第3話
眠りから覚めた耳に<チアー・ダウン>が飛び込んできた。木の感触が頬に冷たい。阿久津世紀の調査報告書をまとめているうちに力尽きてベッドまでたどりつけなかったらしい。立ち上がろうとすると固いフローリングの上に横たわっていた身体のあちこちに鈍い痛みが走り、何千年も前のテラコッタの人形になったような気がした。
最後に見たテレビ画面には、頭のおかしな科学者に機械の
「相変わらず古い映画ばかり観ているのかい」
ユニバーサル貿易で「護」を間違えて所沢のアパートまで
ローテーブルから見上げたテレビには、『女が階段を上る時』が流れていた。あまり朝から観たいものではないが嫌なニュースを見るよりは遥かにマシなので、卵と肉を口にしながら適当に目で追う。冷えた500mlのオレンジジュースをコップに注がずにパックに直に口をつけて飲み切ると、目が覚めた実感がようやく湧いてきた。32インチの画面の中の
報告書には
調査で金銭を稼いでいるのだから、一応私はその道のプロのはずなのだが、その手法はきわめて単純で、それは世間に出回っている調査対象の情報に可能な限り全て目を通す、というものである。依頼人に調査の手法を問われたときにそのように答えると、納得した、あるいは納得せざるを得ないという思いとともに、プロの癖にもっと効率のいいやりかたはできないのか、そんな方法なら多少根性のある素人なら誰にでもできそうなものじゃないか、という
今の事務所に勤める前に、チームを組んである大企業の内情を調べたことがあったのだが、メンバーの一人がその企業から独立してラーメン屋を経営しているという人から特ダネを仕入れてきて、それまでの調査からは思いもよらない角度からの情報にチーム一同ですっかり色めき立ってしまった。しかし、その情報をもとに調べを進めていくと、明らかに事実と異なる点がいくつも見つかって、結局はほとんどがガセネタだったと判明した。ネタ元のラーメン屋の店主が会社とかなり揉めた挙句に辞める羽目になって今でも強い恨みを抱いていたことを調査が終わったしばらく後でチームの別のメンバーから食事をしながら聞かされた。彼は話を聞き出した男がチームに無駄足を踏ませたことを詫びもせずに姿をくらませたのに憤っていた。
「あの時はあいつの着眼の妙に感心したものだけど、今になってみれば妙な着眼でしかなかったな」
鉄板ナポリタンを食べながら聞いたその言葉が何故かいまだに忘れられない。ともあれ、それ以来私は関係者や情報通の言葉のみに頼るのをやめて、まわりくどくても確実な情報を得ようと心掛けてきたつもりだ。全ての情報に目を通す、というといかにも大変そうだが、コツさえつかめばさほど時間はかからない。現に私は阿久津に関する資料を3日でほぼ揃えている。それからまた3日かけて情報を整理し報告書をまとめたわけである。
ふと思い立って、ベッドルームというよりも物置と呼ぶのがふさわしい隣の6畳の部屋に置いてあるCDラックのうちのひとつからジョージ・ハリソンのベストアルバムを取り出して、PCの横に置いてあるミニコンポで流し始めた。ヘッドホンから聞こえてくる今朝2度目の<チアー・ダウン>は最初のときほど感興を呼び起こさなかったが、阿久津の報告書を読み返すための呼び水になるには十分だった。
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