第4話

「506号室の須藤加奈子さんです! すぐ確認してください!」

「ええ、はい、はい。分かりましたから…」

 受付の看護師は、窘めるように言う。それを聞いて、私はソファに腰を下ろして息を整える。

「あぁ、私はなんて馬鹿なんだ…!」

「…お前が馬鹿ならあたしは脳みそ海綿体か?」

 追いついた波留が私の隣に座り、話しかける。

「なぁ、説明してくれ。加奈子が危ないってどういうことだ?」

「…ああ、ええと、説明ね。どこからしたものかしら…」

 そう言って説明を始めようとした時だった。

「ええ!? いない!?」

 先程の受付の声がロビーに響いた。


 私達は再び息を切らしながら、階段を登り506号室へ向かう。

「あぁ! 私はなんて馬鹿なんだ!」

「またそれか! 今はそんな事言っても仕方ないだろ!」

 あまり大声にならないように会話する。もうじき506号室だ。この階段を登って、すぐ右の病室だったはずだ。506号室の表示を見つけると、私は引き戸を勢い良く開いた。

「あぁ、私は……、なんて馬鹿なんだ」

 吐き捨てるようにそう言う。病室にははためくカーテンと、空のベッドだけが残っていた。

「ああ駄目だ、こんな事にも気付けないなんて…! 私は馬鹿だ!」

「もうそれは聞き飽きたぜ」

「どうしようもない…"共犯者"に関しては情報がなさすぎる」

 手がかりは無い。もはや彼女を追うことも、正解にたどり着く事もできないだろう……、そう思った時だった。

「おい!」

 突然波留が大声を出して私の肩を掴む。

「お前が今すべきなのは何だ?そうやって卑屈になることか? ここで諦めて帰ることか!?」

「違うだろ。お前の目的、原動力は何だ?」

 波留は息のかかりそうな至近距離で私に言う。彼女が本気で怒っているのが伝わる。

「私、は……」

「私は、真実が知りたい」

「なら、今すべきことは何だ? 謎はもう解けたのか?」

「私…………、ふぅ」

「波留」

 目を閉じ、一呼吸して、私は言う。

「私を殴って」

「いいぜ、コノヤロー。全く…」

 そう言うと波留は、

「愛してるぜ」

 私の唇にキスをした。

「…時間がもうないわ。やりましょう」

「ああ」

 笑顔で波留は応える。部屋は暗かったが、私の顔が赤いのを隠すのに好都合だった。


「私が彼女なら何をする……?」

 私は昼間に座った時と同じ場所にあった椅子に腰をかけ、顔の前で手を合わせる。

 加奈子は連れ去られた。誰に? その理由があるのは1人だけだ。

 そして彼女はそれを予期していただろう。ならば取る行動は1つだけ。

「この部屋にメッセージが残してあるはず…」

「そうなのか?」

 だが、まだ違和感がある。加奈子の行動は合理的だった。なのに一点、私には納得できないことがある。

「とにかく探すわよ」

 それを振り払って、私は立ち上がった。


「無い、無い、無い…!」

 部屋中をひっくり返しても、メッセージは見つからない。

「残してないのか…?」

 焦りが募る。加奈子を連れ去った人物が誰であるかに関しては、情報は全くない。彼女のメッセージが無ければ、ヒントはゼロに等しい。

「どうする?兄さんに連絡して指紋を……いや、時間がかかりすぎる……」

 ぶつぶつと独り言をつぶやく私。やはり違和感がある。

「あの部屋は密室であるはずだった」

 そうでなければ鍵を隠す意味はない。だが、密室である意味は? そうするメリットが彼女にあっただろうか? あるとすればそれは何だ?

「ああ分からない!」

 私は癇癪を起こしたように叫んだ。

 すると、波留が何か思い出したように言った。

「そういえば、さっき石橋先生から何か…」

 波留がポケットから出したのは、缶の中に隠されていたシリンジだった。

「これ、中に紙が入ってるみたいだぜ」

「紙……? あぁ、そうか! これは序章でしかなかったんだ!」

 瞬時に、私は意図を理解した。そしてその紙に何が示してあるかも。

「固くて開かねぇ…!」

 シールドのついたシリンジと悪戦苦闘する波留からそれを奪い取って、私はそれを2つに折った。

「普段と逆になったみたいだな」

 そう言って波留は笑う。なるほど、確かにその通りだ。私も少し笑い、入っていた紙を取り出して広げる。



 " 0⁹ "



 なぞなぞ?いや、暗号だ。そしてこれは加奈子が書いた。場所。場所を示している筈だ。時間は必要無い。彼女ならそれが分かるだろう。これは場所だけを示す暗号だ。後は解くだけだ。

「―――い! 冬――聞いて―――!」

 ○9? 数字?

 6○? 図?

 09、0^9? 場所。

 0^3^3? 違う。

 9乗、球場、九条? 違う、違う違う…!

 0、○、O…?

「屋上!!」

 私はほぼ反射的に叫んだ。

「ここのか!?」

「そんな訳無いでしょう、この脳みそ海綿体! 戻るわよ!」

 周りに集まっていた看護師も、波留も気にせず私は走り出していた。


「おい冬子、いい加減説明してくれよ」

 歩道を走りながら波留が言う。

「ええ、この事件は最初から加奈子の自作自演だった」

「だったらなんで加奈子が連れ去られるんだ?」

「……彼女自身も予想していなかった、"共犯者"がいたのよ」

 人とぶつかりそうになりながらも走り続ける私。波留もすぐ後ろについてきている。

「"共犯者"のとった行動は1つだけ。彼女の倒れていた部屋の鍵を開けたこと」

「なんでそいつはそんなことをした? ほっといたらよかったんじゃないのか?」

「そいつと加奈子では目的が違ったのよ。加奈子は自分に疑いの目が向くようにしたかった。けどそいつはその逆」

「それで誰なんだ、その"共犯者"は」

 波留は当然の疑問を口にした。それに私は正直に答えた。

「分からない。全く、皆目、見当もつかない」

「なんだそりゃ!?」

 波留は声を荒げた。

「だけどはっきりしていることがあるわ。そいつは賢くて、しかも――」

「私に会いたがってる」


 駆け足で階段をのぼり息も絶え絶えに、私と波留はサークル棟の3階にたどり着いていた。

「屋上って、……どうやって、行くんだっけ?」

「そこ、そこの非常階段が開いてるから」

 屋上に行ったことのない私は、波留に従う。廊下を走って階段を飛ばし飛ばしに登った先に鉄扉が見えた。

「鍵は?」

 波留が馬鹿な質問をしてくる。

「先客がいるんだから開いてるに決まってるわ」

 一息にそう言うと、私は屋上への鉄扉を押し開ける。

 途端に、風が吹きつけてきた。思わず目を閉じる。


 風がおさまり、私が目を開くとそこには加奈子と、…………吸血鬼がいた。

「遅かったね。いや、まあキミの行動は監視していたけども」

 正確には吸血鬼の装いをした、女性だ。加奈子は気を失っているようで、吸血鬼の腕に抱きかかえられている。

「似合ってるかな? これ、彼女が用意してくれたんだよ」

 加奈子の身体を少し持ち上げ、吸血鬼は言う。おそらく、私達のどちらかでも妙な動きをすれば加奈子はここから突き落とされるだろう。この状況はつまりそういうことだった。

「あなた、何者?」

「ああ、そんな野暮な質問はやめてくれたまえよ。それよりもボクはキミと話がしたい」

「―――話?」

 私は目線だけで波留を見る。波留も顔をこちらに向けていた。私は後ろで手を組むふりをして、ポケットから取り出した携帯を操作し始める。

 不意に、目の前の吸血鬼がほくそ笑んだように見えた。気のせいだろうか。呑まれてはいけない。今必要なのはこの場を掌握する事だ。

「まずはそう……、キミの話が聞きたいな」

 私は黙って続きを促しながら、後ろ手に操作している携帯で兄さんの連絡先を探す。電話帳の上から1…、2…、3番目、これだ。兄がこれを見るのを祈りながら、メッセージを送る。

「キミの言葉でこの事件、この須藤加奈子くんの計画に対する評価、感想が欲しい。これは彼女の作品だからね」

「よく言うわ。あなたが台無しにしたくせに」

 携帯を尻ポケットに戻し、手を自由にした。そして、目の前の吸血鬼に視線を向ける。何か彼女から情報を引き出さなくては。

「台無しになんてしていないさ、心外だな……。それよりも、話はしてくれないのかい?」

 そう言うと、彼女は柵に手をかけた。

「……最初は、陳腐だと思ったわ。波留から咬み跡を見せられた時、こんな事をする馬鹿を見てやりたい、とさえ思った」

「加奈子の計画という点で話すなら、その感想は変わらなかったわ。……シリンジのメモを見つけるまではね」

 吸血鬼はにやり、と口角を上げた。その時、ポケットの携帯が震えるのが分かった。兄からの連絡だ。

「あのメモは彼女の計画に気付いたものに宛てた招待状。彼女は計画が明かされる事をそれ自身に組み込んでいた」

「彼女はこの屋上に計画に気付いた人物を呼び寄せて、さらに大きな事件を起こすつもりだった。……そしてその計画は、あなたに乗っ取られた」

「ああ、最高だ、君は素晴らしい! どうした? 続けてくれ!」

 彼女は楽しくてたまらない、というような声を上げる。その様子に、私は彼女の目的を理解する。彼女は愉快犯だ。楽しければそれでいい。そのためなら彼女は人を殺めることさえ厭わないだろう。

「……そもそも加奈子の言動には違和感があったわ。彼女は私と話している間、"吸血鬼"なんて一言も言わなかった」

「吸血鬼の存在と彼女を疑って、それを調べた人間に宛てたメッセージまで書いたのに、その候補である私に吸血鬼の存在を示唆しないなんておかしい」

「彼女と話をした時は、違和感程度でしか無かったわ。だけど調べているうちに、その違和感はあなたという"共犯者"の存在を示し始めた」

「まず、加奈子の倒れていた部屋の鍵が開いていたこと。これは彼女の行動と矛盾しているわ。密室でないなら、鍵を隠す必要は無いから。……つまり、彼女が鍵を隠してから倒れたあとに、部屋の鍵を開けた人物がいることになる」

 口を動かしながら、私は波留を見る。波留はこちらではなく吸血鬼の方を注視している。今にも飛び掛りそうな気配だ。

「次に、シリンジと鍵の入った塗料をそのままにしていた事。彼女が入院した次の日に見舞いに来た友達に頼めば、その塗料を持ってきてもらう事も出来たでしょう。でもそれをしなかった。それは彼女の元の意図を誰かに知らせるため」

「そして彼女が直接あなたの存在を知らせずにそのメッセージを送ることしかしなかったのは、恐らくあなたに脅されていたから。鍵を開けたとき、同時に何か彼女のポケットにでもメモを忍ばせたんでしょう」

「けれどあなたは、その行動だって予測できたはず。そしてあなたはそれをしないよう脅すことだってできた。でもあなたはそれをしなかった。つまり……」

「はじめからあなたの目的は、私をおびき出す事だった。さらに言うと、最初からその為に波留の友人である加奈子に近づいた。違う?」

 波留がはっ、としたような表情でこちらを見る。

「ずいぶん自意識過剰なんだね。言われない?」

 笑顔を崩さずに、彼女は言う。

「たまにね」

「正しく自己評価できるヒトは嫌いじゃないよ」

「……私の自己評価は正しくなんて無いわ」

「そこも含めて自己評価だよ。さて、時間もないから本題に入ろう」

 時間がない? それはどういう意味だろう。私が助けを呼んでいるのが分かっているのか?

「朝霧冬子くん。ボクと手を組まないか?」

「もし組むって言ったらどうなってた?」

 私は問に対して即答する。

「どうもなりはしないよ。どうあってもキミとボクの関係は変わらない。ああ、愉快だ!」

 また楽しげな声を上げる彼女。不意に、ヘリコプターのローター音が聞こえてくる。……兄さんだ。

「……楽しい時間も終わりが来てしまったみたいだね。ああ、終わり、終わり……。なんて悲しい響きだ。終わりなんて来なければいい」

「だけどこれは始まりでもある。ボクと、キミの、ゲームの始まりだ。キミの好きなヤツ。キミはボクを追い詰める。ボクはキミに追い詰められる。簡単だろう?」

「あなたの遊びに付き合う気はないわ」

「すぐにそんな事も言ってられなくなるよ。ともかく今夜はボクの勝ちでもキミの勝ちでもない」

 そう言うと、彼女は倒れている加奈子を抱え上げる。兄さんのヘリコプターは、もうすぐそこまで来ている。風が巻き上がり、吸血鬼のマントをなびかせる。

「加奈子くんの勝利に祝杯を上げようじゃないか」

 吸血鬼が加奈子の首筋に口づけをする。加奈子の体がぴく、と反応したように見えた。

「それでは諸君、また会おう! 今度は吸血鬼でない姿でね」

 加奈子を抱きかかえたまま、彼女が柵を飛び越えた。

「加奈子!!」

 波留が叫んで柵に駆け寄る。私も彼女に続いて、慌てて柵を掴んで見下ろす。

 すると、加奈子の背中からパラシュートが開くのが上から見えた。いかなる奇術か、吸血鬼の姿は見えなかった。

「ふぅ…」

 どちらともなく、私達はため息をついた。その時、ポケットに入れた携帯から着信音がする。画面を見ると、兄さんからだった。

「もしもし、兄さん?」

「冬子、大丈夫かい?」

「私は大丈夫です。救急車、呼んでくれます?」

「呼んであるよ。……それよりもさっきの奴、追いかけなくてもいいの」

 波留も心配そうな視線で横から見ている。

「いえ、野次馬ができてますから。もう無理でしょう」

 私はそう言って、下の広場にできた学生教師入り混じる集団を眺める。そして彼女の言った意味を理解した。……なるほど、これは確かに加奈子の勝利だ。

「なんだ、それじゃ僕が来た意味ないじゃないか。全く……久しぶりに冬子の方から連絡が来たもんで驚いて飛び出してきたらこれだ。君のそういう人を振り回すところ、昔から変わらないな」

「いえ、まあ、兄さんが来てくれて助かりました。それと」

 そこまで言って、私は一旦言葉を切る。

「それと、兄さんに似た人に会いました。今度紹介します」

「はは、そりゃろくでもない人間だ。……まだやることがあるんだね?」

「はい、心配かけてすみませんでした」

「たまには会いにきてくれよ。じゃ」

 通話が切れる。私はヘリからこちらを見ているであろう兄に向けて、軽く手を振った。それを確認したように、ヘリは高度を上げ来た方向に戻っていく。

「さて。それじゃ、加奈子を迎えにいきましょう」

「ああ。待ちくたびれたよ」

 そう言うと、私達は歩き始める。

「彼女の言葉を借りるなら、勝者に祝杯を上げに……、ね」

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