影男

 あの時、わたしは何歳だっただろう。おそらく5歳よりも前のこと。


 両親とわたし、いわゆる川の字で寝ていた頃のことだ。


 両親はまだ隣の居間でテレビか何かを見て楽しんでいる。

 足元の襖は、いつものように開けっ放し。つまり、明かりは足元にある。影ができるとしたら、わたしの頭の方のはずだった。


 にも関わらず、左側――北側の壁一面に映る大きな影を見てしまった。

 あぐらをかいて、大きな盃を傾ける男の影だった。

 盃を影男が、怖くてしかたなかった。

 それは、この影がありえないことに気がつくよりも前から。


 当時、我が家には両親とわたし、それからベビーベッドの中の弟しかいなかった。間違いない。

 盃で酒を飲むような人はいない。間違いない。

 壁一面をしめる大きな座った影の持ち主なんて、誰もいない。間違いない。


 怖くて、怖くて、母に訴えたりしたのだが、まともに取り合ってくれなかった。


 それがまた、怖くてしかたなかった。


 壁一面の影男が現れたのは、その一度きり。一度きりで、未だに覚えているほど、怖かった。

 結局、あの影の正体は何だったのだろうか。


 幼い頃の記憶には、不思議なものが他にもある。


 たとえば、子どもの頃に車を運転した記憶とか――。

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