第二章

02-1/3  ここは新世界 / そこに暮らす者たち

第二章:拡張世界から現実へ戻る方法と金髪幼女との出会い 


 流は散らかった部屋は一人片づけをしていた。その隣の壊れかけたベッドで高橋は無様に転がっていた。高橋はよくもわからない方法で吹き飛ばされ、ピンポン玉の要領で流の部屋を滅茶苦茶に散ら撒けた。

 あのダンプに人形を吹き飛ばす映像のごとくピンボールにされた彼の足腰の痛みが消える頃には夕日が沈みかかっていた。

「ここがARなら……現実での時間は同じなのか?」痛みを抱えながら、高橋は窓の外を眺めた。

「そうだね。もうすぐ時報が鳴るんではないでしょうか?」

 片づけをしていた流の手が止まる。

「……東京でも、時報は鳴るんだな」

「いいえ、IDEAでは一年中、朝七時、昼丁度、そして、夕方五時に時報が鳴るんです」

 そう言うと同時、8ビットサウンドにも似た鐘のような演奏がどこからかこちらにも届く音で鳴り響く。

 どこか懐かしいと感じる音。

 高橋は、その曲を知ってはいたが意を突かれた。少々顔をニヤケさせてしまう。

「ドボルザーク新世界よりか……」

「新世界より?」

「この曲の題名だよ」高橋は窓の外へ目を向けた。「自分が子供の頃にまだ流れていたよな」

「へぇ……そうなんだ」

「こんな曲を使うのは、埼玉県ぐらいかと思ってたから」

 高橋は、その曲を聞いた瞬間にココの世界が今とは違う世界だということに念を押された気分になる。なんせ時報が流れなくなったのは、彼が小学生低学年の頃にまで遡る。


 日本は第二次世界大戦後百年以上も戦争がない平和の国だったが、彼が小学生の時にアジアで起きた第二次XX戦争により日本に歪な不協和音が何度も流れる時期があった。

『国民保護サイレン』はテレビからインターネットや携帯電話、そして市のサイレンから半年近く流された。時報は国民保護サイレンと間違えられるために中止になったが、戦争が終結後の一週間ほど時報は正常通りに流された。

 だが、それは高橋の世界から二度と流れることはなくなった。

 多くの住民が時報を聞くと戦争時を思い出すという理由から日本の伝統とも呼べる効果音はこの世から消えていった。高橋は懐かしさにここでの居心地の良さにハッと我に返る。瞳に写る世界は彼の世界ではなく、既に消えた世界の残像なのだ。

 そこに、訪れる人間は、おそらく逃避的、非可逆的文化への執着を理由にここに居るのではないかと脳裏に浮かぶ。

 それと同時に高橋はあることを思い出す。

 高橋が望んでいることは、そういう虚構的創造物では手に入らないことを理解していた。できたとして、それは本当に高橋が望んでいることなのか、それは、電車のレールがズレているぐらい変えることができない事実。

 そう考える高橋は、冷めた目で街を見下ろすかなくなる。

 自身が恵まれることなどあってはいけないと、心に何かを封じ込めるように。変えられないから、それ以上変わらないように、自身の感情が騒ぎ立てている。

 高橋は、現実の自分が今すべきことを誤らないようにする。

「それで、僕はどうすれば帰れるんだ?」

「ん……そうだよね」流は言われたくない事実を見つめるように目をニンマリとさせた。「あのね……。鏡を通るには、ある証明が必要なんだ」

「――証明?」

 そう、と流は相槌をうつ。「鏡を通って現実に戻るにはパスポート、所謂入館証が必要なんだよ!」

 高橋はパスポートと入館証の違いというどうでもいいと考え、次にあることに気が付く。

「――それがなければ現実に帰れないのか?」

「そういうことになるね」

 高橋は、口を歪ませて流に問い詰める。 

「そういうことは、いままでの痛い思いは、アンタのミスで起きた事ではないか?」

「それは……」流はウィンクする。「言わないお や く そ く?」

「……おいふざけるなよ」高橋は、鏡を割るためにどこからか持ってきたパイプに手を付ける。

 頭には卍マークの青筋が浮かんでいる。

 正直さきほどののダンプ直撃並みの衝撃波も、鏡に突指ピストン運動も痛みは尋常ではなかった。

 彼がキレやすい関係なしに、激痛に対して咎めるのは当然だろう。

「待って、待ってよ? それは、アナタにも原因があるじゃない? 高橋くんがパスを所持してないって知らなかったんだからさ?」

「この際、僕がアンタの秘匿品やらで無理矢理ココに来させられた=(イコール)入館証なんて持ってないってわかってるだろ……ってのは置いといて、早く僕がここから現実世界に戻れる方法を教えてくれないかな?」

「……あはは」流は、先ほどの誤魔化しがバレていないと分からないフリをし、話を続けた。

「あのね……入館証を取るには、ある人の場所に行かなくちゃいけないの」


 それは、高橋が避けたかった選択肢。

「つまりは、あの下界の者を修羅のように睨む人の間を通って行けということか?」

「それはさ……否定はしないけど」

「ん……、それは理解した。んで、何か作戦でもあるのか」

「あるには、あるけど……」

 流は、高橋の前でモジモジし始める。その態度に高橋は、彼女が考えていることがロクでもないということくらい想像するに容易かった。流は立ち上がり、ハンガーに引っかかったあるモノを高橋へと向けた。既にハンガーと述べている時点でそれがどういう代物なのか察しが付くだろうが……。

 そこには、流の女性用の時代遅れ更柄のワンピースが垂れる。

 彼女が着るには少し大人びている白のフリルが付いたワンピースを流は高橋の背丈に合わせて、品定めするように目を細めた。

「おい、キサマ」

「――へ?」

「……わかった。あとで、金は返すから買ってきてくれ。頼む」

「嫌だ」

「あのな……、気に食わないなら万券一枚で手を打たないか? タダで買ってきて欲しいとは言わない」

 プロゲーマとしての優勝賞金がそれなりに余っている。生活費よりも、それを着させられるほうが問題だと高橋は判断したが……。

「あのね、ここの世界では現実の通貨は使えないの。わかる? 一応、ここでもショッピングとかそういうお店はあるんだけど、その場合のこの『IDEA』内での通貨、略してPTっていうんだけどそれしか使えないの」

「……PTって、ポイント制ってことか?」

「そうゆうこと。通常システムが終了した今、課金制度はないの。だから、ポイントを貯めるのも一苦労なんだからね」

「それって、運営がちゃんと成り立つのかよ?」

「詳しくは知らないけど……、そもそもXX年に終了したサービスを勝手に起動してみんなで遊べるように設定したのかな? 一応には課金制度で行われるIDEA内のゲームやクエスト、その他現実で公共的に行われるサービスに対しては無償に受けられるように改ざんされたんだけど、ショッピングとかフード店は未だに有料のまま。さすがにアイテムは悪用されるからかしらね」流はある胸を反らして、応える。

 さきほどの黙秘は、どこに言ったのやら……。IDEAとは……このシステムの名前だろうか? それより、流が今からしようとする作戦に思考がフレーズしそうになっていた。

「わかったらコレ早く着てね? 着替えが終わったら、出てきてね」

 なぜか楽しそうに顔がニンマリとしている流は、その服を高橋へと無理に押しやる。

「ん……」

 なんていうか、最悪だ……。そう高橋は考えながら、ワンピースに手を付ける。

 布の柔らかい生地が手触りとして手に吸い付くと、またしても彼女の生身を想像させる。正直、思春期の彼にとっては、耐えがたい強要だ。あの女も自分の着ている服をこうやって本日会ったばかりの男に着用させるだなんてどんな思考なのか。

 高橋は、しばらくの間、ふわふわな白を睨み付けていた。



 二人はできるだけ大通りを避けて、ある人物が潜伏しているという美術館へと向かうことになった。この世は真夜中のはずだが、都会の街燈はそれを忘れさせるほどの光を灯している。夜空一面無の存在の暗闇がその光の乱反射によって灰色を形成している。まるで、夜がない国。その白昼夢にも似た街を高橋は、不思議に思っていた。

「昔から東京は……、こんなにも明るいんだな」

「それは、今も昔も変わらないよ」

「……そうなのか?」

 ということは、この街は何十年もの間、夜が訪れない不気味な顔をしていたのだろうか。

 高橋は、自身の住んでいる街『越谷』と比べる。思えば、彼は自身の街以外の夜を眺めた回数は少ない。修学旅行で訪れた鎌倉から見える夜は、吸い込まれるように暗かった。越谷も、街燈があるといっても、そこまで明るい事はまずない。

 少なくても、夜空に輝く星が見えるくらいには、夜の形勢を保っていた気がする。

「高橋くんは……」流はチラッと高橋を確認した。「高橋くんは、旧人なのに、なんかそんな気がしませんね」

 そのセリフの意味をよく考える高橋。

「そもそも、『旧人』ってなんのことだ?」

「ああ……。『旧人』ってのは、ネアンデルタール人っていう絶滅した人類のこと。『IDEA』っていうこの裏の世界の住民は、現実世界の人間をそう呼ぶように決まっているの」

「なんじゃそれ」どう考えても、生物としての違いを施すような方言。――そして、二度目のIDEAという固有名詞。「いわゆる、このAR『IDEA』の人間は現実の人間……なんかややこしいけど、苛むんでいるワケか?」

「そうだね。この街が秘密裏の世界っていうのもあるけど、それ以前に自分たちと彼らは『違う』という差別的な考えの人間が多いかな。だから、このAR『IDEA』の住民を『新人』と呼んで、現実に生きる人は『旧人』って区別するみたいだよ」

「なんかな、そんなに違いがあるのか?」

「違いは分からないけど」流の言葉に何かの引っかかり。「どちらも変わらない人間……って言えると思う」

 流の言葉に一瞬詰りが見えた。

 そして、二人は、路地を抜けると、一度大通りに辿りついた。

 だがこの街は、今日の昼に訪れた街が嘘のように静まり返っていた。歩いている 人は点々と確認することができるが、それにしても一気に表覚めしていた。

 流は一つの横長い建物を指をさした。

「あの建物だよ。ここに『社会更生委員会』の銭形っていうオジちゃんがこの地域のリーダーがいる。入館証の許可も彼が行っているんだよ」


 高橋は、その建物を最近ニュースで取り上げられていた建物でよく知っていた。

 彼は休日にこの秋葉原のゲームセンターに通う。そうしていると、嫌でもこの街の噂話は耳に届く。

 元は学校の施設を改築して作られた美術館だったのだが、今年の営業を最後に閉鎖が決まったとか。詳しい理由は聞いたことがないが、芸術というのが廃れてきた証拠だとテレビを奥側では議論していた。そもそも、芸術に金を使えるほどの金持ちや収入者がこの国から居なくなったからというのも一つの理由だろう。


 明かりが付いていない美術館だが、入り口のガラス扉に立つと自動ドアはひとりでに作動し始める。

 流は、この扉が開くことを前々から知っていたようだ。

「誰もいなそうだな……」

 誰もいない消灯した美術館はなんとも不気味だ。それでも、流はそれが当然のように奥へ奥へと歩いていく。誰もいない館内に足跡だけがしつこく響いた。

「定時でNPCは帰宅しちゃうから。もう、この時間は彼か、彼の友人たちしかここに居ないはず……」

「NPC?」高橋は、その用語の意味を知っているにも関わらず、もう一度聞いてしまったのが、技術的に在りえないと考えたからだ。

「NPC、ノンプレイヤーキャラクター の略。彼等はみんな定時に帰宅しちゃうから、この時間には存在し……」

「待て待て? そんなの在りえないだろ? NPCって、ここはARのはずだろ?」

 驚いたのも無理がない。

 なんせ、この世界はAR『現実拡張世界』であり、あくまでゲームの中の現実。NPCの存在は今さら驚かないが、家に帰ってしまうって……リアルタイムストラテジーというジャンルなのか? そこまで考えて作られているゲームもあるには存在するが……。

「やっぱり驚くよね? この世界のNPCは、家族もいるし結婚もする。学校もあれば、アルバイトだってする。ただ一定の時間に合わせて行動するだけじゃない」

 それは、いわゆる人工知能に近い存在だろうか?

 さすがにここまで考えておいて、高橋はXX年前の人類の知能の高さに驚愕する。

「着いたよ」

 辿り着いたのは、何も変哲もない扉の前。流は、無造作にその扉の奥へを歩んでいく。

 そこは、今まで歩いてきた暗がりとは別に部屋には明かりが灯していた。

「銭形さん、いますか?」

 急に訪れたことを悪びれることない流。

 この部屋に何度か訪れたことがあるのだろうか? 音楽室ほどの部屋にまるで職員室を連想させる事務机が荒々しく端を占めてしる。荒々しいと思ったのは、かなり適当に真ん中にスペースを開けるために端へと無理やり押し込んだ感じが伺えるほど、机の配置には均一間が欠けていたからだ。

 そして、奥を見る。今では珍しくなった濃い緑色をした横長の三メートルはある黒板。その前に、どこからか持ちこんだと思えるソファーに毛布。明らかの異物。

 深く帽子を被ることで目を覆い、その男は、深い睡眠に入っていた。おそらく、この男が社会更生委員会の銭形という男で間違えはないだろう。

 しかし、だ。――高橋は思う。

 社会更生委員という響きからして、社会の規律を正しい方角へと導く強い心と信念を持った礼儀正しい人間がなるべき枠であるにも関わらず、にだ。この大人から柿を酒にまぶしたような甘く中毒性のある匂いが漂う。そして、一目瞭然に端へと邪険とされた机の間には幾つもの銘柄の違った空き瓶が転がっている。

 彼が飲んだものに違いないが、さすがに呆れるを通り越して、称賛するだけの価値がある。銭形という男は、いくら叫んでも起きることはないほど、泥酔していた。

それに呆れた流が、銭形の耳元へと近づいた。

 彼女は、そっと自身の頬に掛かった髪を耳へと掻きあげると、男の頬へと唇を寄せる。それは、あまりに破廉恥で、エロティックで、不埒な行動で、高橋は見るに堪えずに後ろを向いた時だった。

 ――ガヂ……

 肉が千切れる音とともに「ギャァッァァアア!」と一人の男の叫び声。

 驚いた高橋は、緊急退避のように前屈みに身を倒す。流は、思いっきり銭形の耳を齧っていた。

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