Scene 05

27人

 




 静心の後押しになると信じて購入したはずの『Everyone』を路地の脇に停める。雲母さんの、なぜかちょっとだけ座った目に見守られながらワイヤー錠とリング錠をかけると、髪を引かれつつ背後に残した。


 相も変わらず左右には雑居ビルが建ち並び、3mにも満たない幅員の通路を形成している。埴土だろうか、路面もまた相変わらずの凸凹で、大世界に雨は降らないものの、思わず水捌けの悪さを連想。この悪路を、蛮カラな腕人おとこどもが我が物顔で闊歩していたのか。


 もとの色がわからないほどに黒く煤けている年代物のビルたち。老太フロントや仙童フロントと違い、重慶フロントの街並みは100年前からほとんど容貌すがたを変えていないらしく、ならばこれらの建物の多くは大正時代ぐらいのものだろう。海外から密輸されたものも混じるのだろうけれど、いずれにせよ、ちゃんと清掃し、ふさわしい場所で管理し、うまく展示していれば文化財として認められていたかも知れない。しかし、いまや無惨な煤埃。ブランディングの梯子を外され、住居としての機能をようやっと保つばかり。


「ここだな」


 メモを確認するでもなく、壁面に貼りつけられる小さな番地を一瞥して雲母さんがつぶやいた。


 仰ぎ見る。


 そのビルは、5階建のようだった。いかんせん灯に乏しいので屋根はうかがい知れないものの、微かな窓ガラスの反射が縦に5つあり、左右には2枚ずつ。横幅はさほど広くないけれど、かなりの高さで、6~7階ほどの大きさであるように見える。


 顔を近づけて壁を注視。どうやら煉瓦造らしい。上下左右に阿弥陀籤のような紋様が走っている。


「なんか、もったいないですね。大正ロマンっぽい建物のはずなんですけど」


 うしろ手を組んで見あげていた飛鳥が、だれにともなくぼそぼそとこぼした。


「ホントだよね。保存がよければ赤レンガ倉庫クラスの価値になりそう」


 共感をかえすと、


「赤レンガ倉庫も、確か平成元年からしばらくの間は放置されてたんですよね?」


「4年間ぐらい放置されてたんじゃなかったかな。で、平成14年にいまの姿となってオープン……だったような」


「じゃあこのビルも再活用しちゃえばいいんですよ文化財として。なんで考古部ってこういうのに積極的じゃないんでしょ?」


 ここでここから──の、飛鳥らしいクエスチョン。


 すると、


というのがあってな」


 玄関から内部の様子をうかがいながら雲母さんがぼそっとこたえた。ビルの中央、4段の階段を経てガラス張りの観音扉となっている。


「主に上流階級ポッシュな層に根づいている差別観だ。産方の、自分の生きた時代こそ至高であるという価値観だな。そうやってマウントを取りあい、ときに差別しあう謎の文化が富裕層の間にある」


「おぁぁ、そんな文化があるんですか!」


 私も初耳だった。


「ゆえに、いち時代のアーキテクチャやモニュメントを遺産レガシーあつかいすることに対しては、幽協は慎重なんだ。該当しない時代を生きてきた者たちから必ずや反発を喰らう。袖の下にも影響が出る」


「上級国民的な価値観なんですかね? 一般市民レベルではアスカ聞いたことがないですもんそんな話」


「自分がその時代を支えた、動かしてきたと考えるのだろうな、金持ちは」


「まぁ、あの世では時代差別が普通に起きてますけど」


「時代の奴隷でいなくては口寂しいのだろう。もはや依存性だな。時代依存性」


「今も昔もこれからも、時代なんて一長一短なんですけどね。ちなみに、この世の時代差別のほうなんですけど、マウントを取られやすいのって何時代なんですか?」


「だんぜん昭和だ」


「あぁ……なるほどです。いろいろあったみたいですもんねぇ昭和って」


「因果なものだ」


 そうこぼしてちらとビルを見あげ、おもむろに雲母さんは階段をあがった。観音扉のまえに立つ。そして、ドア枠を右の人さし指で小突いた。しかし、ガラス面がわずかに震えただけで扉は微動だにしない。どうやら鍵はかかっている。


 やれやれ──風のようにつぶやくと、彼女は首をふりかえらせた。階段のしたには紅色のドロイドが。


「ピトス。Lamp」


 そう告げたとたん、忠実なキャリーバッグの前面、その上部が光った。


「えぇぇ……!?」


 突然の出来事に、私の口から勝手に感嘆符が飛びだす。


 まっ白な光線ビームはわずかに上下左右とさまようも、すぐに雲母さんの視線の先、観音扉のガラス面をとらえた。そのまま位置をキープ。


「おぁぁ、お利口さんですね! ピトスというのは?」


「こいつの名だ。あたしの声紋にしか反応しないようにできている」


「さ、さすがっス!」


 もしやパンドラの箱からきているのだろうか。確か、もともとパンドラの箱は箱ではなく、壺か甕だったとされている。箱とされたのはルネサンス時代以降なのだとか。それで、その壺や甕のことを古代ギリシャ語で『ピトス』と呼ぶらしい。


 私たちが唖然としている間にも、雲母さんは前後左右に揺れながら内部の様子をうかがっていた。さらには、居ないのか?──微かにつぶやくなり、


「ピトス。Divine」


 従者しもべに命令。


 すると、まっ白な光線が緑色に変わった。それから、グリーンライトは雑居ビルの壁面を上昇していき、5階を通過、しかしすぐに下降してくると、今度は5階で停止し、左右へと1往復、さらに4階へと下降、左右に往復──この挙動を1階までくりかえす。そしてご主人様をとらえると、


「Twenty-Eight」


 しゃべった。幼女のような舌足らずな声。でも、流暢な英語。


 それを聞いて、しばらくはビルの内部に視線を預けたまま静止していた雲母さんだったが、突然、勢いよくピトスをふりかえった。


「なんだと?」


 眉間に縦皺を寄せ、彼女にしてはめずらしく険しい表情。


 そしてふたたびビルを向き、上階へと視線を馳せさせる。


「27……だと?」


「あのぅ」


 急にぴりッと張りつめはじめた空気にこらえきれなくなったのか、飛鳥が疑問符を挟んだ。


「あの、どういう、状況、なのでしょう?」


 わずかに背中を丸め、読んで字のごとくの及び腰。そんな彼女を一瞥することもなく、上階を仰いだまま、雲母さんはこう説明した。


「ピトスには幽体を探知する機能が備わっていてな。熱を探知するサーモグラフィのようなもので、慟力のエネルギーを可視化・数値化するわけだが……」


「ハ、ハイテク、っスね」


「彼女の叩きだした数字は28。最後に探知したあたしのぶんをマイナスして27。つまり、このビルのなかには、現在、27人の幽体がいるということだ」


 27人の幽体。


 27人の幽体?


「え?」


 ビルを見あげながら私も疑問符。


「そんなに、このなかに、いるんですか?」


 確かに大きな雑居ビル。でも、それは背高のっぽという意味。ピトスの映しだした内部の奥行きはさほどでもなかったようだし、おそらくは各階に2部屋ずつの構成になっているだろう。それが5階で、計10部屋。


 10部屋に、


「27人も?」


 うむ──微かにうなずくと、雲母さんは静かに唸った。


「失せ人の確認依頼なのに、そんなに居てもらっては困るぞ」


 なんだか、


「しかも、ほとんど眠ることをしない幽体が27人、揃いも揃ってなぜこんなにも静かにしている?」


 なんだか嫌な予感がする。




 

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