第3話

 眠りから覚めた耳に<チアー・ダウン>が飛び込んできた。木の感触が頬に冷たい。阿久津世紀の調査報告書をまとめているうちに力尽きてベッドまでたどりつけなかったらしい。立ち上がろうとすると固いフローリングの上に横たわっていた身体のあちこちに鈍い痛みが走り、何千年も前のテラコッタの人形になったような気がした。始皇帝しこうていの墓に大量に埋められていたやつだ。もう若くもないのだから、体をいたわることも考えなければいけないのだが、調査で根を詰めているときに食事や睡眠をついおろそかにしてしまうのを、私はひそかに好んでいる。単なる不摂生と仕事のやりがいを履き違えているのに過ぎないことはもちろん分かってはいるのだが。

 最後に見たテレビ画面には、頭のおかしな科学者に機械のあしをとりつけられたサメの大群がフロリダのビーチに上陸してティーンエイジャーを喰い殺しまくるというヒット作の何番煎じかも分からないパニック映画が流れていて、BGMがわりのはずだったのについつい見入っているうちに寝てしまったので、鼻先にドリルをつけたホオジロザメから主人公たちが生き延びたかどうか分からないままだ。今流れているのは『リーサル・ウェポン2』のエンディングである。わりと最近の映画だな、と思ったが考えてみれば劇場で観たのは25年前のことだ。誰かと一緒に観たような気もするが、家族だったか友達だったかも覚えていない。

「相変わらず古い映画ばかり観ているのかい」

 正岡まさおかのからかいを思い出して、胸の内が苦くなったが、京都の人が「前のいくさ」と言うのは太平洋戦争たいへいようせんそうではなく応仁おうにんらんである、という嘘か真か定かならぬ小話を思い出して、それと同じことだ、と思い込もうとして1分半を無駄にしたところで食事を作ることにした。腕時計の針は6時ちょうどを指し、橙色に染まったキッチンの小窓を見ると、うっかり夕方まで寝てしまったか、と慌てたが、小窓は東に向いているから、今は日曜の朝だ。9月に入ると埼玉の町はずれでは朝晩はもう冷房の必要は無くなっていた。

 ユニバーサル貿易で「護」を間違えて所沢のアパートまで悄然しょうぜんと帰ってきた私は、その翌日から阿久津の調査に早速取り掛かり、昨日の夜までに一区切りをつけることができた。チーズオムレツを作ろうとして、ライ麦パンでチーズとレタスをはさんだサンドウィッチまがいのものを報告書を作っている間ずっと食べ続けたせいで、スライスチーズを切らせてしまったことに気付いた。やむを得ずプレーンのオムレツを作ることにする。熱したフライパンの上にバターを落とし、そこに茶碗の中でかき混ぜた2つの卵を投入する。火が通っていないよりはマシだ、という粗雑な認識のおかげで、私が作ったオムレツはいつも焦がし気味になる。黒まで行かずきつね色にギリギリ踏みとどまった焼けた卵を皿に乗せたところで、ラップでくるんだポークランチョンミートが冷蔵庫に入っているのを思い出して、それもフライパンで焼く。それらと一切れだけ残っていたライ麦パンが今日の朝食になる。

 ローテーブルから見上げたテレビには、『女が階段を上る時』が流れていた。あまり朝から観たいものではないが嫌なニュースを見るよりは遥かにマシなので、卵と肉を口にしながら適当に目で追う。冷えた500mlのオレンジジュースをコップに注がずにパックに直に口をつけて飲み切ると、目が覚めた実感がようやく湧いてきた。32インチの画面の中の淡路恵子あわじけいこが若いのに少し驚いてから、壁に密着している白骨を組み合わせたようなシンプルなつくりのデスクの前まで行ってデスクトップPCパソコンの電源を入れ、休日の早朝なので椅子のキャスターを転がさないように気を付けて腰かける。記憶がなかったので不安だったが、報告書はしっかりと保存されていた。3時間前の自分に感謝したい。

 報告書には阿久津あくつのこれまでのキャリアと人となりが書かれている。小栗栖おぐるすの調査をしているうちに阿久津についてもおおまかなことは分かっているつもりだったが、詳しく調べてみると意外な発見がいくつもあって、「分かっているつもり」と「分かっている」との間が遠く離れていることを改めて痛感させられた。ワークショップに参加するにしても、阿久津という人間についてなるべく多くを知っておいた方がいいし、依頼人である正岡にも知らせたうえで調査の方針を確認する必要があるだろう。書類が出来上がったらスコットランドから運ばれてきた屋敷までまた足を運ばなければなるまい。

 調査で金銭を稼いでいるのだから、一応私はその道のプロのはずなのだが、その手法はきわめて単純で、それは世間に出回っている調査対象の情報に可能な限り全て目を通す、というものである。依頼人に調査の手法を問われたときにそのように答えると、納得した、あるいは納得せざるを得ないという思いとともに、プロの癖にもっと効率のいいやりかたはできないのか、そんな方法なら多少根性のある素人なら誰にでもできそうなものじゃないか、という軽侮けいぶの念がきまって相手から漂ってくる。もっとも私自身が自らの手法に疑念を抱いているからそれが反映されたに過ぎない、はっきり言えば被害妄想なのかもしれないが、それでも有力な情報源も持たない大して技量のないやつと依頼者やユニバーサル貿易のみなさんからも思われているのは間違いないはずである。そんな風に断言してしまえるのが悲しくはあるが。

 今の事務所に勤める前に、チームを組んである大企業の内情を調べたことがあったのだが、メンバーの一人がその企業から独立してラーメン屋を経営しているという人から特ダネを仕入れてきて、それまでの調査からは思いもよらない角度からの情報にチーム一同ですっかり色めき立ってしまった。しかし、その情報をもとに調べを進めていくと、明らかに事実と異なる点がいくつも見つかって、結局はほとんどがガセネタだったと判明した。ネタ元のラーメン屋の店主が会社とかなり揉めた挙句に辞める羽目になって今でも強い恨みを抱いていたことを調査が終わったしばらく後でチームの別のメンバーから食事をしながら聞かされた。彼は話を聞き出した男がチームに無駄足を踏ませたことを詫びもせずに姿をくらませたのに憤っていた。

「あの時はあいつの着眼の妙に感心したものだけど、今になってみれば妙な着眼でしかなかったな」

 鉄板ナポリタンを食べながら聞いたその言葉が何故かいまだに忘れられない。ともあれ、それ以来私は関係者や情報通の言葉のみに頼るのをやめて、まわりくどくても確実な情報を得ようと心掛けてきたつもりだ。全ての情報に目を通す、というといかにも大変そうだが、コツさえつかめばさほど時間はかからない。現に私は阿久津に関する資料を3日でほぼ揃えている。それからまた3日かけて情報を整理し報告書をまとめたわけである。

 ふと思い立って、ベッドルームというよりも物置と呼ぶのがふさわしい隣の6畳の部屋に置いてあるCDラックのうちのひとつからジョージ・ハリソンのベストアルバムを取り出して、PCの横に置いてあるミニコンポで流し始めた。ヘッドホンから聞こえてくる今朝2度目の<チアー・ダウン>は最初のときほど感興を呼び起こさなかったが、阿久津の報告書を読み返すための呼び水になるには十分だった。

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