Scene 03

彩央走廊

 




 まるで箱庭。


 1棟の巨大な建物のなかに、歩道が走り、水路が流れ、大小とさまざまな家屋が肩を寄せあっている。全体の規模たるや、デパートをふくめた新宿駅と周辺の地下街を足したほどなのだそう。確かに、ここはグリーン時代の私を幾度も迷子にした。


彩央走廊ツァイァンヅォウラン


 箱庭なんて、そんなかわいいものではないのかも知れない。まったくの要塞だもの。


「アスカ探しているものがあるんです」


 飛鳥と合流してすぐに、彩央走廊の入口である鋼鉄製の門を抜ける。左右にスライドして開くタイプの、軍用基地のハッチを思わせる超巨大なゲート。とはいえ、これが閉まることはほとんどないのだとか。


「空美さんは蘇命酒そめいしゅってご存知ですか?」


 鋼鉄の門を抜けると、900㎡ほどの広大な空間があらわれる。吹き抜けの天井までも約30mあり、しかし左右の壁に数点だけ設えられる蛍光灯しか灯となるものはない。その蛍光灯とて、わずかな寿命となってからプレゼントされたのだろうか、いかにも頼りない代物であり、自転車のライトを切ってはあまりにも心許ない。


「蘇命酒?……聞いたことないなぁ」


「アスカも最近になって知りました」


「どんなものなの?」


「ラストを食い止める薬用酒だそうです。まさに夢のような回復アイテムじゃないですか紹介屋にとっては!」


 薄闇のなか、自転車を押す私たちの声に粘着質なエコーがかかっている。なにしろ四方八方の壁は打ちっ放しのコンクリートなのだから、粘着質なのもうなずけるというもの。


「ラストを食い止める……初耳。それってどこの製薬会社のなの?」


「製薬会社のものではないみたいです。例えるなら漢方薬みたいなもので、蘇命酒というのもあくまでも便宜的な通り名みたいなもので、でもアスカあんまりご存知ないです」


「ふうん。でも確かに夢のようなアイテムかも。シュガーさんなら知ってるかな?」


看護屋かんごやのシュガーれいさんですか?」


「うん。飛鳥は会ったことある?」


「アスカはまだお会いしたことがないのです噂はカネガネなんですけど」


 たぶんエントランスのような空間なのだろう、なにもない大広間を縦断。すると、最奥に3本の隧道トンネルが姿をあらわした。どれもが10x10mほどの間口を誇り、中央はまっすぐに伸び、左はすぐに左折し、右もすぐに右折している。


 壁には大量の貼り紙や落書きが。でも、すべてボロボロで、字はかすれていて、薄暗さも充分に手伝っていて読み取れない。


「どんな方なんですかシュガーさんって?」


「うーん……ひと言では言いあらわせないかなぁ。ある意味、パンチがきいてる女性というか」


「おぁぁ! なんだかワクワクしてくるフレーズじゃないですかパンチがきいてるって!」


「優しいひとなんだよ?」


 そうこうしているうちに、自然と私たちの足は中央の隧道を選んでいた。ちなみに、右の隧道は主に老太フロントへとつながり、左の隧道は主に南蓮フロントへとつながっている。そして、その道のりのいたるところが枝分かれをし、多種多様な街へのリンクを果たしている。


 彩央走廊──ここは、繁華街と繁華街の中継点ノードを兼ねる、大きな大きな遊歩道モールのひとつ。


「飛鳥が探してるのって、蘇命酒だけ?」


「あとエルジーライトもです念のために持っておきたいんですよ念のために」


「うーん。あれって効くのかなぁ」


「悪くないという風の噂ですけど頭痛薬みたいなものだという風の噂もあります。風の噂によれば服用してからしばらくの間は安静にしていないと効き目がないとかいう専らの風の噂です」


「たくさん吹いたね、風」




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★ エルジーライト

【 Elsie Light 】


 幽協の下請企業である大手製薬会社『エルジー製薬』の看板商品。これを服用すれば、消耗した倫力の回復を助勢する効果が得られるのだそう。


「服用」とはいうものの、幽体は物を嚥下することができないので、倫体内部への取りこみ方は主にとなる。聞けば、それ相応に生成された医薬品は目からの摂取が可能なのだとか。調律のシステムとなにか関連性があるんだろうか?──専門的なことはちっともわからないけれど、とにかくエルジーライトというのはそういう医薬品らしい。


「らしい」というのは、薬自体があまりこの世に流通していないから。それもそのはず、そもそも幽体は病に罹らない。罹らないのだから、あの世ほどには製薬という錬金術が重視されていない。となれば当然のこと、医薬品を多く流通させる必要がなく、ひいては、私のような庶民のお目にかかることも少ない。


 たくさんが吹くのももっともな話なんだ。

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「でも、確かに点眼で倫力が回復できるんなら、手に入れたいものだよね?」


「そうなんですやっぱり初対面のグリーンさんを相手にすると瞬く間もなく身体が疲れちゃいますもんアスカ極度の緊張しぃなので。アスカ人見知りの緊張しぃなので」


「ひとみし……なるほど」


 50mほどの長い隧道をのらりくらりと直進。


 途中、左右の壁にいくつかの鉄扉が見られた。でも、どれもが固く閉ざされている。表面は綿埃に覆われていて、しかもまっ黒な埃で、まるで数十年と経営している小さな中華料理屋の換気扇をほうふつさせ、とても清潔とは思えない扉ばかり。いかに病に罹らないとはいえ、触れるには勇気が要りそう。だから扉の向こうに対する興味は微塵も湧かなかった。


 寝転がっているひとの姿もあった。左右の壁際、その地べたに寝転がって死んだように動かないまっ黒な人影たち。言わずもがな浮浪霊か虜囚霊だろう。ひとりごとが聞こえないから、怨吐霊はひとりもいない。


 なるべく彼らを見ないようにして歩く。飛鳥もまっすぐとまえを見すえている。のらりくらりとはしながらも、瘡蓋のような歯痒い緊張感。


 隧道を抜けた。


 ふたたびの大広間。幾分かエントランスよりも広い。50mほどの通路が前方に伸び、突きあたりで左側にUターン、今度は、わずかな勾配の坂道となって私たちの頭上へと向かっている。


 天井もはるかに高い。いや、闇黒にかき消されていて、天井そのものが見えない。ということは、もしやここは中庭なのかも知れない。


 灯は、隧道を抜けてすぐの右手・突きあたり・折りかえしの坂道の途中と、それぞれに街路灯がひとつずつ。細いポールのさきに、アンティークのグランドランタンを思わせる筒状の灯具が乗っているデザインの街路灯で、まるでガス灯のようなレトロ風味を醸しだしている。1基でいいので、お家のある陸屋根にもほしいところだ。


 こちらの灯は強い。白光を煌々と放っている。ここでは自転車のライトはいらないだろう。とはいえ、それでも天井が見えないのだから、やはり中庭なのかも知れない。あるいは、大世界の闇の濃度が異常に高いのか。


「蘇命酒──本当にそんなものがあればなぁ」


「なんですか?」


「ううん。なんでもない」


 鋳鉄管・塩ビ管・白管──新旧を問わないさまざまな配管が壁面をのぼり、すぐに天空の闇へと消えている。あの内部をなにが流れ、どこへ向かい、どう活かされているのか、または単なる飾りなのか、設備屋でもない私にはとうてい知りようがない。ただ、製鉄所のような趣があるので、工場マニアのひとは好きかも。


 突きあたりで左に折りかえす。緩やかな勾配を描きながら、手すりもなにもない通路がまっすぐ伸びている。坂道の頂上は地上から3mの高さになるだろうか。雑居ビルの2階ほどの高さ。


 坂道の途中、街路灯の立つあたり、その右側に階段が設けられてある。たった4段のちんまりとした石階段。それから、階段の頂に立ちふさがるコンクリートの壁には、ひとりぶんの狭い通路が。


 この奥には油屋と住宅がある。グリーン時代に迷いこんだ。行き止まりになっていて、袋小路の左右に1枚ずつ、古びた木戸があったっけ。その左側が油屋で、右側は油屋の主人の住居なのだという。確かに、幾度となく使いまわした天ぷら油のような、饐えた匂いがあたりに漂ってた。


 用途の知れない油。この石階段をあがることはもう2度とないだろう。


「そもそもなんですけど空美さんは仙童でなにをされるおつもりなんですか? 買い物ですか? 調べ物? 物見遊山? それともショッピング?」


「多いよね1個」


「買い物ぉホホホホホホホホホホー!」


「飛鳥。笑い方」


 と──そのときだった。


 ちょうど右手、件の石階段の頂から、唐突に、人影が転げ落ちてきた。じつにアクロバティックな前転で、しかも無言のままに。


「うおぉ!」

「おぁぁ!」


 私と飛鳥、同時に驚声をあげると、自転車ごと左へと飛びのく。当然、両者は錯綜、危うく勢いあまってドミノのように倒れるところだった。


 心臓に悪い。ないけど、心臓。


 無言のままに転げ落ち、ついに華麗な大の字となって仰臥したのは──だった。




 

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