第五章
05-1/3 俯瞰
第五章:二人の決断
朝目覚めると、多希の部屋で寝ていたはずのアカリの姿はココにはなかった。
その代わり、今回も食卓の机には彼女のメモが置いてあり、そこには下手クソの字で『明日にはかえる』とまあ雑な字で書いてあった。
そんな、簡単なことを書くのにも対して、ゴミ箱には溢れんばかりに書き直しのメモが捨ててある。
そこには、すぐにかえるとか明後日になるかもしれないとか多岐多彩なことが綴られている。
要するにすぐには帰れない用事があると一言伝えれば良いモノの……。
高橋は、朝早くから学校をサボり、いつもの変わらない河川敷を歩いていた。
楓に会う前に、自身らが通っていた中学の前を通りたかった。学校は平然と二人とその他生徒の陰湿な虐待の過去が取り消されたように授業を開始している。
彼女の自殺未遂をきっかけにこの学校の方針は十分に変わったと聞いている。
そして、中には彼女の行為によって人生を変えられた被害者もいる。否、被害者と呼ぶことはオカしいだろう。
事件により受験に身が持てなくなった生徒も、推薦が取り消しされた生徒も複数人いた。
虐めのリーダ格とその他周辺の生徒に至っては少年院へと送られた。
高橋のあのときの言分は、楓という少女がすべてを失うまで誰も真に受けようとは思わなかった。
もし、彼らが少女を壊す前に少年院に拘禁されていたのであれば、彼女は普通の学生生活を送っていたかもしれない。ただ、それと同時に自身も少年に送られていたのであれば、どれだけ楽だったのかも考えられた。
それっきり、高橋は楓の事が頭から離れなくなった。
彼女という枷がなくなり、明日を志す気力さえも消え失せていた。
それでも、高橋は生きている。
誰かが二度と傷つけられることがないように、知恵をつけた。
今通う高校でも、虐めは絶えない。
だから、虐めをする奴らを片っ端から高橋は挑発してまわった。
時には逆手に出て、捻じ伏せられることもあったが、それでも他人が傷つくよりマシだった。
そうやって、自身を生贄にしていれば、二度と彼女のような人間が生まれないと信じていた。
でも、こういう生活をしても、自身の贖罪が消えることはない。
高橋は、楓に謝りにいくことで、自身がどうしたいかなんて考えもしなかった。
アカリが言うように、自身が彼らと違うと伝えに行くのか? それはあまりにイイワケ染みた幼稚な思考にも見える。
楓が自身と会うことで、あのときのような嫌な思いをするのではないか? それ以上、苦しめることをする理由がどこにあるだろうか。
それでも、楓の病室の前にいつの間にか到着していた。
その入り口でしばらく待っていると、その隣で、ある男が声を掛けてきた。
「――高橋か?」
その声は、高橋がよく知る人物だった。
この時間の病棟は、ちょうど医者の診察が行われている為か、休憩室には二人以外の姿は見られなかった。
榊原は、病棟の休憩室で買ってきた缶コーヒを高橋に渡した。
あのいつも追い回されている男を目の前にしていたが、微塵の恐れも感じれないほどに、あの顔には慣れてしまっていた。
『IDEA』へ訪れたことを思い出す。
それっきり高橋は榊原とは会っていなかった。
色々と問題があり、彼が現実へ帰還していたなんてことは考えもしなかった。
「前の件は済まなかったな……」
高橋は短い相槌をいれた。
謝るもなにも榊原はどこまであの件に知っているのか? それと同時に彼が普通に開放されて、自身が銭形に子機よく使われていることに疑問を持った。
疑問があるという点では、榊原も一緒だったかも知れない。
「……それで」榊原は一度考える素振を見せる。「凪になにか用なのか?」
「はい……え?」
高橋は『はい』と言ったものの、言葉に詰まってしまう。
凪とは、楓の苗字であり、それを親しく語る榊原と楓との関係こそなんなんだろうか?
「あー、榊原先輩がどうしてここに?」
「そりゃ妹の見舞に来たんだよ」」
高橋は一瞬言葉に詰まる。
失礼ながら、顔も態度も性格もまったく違う榊原と楓が兄妹だと? あの剛腕が巨体で勉強も頭脳がミニマム級の彼が頭脳明晰、文武両道、容姿端麗、溶顔美麗の彼女と繋がりがあるワケがない。
そもそも、名前も違うし……。という点で思い当たる点がいくつかあった。
名前が違うというので、思い当たる節は沢山ある。
高橋と多希が元々違う姓だったように、家庭の事情があるのかもしれない。
「お兄さん?」
なんともワザとらしいが、高橋は誤ってそう呼んでしまった。
「この言い方なんか嫌だな……」
「あ……、すみません。楓さんは……今は体調のほうはよろしいのですか?」
「ん……今はリハビリ中だ……。
その状態を調子がいいと言えるのかは別問題だな」
そういうと、榊原は楓が待つ病室の扉へと向かおうとした。
「――ま、待ってください」
思わず、高橋は小さく叫んでしまった。
いつもなら、なるべく近寄りたくはない路地裏へ入ると、そこには人影は少なくなってきていた。
仕方がなくこの場所へ逃げ込んでいくのが高橋のいつもであったが、今日の高橋には違う思考が巡っていた。
高橋はもう大丈夫だろうと、脚を止めた。
「じ……自分を思いっきり殴ってください」
そう、いつも殴られてかけていた男へと頭を下げる。
誰もいない路地裏で、高橋の声は大きく大袈裟にも響き渡った。
その瞬間に、榊原はあることに気が付いた。彼にとっては、妹は学校をサボってまでしてでも会いに行く存在。
勿論その原因である高橋たちのことを恨んでいるに違いなかった。
それに高橋には、この痛みが滲み出るように理解している。
それは、彼女が好きだから以外にもある。
多希が同じ目に遭ったら、高橋にとって同じぐらい辛いことなのだから。
「僕にも……妹がいます。先輩の苦しみが痛いほどわかります。
そうやって、のうのうと生きて、今まで一度も訪れずにスミマセンでした」
高橋の懺悔は止まらない。
そんな高橋に榊原は一歩前に出た。そして、その手が彼の顔面を捕らえる……ことはなかった。
その手が高橋の肩に乗ると、榊原は苛つき始めた。
「馬鹿タレが……頭上げろ」
それでも、頭を上げない高橋の頑固さに榊原は頭を掻き始める。
「……お前のことは凪から聞いてる。
彼女もオレも一度もアンタのことは怒っていない。
そんなことより……また、別の件でもありがとな? 妹は……いや、凪は鈍感な奴だから誰にも打ち明けられなかったんだろうな。
一目見たときから、お前が新聞やテレビで謝っていた少年だってことも、手紙を送っていたことも知っていたんだ」
その言葉の一言、一言が不協和音のように、高橋の脳裏を駆け巡る。
感謝されることでなければ、謝っているのはコチラだというのに……。
確かに、榊原が少年と呼ぶ人間は高橋のことで間違えはないと理解していた。
だが、榊原は高橋の本当の正体を知らない。
「だけど、僕は……」
思わず、高橋の手が榊原を掴んだが……。
「――わかっている。全部知っている」
そして、思わず心の底から逆ギレにも掴める思考に駆られていく。
「――じゃあ、なんで僕のことを追い廻すんだよ!」
そのわかっているという発言に、高橋の脳裏がグチャグチャな思考になる。
なにがわかっているんだか、それだったらなぜ追いまわされているのか、自身でもその感情が、ワケがわからない。
「アレは俺なりの愛だ!」
それはあまりに早かった。
「お前は真面目な話をしようとするといつでも逃げてるじゃないか?
それに、俺もそこまで馬鹿じゃない! 例えばだが、めっちゃ強い奴が縄張り利かせて追いかけている奴を虐めないと思うか?
それに、自分より危ない奴が近くにいるって知っていて他に虐めとか目星を付けようとかっていう奴はあまりいないだろ?」
それを聞いた瞬間、高橋は思わず笑いが吹き上げた。
まさか、脳味噌が成人男性の7%だと思っていた人間がそこまで利巧に物事を考えていた点だけではない。
その作戦が、如何にも自身が考え至った作戦に微量ながら似ていたからだ。
病室に戻ると、病室には彼女の姿が見当たらなかった。
「リハビリ中か確認してくる」
そう榊原が病室を出た時を狙ったかのように着信が鳴り響いた。
高橋は、通話が可能なエリアまで移動して、携帯電話を確認すると、そこには知らない電話番号が表示されている。
『もしもし、銭形だ。今大丈夫だろ?』
毎回電話番号が変えられているのもさておき、普段だったら高校へ通っている為に着信には出られないと承知しているはずでは……。
どこかで行動を見張られている可能性を考えて、思わずあたりを見返してみる。
だが、どこにも目を捉えることはできない。
「……どこで見ている?」
『言い掛かりはよしてくれよ……。
君にちょっと頼みたいことがあってね』
「一応、用件を聞いていいですか?」
嫌々ながら、銭形の話を聞く態度を取った。
『実は、流の行方が曖昧でね……。
彼女、『IDEA』でいう危険地帯って場所に行ってるのよ』
「危険地帯?」
そのワードには良い気持ちはしない。
『……まあ、無法地帯とでもいうべきか。
新人が悪さをしないように出入を禁止している地域があるんだけど、悪いんだけど迎えに行ってくれないか?
俺、彼女に嫌われちゃったっぽいんだよね……』
そりゃ、あんだけのことをすればな……嫌われるに決まっている。
流の正体である楓の元へ尋ねてきたのが高橋だったとはいえ、銭形がなにか悪さを企んだというのがバレたに違いない。
「自業自得だ」
皮肉を大いにに含めて言ってやった。
『そんなこと言っていないで頼むよ……』
「アカリちゃん、愛してる……」
毎回この台詞を言っているせいで、恥ずかしさの欠片も感じられなくなってきた。
そういや、アカリはなにをしているのだろうか?
思えば、あまりに簡易な手紙を何度も書き直して残していた。
だが、『IDEA』に到着するや否や、その考えは消えた。
銭形から借りた未来型スクーターは全自動。乗車後に目的地の名称を入力すれば、その場所へと勝手に向かってくれる。
ただ、高所恐怖症の人には難しいかもしれないと高橋はしぶしぶ考える。
入力が終了し、静かなエアーの音と共に、一気に空高く浮かび上がる。
「――うぎゃぁぁっぁ」
俯瞰した街が一気に浮かび上がると、そのまま目的地である『越谷』へと向かっていった。
高さは五段階に別れており、それによって行ける場所や、スクーター内に記入された見えない道路は異なる。
あっという間に越谷に到着すると、高橋の携帯電話が鳴り響く。
『彼女の居場所はわからない。あとは頼んだ』という一通のメール。
イラっとする感情を呑み込み流の居場所を探してまわった。
そもそも、この地域もかなり広範囲でこれだけのヒントでは自身と彼女との思い出に頼るしかない。
危険地域と聞いていたから、近代史で何度も見たあの関東大震災後に似た風景が立ち並んでいるのかも知れないと考えたが、そうでもなさそうだ。
街中には車が走行し人々が闊歩している。
二十一世紀初期の越谷駅周辺は、今現在と比べるとかなり明治から昭和な匂いがする。
ここまで廃れてしまった最寄り駅を見ると、別の駅なんじゃないかと思うぐらいの驚きはある。
その駅の東口を真っすぐ向かえば元荒川があり、そこから少し歩き曲がれば高橋たちが通っていた中学校がある。
「……本当にあるとは」
高橋はXX年前の地元中学校の姿に呆れに近い驚愕をした。
この時代からこの中学校が存在するとは聞いていたが、まさか実際にその事実を確認できるとは思いもしない。
今の時代とは少しばかし違う造形をしていたが、その雰囲気や知り得ない校風は全く変わっていない。
それに、校門に取り付けられた名前までも一緒なのだから間違えはない。
だが、現実とコチラ(IDEA)では違う点があるようだ。
このIDEAという世界では通っている中学生徒の姿形は存在しない。
プレイヤー(新人)が授業が受けられる学校は東京のみであり、その他の学校はこのように誰もいないのかもしれない。
先ほど朝早くに通りかかった現在の風景と比較する。
朝早くから誰の空気もない校舎というのは不思議でしかない。
勝手に中学校へと侵入していくゲーム更柄のスリルもなく侵入成功。
その校舎は逆に今の時代より古く感じる。
下駄箱を土足で通り過ぎて階段へと到着した。
この世界が構築されてから何十年もそのままだったはずだ。
そのはずなのに、この階段や廊下には以前の老化状態はそのまま。
埃一つできていない。匂いも廃墟らしい黴臭さが一切ない。
今でも時計が動き出すのではと思えるほどの空気が漂う。
その蜃気楼があの重苦しく感じた階段を一歩一歩くたびに呪いのような走馬灯が溢れてきた。
そして、あの教室に昔からいたかのように一人の制服の少女。
昨日とは違う顔半分には包帯と、手足は自由に動く『ゲスト制度』の反作用。
彼女は現実とは違いこの手を使って物を投げることもできれば、歩く以上に走って飛ぶこともできる。
流はいつも使用しているアバターを外し、楓本人の身体へと戻っていた。
「――楓さん」
彼女の名前を不意にも叫んでしまった。
「来ないで……」
楓は、彼がココへ彼が来ることを予測していた。
手から魔法陣を形成、現実とIDEAとの中間領域が発生する。
授業を受けている生徒が教師が記述するスクリーンを真似てノートへと写していく風景が浮かび上がる。
およそ半年前、この教室で自殺未遂があったことなど、嘘のようだ。
この事件をよく知っている現三年生へと配慮だろう。
この教室を使用していたのは新入生の一年生たちだ。
その微妙に伸びる影が、なにも知らないフリをして一人の少女を陥れていたあの風景を恐ろしく似ている。
彼女がこの魔法を使用したことには彼女なりの意図がある。
「『自殺不可領域』、中間領域で死……。どうなるかわかるでしょ」
「楓、そんなこと……」
高橋は呆然と立ち尽くす。
その額には汗が流れていた。ココに居ることさえ彼女を苦しめているかも知れないという予感が拭えない。
楓が望むのであれば、高橋はここから消える必要があると考えた。
「大丈夫」
それでも、楓は一度はすこやかな微笑。
人はなにかを諦めたり、仕方がないと感じたとき、なぜ微笑をするのだろうか。
そして、楓は窓を開け、空を仰ぐ。
勝手に窓が開いたことに生徒たちは驚きながら窓へと振り向く。
すると叱咤する教師の声がした。現実からIDEAの世界を干渉はできない。
裏の住人たちは彼等を確認できても、表(現実)の生徒や教師には裏の住人を捉えることはできない。
まるで他人事のように楓は話を始める。
「いつもそうしているの。
死を感じていないとダメになっちゃいそうだから」
それから、彼女は一生を終えようとした高低を眺める。
「いつか死ぬんだろうって思うと楽になる。生きていることは苦痛でしかないから。
死を賛美したいんじゃない。少なくても今を変えたいって思っているだけ。
それが死しかなければ、アタイはそれを選ぶかもしれない。
君までが失う理由はどこにもない。でも、自分だけがこうやって取り残されていくのが嫌だった。
怪我をして後悔した。君と逢えないことも後悔したんだよ?
この手脚があれば、生きていられたのにって。
今を我慢していれば、今頃あんな奴らのことを見返して生きて行けたのにって。
結局、ジャンプして一番死んだのはアタイだけだった。だったら、あいつら殺すぐらいしなきゃなにも変えられなかったのにね」
高橋は彼女の言分を受け止めるしかない。
その全てが正しいとも感じとれた。
「もう帰ろうか?」
楓はそう言うと、高橋に手を差し出した。
「アタイはもう死のうって考えないよ……」
楓は困ったように高橋へと顔を歪ませた。
「死ぬのが怖いから。痛みを覚えちゃったから」
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