姿なき住人

 




 この雑居ビル──『洛汀らくていビルヂング』というらしい──の部屋数は10。そしてピトスの探知した慟力は27。つまり、単純計算をすれば各部屋に2.7人の幽体がいることになる。


 日本の生体人口を遥かに超過する幽体人口を考えれば、各部屋に3人弱の居住者がいたとしても不思議なことではない。ただ、九十九さんのように、大半があの世へと出張っているのが通例であり、大世界に隠遁している者のほうが少数だったりもする。しかも、その少数派とて賑やかな繁華街に集中するのが常であり、また1箇所にとどまらないアクティヴな者も多く、私のように寂れている地域に根をおろそうとする者なんて稀有も稀有。実際、馥郁19號の住人だって律さんと眠さんしか私には確認できていない。


 家族という可能性もあるにはあるけれど、さすがに10戸すべてというのは無理がある。なぜならば、家族関係を構成してひとつの戸籍や住居を共有するためには、幽協の認証が必要だから。起縁認証と復縁認証の2種類あり、どちらも滅多に許可がおりないことで有名。




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★ 起縁認証

【 きえんにんしょう 】


 幽体となってはじめて出会った者同士が新たな家族としてつながるために必要な認証のこと。戸籍をともにして同居する際、役場へと申しこむ。

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★ 復縁認証

【 ふくえんにんしょう 】


 産方に家族だった者が幽体となって再会し、あらためて家族関係を構成するために必要な認証のこと。これも、戸籍をともにして同居する際に役場へと申しこむ。

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★ 系事紐帯法

【 けいじちゅうたいほう 】


 家族としてのつながりをはかる法律。なにしろ幽体は不老不死なので、代々とつづく祖先たちとの家族構成も可能となってしまい、ひいてはA家族とB家族が部分的に重複ダブってしまう可能性もある。このようにして関係性が複雑化すると、世界全体の秩序が錯綜する事態にまで陥りかねない。さらには、場合によって組織化し、幽体協同組合に弓を引く脅威ともなりかねない。というわけで、複雑化・重複化・抽象化・組織化・混沌化──これらの危機リスクを避けるため、この世では系事紐帯法が定められ、厳格な審査をもとに家族構成の可否が位置づけられる。

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★ 非認可起縁罪

【 ひにんかきえんざい 】


 系事紐帯法違反の一項。起縁認証を得ずに勝手に家族を構成する罪。1年以上~3年以下の禁錮、および50万ポイント以上~80万円以下の罰点。執行猶予はなし (この世では執行猶予付判決となる例が極端に少なく、たいていの場合が実刑判決)。

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★ 非認可復縁罪

【 ひにんかふくえんざい 】


 系事紐帯法違反の一項。復縁認証を得ずに勝手に家族を構成する罪。20年以上~50年以下の禁錮、および1200万円以上~5600万円以下の罰点。もちろん執行猶予はなし。

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 これらの認証、許可がおりるまでに数年~十数年もかかり、しかもたいていは審査の初期段階で落とされる。1億円の宝くじがあたるほどの確率なのだとか。だからといって黙って同居していれば幽協にあっさりと目をつけられ、厳重注意を無視していればあっさりと捕まる。地獄の禁錮刑を喰らい、下手をすればそのまま御陀仏ラスト


 寂れた腕人街の雑居ビル、その10部屋のうちに27人もの幽体──とても異様な数字なんだ。もちろん家族である可能性も、なくはない。しかし天文学的な確率であることにも違いはない。


「とにかく、入るしかないな」


 摩訶不思議な事態に浮き足立つ私たちをよそに、雲母さんは蜘蛛の巣ブルゾンのカンガルーポケットから円盤状の物体を取りだした。片手で握れるほどのサイズで、黒曜石の色彩と輝きを放っている。


 なにをするのかと思いきや、玄関扉の把手、その真下の鍵穴に円盤の平面部を押しつける。そしてわずか10秒──かちゃッという金属音。それから、円盤をふたたびポケットにおさめると、彼女は鈍色の把手を握り、遠慮なく手前へ。


 扉は、音もなく滑らかに開いた。


「行こう」


 私たちを瞥見することなく、簡単そうに言う。


 ちらと飛鳥を見る。まったくおなじタイミングで彼女も横目を馳せ、必然のように搗ちあった。


 これ、不法侵入じゃないのか。依頼を受けてのことだからもしや承諾は取れているということなのか。国家資格の為せる業なのか。


「おい。行くぞ?」


 のけ反るようにして玄関から顔を出し、雲母さんがうながしてきた。びくッと肩を戦慄かせるも、しかたない、いちおう先輩らしく飛鳥よりも先に階段アプローチをあがる。


 いつの間にかピトスも4段をあがりきっていた。どうやってあがったんだ?


 玄関の敷居を跨ぐと、まっ先に目に飛びこんできたのは鉄製スチールの階段だった。室内のちょうど中央から奥に向かって十数段ほどのぼっており、踊り場を経て反時計まわりにUターン、さらにうえへとのぼっている。


 階段の手前、左右には扉がひとつずつある。いかにも重厚そうな黒い鉄扉。その表には小さなプレートが掲げられ、向かって左は「101」、右は「102」と読めた。どうやら部屋番号らしい。


 相変わらず、暗い。ねっとりとした闇。まるで私の気持ちを代弁してくれているかのよう。ピトスの電灯がなければ階段の位置もおぼつかないだろう。


「ピトス。Divine」


 そう命じて雲母さん、右の人さし指で101号室を示した。すると、従者は滑らかな挙動で鉄扉のまえまで進み、放射状のグリーンライトを照射、


「Unmanned」


 幼女の声色で告げた。まさか個別に探知させることも可能だなんて。


 史上最強のエンジニア、今度は102号室を指さして命令。ピトスは、


「Unmanned」


 ここも無人だ──と。


 いよいよ怪しくなってきた。残り8部屋に27人の幽体がいることになる。


 まごつく私たちにはいっさいかまわず、雲母さんは黙って階段へと進んだ。段に足をかけようとするも、いったん取りやめ、階段の裏手へとまわりこむ。しかしこれといったものはなかったらしく、すぐに戻ってきた。そしてあらためて階段を踏む。


 どういう機構なのか、段差の輪郭に沿うようにしてピトスもまたご主人様のあとを追った。たぶん私よりも器用にのぼっていく。


 2階。到着してすぐの踊り場、その左右にも黒い鉄扉が設えてあった。向かって右が「201」、左が「202」。


 さっきとおなじように雲母さんが命令。しかしどちらの部屋も 無人Unmanned で、必然、残り6部屋に27人の幽体がいることとなった。


 202号室のまえを横切るかたちで階段が伸びている。それに倣い、私たちも反時計まわり。下階とまったくおなじ様相の3階へと到着。


 ……言わずもがな、引きかえしたい。淡々と調査を進める雲母さんのおかげで事件性は感知できないものの、どのみち幸福なプランから大きく道を外れた探訪なので憂鬱には違いない。この職場体験そのものが立派な事件なんだ。


 飛鳥は、私よりは興味津々の様子。瞳を爛々と輝かせながらピトスの仕事ぶりを注視している。晶片小僧とも遠慮なくコミュニケーションを取ろうとしたのだし、かわいい顔をしてなかなかに図太い少女だ。その性格が羨ましい。私は、私にとって都合のいい物事にしか関心を向けたくないのだから。


「Unmanned」


 幼女の声に、はたと我にかえる。


 残るは5部屋。


 すでに、雲母さんは302号室の扉を指さしていた。Divine──命令。それから、ただちにグリーンライトが照射されて、




「Twenty-Seven」




 ……ピトスの報告を、うまく飲みこめなかった。飛鳥も同様らしい、身体を完全に固めてしまう。頼みの雲母さんもまた、


「あ?」


 微かに唸ると、ふたたび302号室の鉄扉を指さして、


「ピトス。Divine」


 しかし、この優秀な従者は、


「Twenty-Seven」


 決して譲らず。


「どう、いうことだ?」


 暗黒の扉を睨みつける暗黒の弁財天。彼女の磐石なキャリアをもってして、おそらくは初の異常事態が発生しているとわかる。なにごとにも揺らがなかった異国的エキゾチックな美貌が、目にも明らかなカルチャーショックを起こしている。


 残り5部屋に27人の幽体がいるという流れだった。ところが、その流れはひと息のもとに短縮され、たった1部屋に27人もの幽体がひそんでいるという奇妙な展開を迎えた。どう考えても奇妙だ。不自然だ。雲母さんが動揺するのも当然のことなんだ。


 試しに、上階に向けて探知を命令。しかしピトスは、


「Unmanned」


 無情な結果を報せるのみ。


 4階と5階にはだれもいない。つまり、


「この部屋のなかに、27人もいるのか……?」


 やはり、そういうことになる。


 すると、


「組織的な」


 ひさしぶりに飛鳥がリコーダーを奏でた。


「あの、組織的な、集会、みたいな……」


 飛鳥の推理こそ正しいような気がする。町内会の会合とか、秘密結社の集会とか、その程度の陳腐なイメージしかできないけれど、なんらかの組織が結託している可能性は充分にある。


 とはいえ、


「だが、それにしては静かだ」


 そう、物音ひとつ聞こえてこないんだ。確かに、扉は重厚そうだし、コンクリートの壁も分厚そうだけど、寄りあいに特有の活気がぜんぜん聞こえてこない。雰囲気が響いてこない。


 と、おもむろに雲母さん、件の扉を指さし、


「ピトス。Whereabouts」


 新たな命令を試みた。


 たちまち、電灯のホワイトライトはブルーに変色、放射状となって鉄扉を照らし、しばらくすると灯台のように右へと旋回。毒々しくもあるその光は、右端の突きあたりでUターン、今度は左へと旋回をはじめる。ゆっくりと時間をかけて端に突きあたり、Uターン、ふたたび鉄扉まで舞い戻るや否や、ホワイトライトに切り替わった。


「End」


「あ!?」


 めずらしく、雲母さんの大きな声。


「……どうなってる?」


 扉にぶつけられるのは仁王立ちの疑問符。


 この理解不能な展開に、


「あ、あの」


 思わず飛鳥がこぼす。


「いま、の、命令、は……?」


 すると、わずかに逡巡するも、雲母さんはこんな説明をはじめた。


「室内にいる幽体の居場所を示すように命じた。慟力の容量キャパを読み取って追尾する命令系統だ。ヒットした幽体の位置情報を確保、対象が射程距離を離れるまで半永久的にブルーライトで追いつづける。ところが、ピトスはだれも探知しないまま戻ってきた」


「おぁ?」


「慟力の数では27。しかし、慟力の容量では0」


 原理のほうはさっぱりわからないけれど、


「それって、つまり……?」


「この部屋のなかに、姿が27人もいるということだ」


 良くないことが起きているのは理解できた。


 頬を強張らせたまま、さらに飛鳥が尋ねる。


「失せ人、なんですよね?」


 そう、もともとそういう話だった。職場体験できるレベルの、気軽に誘えるレベルの、被害にあうわけでもないレベルの、民生レベルのお話だった。


「それは、複数人……?」


「いや」


 ホワイトライトの影が首をふる。


「調査対象は間宮まみや祥三郎しょうざぶろう、ただ1人だ」


「ひとり」


「ただ1人の安否を確認しに来てみれば、よりにもよって27人もの幽体が。しかも、27人全員が実体を持たない」


 ということは、ということは……、


「……ゆうれいやしき」


 私の口から、考えたくもない単語が吐きだされた。


 考えたくもないんだ。


 だって、だってぜったい滅入る展開じゃん。面倒なことが起こるパターンじゃん。昨日みたいな、宮城セツのときみたいな、容赦なく心を削られる流れじゃん。泣いたり、鬱いだり、寝込んだりするヤツじゃん。


 わかってる。わかってるんだよ、もう。


「幽霊屋敷、か」


 見ると、雲母さんの横顔は、


「ふふ。ふ。なるほど」


 笑ってた。


 にやぁ──私の欲しくない笑顔。


 そうなるのもわかってた。わかってたんだよ、もう。


「空美の言うとおり、まさに幽霊屋敷だな」


 だって、私の先輩って、ばっかりなんだもん。


「こいつは……こいつは面白くなってきたぞ」




 

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空美は静かにしていたい 七瀬鳰 @liolio

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