのはそれからすぐのことだった。


 だだっ広いスペースには、平日の為か駐車場には一台の車が止まっていない。

 その広いスペースでは、今さっき上谷たちと訪れた場所がドコかさえ定かではない。

 さらにはショッピングモール内に出入りするための出入り口が転々と存在する。


 とにかく、上にあがれば三人の居場所が発見できると無意識に判断していた。


「スマン、出入り口が……」

 彼らを探すために辺りを見渡す光は物音を探すようにあたりを見渡すと、その一か所に煙が上がっていた。


 当然のようにそこから爆発音。


「あっちだ」

 高橋もそれには気がついて、二人はそこから更に奥側へと向かう。


 どうやら、上谷たちは元いた場所にはいなかった。

 駐車場には車を駐車した場所がわかりやすいように出入り口付近にはローマ字が添えられている。

『IDEA』核へと行けるエレベーターは『ゲートC』と記載された自動ドア付近からほど遠い。


「――オサム! 彼に近づかないで……」


 そうアカリの擦れた高い声が響き渡る。

 ワケがわからず、下を見ると――「ナンジャコレ!」


 靴の爪先が真っ黒に燃え、高橋はその熱に地べたを踏む。


 ワケもわからず高橋は下を見ると、そこには銭形を中心としたコンパスで描いたような黒い円。

 およそ200mトラックのスペースを綺麗にコンパスの円が描かれている。


「……銭形の『地獄園』、この中に入ったら最期よ」


 止む負えなく膠着状態になった高橋は遠くで平然と起立している銭形へと視界を合せようとしたとき、その奥には腕組をしている上谷と有栖がいた。


「やあ、楓より早く戻るとは……って金髪幼女? 彼女に助けてもらったのか?」


 釈然とした様子で上谷が高橋へと届くぐらい大声で語り掛ける。

 ちょうど四人は銭形を挟み撃ちをしている形になっていた。


「……バカ」

 苛々して感情を抑えているように小さくアカリが呟く。


『……悪かったよ。コレを発動させるなんて完全に墓穴を掘った』


 上谷は、大声ではなく、テレパシーで語り始める。

 この場を把握していないのは高橋だけだった。


「……銭形さん、何者かに操られているんですか?」


 アカリは今までの状況を全く知らない。


「そうらしい。あの奥に上谷……いや、カムイと有栖が彼を止めようとしていたんだが」

「――なんですって? あの雑魚と白銀では銭形さんは無理……でも、どうして?」

「僕にもワケがわからない……だが、上谷が言うには上位組織が彼を操っている。

 みたいなコトを……」

「いや、だからって銭形がそう簡単に……」


 そこで、アカリはある事実を思い出した。

 先ほどの同じ『光幻術遣い』の圧倒的な力。


 彼以上のの異能力者がいるのであれば、銭形も捕まる可能性はある。



 だが、可笑しい点がある。

 あのオオカミ男がいなくなったことによって幻術は開放されたはずだった。

 そのはずだが、銭形だけが未だに身体を乗っ取られたままでいた。


 アカリはそうでも、じゃないにしても、やるべきことは決まっていた。

 ノーリミットになった今、『光幻術』が届く範囲は大幅に距離を増している。

 銭形までの距離、およそ50mにも満たない距離であれば、アカリと同じ、もしくは同じ系統での幻術であれば、術者を切り替えることもできるかも知れない。


 そのための作戦を思考する。


「……オサム、銭形へと向かって銃を撃ってみて」

「……え? マジで言っているのか?」

「優柔不断な男ね……。大丈夫よ? 彼は死なない」


 そう説得されて高橋は護身用のように抱えていたピストルを銭形へと向けた。


 もしもの情けか銃先を銭形の脚辺りに標準を定める。

 その引き金をあげた。耳元に銃声が轟くとともに、その異変に気がついた銭形が高橋たちがいる後部へと振り返る。


 ――ドラキュラの蒼い目が銭形へと捕える。


 一時の身体の乗っ取りにより反射を止められた銭形の脚へと銃弾が食い込む。


「――有栖、彼の結界が解かれた」

 上谷は即座に臨界体制にはいる。


 だが、アカリの作戦はココからだった。


 脚のバランスを失っている間に、身体を前のめりにアカリは走り出す。

 それと同時に携帯でのアバター変化を試みる。無意識での争い。


 それでも、傷つくことなど恐れている場合ではない。


 もし、失敗したら銭形の結界が復帰、身体を灼熱の炎に燃やされるのが目に見えていた。

 それよりも早く、できるだけ至近距離で彼に掛けられた魔術を解く必要があった。



 高速に近い疾風、容姿は風抵抗はなくなり、極限の速さで銭形との合間が縮む。


 一歩間違えたらキスでもしてしまうほどの至近距離。

 アカリは銭形に掛かった呪いを解くため、より一層輝く蒼く目を瞬かせた。


 ――だが、


「――違う?」


 銭形の身体を操るための神経ニューロンをすべて支配し、そのあと人間本来の働きができるように元の形へと戻した。

 そのはずなのに、銭形の目から意識がないような死んだ魚の目が変わることがなかった。

 ――そして、後ろからなにかが昇華する音。


「――間に合わんかよ!」


 有栖が投擲した長針が昇華。その影形さえ残さない。


 溶けた鉄でさえ天へと消されていく具合は、魂が天へ召されていくときの昇華に似ている。

 そのことから、銭形はある二つ名があった。


「……結界上のヤマ」

 あまりの怖れに、アカリは手足も出ない。


 いつもはヘラヘラした銭形の口先が今は嘘のように無だった。

 彼も、戦場では無敵と恐れられた『IDEA』屈指のバトルマニア。

 戦へ出たとき、あえて一度自身の手が届く範囲を黒く描き、そこへ侵入したことは彼への挑戦と見なされる。


 この灼熱は、スピードなど強さや身体つきがまったく関係ない。

 その手品も仕掛けも未だに不明。ただ言えるのは、ヤマとは日本の黄泉平坂の先にいる人々の魂を生前の行いによってを天国か地獄に送る裁判官閻魔大王の真の名前。

 その二つ名通り、結界に訪れた者は、彼の判決が下される。


 その長針のように自身は死ぬ。なにも感情も残されずに死ぬ。

 そうアカリが思ったとき、頭の中には生きたいという感情が膨れ上がっていた。だが、それとは別に彼の脳裏は誰にも覆すことができない――はずだった。


 すぐ横で銭形の獄炎が昇華する音。


 その前代未聞のミスにアカリはもう一度銭形の目を確かめた。


「やあ、愛しのアカリちゃん?」

 銭形は抗うように迸る。


「……どうやら、アカリちゃんの『光幻術』のおかげで意識だけは戻せたようだね?

 だけど、この身体の束縛は……たぶん君たちでは解くことは不可能だろう?

 カムイ、後ろにいるんだろ? 俺に一度黒霧(ブラックミスト)を使用してくれ。

 そうすれば正体がわかるから」


 有栖が、上谷の顔へ振り返った。


 二人とも、銭形の一言でなにかを察したらしい。

 上谷は言われるまま、手から押し出すように煙幕のような黒い霧を発生させる。

 その後すぐに、風が流れ去るように霧は消えていったが、それと同時に銭形の後頭部にアドバルーンにも似た黒い塊が形成されていった。


 その正体について知らないのは高橋だけだったかも知れない。


「マリオネット……人形術か」

 上谷の口がへの字へと曲がった。


 それと同時に術を解く方法にアカリも上谷たちも勘違いがあったことに気づかされた。

 身体を乗っ取ることができるのは精神操作系の術式がほとんどだ。

 このような身体の動きだけを乗っ取る人形術はあまり用いられることが少ない。


 上谷も有栖も、銭形には意識がないという点でなにか誤解をしていた。


「マリオネットで身体を操作したうえで、この上に精神系魔術を使用していた……ということは、私たちは彼らに馬鹿にされていたようだな。

 マリオネットで身体を乗っ取られている場合、精神操作系で意識を戻せたとしても、身体を動かす仕組みを全てを奪うことができない。

 彼を助けたくてもそれは不可能ってこと……ウイルスを倒すには彼自体を倒さなければ、目的は達成できないってことか……」


 その独り言のように呟いていた上谷の言葉を高橋はこの距離でうまく聞き取ることができない。


 だが、その言葉の意味はすぐに理解することになる。


「アカリちゃん……。一つだけお願いがあるんだ」


 一人相撲でもするように銭形は見えない何かに抗う。

 そして、無理矢理この口を縦へと開いて叫ぶ。


「――俺を殺せ。アカリィィ……」


 同時に、自爆を試みて拳銃を自身の頭へと構える。


「――ヤ、ヤメテ!」

 なんの恐れもなくアカリがこの銭形の腕へとしがみついた。


 高橋の脚が前に出ようとしたが、あの境界線が目に入る。


 なにもできずに舌打ちをする。

 そこから別領域の二人を眺めることしかできない。


「高橋くん……。

 君、よさそうなのを持っているね? これで俺のことを見てくれないか?」


 銭形が指さした先には、IDEAで渡されたスーパウイルスを見つけるための液晶タブレット。

 アプリを確認する。

 残り一つ、自分の居場所より少し離れた目先にこのスーパーウイルスが存在することが明らかだったが……。


 その眼先には一人の男。高橋は、まさか……と考えた。


 今までの戦闘によってはだけた服から見える皮膚、その銭形の心臓辺りには黒い塊がヘドロのようにこびりつく。そして、溝内にはスーパーウイルスの目が存在した。


「……銭形、アンタ……」


 そのとき、高橋とアカリは、今この状況がどうなのかを理解することになった。


 銭形の命とウイルスの核はまさに同体。

 まさしく、零れた水を戻す方法を模索するに等しい。


 銭形に根付いているスーパーウイルスだけを取り除く方法は、彼が操られていなくても難題。

 黒いヘドロが爆発するように疼いている。


世界か銭形の命か……、アカリには選ぶことができない。


「これで、わかっただろ? アカリちゃん、君には今まで辛い思いをさせた。

 これから先一人で生きていかなきゃならないんだ。

 辛いだろうけど、うまくやっていけ」


 そう言い終えると、冷静を装いながらもう一度頭へと拳銃を戻した。


「――なあぁ、高橋……」

 銭形は高橋を見た「彼女を……頼むよ?」


 もうどうしようもないのか、踠くように汗だけが流れる。



 アカリの中に、銭形の思い出が蘇る。


 彼はただ、アカリに命令を出していただけの存在だった。

 だけど、それが彼女の居場所にも繋がっていた。

 彼がなんで私にこんなにも甘い存在なのかはわからない。カムイやアギトを扱使い、流に対してもそれなりに酷いことをしてきたけど、銭形は光にとっては家族も当然だた……。


 ――家族?


 そのような迷った思考でないと、彼がそんな存在だって気づけないなんて……。


 だが、その家族という存在を教えてくれたのは今後ろにいるオサムがいたからだ。

 その家族も同然の銭形に、アカリはある決断し、アバターを解く。


 そのまま銭形へと向き合った。


「……アナタを一人で死なせない」


 ――なんだ、わたしにも守りたい家族がいたんだ。



 アカリが銭形へと抱き着くと、力一杯に光幻術を使用する。――だが、それが好機となる。


「――し、信じられない……。

 上位権限者でないのにウイルス払いを使えるハズが……」


 それは、まさしく、奇跡という偶然……かもしれない。


 銭形にこびりついていた黒い滲みが直後にして、形が実体化した。否、彼の身体から這い出てきたというべきか。


そのチャンスを有栖の鷹の目が見逃さすはずがない。


「今だ! ウイルスをブッ潰せぇぇぇ!」


 その手から長針が握られると、躊躇なく銭形のサークル内へと足をいれた。


 命を懸けた投擲。

 その手から放たれた長針は、空気摩擦により炎を帯び、ウイルスを焼き尽くす。


 そのあまりの威力に有栖の右腕が真っ赤に血が滲みだす。


 ――力任せの炎の一投が、ウイルスへと貫通し、二度と生起不能なまでに焼けつくす。


「――アアアアアアぁぁぁ!」


 ウイルスにその精神ごと根づいた根を燃やされたはその痛みに銭形は叫び声。


「――いや、まだ残っているぞ!」

 上谷が吼える。


 だが、彼にはそれがわかっていたとしても、ソレを壊す力を持たない。


 有栖は、先ほどの一打で、手が使えない。

 完全に燃やされていない黒い靄がドコかへ逃げようと空へと舞った。


 ――そのときだ。音のない銃声が空へと届く。

 反射的に高橋の手から引き金は引かれていた。


 その瞬間、凍りつくように靄は一本の木のように姿を変える。

 やがて、自立性を失うと跡形もなく風の彼方へと消えていった。


 目を失ったウイルスから解き放立てた銭形は、自身の意識を保てるはずがなく、その場に倒れ込む。

 精神が砕け散る感覚。それに耐えれることのできる人間はおそらく数えるほどしか存在しない。

 彼が倒れ込むのは当然の結果だ。


「高橋くん、アカリのことは頼む。

 と……とにかく、銭形をIDEA本部に連れていく……彼の意識はあるのか?

 息はあるのか?」


 確かめるように、上谷は彼の額に触れる。

 そして、腹部のふくらみが銭形が生きている証拠にもなった。

 それさえ、生命を掛けた1/2ほどの限界地点だったとは誰もが想像できまい。


「息は……している。

 あとは、ウイルスがどれだけ内部に残っているか……今ならまだ間に合う。

 核が消え去った今、それを排除するのは私でもできる。任せるんだ」


 一度、そのままエレベーターに乗り、彼をIDEAの核の居場所へと戻ると、そこには遠野がなにか違う準備を行っていた。


「……高橋、彼はかならず助かるよ。だから、今日は安心して帰ってくれ」

「……いや、僕たちも」

「違うって。

 銭形の遡上を知られちゃならない理由があるんだ。

 大丈夫だ。彼とはすぐ会えるから安心してくれ」


 上谷が高橋とアカリの肩に手を置くと、そこはさっきまでいた屋上駐車場へ戻っていた。


 だが、そこに今まであったはずのエレベーターは存在しなかった



 そのあと、すこしだけ高橋は楓と電話をした。

 駐車場に残された高橋とアカリは帰る手立てを忘れ、ただ茫然と今の結果を噛みしめていた。

 高橋にとってはつい最近であった変なオッサンかもしれないが、アカリにとっての彼はどんな存在なのかクダラナイ思考が脳裏へとこびりついたままだた。



 空の境界が色を変えようとしたときだ――この越谷にドヴォルザークの『新世界より』が鳴り響いたこの音が鳴り響く。


 両親が居なくなる少し前に鳴り響いた懐かしい16ビット音。

 もう失ってはいたが、つい最近まではXX年前と変わらなかった音だったのかも知れない。


 その曲が流れたのはいつの時代も誰かがこの『新世界』を望んでいた。 

 そう考えると、表か裏かだなんて、正直どうでもいいぐらい人々は生きていられるような気もしてならない。

 絶望を知ってもある少女はこちらで生きることを諦めないように、この曲の未来は希望に満ち溢れていると誰もが願い続けた。


「……もうオウチに帰らなきゃな」

 その曲を聞くと、思い思いに耽る高橋。



 IDEAとは、誰もが心に描いた理想郷。


 今も尚知らない母の御腹にいたときからその曲を知っていたか気もする。

 この街の危機を抑えたともいざ知らず、高橋はただ茫然と空を見上げた。

 あと一時間もしないうちにIDEAを核にする表と裏の接続は自然と消滅する。

 そうすれば、二度とこういう事態が起きない限り、この現実で『新世界より』が流れることはない。


 明日には逢えない人がいるように、今もきっと生まれ変わる。

 それを知らずに毎日を生きていることに誰も気が付かない。


 ――人は、そうやって尚、最後の審判を待ってでも生きることを望んだのかもしれない。



「……世界は平気なんですね」

 アカリの呆然とした声。


「ああ、とりあえずは……」


 そう、今思えば、これが初めての二人で行った初めてのミッションコンプリートだっただろうか……。


 レークモールの屋上駐車場、平日は開放されていない駐車場でこの曲を聞くと、どうしても思い出すことが高橋にはある。

 家族の事や、この曲が流れると迎えに来た義妹のこと。

 そして、久しぶりに楓と逢ったときに流れたのもこの曲だった。


今も、変わりゆくこの時間軸に、出会うことのなかったアカリという少女がいる。


「……わたしは生きているんですね」

「当たり前だ」

「どうして生きてるんでしょうか?」

「そんなの、考えても仕方がないだろうが? この歳になって物心がついたのか?」

「物心?」

「ここから説明しなきゃダメか……」


 そうは言ったものの、高橋もその言葉の意味を正しく理解していない。

 言っておいて、自分でアレ……と、考える始末だ。


「そうだな……。

 人の気持ちを理解したり、自分が生きていることを実感すること?」


「……ん、もっと分かりやすく教えてくださいよ」

「それ以上って、そうだな……。

 生きてることってただ生きているだけじゃない。

 その中には痛みや苦しみがあって、生きている。傷つけば痛いのは当たり前だし、それが続けば苦しい事もある」


「……それだったらわたし、最初から物心がありますよ」

「へえ……、そっか」


 逆にどれだけ、アカリがそういう感情を考えて生きたのかが皆無だが。


「じゃあ、例えば?」


ホンの好奇心だった。


「……そうですね。

 わたし、オサムのことを考えると、胸が痛いです」


 それを聞いた瞬間に、高橋は気まずい雰囲気に歯を歪ませた。


 彼女がそれをどれだけ本気で語っているかなんて見当も付かない。しかし、人の事を思って胸が痛いというのは、高橋にだって思いがある。

 つい昨日の多希が涙を流すほどの痛みがおそらくアカリにはあるのだろう。そして、その感情が高橋自身に向いているとも知らなかった。 


 その感情を知り得ないアカリに対してドン引きにも似た羞恥心が生まれてくる。


「……どうかしましたか?」

「――いや」


 そして、アカリはそのまま一人で歩き始めた。


 高橋は、その後ろをなにげなく着いてきていた。

 その脚が、鏡の前に止まる。


「……オサム、わたしは、やっぱりアッチの世界に戻ろうと思う」


 それは高橋にとって急な台詞。

 顔も合わせずに、アカリはまだ開かない鏡に触れる。

 そこから反射する形で、顔を伺うことができる。彼女には、表情があった。


 今まで、感情を持たなかった少女の表情は、まるで人形に命が宿っているかのように不気味なまでに作られた表情。


「急にどうしたんだ、アカリ?」

「……だって、望まれていないから。

 たぶん、わたしがいることでオサムは楓との関係も多希との関係も上手く築けなくなるんじゃないでしょうか?」

「いや、それとこれとは違うだろ」

「……いえ、オサムはオサムが好きな人といるべきでしょうね。だからわたしは……」


「――あのな」

 高橋は声を張り上げた

「アカリからいなくなるのは構わない。人の生き方は人それぞれだ。

 だけどな、それを他の人の理由にしないでくれ」


「だって、アナタはわたしの事を好きともなんともおもってないじゃないですか!」


「だから……」

 そして、言葉を考える。

「多希も僕もアンタのことが好きだ。

 前に家族にして欲しいってアカリは言ったよな? 家族というのはお互いが好きじゃないとなれないんだ。

 そうじゃないと、支え合ったりそういうことができない。

 同情しているワケじゃない。……そう、アカリと同じ境遇だから話せなかったことがある。

 僕も多希も親が戦争で亡くなったんだ」


  一度、固唾を呑み込む。

 彼女に知ってもらいたいこと。言葉や心では伝えることのできない感情の行方……。


「だから、今までずっと支えてくれる大人は誰一人いなかった。

 いや、いたにはいたけど、お互いが再婚同士ってのがあって上手くいかなかった。


 一度、僕たちは別々の親戚の家に預けられたんだけど、そこの子と上手くいくはずがなく一人で今の家へと帰ってきた。

 そしたら、なぜか他の家に預けられたはずの多希もこの家に戻ってきていたんだ。

 そういうときに誰かに頼りたいっていう気持ちとは裏腹に、甘えちゃいけないって感情が芽生えるのは……なんでだろうな」


「……それだったら、もっと彼女との時間を……」


「もう、何度も言わせないでくれ! 言葉と心だけ人間のすべてじゃないんだ」


 そうアカリの肩を無理矢理でも押さえつけて出口の方へと歩いていく。


 彼女の肩は確かに熱が籠り、それは彼女が生きている以上に感情が豊かになった証拠にもみえた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る