黄金の月

第22話 虎

 ノエルの鳴らしたオカリナは、高々と歓喜の旋律メロディーを奏でた。


 歓びに満ち、愉快で、幸せが広がる――。

 そんな音色が闇夜の常闇を晴らすかのように響き渡った。


*

 レイア達は、見渡す限り黄金の砂が広がる砂漠にいた。


 一面に拡がる砂は、星屑を集めたようにキラキラと輝いている。見上げた夜空に星は見えるが、月の姿は見えない……いや、こここそが「月」の上なのだ。レイアはそう気が付いた。月の大地がこんなにも美しいところだとは知らなかった。


 ゆるやかな稜線りょうせんを描く山や、丸く開いたくぼみ。ここには風も吹かず、木も川も泉も無いが、凛とした神秘的な空気が漂っている。月が夜空で神秘的な黄金色の輝きを放っているのは、その黄金の砂の輝きによるものだったのだ。レイアは初めて月の秘密を知った。


*

 一行は、リートを探して月の砂漠を歩いた。

 その景色は、見たことがないほど美しい――だがそのうちにその景色にも慣れ、徐々に飽き飽きとし始めた。どこまで行っても、全く同じ景色が続いているのだ。


 ここには、生も死も存在しない。風は吹かず、水も流れず、草や木も芽吹かない。全てが美しいままに静止し、まるで時間が止まっているかのような世界。

 砂の上に六人の足跡が残ることで、かろうじて同じ場所で足踏みしているわけではないことがわかる。それがなければ、どこからどこに向かって歩いているのかすらわからなくなりそうだ。眩暈めまいがするほどの、虚無感――。


 目印もない砂漠をひたすら歩いていると、小高い丘の上から大きな影がのそりと姿を現した。

 大きく尖った三角形の耳、横に長く伸びたひげ、しなやかな尻尾、黄金の毛並みに濡羽色の縞模様。現れたのは、巨大な黄金の虎だった。


 虎――? 危険を感じて、戦士であるレイア、カッツェとクラングは身構えた。

 レイアの脳裏には、東大陸のジャングルで出会った獰猛どうもうな虎の姿が浮かんでいた。ジャングルの虎は、たった一匹でも並みの大人の五、六人は相手にできる。その爪と牙は非常に鋭く、油断はできない。


 ましてこの虎は、通常の五倍はあろうかという巨体だった。その大きさは虎というよりも象に近い。もしこの虎がいきなり襲い掛かってきたりでもしたら――クラングを加えた前衛の三人でも、果たして後衛の三人を守り切れるだろうか――戦士の常として、思わず戦闘の戦略予測シミュレーションをしてしまう。


*

「グルルルルルル……」


 レイア達の殺気に気付いたのか、虎が歩みを止め、低い唸り声をあげた。こちらに警戒し、近付くなと言っているかのようだった。


 緊張感を高めるレイア達をよそに、動いたのはカノアだった。

 カノアが無言で前に出て、虎に向かって歩みを進める。


「カノア、危ないぞ!」

「大丈夫ニャ。この子は悪い子じゃないニャ」


 レイアのかけた言葉に、カノアは振り返ってにっこりと笑った。

 悪い子ではない――? カノアがそういっても、相手は野生の猛獣だ。飛びかかられたら小柄なカノアはひとたまりもない。レイアはひやひやしながら成り行きを見守っていた。


 まだ幼いカノアを見ていると、レイアはいつも過剰なくらいに心配してしまう。

 カノアは物心ついてすぐに養子に出され、親と離れ離れになっても健気に生きてきた。その姿はレイアにとって幼き日の自分を見ているようで、いつしかレイアは、カノアに自分の境遇を重ねて見るようになっていた。だからカノアには危ない目にあって欲しくないのだ。


*

「ガウッ!!」


 虎が一声吠え、近付くカノアを鼻で振り払うように顏を振った。

 一瞬、彼女を抱えて虎が近付けない位置まで逃げようかとレイアは身構える。

 が、カノアは少しも動じていなかった。

 虎の鼻づらは彼女をかすめただけで、その体に触れてはいなかった。


「ガウガウッ!!」


 今度は虎が前脚でパンチを繰り出して来た。

 風圧で砂が舞い上がり、カノアの姿が砂煙で覆い隠されそうになる。


 今度こそ、カノアの身が危ない――そう危険を感じて、彼女を虎から引き離そうとレイアが動いた――が、それよりも早く、カノアはひらりと身をひるがえして跳躍していた。


 そのまま空中でくるんと回転し、巨大な虎の首の上にまたがってしまった。


*

「いい子ニャ……一人で寂しかったニャ?」


 自分の体の何倍もある虎の頭を、カノアはそっと撫でていた。

 橙色のカノアの耳と尻尾は、黄金色の虎の耳や尻尾によく似ている。


 虎はパチパチと目をしばたいたあと、不思議そうに頭をあちこちに巡らせた。

 けれど、自らの頭の上に乗っているカノアを目視することはできない。

 頭上に乗る小さな少女を振り落とすでもなく、虎は戸惑ったようにぐるぐるとその場を回った。


 その間もカノアは虎に優しく話しかけながら、辛抱強く虎の体を撫で続けた。頭の上、耳の裏、首の付け根、背中。手の届く範囲で順番に、あちこちを撫で続ける。


 やがて巨大な虎は困ったようにその場に止まり、ついに膝を折ってその場にの体勢をとってしまった。

 カノアがひらりと虎の頭上から降り、今度は虎の顏に近付いてあごの下を撫でる。


 虎はされるがままに撫でられながら、くんくんとカノアの匂いを嗅いでいる。

 しばらくして危険はないと判断したのか、安心したように喉を鳴らし始めた。


 カノアの持つ、猛獣使いテイマーの能力。彼女はあの巨大な虎をあっという間に懐柔してしまった。

 緊迫しながら見守っていたレイア達も、ほっとしながら武器を下ろす。

 大きな虎がまるで仔猫のようにカノアに甘える姿に、レイア達からも自然と笑みがこぼれていた。


 カノアは誰の心も開かせる魔法を持っている、とレイアは思う。

 彼女の天真爛漫な笑顔は、気が付けばレイアの暗く凝固した心にも暖かさと柔らかさを取り戻してくれていた。

 暗き森でカノアと出会ってから旅をする中で、レイアは生まれて初めて「楽しい」という感情を感じることができた。そして「笑う」というのがどういう感情なのか、初めて知ることができたのだ。


*

「ニャッ♪」


 楽しそうな声を上げて、カノアが再び虎の背に飛び乗った。


「あっちの方に、立派な宮殿があるって言ってるニャ。向かってみるニャ」


 どうやら虎と会話して情報を聞き出したようだ。獣人族は獣語を理解して獣と意思疎通をすることができる。

 この巨大な虎は、カノアを乗り手として運んでくれるらしい。


 ――まったく、カノアは人も動物も関係なく、本当に誰とでも仲良くなってしまう。

 レイアは猛獣を敵としか見ていなかったことを反省した。虎だってきっと、この月面に一人ぼっちで寂しかっただけなのだ。見ず知らずの侵入者を恐怖と不安から攻撃してしまったからと言って、その生き物が優しい性根の持ち主でないとは限らない。寂しそうな虎の瞳を見れば、もっと早くに気付けたはずだった。


 カノアの、誰に対しても平等な愛情。危険を恐れない大胆な精神。どんなときにも楽しみを見つけてしまう無邪気さ。

 レイアは自分と正反対なカノアの性格に、いつのまにか強く惹かれる自分を感じていた。そう――レイアにとってカノアは、唯一無二の大切な存在になっていたのだ。


*

「きっと、その宮殿にリートがいるのかも! 行ってみよう!」


 カノアの言葉に、ノエルが明るく応じた。

 レイア達は、カノアの乗る虎に案内されて歩き始める。


 まるで兄弟のように虎に乗るカノアの後ろ姿を見ながら、レイアの心には「希望」と「歓び」の感情がふわりと軽やかに浮かんでいた。



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◆冒険図鑑 No.22: 黄金の月

 絵画の世界の虚空に浮かぶ黄金の月。その大地は黄金の砂で覆われ、草も木も生えることがない。生も死も超越した世界である。

 悪魔リュトムスは、この地にクラングの息子・リートがいるというが――。

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