第3話
「吸血鬼なんていない」
私がそう言ったのを聞いて、波留は吹き出した。そしてひとしきり笑ってからこう言った。
「あはは、お前やっぱりすげーよ」
「…なにか可笑しい?」
少しむっとした顔で私は言った。彼女は馬鹿にしているのだろうか。
「おかしい?おかしくなんか無いぜ」
「あたしとお前じゃ、見えてる世界がまるで違う。あたしだけじゃ見えなかった物を見せてくれるんだ。ああ、全く…」
そう言うと波留は椅子から立ち上がり、机に身を乗り出す。そうして私に顔を近づけて、
「愛してるぜ」
額にキスをした。
「……事件のこと、大体は分かったわ。恐らく、彼女の自作自演。でもいくつか奇妙な点がある」
「ああ」
波留は顔を近づけたまま、満足げな表情で頷く。それと同時に、部屋のドアが開く音がした。
「おーい、誰か……おっと、お邪魔だったかな」
入り口に目を向けると、ぼさぼさの髪をした眼鏡の男が立っていた。顔に見覚えがある。
「石橋先生」
「ええと、大丈夫なのかな?」
石橋は居づらそうに頭を掻いている。好都合だ。彼にもいくつか話を聞いておかなくてはいけない。
「というか二見君、鍵持ってたならちゃんと返してくれよ」
「鍵?」
「ああ。持ってるんだろう?ここ、開けたんだから」
「いや、えーと、開いてましたけど」
平然と嘘をつく波留。しかし奇妙だ。鍵を返せ…?
「おかしいな。スペアキーの方は誰も持って行ってないはずなのに…」
「この部屋の鍵、ないんですか?」
この違和感に目を瞑るべきではないだろう。私は自分の中で嫌な予感が募るのを感じた。
「ああ。三日前からね。というか、君は?」
疑問を口にした私に対し、石橋はまた当然の疑問を返した。
「工学部の3回生で、朝霧冬子です。少し模型同好会を見学に。それと石橋先生、少し聞きたい事があるんです。須藤さんの件について」
「…須藤さんの友達かい?」
「そんなところです」
「彼女について、何か気になることが?」
石橋は見定めるような視線でこちらを見据えながら、斜め向かいの椅子に座った。少なくとも話は聞いてくれるだろう。彼の視線を受け止めながら、私は話を始める。
「3日前、石橋先生が倒れている須藤さんを発見した時は、この部屋の鍵は開いていましたか?」
「それを知ってどうするんだい?」
「どうもしません。私はただ知りたいんです」
この男と話をするのは初めてだったが、私は会話に何か懐かしさを感じた。そしてその正体にすぐに気付く。この石橋という男は、"彼"のパーソナリティーによく似ている。…この人物の前では、建前は必要ないだろう。私はそう判断した。
「煙草を吸っても?」
「どうぞ」
いつの間にか波留が視界から居なくなっている。彼女は部屋に放置された建物の模型に興味を示しているようだった。
「ただ知りたい……、か」
煙草に火をつけながら、彼はそう言った。
「見学というのは嘘だろう?それと二見君の、鍵が開いていたというのも」
「…はい」
「正直だなぁ。羨ましいよ、大人になると常に正直ではいられない」
石橋は携帯灰皿をポケットから出す。その動作も"彼"を彷彿とさせた。
「君は正解にたどり着きたいんだろう。そして、その行為はゲームに過ぎない」
壮年の賢者のような見透かした視線と言葉。動じることは無い。彼が私を試しているのは分かっている。
数秒の沈黙があった。そしてその間、彼は一度も私から目を逸らさなかった。視線を交わしていると、やがて石橋の方が諦めたように目を閉じた。
「ああ……。教えてあげよう。僕も君に興味が沸いた」
そう言うと、彼は煙草の火をもみ消して携帯灰皿に押し込んだ。
「ありがとうございます」
息をついて、私は答えた。
「まず何だったかな…。鍵だったっけ?」
「ええ、先生が須藤さんを見つけた時は鍵はかかっていましたか?」
「鍵はかかっていなかったかな。扉も開いてて光が漏れてたから入ってみたら、びっくりだ」
少しのジェスチャーと共に石橋は答える。
「窓は?窓も開いていましたか?」
「……いや、窓は閉まっていた」
「それで、鍵が無いんでしたよね」
「ああ。同じ日からだね。だがそれは偶然かもしれないよ?」
「それは無いでしょう。「偶然」は「奇蹟」を日常に持ち込むための言葉ですから」
言い終わらない内に、私はルミノール反応のあった塗料の缶を手に取った。
「波留、手伝って」
「よし来た」
模型には飽きたのか、本を読んでいた波留が立ち上がる。
「ビニールシートと、新聞紙用意して」
「ぶちまけるのか?」
「ぶちまけるわよ」
波留の行動は迅速だった。優秀な助手を持つというのは仕事をする上で最も重要な事だ。
「開けるわよ」
拝借した手袋を着けて、缶の蓋に手をかける。石橋は何も言わず、黙ってこちらを眺めている。
蓋を外すと、私は波留に目で合図してから缶を傾けていく。少しずつ、赤い液体が敷かれた新聞紙の上に広がっていく。
段々と角度が急になっていき逆さになろうとしたその時、赤い塊が2つ、塗料に混じって吐き出された。私はそれらを拾い上げる。
「あった…!」
そのままその塊を流しへ持っていき塗料を洗い流すと、中から鍵と血の乾いたシリンジが出てきた。
「これではっきりしたわ。彼女は自分で血を抜いて、鍵と使ったシリンジをこの塗料缶の中に隠した。あとは部屋の中に倒れているだけでいい……」
「……君は、賢いんだな。朝霧君」
いつの間にか2本目の煙草を吸っている石橋が、声をかける。
「重要なのは鍵を見つけた事じゃありません、先生。須藤さんが鍵を隠したのはこの部屋が密室であるはずだったから。でもそうはならなかった」
「おい、あたしにも分かるように説明しろ」
「そのままの意味よ。吸血鬼が扉から逃げたなら、鍵は彼女が持っていても何ら問題はない。部屋が密室だったなら、吸血鬼は鍵を持っていることになる」
私は波留の方を向いて言う。重要なのはここからだ。
「しかし扉の鍵は開いていた。それはなぜか? 先生、須藤さんは『鍵を持っていない、場所も知らない』と言ってませんでしたか?」
「ああ、そうだ。直接聞いた訳じゃないが、見舞いに行った部員が聞いたらしい」
「それ、彼女と仲の良い人ですか?」
「ああ。須藤さんが入院したと聞いて一番に見舞いに。僕が鍵を知らないか聞くように頼んだんだ」
扉が開いていたのなら、彼女が鍵を隠す理由は無い。ならなぜ今彼女は鍵の事を誰にも喋らないのか?…簡単だ。
「ああ……波留、行くわよ!」
鍵の話を聞いた時は予感でしか無かったが、今確信に変わった。
「行くってどこにだよ?」
「病院!加奈子が危ない!説明するから!」
言い終わらないうちに私は走り始める。時刻は8時。面会時間は終わっているか…。
「はあ?なんだよ急にー!?」
そう言いながら走り始めた波留に、石橋が後ろから声をかけていた。気にせず私は病院へ向かう。
* * *
「二見君」
呼びかけられた私は振り返って石橋先生を見る。
「彼女はきっと正解、いや真実にたどり着く。それは彼女が求めている事だ」
「だが、彼女がそれに疲弊し、足を止める事があるだろう」
「そんな時、彼女を激励し、支えになれるのは君だけだ」
「それを忘れないでくれ。私も彼女の"続き"が見てみたい」
言い終わると、石橋先生は何かを投げてよこした。反射的にキャッチするが、それが何か確認している暇は無い。再び走り始めながら、私は簡潔に返答をする。
「そんなの、あたしが一番分かってる!」
それを聞いた彼は、満足そうに歩いていった。
* * *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます