1-3 夢見た日常

 何もない毎日だった。

 ただ生きていただけで、これからも誰とも交わらず過ごしていくのだろうと、そう思っていた。

 人と触れ合う事が、こんなにも緊張して、でも嬉しい事だったなんて。想像以上で。

 本で読んだような、気の利いた会話なんて欠片も無かったけれど、高木さんがわざわざ私に合わせて話してくれた。そして、どうしてあんなに泣きだしたのかは聞かずにいてくれた。

 気を付けないと、また泣きだしてしまいそう。せめて、家に帰るまで我慢しよう。

 明日も、明後日も、教室で話しかけよう、高木さんに。


 「さっさむらさーん!かーえろっ」

 ドアを開けて再び高木さんがやってきた。

 「助かりました」

 私は丁寧にお辞儀をした。

 「もう、同い年なのに仰々しいんだからっ」

 「すみません、距離感がまだ掴めなくて」

 「いいんだよ、ため口で。でも、話しやすいやり方でいいけどね」

 「は、はい……」

 「気、使わなくていいって事だよっ」

 彼女はVサインをした。どう返していいか分からず、苦手な作り笑いで返した。

 気、使ってしまう。というより、自然な会話という物が分からない。苦しい。


 昇降口に向かって歩き出す。そこで私は高木さんも帰り支度万端な事に気づいた。聞いてもいいのだろうか。

 「どうしたの?」

 気にしているのが伝わっているのに、口を噤んでいるのはおかしいと判断した。

 「高木さんは部活動は?」

 「私入ってないよ?笹村さんと同じだよ」

 「そうだったんだ」

 「知らなかった?すぐ帰っちゃうもんね、笹村さん。お家のお手伝いとか?」

 「普段は図書館に行っています」

 「勉強しに?」

 「はい。それに、本を読むのが好きなので」

 「へえ~!私スマホで読めるやつしか読まないから、面白いのあったら教えてよ、恋愛もので!」

 「恋愛もの……妻を寝取られた男が復讐する話とかも恋愛ものの括りなんでしょうか?」

 「それは、違うんじゃないかな……復讐物ってやつじゃないのかな。ハッピーなのが好きだな……」

 「私、結構えぐいのばかり読んでるから、お勧め出来るものが無いかもしれません。ホラーとか、SFとかがメインで」

 「趣味、強いね……」

 「強い?」

 趣味を強さで測れるのだろうか?読書なのに。不思議な価値観だった。

 読書でなくても、簡単に未知の価値観に出会える、新しい感覚だった。


 「こう、オーラが……。うん、夏近くなったらホラーはいいかもね!でもぐろーいのはダメだな、私」

 「じゃあ、夏になったら!」

 あとひと月も経てば夏の始まりだ。

 来月も高木さんとクラスでも話していられるよう、努力しなければならない。

 「高木さんは友達と同じ部活には入らなかったんですね」

 高木さんにはクラスにも他のクラスにも友達がいた。だから意外だったのだ、部活に入っていない事が。

 「私ね、腕が故障しちゃったの。だから、ずっとバレー部だったけど、高校入ってからはやってない」

 「あ……変な事聞いてごめんなさい」

 失敗してしまった。人には踏み込んではいけない聖域があるのに。

 致命的な失敗だったら、どうしよう。嫌われたら……。

 でも、高木さんは特に不快な様子を見せない。ほっとする。


 「いいよ、隠している事じゃないし。文化部に入ろうと思ったんだけど、体動かす方が好きでさ~合わなかった!だから部活しないので、普段はバイトしてるよ」

 「え、今日は大丈夫なの?」

 「大丈夫大丈夫、18時からだから」

 昇降口で靴を履き替え、門に向かった。

 「笹村さんは家どこら辺?」

 「3駅先」

 方向を手で示す。ここから駅までは15分。家まで寄り道しなければ40分くらいだ。

 「私は2駅先、同じ方向」

 「じゃあ、図書館の近くですね」

 「え、うちの近くに図書館あったんだ!気にした事無かったわ~。じゃあ、途中まで一緒に帰ろう」

 「は……はい!」

 

 人と並んで下校する。この状況が信じられなくて、頬がゆるゆるしてしまう。

 距離感の掴み方、話のスムーズなつなげ方が分からないので、すぐに緊張状態になってしまうけれど。

 「嬉しそうだね」

 「人とこうして帰るの初めてで」

 「もう、大袈裟なんだから~!」

 大袈裟などではなく、事実だった。小学生の頃は班を作って登校する時は複数人だったが。

 「ねえ、下の名前美希だよね。美希って呼んでいい?」

 「ふえっ」

 「なんて声だしてるの」

 「お、驚いて。ど、どうぞ……」

 「私の事は由香って呼んでよ」

 「由香さん……」

 「さん付け……まいっか。それで宜しく!」

 背中をポンと優しく叩かれた。

 「う、うん!」

 

 それからは、電車に乗り、伸び放題で櫛で梳かす以外の事をしていない私の髪について、お手入れ方法などをアドバイスして貰った。私から頑張って聞いたのだ。きっと、黒髪ストレート、でもストレートパーマのように綺麗ではない、中途半端な髪型の私は、印象に良くないと思ったからだ。由香さんは、黒髪ストレートが似合う女子は羨ましいと、言ってくれた。

 そのまま、化粧の話になり、高校生になって持っている化粧道具がリップクリームだけの私は、由香さんの話が異国の風景のように遠く、でも、私でも少しは可愛らしくなれるのかもしれないと思うと、聞いているだけで楽しかった。

 「今度安くていい化粧品メーカーとか試してみようよ!今はね、高級品じゃなくても、いい物あるんだよ。プチプラコーデって言ってね~」

 いつの間にか今度の放課後、街に遊びに行く約束もした。


 「じゃ、また明日ね!」

 図書館と由香さんの家の分かれ道にきた。

 「また、明日」

 手を振った。

 すべてが初めての事で、夢だったのではないかと思った。

 夢……。

 何故か心がひやりとした。こんなに素敵な事があったのだ。反動が怖い。

 今まで何もない毎日を過ごしてきたのだ。

 どうか、この夢が、醒めませんように。



 次の日。

 「おっはよー!」

 由香さんだ。昨日の出来事が夢だったら、もう、話しかけて貰えないかもしれない、そう思っていた。私は傷つきたくないから、すぐ卑屈になる。でも、本当だったようだ。

 「おはようございます、由香さん」

 ほっとしたように、挨拶を返す。

 「ねえねえ、ほら見てこれー!」

 私の机に、バサっと何かを置いた。

 昨日の帰りに由香さんが話していた、安くていい化粧品のカタログのようだ。可愛らしいパッケージと色が並んでいた。

 「可愛い」

 「でしょー、私、このチークのパッケ好きー!」

 そんな話をしていたら、由香さんの友達の鈴木さんが、私の机を覗いた。


 「あれ、笹村さんも化粧品とか興味あるんだね」

 「そりゃそーよー、美希だって女の子だもんねー」

 「あれ、由香、いつの間に笹村さんとそんなに仲良くなったの」

 「もうマブダチだから、私達~」

 マブダチ、とは聞きなれない言葉だった。

 「ねえ、由香さん、マブダチってなあに?」

 「笹村さん、凄いね、今までその単語に出会わなかったの?」

 鈴木さんが目をまんまるにして驚く。


 「はい……」

 「美希、それはね、親友って事だよっ」

 由香さんは私の頬をツンと人差し指で軽く突いた。

 「親友……!」

 友達がいなかったのに、いきなり親友認定されてしまった。

 親友……。

 親友。

 なんてとろけそうな響き。


 「ほら、由香またあんたゴリ推ししたでしょ。笹村さん困ってるよ?」

 「えっそうなの美希!」

 しばらく間を作ってしまい、由香さんの顔が本当に心配そうに歪んでいく。

 「ううん、嬉しい」

 「やったー!」

 抱き着いてきた。

 「あわわ……」

 「由香は面食いだからね~、目を付けられちゃって大変ね、笹村さん」

 鈴木さんは楽しそうだった。面食いの意味は分かる。でも、それは異性に使う言葉ではないだろうか。

 「凛とした雰囲気の美少女って感じで、私美希の事前から気にしていたの。仲良くなれて良かった!」

 さらにぎゅうぎゅうと抱き着いてきた。


 1人友達が出来ると、由香さんが顔が広かった事もあって、色んな人が私に話しかけてくるようになった。

 話せる人が、1人、また1人と増えていく。

 もう、私はクラスでは透明じゃなく、存在できるようになったのだ。

 (私、ここにいてもいいんだ……)

 本当に、夢のよう。



 「だって夢ですから」


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