第4話

 俺は桜並木をゆっくりと歩き、何枚も夜桜を撮った。


 会社員や家族連れの花見客がわいわいと騒いでいる。ライトアップされた桜と喧騒客の写真も、にぎやかさが映りこむようでいい。

 しばらく撮り歩いてから、並木に沿って流れている小川の対岸へ移り、今度は桜並木を撮った。

 一通り撮ると、月の位置を考えて一番いいアングルのところにあるベンチに腰かけた。


 そろそろお開きだな。


 この並木のライトアップは十一時までだ。時計を見ると、十時半をまわっている。そう思って眺めていると、一人二人と片づけを始め、消灯する頃にはみんな帰っていった。数年前に近所の苦情があって消灯時間が決められ、それを過ぎて騒ぐならライトアップが禁止にするという騒ぎがあったので、ここで花見をする人たちは行儀がいい。だから花見より飲みがメインの俺たちは、居酒屋を朝まで借り切っているのだ。



 さて、メインの桜月夜だ。


 花見客が帰ってしまうと俺はカメラを持ち直した。

 つい先ほどまでライトアップされていた桜並木もあでやかでよかったけれど、それも今は消え失せ、数十メートルおきの街路灯の灯りが、ほんのりと白く儚げにその姿を浮かびあがらせている。

 そしてその上方に輝く満月。


 俺はその満月の浮かぶ夜桜を夢中になって撮った。


 思う存分撮った後もう一度ベンチに座り、はらはらと舞う桜花を眺めた。花見客の喧噪などなかったかのように静かだ。夜風が揺らす葉擦れの音に混じって、時折ジーッジジッという虫の鳴き声がしている。まだ鳴くには早いだろうに。


 俺はしばらく桜月に見入っていたが、次は桜花のアップと満月を撮ろうと並木に歩み寄った。その時、ふと視界の端を何かがよぎった気がしてそちらに視線を向けると。

 並木の間を歩いてくる咲ちゃんが見えた。

 

 ふわりふわりと桜降る中を歩いてくるのは、まるで桜の精のようだ。


 綺麗になったな。


 樹に恋してから本当に綺麗になったと思う。すごくいい表情をするようになった。

 両手を広げて降る花びらのシャワーを浴び、ゆっくりと舞うようにくるりとまわる。

 俺はその舞う姿を追いかけて何枚もシャッターを切った。





 ――唐突に。


 それは本当に唐突に、脳裏に浮かびあがった。


 ファインダー越しに見えている目の前の咲ちゃんではなく、さっきのほろ酔いの琴音ちゃんの姿。


 特別な感情なんて持っていない。

 それなのに、あまりにも鮮明に彼女の微笑が浮かんだことに驚く。いやそれ以前に、目の前の被写体以外のモノが脳裏に浮かぶだなんて。


 そう思うのに。


 彼女の姿が脳裏から消えない。桜月夜に佇む姿は、咲ちゃんの可憐で儚げな桜の妖精のようではなく、妖艶で魅惑的な魔性の美しさ。


 撮りたい、と思った。


 誰かをこんなに撮りたいと思ったのは初めてだ。

 

 琴音ちゃんが桜の下で月光を浴びている姿。桜と月の配置。撮りたい絵が浮かぶ。


 咲ちゃんの動きに合わせて手は勝手にシャッターを切っているのに、その一枚一枚に琴音ちゃんの姿が映りこむ。


 一体どうしたっていうんだ。


 ガシガシと頭を掻く。


 俺は基本的に美人は好きじゃないはず。

 美人の姉二人とその友人たちに散々な目に合わされてきたから。

 美人の女は大体が自己顕示欲が強くて、褒められたがりで、美人であることを武器に使う。勿論そうでない女もいるのはわかっているが、苦手意識が植えつけられてしまっていて、近寄りたいとは思わない。


 それなのに。


 考えてみたら、琴音ちゃんにはすごく普通に接してきていた気がする。美人だからと敬遠せずに。

 どちらかというと俺の方が敬遠……いや、威嚇されていたからか?

 咲ちゃんを樹がかまうから、顔を合わす機会が多かったのは確かだけど。


 いつの間にか琴音ちゃんは特別になってたってことか?


 まさか。


 否定してみても、彼女の姿がちらついて消えない。

 



 ……そうか。

 本来なら放っておく程度の絡み酒を、自分の中で理屈をつけて助けに行ったのは。

 ほろ酔いの柔らかな笑顔を誰にも見られなくてほっとしたのは……。




 参ったな。こんなにも彼女に魅了されていたなんて。樹のこと、笑えないな。自分の想いに全く気づいてなかった……。

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