第5話 銀色のオカリナ -絵の世界へ-

「さて、絵の中に入る方法じゃが……」

「うん、どうやって絵の中に入るの?」


 魔女ブランシェに、ノエルが訊ねる。

 本当に「絵の中に入る」などということができるのだろうか、とレイアは疑問に思っていた。

 「絵の中に人が入った」という話は、これまで聞いたこともない。どうみてもこのキャンバスはレイア達五人が入るには小さすぎるし、絵に描かれた風景や人影はぴくりとも動かない。外から見た絵の世界は、まるで時が止まっているように見えるが……。


*

「〈おと〉じゃ」

「……音?」


 魔女ブランシェが説明を始めた。


「さよう。〈〉とはすなわちの一種。音は空気が振動することで生じる。〈光や色〉もまた、ある種のじゃ。光とは、様々な色の波が合わさった波のこと。そのうち一つの波が跳ね返されると、我々はそれをとして認識することができる。両者とも、形は違えどという同じ性質を持っている」


 波、振動……なんだか難しい言葉が出てきた。


 「波」という言葉から、レイアは水面みなもに起こるさざ波を思い浮かべた。『音は空気が振動することで生じる』――空気が目に見えない振動を起こしているところを想像してみる。

 誰かの口から言葉が発せられる。すると、それは空気の波となって周りに拡がっていく。ちょうど水面の波紋のように。それが、少し離れたレイア達の耳に届く――。

 なるほど、音が空気の振動というのは、何となく納得できた。水面の波紋が遠くにいくほど薄れ、やがて消えてしまうように、声や音も遠く離れると小さくなって聞こえなくなってしまう。それは、遠く離れるほど波の力が弱まっているからなのだ。レイアは今まで考えたこともなかった音の性質に、初めて納得した。


 次に、色についても考えてみる。光が、様々な色の波が合わさったものだというのは初めて聞いた。赤い色の波が跳ね返されてレイア達の目に入ると、レイア達には赤い色が見える。跳ね返らなかった他の色の光は、実はその物体に吸収されているらしい――。ふむ、どうも難しいが、魔女がそう言うのならきっとそういうものなのだろう。


*

 魔女は説明を続けた。


「さて、〈音色ねいろ〉というものを聞いたことがあるな。音色ねいろとは、音の感じ方のことじゃ。ある旋律を聴いたとき、人は感情を揺さぶられる……悲しさや、歓びといったものじゃ。同時にそれは、色でも表される。特定の〈旋律メロディー〉が特定の〈色〉を想い起こさせる、ということがこの世界では証明されておる。例えば、悲しい曲なら青、激しく情熱的な曲なら赤……というようにな。その波長をぴたりと一致させれば、色の世界に入ることができるのじゃ」


 音楽と色が結びついているとは、考えたこともなかった。しかし言われてみれば、悲しい感情を表現するときに「憂鬱ブルー」と表現したり、「情熱のあか」と言い表したりする。確かには密接に関わっているようだ。そして、音楽もまた人のを動かすものなのだから、色の世界と結びついていてもおかしくはないのかもしれない。


*

「さて、長話はこれくらいにしよう。色の世界に入る魔法の道具は、以前取り寄せて用意してあるのじゃ。……これじゃ」


 魔女は保管庫のなかをごそごそと探して、両手のひらに収まるほどの丸っぽい一つの物体を引っ張り出してきた。この膨大な物が詰まった保管庫の中身を、魔女はすべて把握しているらしい。


 魔女から手渡された物体を、ノエルがしげしげと見つめる。レイア達も同じように覗き込んだ。

 それは陶器でできた美しい銀色の物体だった。少し先が細くなったような楕円形をしていて、側面にはいくつかの穴が開いている。丸みを帯びた中ほどに突起がついていて、口で息を吹き込めるようになっているようだ。


「これって……オカリナ?」


「さよう。これは魔法のオカリナ。息を吹き込むだけで、お主らが望む音色を奏で、必要な場所にいざなってくれるはずじゃ」


 不思議なオカリナは、月光のような神秘的な輝きをたたえてノエルの手に静かに収まっていた。


*

「あの、僕達が絵の中に入ったら、僕達の体もここから消えるの?」


 少し不安そうな声でノエルが魔女に訊ねた。


「いや、魔法のオカリナで入る場合は、呪いで吸い込まれる場合とは違う。お主らの体はここに留まり、意識だけが絵の世界に飛ぶのじゃ」


「……意識だけが、絵の世界に?」


「そうじゃな……例えば、本を読んでいるとき。お主の体は椅子の上にありながら、意識は別の世界を旅しているじゃろう?」


「うん、確かにそう言われたらそんな気もするけど……」


「それと同じじゃ。魔法の旋律メロディーを聴くことで、意識だけが絵の世界に行くことになるのじゃ。体の方は、この場で眠ったようになる。お主らの体は、ワシが責任をもって預かろう。白魔導で肉体の時間を一時的に止めておけばよい」


「じゃあ、絵の世界から戻る時はどうすればいいの?」


 魔女の説明に、ノエルが重ねて尋ねた。

 絵の中に入ってしまう前に、疑問点は今のうちに解消しておく必要がある。


「この世界に戻る時にも、また旋律が必要となる。外の世界を強くイメージしながら、このオカリナを吹けば、特殊な旋律でこの世界に通じる道が開く。その旋律を外の世界で誰かが――つまりワシが聴き、お主らが戻ってくる準備をしてやる必要がある」


「先ほど言っていた、外で呪文を唱える者が必要という話ですね」


 ヴァイスも会話に加わった。

 レイアは既にほとんど話の内容に付いていけていないが、この魔導師二人はどうやら魔女の語る不思議な理論を自分の中に落とし込めているようだ。実に頼もしい。


「そうじゃ。それに、音というのは聴く者がいて初めて意味を持つからの。文字を読まなければ文章が意味を成さないように、音も聴く者がいなければ、旋律は意味を成さないのじゃ」


 ……なるほど。確かに「本」は、誰かが文字を追うことで初めて物語の中の人物が生き生きと動き出す。「絵」も誰かがることで、初めてそこに世界が生まれる。

 「音楽」もまた、誰かが聴いて初めて意味をもつのだ。


「さて、他に質問はないかの? なければ、この絵をもっと広い部屋に移して、まじないを始めるとしよう。この絵に掛けた保護が切れる冬至の日まで、あと一週間ほどじゃ」


 魔女の言葉に、さっそく全員が準備に取り掛かった。



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◆登場人物紹介 No.5: ヴァイス(白魔導師)

 ホワイトエルフの白魔導師。年齢は20代後半。

 耳元で切り揃えられた藍色の髪と薄紫色の瞳、薄縁うすぶちの眼鏡が特徴。

 性格は真面目で几帳面だが、基本的には温和な性格。

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