1-2 触れるという事

 私は、酷く透明な人間だった。

 父は医者、母は弁護士。そして医学生で優秀な兄がいた。そんな血を継いでいるはずの私は、学力も何もかも特徴的な成績は残せない。悪くはないが良くもない。両親からも兄からも格下に見られた。

 学校には行かせてもらっているし、きちんと食事代と少しのお小遣いはくれる。けれど、家では親は私に興味がなく、話しかけてもこない。食事はいつも1人でとった。

 小学生の頃からそんな扱いだった為、家ではいつも部屋で引きこもっていた。リビングで家族団らんなど夢のまた夢。リビングと兄の部屋にしかないTVなどほとんど見る事は無く、図書館で借りてきた本だけが外の世界を知る手段だった。


 小学校では、TVや流行りの娯楽に触れていない私は、みんなと話せる話題が無く、独りぼっちになった。それだけでなく、仲間外れにされ、虐められる事もあった。学校も家も、心落ち着ける場所は無かった。

 中学に入っても、その状況は何一つ改善できず、学力の近しい人達の集まる高校なら、もしかしたら小説の世界のような、青春が待っているのではないかと期待したが、もちろんそんな事は無かった。


 今まで誰とも会話という会話をしてこなかった。読書だけはきちんとしていたから、頭の中では会話文を作れるのに、どう人に話しかけ、どのタイミングで会話を挿入していけばいいのか、未だに分からないのだ。

 もしかしたら、読書好きの人となら友達になれるかもしれない、と思うのだが、上手く話題を切り出せない。今まで誰とも話さなかったのに、突然話しかけられたら何事かと思われてしまうだろう。

 そうして、高校生になって分かったのだ。私の人生はずっとこうなのだと。

 友達など今まで1人もいなく、家族とはほぼ他人のようなもの。誰かと視線を交わしながら、楽しく談笑する事など夢物語なのだ。そういうのは、本の中にしか存在しない。大事な事を学べずにいた私は、もう挽回できぬ程に孤独に生き過ぎたのだ。

 そう思うと、諦めの心が身を軽くした。同時に、誰の心の中にも残れない私は、酷く空虚で、これから生きていても死んでも、誰かの心を動かす事は無いのだと知り、悲しみの底に沈んだ。

 10年以上かかってしまったが、私の人生はすでに終わっていると知った。


 それなのに、今日、ほんの数分ではあったけれど、人の優しさに触れた。

 終わっていた筈の私の時が、また動き出してしまう。期待してしまう。高木さんが、授業が終わったら私の事を見舞いに来てくれるのではないかと。忘れずにまた、保健室にやってきてくれるのではないかと。

 期待してはいけないという、今までの経験則からの忠告を無視して、心臓が高鳴る。もう、頭痛の事などすっかり忘れていた。

 

 授業終了を告げるチャイムが鳴り響いて数分経った頃。

 トントン、と戸を叩く音が聞こえた。

 (どうしよう、どうしよう)

 (高木さんだったら?違ったら?別に違ってもいいじゃない。いや、それでも!)

 私の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。布団に包まって気付かずに唸っていたようだ。


 「笹村さん!どうしたの?廊下まで唸り声が聞こえたよ!!」

 ドアが勢い良く開き、高木さんは一目散に私の所にやってきた。

 「あ……えっと、なんでもないの」

 「うそうそ、だって、あの厚いドアを通り越して聞こえてきたよ!」

 そういうと、高木さんはおでこを突き合わせた。

 「熱は無いわね。ってやだー私!ここ保健室だもの体温計あるわよね!」

 高木さんは恥ずかしそうに右手で首の後ろを掻いた。

 本当に、来てくれた。

 約束通りに。


 「…………」

 「どうしたの!?」

 気づけば、涙が目から零れ落ちた。

 唇が震えて、何も言う事が出来ない。

 「ううっ……」

 どうしたらいいのだろう。分からない。何か言わなければ、そう思うのに出来ない。

 「よしよし」

 すると、高木さんは私の頭を撫でた。

 止まらない涙をハンカチで抑え、ただ震える私を優しく、優しく撫でてくれた。

 頭を撫でられるなんて、生まれて初めてで、なんて温かくて幸せな気持ちになってしまうのだろう。

 嬉しくて、また涙が出てしまう。


 「ごめんなさい」

 「ごめんは嫌だな」

 高木さんは唇を尖らせて拗ねた。

 「あっありがとう……」

 10分くらい経ち、ようやく落ち着いた私は、ベッドの上で正座して、高木さんに向き合っていた。

 「どういたしまして」

 今度は笑顔だった。恥ずかしい所を見せてしまったのに。

 「本当に助かりました。もう、頭痛も治まって……なのに私……」

 あんなに泣いてしまって。高木さんは状況が分からず困惑しただろう。


 「私余計な事してるかなって、午後の授業中もずっと気になっていたんだけれど」

 「余計な事なんてそんな!」

 「折角席となりなのに、今まで話すきっかけが無かったから、笹村さんと会話してなかったの、心残りでさ。あっ笹村さんが調子悪いのがきっかけっていうのも不謹慎か。ごめんね、私、気にするくせに気遣いが足りないの」

 「ううん、は、話しかけてくれて嬉しかったです」

 「本当に?」

 「はい……」

 「良かった~」


 高木さんは大きく息を吐く。ほっとしたような様子だ。そんなに大仰に、どうしたのだろう。私は彼女の思いを推し量れずにいた。いや、人の考えている事に触れる事に恐れて、察する能力が甚だしく欠如しているのだろう。

 「えっと……、何が良かったのでしょう」

 「さっきも言ったけど、私気にするくせに気遣いが出来ないの。こうだと思ったら行動しちゃう。だからね、相手にとっては迷惑な事結構してるはず。自分がいいと思ったら善意を押し付けちゃうのね。良くないな~と思っても、考えたら行動しちゃうから、後から反省するしかなくてさ」

 また、高木さんは頭の後ろを掻く。

 「私……、誰にも話しかけられなかったから、嬉しいです。そういうの、凄く下手くそで」

 「笹村さんはあえて孤高に生きているのかと思ったよ。でも、案外恥ずかしがり屋さんなのね」

 高木さんがまた笑う。でも、不快ではなかった。


 「もう、大丈夫なら、帰ろう」

 放課後になって、もう結構時間が経っていた。外からは運動部の人たちの声が聞こえてくる。

 「はい」

 「じゃあ、教室に戻って鞄取ってきてあげるよ。笹村さんは教科書とか全部持ち帰る派?必要なものだけ持ち帰る派?」

 「え、いいよ自分で取りに帰るよ」

 「だって、1年教室4階じゃない。ここ1階だし、昇降口近いし。5分あれば戻ってくるから」

 「あ、ごめ……ううん違った、ありがとう。全部持ち帰る派です」

 「おっけー!」

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