第14話

 新宿しんじゅく駅西口、コクーンタワー近くの「BARバー サテンの夜」で交歓会こうかんかいおこなわれていた。ボックス席を貸し切った阿久津あくつACT2アクトツーのメンバーたちは大いに盛り上がっていて、今は何かのテーマソングを熱唱している。入会する時に徳見とくみくんに月1回は交歓会を行うと言われていたが、私が入ってからはまだ開催されていなかったので、ワークショップとしても久々の飲み会なのかもしれず、そう思えば皆がはしゃぐのもよく分かるというものだった。しかし、私だけは奥まった席で離れてひとり静かに酒を飲んでいた。それもそのはずで、昼間に有明ありあけ主宰者しゅさいしゃに失礼を働いた人間に自分から話しかけようとする奇特きとくなメンバーがいるはずもなかった。正確には、私ではなくあなんがやったことなのだが、メンバーの頭の中では私も立派な共犯者なのだろう。無実を主張してもよかったが、そろいすぎた状況証拠が私のやる気をいでいた。名探偵ガブリエルでも頭をかかえる難事件だ。

 そんな中でもテッペイだけは例外で、少し前までしつこくからまれていた。誰なんですかあの娘、すごい可愛いじゃないですか、紹介してくださいよ。その3つの言葉だけで15分間私に迫り続けたのは、昼間のトークショーの阿久津を彷彿ほうふつとさせて、芸風げいふうを見事に受け継いでいる、と評価しても良かったが、君の手に負えるような子じゃないよ、とマチェットを振り下ろすように告げられるとすごすご退散たいさんしたあたりは、まだ師匠ほどのねばりがなかった。もっとも、あなんは私の手にもとても負えないし、それ以前に私の手に負える女の子など、この世に存在しないような気がする。

 そのテッペイは今阿久津に向かって何やら語っていた。酒の勢いも手伝ってか、いつにも増して早口だったが、言っていることはいつもと同じインターネットの何処にでも転がっているくだらなく他愛たあいのない噂話ばかりだった。青年にはやる気だけはあった。ただ、それを生かす手段を見つけることができず、そして能力が明らかに足りていなかった。何物ともみ合わないまま激しく回転を続ける歯車のようなもので、このままだとそのうち煙を噴き出して軸からも外れてしまうのは目に見えていた。適切な目標に向かって適切な努力をすれば、それなりの成功を得る可能性は十分にあるのかもしれなかったが、少なくとも阿久津の元にいる限りそれは不可能なように思えた。そのように彼に忠告しても良かったが、そうしたところで恨まれこそすれ感謝などされないのは目に見えていたので、何もしたりはしない。そして、私が見放しかけている青年は今またネットのスラングを大声で叫んで周囲の大人たちの笑いをとっていた、というよりは明らかに笑われていた。

 誰とも話をすることもないので酒を飲むペースが早くなる一方だったが、今飲んでいるこの1杯でやめておくことにした。朝からの労働、猫になったあなん、阿久津のった笑み、そういった出来事の積み重ねもあってまだ飲み足りない気分だったが、これ以上アルコールを入れて自制心を保てる確信が私にはなかった。主宰者とその他大勢の前で醜態しゅうたいさらすのだけは避けたい。周囲からほうっておかれるのは別に嫌いではない、と言ったところで寂しがり屋の負け惜しみにしか聞こえないのかもしれないが、それならそれで構わなかった。髪をアップにまとめた女性バーテンダーがカウンターの中で宇宙を遊泳ゆうえいするかのようにゆっくりと動いているのを透明なガラスの仕切り越しに見ながら、今日の出来事をひそかに振り返っていた。

 ワークショップのメンバーをこのようなイベントにもう2度とすべきではない、と阿久津か徳見くんに言ってやりたかった。別にただ働きにいきどおっているわけではない。阿久津が絶対的存在なのはあくまでACT2の中だけであって、外の世界ではそんな約束事は全く通用しないのだ。現にあなんすら思い通りにはできなかったではないか。それに私もヨコタニも見ていた番組がいい例で、高価な買い物をさせられたり若手芸人に外見を容赦ようしゃなくいじられたり罰ゲームをさせられたり、テレビに出られるからといっていいあつかいをされているわけではないのだ。テッペイならそれでも出たいと言いそうではあるが。阿久津にはマスコミに身を晒して傷ついたプライドをワークショップで回復する目論見もくろみもあるのかもしれないが、それならば今日のようにわざわざメンバーを外部に連れ出して自らの権威を損ねる危険をおかすべきではない、と言いたかった。しかし、この考えを話したところで、さっきのテッペイと同じで恨まれこそすれ感謝などされはしないだろう。それ以前に自らを分析することすら阿久津は許しはしない。帝王としてあがたてまつることだけが臣下しんかたる参加者たちの取り得る唯一の道なのだ。酔いのせいか皮肉が過ぎる考えをもてあそんでいると、隣に誰かが座っているのに気付いた。

「何を飲んでるんですか?」

 カヨちんだった。今日はサーモンピンクのパーカーを着ている。

「これ? シトラスの香りのするビール」

美味おいしいですか?」

「まずい」

 物珍しさで思わず頼んでしまったが、私の口には合わなかった。カヨちんが身体を丸めて声を出さずに笑っている。しかめ面であっさり断言したのが面白かったらしい。

「向こうにいた方がいいんじゃない?」

 私といれば彼女も嫌な思いをするのではないかと気遣きづかったのだが、

「みなさん酔っぱらっちゃってて、ちょっと」

 今日のメンバーで女性はカヨちんとカシオペアさんと、先週入ったばかりのジャコビニさんの3人だけだったから、酔った男ばかりの宴席えんせきはつらいものがあるのかもしれなかった。

「僕も結構酔っているけど」

「サジッタさんはなんとなく大丈夫そうかなって」

 酒に強い自信は全くなかったが、そう言われてしまえば期待にこたえるよりほかなかった。柑橘類かんきつるいの匂いばかりが強くて味のしないビールを飲み干し、ウーロン茶を注文する。

「基本的なことを聞くけど、カヨちんってどうしてカヨちんなのかな? カヨちゃんでもカヨさんでもなくて」

「ええっ、サジッタさんはアニメとか見ないんですか?」

 そんなことも知らないの、と言わんばかりの態度だったが、あまり腹が立たないのは私にはカヨちんが人間ではなく大きなシマリスのように思われるせいだろうか。どちらが失礼なのか分かったものではない。ともあれ、彼女から最近のアニメとかの話を聞いているうちにウーロン茶が届いた。それと彼女の持っているカシスオレンジの入ったグラスと触れ合わせる。お互い手探りで会話をしていたが、いつしかカヨちんが最近人気が出てきた少年アイドルユニットの話題を饒舌じょうぜつに語り出し、私はもっぱら聞き役にてっするようになっていた。そのアイドルのCDシーディーが結構な売れ行きであることはなんとなく知ってはいたが、街中まちなかで何度か耳にしたところでもメロディも頭に残ることはなく、彼女に熱心に語られても、ヒットチャートが自分のためにあった時代がますます遠くなったのをあらためて実感させられるばかりだった。

 私たち2人が比較的静かにしているのに対し、阿久津たちはますます騒々しくなる一方だった。酔漢すいかんの笑い声は何処の酒場でも人を苛立いらだたせる効果を持っているようで、カウンター席に座った何人かの客が、回収し忘れて来週まで放置されることが確定した粗大ゴミを見るかのようにACT2の面々を横目でうかがっていた。仲間だと思われたくない、と仲間でありながら思ってしまう。考えてみると、交歓会の終了時刻がいつなのか私は聞いていなかった。もしかすると決まっていないのかもしれない。明日は日曜だから遅くなっても構わないと思っているのかもしれないが、そう思うと居心地いごこちの良くない飲みの席から一刻も早く立ち去りたくなってきた。いかにも二次会にも付き合いますよ、と言っているかのような顔をして、いつの間にか一人でこっそり帰ってしまうのは私の得意技である。その後の人間関係を考慮こうりょさえしなければ帰るのはたやすい。だから、この店から出てくれさえすれば、と阿久津を囲んで「戦国戦隊サンエイケツ」の主題歌を歌う参加者たちの様子を時々気にしていた。

 赤根あかねと目が合ってしまった。ビールのジョッキをこちらに向けてかざしてきたので、やむなくウーロン茶のグラスをかざし返す。髭面ひげづらが私から阿久津たちに視線を戻して何やらささやくと、集団の興味がこちらに向けられたのが感じられた。呼ばれたら面倒だな、と思っていると、にゃーお、と誰かが叫んだ。おそらくテッペイだろう。それから猫の鳴き声の大合唱が始まった。重なりあう無様ぶざまな裏声の中で<猫ふんじゃった>を歌っているやつもいて、趣旨が違ってきている。ひとしきり鳴いた後で卑猥ひわいな語句がいくつか飛び出すと、はじけるような笑い声があがって、一同は静かになった。

「あの人、凄くスタイルよかったですね。憧れちゃいます」

 カヨちんにも連中の今の行動の意味が分かったらしい。うつむき加減で微笑ほほえむ丸っこい彼女を見た瞬間に、突然何もかもが面倒になった。もう十分だ。正岡に報告できるだけの情報は揃っている。ジグソーパズルの完成にはまだひとつかふたつピースが足りていないが、全体の絵柄は理解できる。だからもう十分だ。お前たちにあなんを馬鹿にする資格などない。そうやってずっと頭目の顔色を窺っているがいい。私の中に潜む正義感の化け物が目を覚まし、新宿の街を全壊ぜんかいさせてしまわねば収まらない気分になっていた。ウーロン茶を一気に飲み切って千円札を3枚空のグラスとコースターの間に挟んだ。阿久津のおごりは遠慮したかった。

「サジッタさん」

 平静をよそおっていたつもりでもすぐそばのカヨちんには分かってしまったらしい。立ち上がりかけたのをやめて彼女の方を見る。

「やめちゃうんですか」

 なかなか勘がいい。うちの事務所に誘ってもいいかもしれない。化け物は表に出たままだが、すぐに暴れ出すことはなさそうだった。美女を掌中しょうちゅうに収めたキングコングはこんな気分なのだろうか。

「この前の高円寺こうえんじでの話を覚えてる?」

 丸い顔が上下に動く。

「阿久津さんは君が期待していたような人ではないんだ。もっと別の場所に行った方がいい」

 テッペイや阿久津と違って彼女に忠告する気になったのは、彼女なら分かってくれる気がしたことと、そしてたとえ恨まれても言うべきことを言っておきたい、という衝動に突き動かされたからだ。つまり、私は思いのほかこの娘に好意を持っているということらしかった。自分でも意外に思いながら今度こそ立ち上がる。カヨちんを見下ろした時に、私だけが先に帰ったら残された彼女がどうなるのか、とそこで気付いた。そういう配慮ができないあたり、大人になりきれていない。

「一緒に出る?」

 そう言われた彼女の顔に赤みがさしたので、何か変な誤解をさせたかも、とあわてたが、言い訳は後でいくらでもできるので、とりあえず今は外に出るのが先決だった。わざとふらついて歩く私の後ろにカヨちんがついてきたのが分かった。

「お帰りですか?」

 最初に私に気付いたのはヨコタニだった。彼は一人だけ酒を飲んでいないので、場の空気にいまひとつ馴染なじめていないようだった。その後でカヨちんにも気付いた。

「あれ? 気分でも悪いの? 大丈夫?」

「2人でどこかしけこむつもりなんじゃないの」

 テッペイの戯言ざれごとに何人かつられて笑う。日本で銃が規制されていてよかったね君たち、と思いながら前もって用意していた言い訳を口にする。

「いえ、僕の方が気分が悪くなっちゃって、彼女、スーちゃんに介抱かいほうしてもらってたんです。今日は朝が早かったから、そのせいかな」

 参加者たちが、なんだそれ、と言いたげに笑った。私の経験上、酒に弱いとアピールをすると、相手は間違いなくこちらをめてかかってくるのだが、今回もそれが当たったかたちだ。煙草たばこを吸わないと言っても別に舐められはしないから不思議なことだが、恐れられるよりあなどられよ、をモットーとする人間には都合つごうのいい現象なので、毎回利用させてもらっている。

「お疲れ様」

 阿久津が右手のグラスをらしていて、その中では真紅の液体が激しく渦を巻いている。適度な飲酒は美容にいい、特に赤ワインにはポリフェノールが多量に含まれていて、というのは阿久津の著書にも書かれているから、それを自ら実践していることになる。

「もしかして、何か気に入らないことでもあった?」

 阿久津の全身は相変わらず白い布で巻かれていたが、動きやすくするためかトークショーの時よりはだいぶ布が減っていて、今は服を着ていないマネキンに見える。飲み会が終わってから西口の百貨店ひゃっかてんのショーウインドーに入ってそのまま朝を迎えても通行人は誰も気づかずにそのままぎるだろう。

「何のことです?」

 自分からわざわざ口に出したということは、私をからかっている自覚があったと白状しているようなものだ。語るに落ちている。再び暴れ出しそうになる化け物を、ハウス、ハウス、となだめて、とぼけた返事をする。

「いや、それなら別にいいんだ。それじゃあ、また来週」

 阿久津も自分の言っていることがあまり筋が良くないと分かったのか、あっさりと会話を打ち切って、横にいる徳見くんに何事か囁きだした。あっさり解放されたので、化け物も今度こそ心の奥の暗がりにあるおりへと戻って行ってくれた。もっとも、阿久津の言うような来週などありはしないのだが。

「ごめんなさい。私、具合が悪かったなんて気が付かなくて」

 店を出るなりカヨちんにあやまられたが、出まかせを言って混乱させた私の方こそ謝らなければならない。そう思って笑いかけようとして、

「あの」

 誰かに呼びかけられて、振り返るとカシオペアさんが息を切らせて立っていた。そんなに急いでくるとは、阿久津から何か言伝ことづてがあるのだろうか。思わず緊張して身構える。

「前から言おうと思ってたんですけど、サジッタさんってアラン・ドロンに似てますよね」

 思いも寄らない言葉に固まってしまう。そんなことは言われたことがないし、もちろん私はそこまで自惚うぬぼれが強くはない。

「えーと、カシオペアさん?」

「言いたいのはそれだけです。おやすみなさい」

 カシオペアさんは急いで再び「サテンの夜」の中へ戻っていった。本当にそれだけのために出てきたようだ。混乱しながらなんとか納得のいくように解釈してみると、おそらく私の顔が濃い―これは良く言われる―ので何かひとこと言いたかったのだが、誰か適当な有名人が思い浮かばなかったので、アラン・ドロンの名前を出したというところではないか。それにしても凄い名前を持ち出してきたものだが。

「アラン・ドロンって誰ですか?」

 カヨちんにかれたが、カシオペアさんだっておそらく詳しく知りはしないだろう。『太陽がいっぱい』も観ているかどうかも怪しい。

「カシオペアさんもちょっと酔ってたのかな」

 答えにならない返事をすると、カヨちんが話し出した。

「私もどうしようかと思ってるんです。こないだみなさんとお話してから、ネットでいろいろ調べてみたんですけど、阿久津さんってあまり評判良くないみたいで、これ以上続けるのもどうかなあ、と思っちゃってて」

 参加する前に調べればよかったのに、と思ったが、それを言っても始まらないので、それから彼女を中央西口の改札に送り届けるまであまり口を利かずに並んで歩き続けた。

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