第一章
01-1/3 迷い込んだ先は兵陵!?
「待てゴラァぁぁぁ!」
後ろから二つの足音――それよりもデカい叫び声がする。
一対一で行うはずの対戦ゲームで勝利したはずが、なぜか一対二になり、気づけば一体五ほどの追いかけっこになっていた。
理由は簡単だ。
彼らはこの格闘ゲームでは勝てないから、こうやって肉体言語で勝敗を決めたがっている。
しかし、それは犯罪行為……とツッコミたいのは山の関所だが、彼らにその理屈は通らない。
そして、警察沙汰になって困るのは高橋も変わらない。
ジャージ姿でゲームセンターに入館するのは校則で禁止されている。
だが、いちいち帰宅して着替えてから外出するのも馬鹿げた話。
その事情は某先輩方も一緒のようだ。
今年になって、高橋の体力がみるみるうちに増えていった。
高橋がこうやって逃げるのも今日に始まった事ではない。
そもそも、逃げ切るという行為に一種のエクスタシーを感じていた。
それは学校が始まって以来、何度も繰り返されている茶飯事になる。
高橋はこのゲームセンターに設置されているVR格闘ゲーム『リアルストリートⅣ』の全国大会優勝者。それも高校生の部ではない――彼は、大人の部での優勝をしているのだ。
そんなワケあって、こんな田舎のゲームセンターに集まる高校生レベルが彼に勝利できるはずがないし、勝ったところで何もメリットにもならない。
そもそも高橋には違う理由がある。
それは、おいかけっこの主犯格の上級生、榊原を懲らしめることだ。
彼の悪事はマジで数えるとキリがない。
陳腐な話だが、榊原はこのゲームセンターを根城にして、弱いゲーマーたちを凝らしてめいた。
しかも、あからさまに弱い相手を狙うのだ。
その弱肉強食を楽しんでいる彼らを高橋は見過ごすことができなかった。
それが、高橋が選んだ正義。
弱者は弱くて戦うことはできない――なら強くなればいい!
そして、時にはズル賢くても戦う力が必要だ。相手は一対一なんて状況を作ってはくれない。
やるときは団体と武力を使って自分より弱い人間を作り上げるのだ。
そういう相手に高橋は一人で挑んでいった。
そして、ある意味卑怯な手段で彼らをジワジワと追い詰めた。
今日が記念すべき百回目の逃走劇。
高橋自身、なぜそんなことを数えていたかは定かではない。
だが、今日は幾つもの災難が続いた。
逃げ込もうと思っていた路地が工事で閉鎖。トイレに隠れていてバレた次第。開いていた窓から逃げた先は……地獄だった。
狭いビルとビルの間には榊原が張っていたのだ。
「――おい! 高橋、待ちやがれ」
雄たけびながら、高橋の背中を追い掛ける榊原は待ちに待った獲物を追う貪欲なライオンのようだ。
「嫌なこったぁ!」全力疾走で高橋は路地裏を駆けていく。
「堂々と一対一で勝負しやがれ、このクズ野郎」榊原が叫ぶ。
「それはコッチの台詞だ! 金髪豚野郎!」それに応じて高橋も口走った。
「んなヤロ? 体脂肪率7%だ。この野郎」
「へ? 脳が成人男性の7%しかないだと?」
「殺すぞ! テメェ」
二人は、いつまで続くか分からないエンドレス路地を掛け続けた。
お互いにお互いの罵声は止むことがなく、天に幾つもの罵声が響く。
――その時だった。
高橋は、目の前で違和感――あのVR(バーチャルリアリティー)のヘッドの世界のような視線の歪み。
嫌な予感が高橋の頭へと過る。
それは、春先の蜃気楼とでもいうべきか。
目の前の路地が縦上下に残像のような影を形成したかと思うと、突然高橋の目の前に真っ暗な世界が広がり始める。
その脚を何歩も進ませようとするが、それ以上は実際に前に進んでいるのか、止まっているのかわからない。
水の中でもがいているみたいだった。
その暗い空間に浮き上るように、自身だけが照らされている。
高橋は周りをもう一度見渡す。既に後ろにあったはずの現実でさえも見るも無残に消えていた。
――そして、一息ついたと思ったら……。
「ぎゃああぁぁぁぁ!」――高橋は阿鼻叫喚。
まるで、急遽予測なしにジェットコースターに乗せられたように彼の身体は落下していった。
そして、落ちた先に何か柔らかい何かが顔を包んだ。
クッションのように柔らかく、尚且つ程よい弾力感に何もかも見えなくなった。
海底に沈んでいく身体をどうにか持ち上げると、そこには高橋好みの女の子。
瞬間、今までの無曇りの正体――それは、少女とは思えないほどの丘陵。
兵陵とは、山にも満たない小さな山を指す言葉だが、この目の前の小柄な彼女にはその言葉が似合うだろう。
まさしく、エデンの園の禁断の果実よりも甘くて、それが彼らが食べてしまいたいと思う理由も分からなくないほどに、だ。
高橋は、顔を離してからも彼女の顔を凝視してしまった。
だが、その行動があまりに無礼。そして、ここがベッドの上だと気が付くと、急に羞恥心が湧き出てきた。
思わず顔を赤らめてから「わ、ワザとじゃないんです」と両手をイイワケ苦しく女性の前に振る。
少女はそんな彼を見て、上げる声一つもなく呆然としていた。
高橋は謝りながら頭を掻いた。
なぜ自分はこんなところにいるのだろうか? それが理解できなかった。
そもそも、今さっきまで先輩と学園生活の伝統とも言える鬼ごっこをしていた。
それが、路地裏に逃げ込んで、その裏の裏の狭道を走っていたら、いきなり目が前が真っ暗になって、兵陵……。
初めての感覚。
あの弾力は、いかなる技術をもってしても想像するのは不可能に違いない。
だが、今の状況は、どうしてこうなったのか。
両者唖然とした顔がしばらく続いた。
「えーと、あー、とりあえず、お茶でも飲んで話をしませんか?」
彼女は、メルヘンなベッドから腰を上げると、スタスタと一度部屋から出て行った。
高橋が眺めた部屋の外にはすぐコンロと思われるキッチンが見えた。六畳ほどのフローリングの部屋。ベッド横の棚には音楽コンポ、テーブルには見たことないノートパソコンが置いてある。
うわ……古いなと、失礼ながら高橋はパソコンを見て考えた。
だが、その思考は一蹴される。
もう一つ、それは威容に巨大な鏡――近年発令された法令により、国家指定の服装の着用が義務付けられている。
そのため、こんな大きな鏡で外見を気にする女性は類を見ない。
その鏡の隣には彼女の何とも破廉恥なフリフリとした布切れが飾られている。
そうして高橋は気が付いた――あの女の子はココでいつも服を脱ぎ、一度裸になってから、新しい衣類に身体を包んでいるのか?
いや、いかん。どう考えてもエロい方向にしか思いつかない。
あまり人の部屋をじろじろ見るのも如何なモノかと考えたが、他人の生活習慣ほど目を引くモノはない。
特に女性の部屋というパンドラの箱、不本意ながら理性の歯止めが利かない魔性な魅力を感じていた。
「お待たせー」
少女は、甲高い声をあげながら部屋に戻ってくる。瞬時に高橋の首は俯く。
「どうかしましたか?」――少女はまたしても不思議そうな顔。
「いや、なんでもない。すまなかった」――高橋は、近くの座布団に腰を降ろしてから、そのお茶を啜った。
近くにスプーンと砂糖も準備されていたが、彼にそれを混ぜるほどの心の余裕があるワケがない。
「もしかして、色々迷ってますか?」少女は覗き込むように彼を見る。
「……あ」――高橋は、ギクッと肩を躍らせる。
「やっぱり、間違えてこの部屋に入っちゃったんですね……いやあ、困った」
少女は、頬に手を当てると、少し苦笑い。
高橋には何が間違えてなのかが、一切理解できない。
お互いに一度お茶を啜る。
「いやね。ちょっとした露店販売の入館ゲートを買ったんだけど、なんか壊れているっぽいのですよね……。
今月でこの部屋に来たのが三人目なのよ」
高橋は、やはり理解できない。……この子、なに言ってんだと脳裏に浮かぶ。
とりあえず、彼女に話を合わせることにした。
「へえー、そうなんだ。それにしても、困りますね……」
「本当にもう……でも、ここのシステムもずっと昔のだからね。
こういう移動返還バグが現れるのは自然の事なのかもしれないね」
「移動返還バグ……?」
「……にしても、ど、どうして、アナタは、現実と同じ服を……」
「現実……? やだな。学校帰りに着替えるのが面倒で、高校規定ジャージで来たんだよ」
「ええ? だって……」
そして、少女は何かに気が付いた顔。
それは、まさに恥ずかしいなにかを見られてしまったときの女性のアレに違いなかった。
「――イヤァァッァァァ!」
少女は、紅茶を投げると同時に思いっきりハグをしてきた。
その矛盾した行動に、高橋は唖然と彼女の胸元を注視する。
「グオオぉ」――責め立てる彼女の誘惑に骨抜きにされるがまま、鏡の前まで連れて来られる。
そして、「ゴメンナサイー! 出て行ってください!」
その細い白の腕が何度も弛緩と収縮を繰り返し、高橋の身体は鏡、兵陵、鏡、兵陵へと何度も叩きつけた。
さらに彼をダメ人間へと近づけていく。
いろんな意味で壊れてしまった彼を、息を切らして少女は一度腰を降ろした。
「な……なんで、戻れないのぉぉ」――少女の口は片側だけ吊り上がっていたが、目は決して笑ってはいなかった。
高橋は、幸せの彼方で、脳裏には曼荼羅模様が何度か浮かび沈みしている。
……ああ、そのまま眠って死にたい。
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