幽霊屋敷

 




「そういえば、飛鳥」


「はい?」


「アンセムという言葉、どこで知った?」


「え、あの、ええと、じつは先ほど、シュガー玲さんというかたにばったりお会いしましてですね」


「シュガーか。そいつは災難だったな」


 雲母さんと飛鳥のやり取りを耳にしながら、災難なのはこちらのほうだと思ってやまない。


 本来の目的地である仙童フロント、その道筋から大きく外れ、私たちはいま、重慶チョンキンフロントの端にある『腕人街わんにんがい』に足を踏み入れている。あれから30分もかかった。


 大半を雑居ビルが占めるこの町、ぽつぽつと窓明かりはこぼれているものの、繁華街と比べたらやはり寂れている印象は否めない。いずれの建物も年代物のようで、雨垂れの痕・煤・埃・亀裂にことごとく塗れている。


 いまでこそ一般住宅区域となっている重慶フロントだけれど、ほんの100年ほどまえまでは物流の中心として長く隆盛していたらしい。円蛇さま曰く、東京都中央区の馬喰町ばくろちょうみたいな景観が点在していたのだとか。それで、ここで働く荷捌きの専門業者のことを隠語で『腕人』と呼んでいた。かなりの荒くれ集団だったらしく、商品の横領や暴力行為など日常茶飯事、しまいには腕人同士の縄張り争いにまで発展、公益性は見る影もなくなる。困った商人たちが『段士だんし』と呼ばれる仲介交渉人を立てるも、彼らもまた取引先の腕人たちと結託して縄張りを拡張しはじめ、密売・横流し・資金洗浄もあたりまえの様相に。これまで黙認していた幽協も動かざるをえなくなり、公安部こうあんぶの監視を経て特需とくじゅ警邏隊けいらたいによる一斉逮捕劇へ。さらには『不徒ふと対策法たいさくほう』──あの世でいう暴対法のようなもの──の制定をもって、ついに腕人と段士の強権は衰勢へと向かった。


 通勤しやすさなどの立地条件の観点から、腕人が好んで住んでいたのがこの地域。なので、いつしか『腕人街』と俗称され、いまも歴史の語り部として名前だけが残っている。


「あのぅ、アンセムって、やっぱりヤバい言葉なんですかね晶片小僧さんの例もあることですし」


「敬称は不要」


 腕人と段士──まさに沖仲仕ギャング稼業人マフィアの由来そのものだ。時代とか国とか関係なく、これってどこでも起こりうることなんだろうか?


 ちなみに「腕人は掃除屋の原型」という説がある。


「アンセムは、ヤバいといえばヤバい」


 諸説あるうちの一部だけど、是非とも関わりあいになりたくない説だ。


「厳密に言えば、使用者ユーザーがヤバければヤバい」


「あぁ、なるほどです! なんでもそういうことになりますもんね!」


 曰くつきの町、腕人街──まさか訪れることになるなんて。本来ならば、いまごろは仙童フロントで美しいお花を香っていただろうに、これを災難と言わずしてなんと言おう。


 しかし、それにしても、


「それで、あの、アンセムって、どういうものなんですかね? どういう機構システムの……?」


「知っても理解できないだろうよ」


「そう、なんですか?」


 幽霊屋敷って、なんだろう?


「エンジニアリングの分野だからな」


 のに、幽霊屋敷って、どういうこと?


「それに、知ったところで役には立たない」


 なんだか、矛盾がスゴい。


「アンセムなんてなくても、生きていける」


 災難だと思いつつも、興味が湧いている。


「欲しがらないことだ」


 よくない。これはよくない展開だ。触らぬ神に祟りなし──私は、私の思う静けさを希っているべきなんだ。そっちのほうがよっぽど幸福なことなんだ。


「欲しがらない。欲しがらない。欲しがらない」


 でも、でも、幽霊屋敷ってなに?


 噂では耳にする。幽霊屋敷が存在すること。でもあまりにもアングラな概念で、どの説も噂話の域を出ていない。虜囚霊の溜まり場とか、強力な呪詛霊が湧いているとか、産方時代に事故物件としてあつかわれていた建物であるとか、はたまた死神のようなものが宿っているという説まである。ただ、どれもが噂話レベル。基本的に死という概念の存在しないこの世では怪談奇譚みみぶくろとして成立することもない。


『ゆらり探偵事務所』に舞いこむ依頼のひとつとして耳にしてはいた。でも、それがどういうものなのかまでは尋ねてこなかった。畑違いの用語だとわきまえてきたし、もとより興味がなかった。


 幽霊屋敷。


「屋敷幽霊」ならば理解できる。この世には、物の幽体という概念がある。つまり、屋敷幽霊とは「屋敷の幽体」ということ。でも、あちこちで耳にするのは「幽霊屋敷」という表現。つまり「幽体のいる屋敷」ということ。でも、それは大世界のすべての住居に言えること。馥郁19號だって立派な幽霊屋敷だ。だって幽霊わたしが住んでいる。


 かつて遊園地の幽霊屋敷だった建物? でも、そんなものがこの寂れた住宅街に?


 ぜんぜんわからない。わからないし、よくない。温泉のように興味が湧きつづけている。祟り神に触ろうとしている。いる。


「心配するな、空美」


「え」


 艶やかなヴィーナに虚をつかれ、私は思わず息を飲んだ……ような心境になった。怖々と雲母さんの後頭部を見やる。並んで歩いていたはずなのに、いつの間にやら彼女たちの1歩うしろを歩いていた。


「幽霊屋敷というのは、失せ人の可能性がある者の住まう建物のこと」


「失せ人、の?」


「数年にもわたって姿が確認されていないと通報を受け、幽協によってマークされている住居のこと」


「それが、幽霊屋敷……?」


「通報するのは主に環境部かんきょうぶの職員──円蛇さまのようなひとだな」


 大世界の治安に目を光らせる役職。モラルやマナーが保たれているか、迷い子はいないか、秩序がおびやかされてはいないかと常に見回っている役職。ときにお巡りさんのようであり、ときに民生委員のようでもある役職。


「マークを怠ると昇華霊の認定に差し障りが出る」


 未確認から丸13年で認定がおりる。


「居るのか居ないのか、わからないようなグレーゾーンがあっては困るのだ。居ると認定したうえでふさわしい社会保障を、居ないと認定したうえでふさわしいを──そうやって白黒つけなくては混乱を招く。なにしろ、幽体は常に増えるいっぽうなのだからな。慢性的に増えつづけるこの世の事情を鑑みれば、グレーゾーンにこそ国家転覆のリスクが宿る──幽協はそう考えている」


「でも、無視することにもリスクが宿りませんか?」


「だから、徳礎法違反罪がある」


 重罪で、天文学的な刑罰が課せられるのだったか。詳しくは知らないけれど、それは禁錮刑や罰点よりも重たいものらしい。




────────────────────────

★ 禁錮

【 きんこ 】


 拘束状態のまま、所定の室内に閉じこめる自由刑。勤労も娯楽もゆるさず、長期にわたって監禁する。しかも、この所定の室内というのがわずか1畳にも満たない無音無臭の暗室なのだそうで、身動きも取れないまま、まっ暗な閉所に何年も閉じこめられることになる。なので、囚人の慟力によっては数日で発狂、場合によってはラストしてしまうこともあるという。絶対に受けたくない刑だ。

────────────────────────

★ 罰点

【 ばってん 】


 強制的にライヴポイントを引く、いわば罰金。罪の重さによってポイント数は決められている。対象を交易の不利に陥らせ、生活水準をさげる目的があるのだとか。

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 この世に懲役はない。なにしろ幽体には寿命という概念がないので、その日暮らしの生活が簡単にできてしまう。これにより、働くことに気分転換の喜びを見出だしてしまうケースもあるのだそう。むしろ更正を早める最善策なのではないかとも思うのだけど、刑罰として、それは決してゆるされないこととなっている。だから、刑務所に入ったが最後、ただただ禁錮刑のみに服さなくてはならない。


 徳礎法違反罪は、この、禁錮よりも重たい刑に値すると定められている。


「失せ人としてマークされた段階で徳礎法違反罪の可能性を背負うことになる。いわば、犯罪の温床となるのを食い止める抑止力というわけだな。もしも昇華霊と認定された暁には永遠に闇落ちしていなくてはならない、仮に見つかればラストもやむなし、それが嫌ならばまっとうに生きるべし──脅迫しているわけだ。事実、徳礎法違反罪で捕まった者の大多数はラストしている」


「え!?」


の手にかかってな」


 なぜか少しだけ嬉しそうな声色の雲母さん。とっさに、その左隣で自転車を牽く飛鳥が口角をヘの字にゆがめてエキゾチックな顔をうかがった。目にも明らかに怯えている。


「史上最強の幽体……実在、するんですね?」


 私がおそるおそるに尋ねると、


特規とっき禁錮所きんこじょの所長で、女性だ」


「女性」


「しかも、イルマ姉さんの友達」


「ええッ!?」


 まさかまさかの事実が飛びだした。飛鳥とともども思わずのけ反る。


 特規禁錮所の所長が、イルマ姉さんの、友達?


愛宕あたごすずという名の女性でな。しかし、イルマ姉さんとどう知りあい、どう友人関係を結んだのかまでは知らない」


 確かに、彼女は生粋のアンテナ。幽体と普通にコミュニケーションが取れる。私と小夜ちゃんの関係を思えば、幽体の友達がいたっておかしくはない。


 でも、イルマ姉さんに友達が。しかも特規禁錮所の所長。やさぐれたタロット占い師と大世界でゆいいつの刑務所所長──こんなにピンとこない組みあわせというのもめずらしい。


「あの、最強というのはどういうことなのでしょう?」


 私よりも先に気を取りなおし、飛鳥が興味津々に尋ねる。


「なにをもって最強というのかが、わからないです」


「飛鳥は、超常霊ちょうじょうれい という言葉を聞いたことは?」


「あります。ありますけど、アスカ、具体的には知りませんですお恥ずかしながら」


「そうか。まぁ、いずれ知る日が来るだろうからあえて説明は省くが、愛宕鈴は超常霊でな、特殊な力を持っている。幽体を簡単にラストさせてしまうほどの」


「超能力者、ですか?」


「そんなところだ」


 それを受け、飛鳥が眼前の中空に大きな視線を向けた。上下左右、忙しなく思考の黒目をめぐらせる。


「なるほどです。要するに、史上最強の幽体が控えているのだからグレーゾーンに潜伏していてもメリットはない──と。そういう、常に生存確認の取れる状態でいさせるような制度が存在しているというわけですね、大世界には?」


 いつもの早口で分析。私を置き去りにして、もうまとめに入ろうとしている。


 さらに、


「もちろん、あの世でモグリとなって国家転覆を企む輩もいるだろう」


 雲母さんが継いだ。彼女にしてはめずらしく、やや早口で。


「しかし、国家の中枢はあくまでも大世界にある。しかも政府要人はみな、小龍シャオロンフロントの本丸ほんまるに身を隠して表には出てこない。もしも大世界の警備が磐石ならば、脅かされる可能性も低く済む。そのために、目下の課題として、大世界におけるグレーゾーンの徹底排除が最優先。そうやって白と黒とに分けておけば、あとは黒に警戒の目を光らせるのみ」


「白は、警戒対象とはならないのでしょうか?」


「警戒するに越したことはない。しかし、白は衆人監視のもとにある」


「そっか、確認されている状態だからですね?」


「通常監視で充分──というわけだ」


 いつの間にか、私の視線は雲母さんのキャリーバッグへと向いていた。やはり車輪はなく、3㎝の浮遊状態で、しかも自動で彼女のあとを追っている。無機質ながら、なんとなく愛嬌を感じさせ、フォルムは違えど『R2-D2』をイメージ。


 もともとが災難なのだ。私は仙童フロントを遊山する予定だった。それがこんなことになり、幽霊屋敷に興味をおぼえ、あげくイルマ姉さんの驚くべき交友関係にまで聞きおよぶ始末──唖然の視線が奇妙なドロイドに固まってしまうのも無理はない。


 完全に言葉を失ってしまった私にかまわず、さらに飛鳥がつづける。


「それで、その幽霊屋敷の調査にどうして雲母さんが?」


「人手不足だからだ」


「多いですもんねぇ、一般の幽体」


「むろん、幽協に認められた者にしか依頼は来ない。あたしのいる探偵事務所が幽協の認可を得ていてな。代理だいり民生みんせい管理者かんりしゃ資格しかくという、環境部管轄の国家資格がソレだ」


「おぁぁ……国家資格ですか!」


 初耳だったけれど、もう関心は湧かない。失せ人の確認調査というカラクリがわかった以上、私の心はただただ水底へと沈んでいくのみ。


 自分の職場状況ですらもままならないのに、なぜ他業種の職場体験をしなくてはならないのか。紹介屋としてのブラッシュアップ──雲母さんはそう言ったけれど、アップさせるほどの潤沢な土台が私には備わっていない。薄氷のうえに小学校を建てるようなものなんだ。


 無口なR2-D2から目を外す。


 狭隘な路地は相変わらずの暗闇。永遠に白まないのに、相変わらずだと嘆息したくなる。蝋燭のように弱々しい街灯のお裾分けに静心しずごころを拾える道理もなく、1歩、また1歩が泥濘のよう。PMCRよりも脚が重たく、そのうちに固まり、もしやつぎの蝋燭になるのは私なのかも知れない。


 空を仰ぐ。


 闇しかない。果てのない闇。


 青空に落ちた宮城セツのことが、なんだか羨ましくなった。


 でも、


「そろそろだ」


 無情にも、雄弁なる大河の音サラスヴァティ・ヴィーナは告げる。


「あの角を右折すれば、幽霊屋敷」


 残り50mで私は蝋燭になる。泥の底で、灯ることのない。




 

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