第13話
土曜日。私は
「フォーチュネイト・フューチャー・ファイティング」、通称
そんな中でも、気がかりなことがひとつあって、それは「阿久津にはゲームの知識がないのではないか?」ということだった。少なくとも私が調べた限りでは阿久津がゲームに触れたことはなさそうで、それどころか「
「まあ、とにかく映像がきれいだよね。僕らが子供の頃からは考えられない。段違いだね。モンスターにやられると思わず“うわっ!”と叫んじゃう。そのくらいリアル。もはやこれはゲームを超えたもうひとつの現実だね。タイトル通り僕はこのゲームに未来を見たよ」
開始してからずっとこのような内容のない話の繰り返しである。トークショーの司会を務めるクイズ番組によく出ている知性派の若手女性タレントも、
「ったく、にわか丸出しだよ」
テッペイが聞こえよがしに舌打ちする。ジュンローにも言えることだが、最近の若い人にとって「にわか」というのは死にも等しい罪悪らしい。いつもの銀のスタジャンの下に着た黒のTシャツには“I WANNA BE YOUR DOG”とブロック
結局1時間のトークショーを阿久津は映像を
「社長が退場しますので、
別に阿久津ひとりでゆりかもめに乗って帰っても、サインを求められたり襲われたりする心配はないと思うが、ここまでやってきたのだから最後まで与えられた役割は果たしたかった。阿久津がイベントのスタッフに囲まれてステージを降りるのを見てから通路の先へと急ぐ。兵士の視点で敵に銃を撃ちまくるアクションゲームを左に、CGの少女たちが軽快な音楽に合わせて華麗に踊っている映像を右に見ながら出入口付近にたどり着く。特に混み合ってもいないので整理をする必要もないだろう、と安心したが、阿久津たちがなかなか来ない。関係者と話でもしているのだろうか。鎧武者と
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ~!」
背中に柔らかくふわふわしたものが激しくぶつかってきて、前方によろめいてしまった。転ばなかったのは不幸中の幸いだ。なんだなんだ。パニックに
「ソリガチさん、はろはろー」
あなんか! 疑問がいっぺんに解消して、
「びっくりさせないでくれよ。今日はコスプレしに来たんだ?」
「うん。このイベントには毎年来てるから。そっちこそどうして? ゲームやんないでしょ?」
「一応、仕事」
「ふうん」
私の全身を見渡してからあなんがにやにや笑う。チェシャ猫が絵本の中から抜け出してきたかのようだ。
「なんだ、ソリガチさんも私と同じじゃん、って思ったんだけど」
「同じって?」
「だって、それ、殺し屋のコスプレでしょ?」
そう。今日も私は例によって黒ずくめなのである。まずいところを見られたものだ。
「いや、これには事情があって」
「いいよいいよ、言い訳しなくても。そうだ、せっかくだから記念に写真を撮ろう」
そう言うと、あなんはポシェットの中からスマホを取り出した。
「じゃあ、“にゃん、にゃ~にゃ”で撮るから。ほら、もっと寄らないと」
「にゃん、にゃ~にゃ」は「ハイ、チーズ」の
「にゃん、にゃ~にゃ!」
肉球の真ん中に握られたスマホからシャッター
「なんだかとても楽しそうだね」
私の目の前に阿久津とワークショップの参加者の皆さんが到着していた。そういえば自分が何のためにここにいたのかすっかり忘れていた。阿久津の目からは冷たい炎が噴き出し、他のメンバーから「クズめ」と言わんばかりの視線が送られてきたが、動線を確保しているはずの人間が猫の女の子と一緒にひっついていたら、誰だって怒るのは当然だ。言い訳するのは不可能だ。そもそも猫の女の子って一体何なんだ。死のう。今すぐ死のう。ここからなら
「こんにちは~。“ハンティング・ワールド”のコノリィでーす。にゃ~」
私から離れたあなんが阿久津の前に飛び出て、顔の横に両手をくっつける、「いないいないばぁ」のポーズをとった。
「にゃ~」
「にゃ~。にゃにゃ~」
一瞬呆然としていたが、すぐに我に返った阿久津はあなんのポーズを真似しながら猫のように鳴いてみせた。ノリが悪いとは死んでも思われたくない、そんな鉄の意志を感じさせる行動だった。
「コノリィ、お友達と会って嬉しくて遊んでいたんだけど、迷惑かけちゃったのかにゃ?」
阿久津が私の方を見たので音が出るくらい
「僕の知人です。毎年このイベントに参加しているんです」
しばらく私とあなんの顔を見比べた後で、やがて白い布の
「やるじゃん、サジッタさん。こんなかわいい友達がいるなんて
サジッタって何? とあなんが目で問いかけてきたので、いいから、とこっちも目で答えていると、阿久津が大きく手を叩いた。
「うんうん。そうだ。いいことを考えた。この後、新宿で
「ごめんにゃさい。この後彼氏と待ち合わせしてるのにゃ」
あなんにいとも簡単に誘いを断られた阿久津の目元に
「そりゃそうだよね。君くらい可愛ければ彼氏がいないわけがない。それなのに誘ったこっちが悪かった」
うふふふ、と阿久津は笑っていたが、そんな彼はあなんの拒絶からやはり立ち直れずに、50歳と100歳の間を行ったり来たりしているように見えた。ちょっとしたドリアン・グレイを現実に見た気がしていると、背後から肩に手を回されて柔らかく熱いものが背中にくっつけられた。
「にゃ~」
またあなんだ。さっき写真を撮られた時も試したが力が強くて離れられない。彼女と腕相撲をやったら
「そうだね。サジッタさんはしばらくその猫ちゃんと遊んでから来るといいよ。僕は全然構わないから。それじゃお2人仲良くね」
お気に入りのおもちゃに飽きてしまった子供が完全に興味を失くしてしまったかのような口ぶりでそう言うと、阿久津は一行を引き連れて会場を出て行った。徳見くんが誰でもいいから殺したそうにしている目で私を
「にゃ~。ふふふ。にゃ~」
まだ背中にくっついているあなんを振りほどく。
「向こうと話をしている途中なのにどうして抱きついてきたんだ」
「そうしたかったから」
そんなことをまっすぐに言われると怒る気にもなれない。それともまたからかわれているのか。
「今のって
ぽん、と猫の手を叩き合わせて、納得した表情をする。
「そうか。こないだ
「だから最初からそう言ってるだろう」
頭痛を抑えるかのようにこめかみを指で押さえていると、ふと彼女の言葉を思い出した。
「今からジュンローも来るんだって?」
「ううん。来ないよ。ジュンくん、今日は
「いや、だって」
さっき阿久津に言ったのと違っているじゃないか。そう言おうとしたが、
「あのね、ソリガチさん」
彼女の方が先に口を開いた。猫の少女ではなく、
「気を付けてね」
一体何に、と問い返そうとしたが、あなんはもう私に背中を向けて歩き出してしまっていた。その背中に向かって最後の言葉の意味を聞こうとして、それよりもっと他に言わなければならないことがある、と気づいた。
「あのさ。あなんはそういう衣装を全部自分で作っているんだろう? 今日初めて生で見たけどよくできていると思うよ。それに、とてもよく似合ってる」
彼女が私を困らせようとしてあれこれやったわけではないとなんとなく分かっていたから、私もあなんを悪く思ってはいないと、それだけを言いたかったのだが、いざ口に出してみると凄く恥ずかしいのは何故だろう。やはり東京湾に身投げした方がいいのだろうか。
振り返った彼女は、いつものあなんに戻っていた。
「にゃにゃにゃ!」
その場でぴょんと飛び上がると、長い尻尾もつられて大きく跳ね上がった。
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