第18話
青空の
「どうします、これ?」
「そりゃあ、もちろんこのまま
「でも、今日は装備を何も持ってきてませんよ」
「困ったねえ」
私たちの描く扇の
自然愛護団体からの依頼で、
しゃあ、と音を立ててカメが私の方に首を伸ばしてきたので、思わずうわっ、と叫んで
「実はこいつ、
「前に海でウツボに噛まれたけど、あれはやばかった。泣くかと思った」
さすがは自然を愛する男たちだ。私と違って全く動じるところがない。
「後ろから行けば
「捕まえてどうするよ。こんなの持ち運べないって」
「困ったねえ」
大柄な
「後は若い彼らに任せようか」
乱橋先生にとっては私も
「出だしからこれじゃねえ。どうやら池の水を抜いてしまわねばいけないみたいだ。
「抜けるんですか? こんなに大きい池ですよ?」
「前から数年に一度ポンプを使ってやっているよ。底に溜まったゴミも掃除しなくてはいけないしねえ」
思っていたより大掛かりな話になってきてしまいそうだった。
「やっぱりブルーギルやブラックバスとかいるんですかね」
「ピラニアやピラルクもいないとは限らないねえ」
それでは東京がアマゾンになってしまう。やはり地球は温暖化して
「はろはろー」
「あなんか。今日は休み?」
「土曜だから。ずっと
「ああ。今は井の頭公園の池のそばにいる」
「やだ」
「嫌って、何が?」
「だって、そこでカップルが一緒にボートに乗ったら必ず別れるって」
頭が悪い
「それで何か用事でも?」
「実は相談したいことがあって。すぐに会いたいんだけど」
ジュンローだけでなくあなんも急な話を持ってくるようになったのか。そこで
「ジュンローも一緒に来る?」
「ううん。ソリガチさんと、私と、2人で会いたい」
声からイライラが伝わってくる。のんびり屋の彼女にしては珍しかった。それに私とあなんが2人きりで会うのもあまりないことだった。
「何か困ってる?」
「わりと」
「分かった。なら夕方に何処かで落ち合おう」
「
それなら話が早い。駅で待ち合わせすることに決めたその時、後ろで君波さんの叫び声が聞こえ、遅れて阿井さんも悲鳴をあげた。
「なになになになに?」
「ごめん。切るよ」
あなんには後で事情を説明しないといけないが、とりあえず戻ってみると、カミツキガメが君波さんの腹の上にのしかかり、さらには左手の親指にも食いついていた。私が見ていない間に一体何が起こったのか。
「痛って。こいつ、痛ってえ」
君波さんの顔がみるみる赤くなっていくが、それでも荒井くんは落ち着いたものだった。
「無理に抜こうとするともっと
「困ったねえ」
乱橋先生は相変わらず困っていて、阿井さんは無言でただ
吉祥寺駅の長い
「変な顔」
いきなりそう言われた。私の努力の
「どうして護島さんにあの写真を送ったりしたんだ?」
「それで怒ってるの? 上手く
「それにしてもだな」
「護島さん、会社を
彼女が私の話を聞かないのはいつものことだが、今度ばかりはしっかり言って聞かさねば。
「あのなあ」
「こないだ護島さんの家に初めて行ったんだけど、きれいなところに住んでたよ」
「
「うん。結構遠かったけど、元気になって欲しかったから。ソリガチさんの話もした」
「何か変なことを言わなかったか?」
「言わないよ」
私の顔をちらっと見てから少し
「でも、護島さんは言ってたかも。ソリガチさんがいつも会社でどんな感じなのか、聞けて面白かった」
「護島さん、僕のことを何て言ってたんだ?」
「“死ねばいいのに”って何度も言ってた」
おかしい。私の中では
「あなん、そんなことよりも」
「ほらほら、落ち込まない。別に護島さんはソリガチさんのことを嫌ってないから大丈夫だよ。それより、私、何か食べたい。お昼も食べてないもん」
自由だ。まるで風のように自由だ。こんな
「おいしい」
オレンジレアチーズケーキを
「ちゃんとした食事じゃなくて大丈夫か?」
「食べたい時に食べたいものを食べるのが一番だよ」
当たり前のようでいて深く聞こえ、深いようでいて当たり前に聞こえる、彼女の話はいつもそんな感じだ。
「それで、何か困ってるんだって?」
「うん。
「え?」
「ジュンくんに浮気された」
皿の上のケーキの
「何かの間違いじゃないのか?」
ジュンローがあなん以外の女の子に手を出すとはとても思えなかった。そもそもコミュニケーションに多大な問題を
「間違いないよ。私、見たんだから」
あなんの話によると、
「そしたら、アニメを見ながらしこってた」
つまり、アニメの女の子を見ながらオナニーをしていた、ということらしい。何をしているんだあいつ。
「えーと、それは浮気になるのかな?」
「なるよ。だって、アニメのキャラとはセックスできないじゃん。そうしたら、その次ってオナニーでしょ? だから、セックスしているのと同じだよ」
セックスの次がオナニーという話は
「ジュンローはあなんに見られたって気付いてた?」
「たぶん気付いてない。私、そのままシャワーに戻ったから。っていうか、ジュンくん、財布からお金を抜かれても気が付かないもん。たぶんナイフで刺されてもわかんないよ」
「そんなことするなよ。あいつ、いつも困ってるのに」
「大丈夫。必ず返してるから。時々は
それでいいのだろうか。どうも
「それで、君たちは、その、夜、なんだ。その、あれを、えーと、ちゃんとしてるのかい?」
「やだ、ソリガチさん。何もごもごしてるの。やらしいなあ」
「いいから。それでどうなんだ」
「してるよ。だって、その日もジュンくんの家に着いてすぐに、ナースのピンクの制服で」
「分かった。もういい」
ジュンローといいあなんといい、こいつら本当に何でも話すんだな、と
「とにかく、そっちの方が問題ないのは分かったよ」
「私も
「いや、それは。人によるとしか言えないよ。ジュンローはしたいんだろ。
あなんが
「べつばら、って。スイーツじゃないんだから。馬鹿じゃないの」
まだ笑っている。
「そこまで笑うことないだろ」
「ソリガチさんが変なこと言うからだよ」
それぞれの
「他の
あの娘になんてことを訊くのか。アインシュタインに
「とりあえず、僕には分からないな。こんな可愛い彼女がいたら、そんなことしなくてもいいのにさ」
あなんの表情が消えた。
「ソリガチさん、今なんて?」
「今って?」
「もう一度言ってみて」
「えーと、こんな可愛い彼女がいるのにそんなことをする意味が分からない」
あなんの視線が強くなって目から
「本当にそう思う?」
「ああ。あなんは可愛いよ」
そう言われると私の顔をもう一度強く見てから下の方に目を
「それで、あなんはどうしたいんだ?」
返事が来るまで少し間があった。少し
「どうって?」
「ジュンローと別れたいのか?」
思いも寄らないことを言われたかのように目を見開いてから、暗い表情になって肩を落とした。
「そこまでは、思ってない。ジュンくんのこと、やっぱり好きだし」
後輩の
「ソリガチさんからジュンくんにひとこと言ってくれない?」
「“彼女が家に泊まりに来ている時くらいオナニーは控えろ”って?」
今度は私の笑いが止まらなくなる番だった。そんなことを言わなければならないこちらの身にもなって欲しい。自分で勝手に
「やめてよ。恥ずかしいなあ」
さっきの自分のことは棚に上げてあなんが注意してきた。
「ごめんごめん。分かった。今度ジュンローに会ったら注意しておくよ。だから、あなんも、もう気にしない方がいい」
「でも、でも。何かしときたい。何もしないままだとむかつく。リベンジしたい」
「いつもより多めに金を抜いて、何か欲しいものを買えば? ばれてもジュンローは怒れないだろ」
「そういうのじゃないなあ。私、本当に欲しいものは自分のお金で買いたいから、違うのがいい」
「じゃあ、いつもジュンローの財布から抜いた金は何に使ってるんだ?」
「わりとどうでもいいものを買ってる」
それじゃあジュンローがますます気の毒だ、と思ったが、とにかく私のアイディアはあなんにはぴんと来ないようだった。細い
「うん、分かった。今回は我慢する。でも次やったら許さない」
怖いことを言っているが、ジュンローが気を付ければ避けられるはずの事態だ。
「もし、もう一度同じことがあったら、何をするつもりなんだ?」
ふふふ、と笑ってから、
「内緒。でも、ソリガチさんにも手伝ってもらいたい。私がお願いしたら聞いてくれる?」
なんだかよく分からないが、ジュンローを脅かすのなら私が一番
「まあ、僕に出来ることなら」
それを聞いた彼女が大喜びするわけでもなく、くすくす笑っているだけなのを見て、
「ごぶさたしています。
予想外の相手だった。彼とは今目の前にいるあなんのおかげで
「しばらくお休みされているようですね」
「
もちろん行かなくなった理由を正直に言いはしない。
「次はいつ参加できそうですか?」
「さあ、分かりません。少なくとも年内は無理だと思います」
電話の相手は黙ってしまった。甘すぎるマスクの
「今日これから、会ってお話できませんか?」
「
「いえ、今日はACT2ではなくタンホイザー・ゲートの人間としてお話があるんです」
つまり、
「徳見さんは今どちらに?」
「
「じゃあ、僕が今からそちらに向かいますから」
一時間後に会う約束をして、あなんの方に向き直ると、
「お仕事の時はそんななんだね」
と少し
「あなんだって仕事の時は
「どうかなあ。変わんないと思うけど」
「やってみてよ。コールセンターでいつもどんな感じで電話に出てるのか」
スマホを差し出してみる。
「やだ。絶対やだ」
「ほら」
「やだったら」
珍しくこちらから攻める格好になったので楽しくなってしまったが、あまりやると怒られそうなのでほどほどにしておく。
「聞いてたと思うけど、僕はこれから人に会いに行かなきゃいけない。あなんも新宿まで来る?」
「ううん。久しぶりにサンロードを歩いてきたい。本当はソリガチさんと行きたかった」
「僕が一緒でも何も面白くないって」
そうでもないけどなあ、と言いながら、あなんが先に席を立った。赤いミニスカートから伸びる黒いタイツに包まれた長い
「
「ああ」
おそらくジュンローが
「怒らないの?」
「あなんがしたいからしてるんだろ?」
この前の有明と同じパターンのはずだから、怒るだけ損だった。効き目がないと見たのか、あなんは私の腕をぱっと放すと、後ろを向いて一人で何かぶつぶつ言っていた。護島さんだけでなく、この
「じゃあ、お仕事頑張って」
「あなんも気を付けて」
改札を抜けて、エスカレーターでホームへと上がろうとしても、あなんはまだ私に向かって両手を大きく振っていた。見送りはほどほどで切り上げてくれた方が見送られる方もやりやすい、とは思ったが、それでも胸の内が
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