アスカそう思います!
『そうですか。アスカ死んでしまいましたか』
冷めた子という第一印象だった。泣くでもなく叫くでもなく、絹のように淡々とした無表情をしていて、ビビり屋の私に「今回は楽勝かな」と安堵の息を落とさせたほど。
飛鳥との初対面の現場は、総武線の浅草橋駅と秋葉原駅との中間あたりにある公園のなか。細々と春雨がおりていて人気を遠ざけ、定期的に頭上で賑わう電車の走行音を省けば、とても静かな環境。メンタルの塊であるグリーンを落ち着かせるには持ってこいのシチュエーションだったっけ。
身体にあたるや否や、ぱらぱらと、まるで霰のように弾けては地面へと落ちていく小雨を不思議そうに観察する少女だったが、不意に、秋葉原の方角へ視線を向けると、
『命にも潮時があったんですね』
だれにともなくつぶやいた。あきらめているような、悟っているような、同年代とは思えない台詞。
しかし、うっかり自殺してしまうような哀れな私には上手にこたえられる知恵もなく、吐息の声で「さぁ」と濁すばかり。
ただ、
『ここからですけど、ね』
『え?』
『ここで、ここから……』
そんなようなことを口走った気がする。考えもなしに、でも、なんとなく実感していたことを。いや、もしかしたら、テトさんの「ここがそうでもいい」に感化されていたのかも知れない。
『ここで、ここから……?』
いつの間にかこちらをふり向き、じっと私の目を見ていた飛鳥の鸚鵡返し。ちょっとだけ顔が強張っていて、なんだか怒っているようで、取り乱されるのが急に怖くなって、とっさに私は目をそらした。
『いや、やっぱりうまく言えない。だって、私もまだ、自分の死について心の整理がついているわけではないので。でも……』
『でも?』
『私は、死んではじめて自由でいられるようになったんですよ。自分を
そんなような、変な日本語を並べたような気もする。やっぱり取り乱されるのが怖かったのかも知れない。このころにはすでにいくつかの失敗を経験していて、紹介屋という仕事に対する自信を急速になくしはじめていた時期だった。だから、情緒的な自己紹介で同情心を引こうとしたのだと思う。ホント、情けないほど姑息な手段。
ところが、
『自由……か』
天を仰ぎ、ぼそりとつぶやく飛鳥。この時代、だれでも口にするワードなのに、なぜか新鮮そうに垂れ目を見開いていた。
自由──私はごくあたりまえのようにそう感じている。産方のほうが自由だったとテトさんは口にしたけれど、私はそうは思わない。死んでからのほうがはるかに自由だと感じる。自由だから、ときに悩ましく、苦しく、狂おしい。だって、自由とは、解放ではなく試練なのだから。自己責任のもとにある独立運動なのだから。自分以外の第三者は絶対に与しないのだから。
産方は、こうはいかなかった。だれかのつくった部屋に閉じこもり、堅牢な窓辺で、手の届かない戸外の景色を鬱々と望む毎日。思い立ったようにリストカットするわずかな時間だけ自分らしくいられる毎日。侘しい毎日。
確かに、悩ましい毎日だったけれど、苦しい毎日だったけれど、狂おしい毎日だったけれど、でも、それらの感情もまただれかのつくったものだった。あるいは、だれかのつくった部屋に依存してこその感情だった。主の都合のためだけに歌う籠の鳥。
『ここで、ここから、かぁ……』
『そういう
『そういう、事実?』
『理想とするべくもなく、啓蒙とするべくもなく、信念とするべくもなく、ここで、ここから──という事実しか存在しないんです。だから、自分でいるしか術がないんです。自分を由とするしか術がないんです、この世って』
いまにして思えば、グリーンをポジティヴにしてナンボの紹介屋の台詞ではない。方便の欠片もない台詞。ポンコツの台詞。
でも彼女は、
『飛鳥さんも、いま、ここなんです。ここで、ここからなんです』
なにを思うか、私の拙い台詞へと、まっすぐに耳をそばだてていてくれた。
「ところで空美さん」
いや、それにしても、
「仙童に行くのでしたらばアスカも連れていってくださいよぉ本日のアスカはとてもヒマなんですとても!」
たかだか1ケ月程度の準備期間で、よくも現役バリバリの女性アイドルを残雪の劔岳に登らせたものだ。標高約2350mといえば富士山の五合目にあたるだろうか。無謀な博奕を打ったと言わざるをえない。実際、強行撮影を選択した某テレビ局は多方面からさんざんに叩かれ、業務上過失致死の容疑で書類送検、件の番組もあえなく打ち切り。また、指導役として同伴したプロの登山家も職を失う顛末になったんだっけ。
「とてもなんですヒマなんです」
「うん。べつにいいけど……」
だれも得をしなかった。それどころかひとりの命が奪われた。
「飛鳥、自転車かなにか持ってたっけ?」
得はなく、徳もなかった。
「歩いて行けなくもないけど、歩くの?」
「その点につきましてはご心配ご無用です!」
それでも、飛鳥はこうして元気にやっている。かつての仲間やファンのひとたちに見せてあげたいぐらい。いまも、私に左の手相を見せつけ、しょうしょうお待ちを!──得意気に言うや否や軽快なフットワークでアパートのなかへと駆けていった。そして3分も経たないうちに姿をあらわすと、
「ご覧ください見てください刮目してくださいよ空美さん!」
牽いてきた自転車を見せびらかす。
「アスカ、ついに買ったんですよ奮発してついに買ってしまったのであります!」
薄紫色のメタリックなマウンテンバイク。
「レア!」
「え。嘘。ホントに?」
重工業の大手、冨嶽技研が世に送るマウンテンバイク『Rare』。
私のはノーマルチャリ『Everyone』。でも、レアにするかどうかで何時間も迷った。迷ったすえにエブリワンに決めた。決めたはいいものの、いまもレアにすればよかったのだろうかという女々しい未練がないわけではない。
「レアっ!」
「買ったの!? ウソでしょ!?」
「ホントなんです」
レアは小回りが利きすぎるのが難点かもね──自転車屋の店主に囁かれ、だからとエブリワンにした。思えばこちらのほうが値が張る。もしや私は商戦とやらに敗れたんだろうか?
「レアは、小回りは、どんな感じ、なの?」
「小回りですか? 普通です」
「普通!?」
「ふつうです」
「じゃじゃ馬、ではなく?」
「輓曳馬ぐらいです」
「ばんえ……そ、そうなんだ」
ポンコツな私のことはいいとして。
マウンテンバイクを購入できるぐらいに元気な飛鳥。今冬、ゾディアーク少女の東京ドームでのライヴ開催が公式発表されたときには、まさに我が事のように飛び跳ねて歓喜した。また、命の冒涜だと批判を浴びながらも就任した2代目の双子座、
どうして応援できるの?──皮肉でもなんでもなく、ただの素朴な疑問だと尋ねたことがある。仲違いしたまま、気まずい空気を漂わせたままにして死んでしまったのだから、ネガティヴな感情を抱いてもおかしくないのに、どうして?──と。
すると、飛鳥はこう答えた。
『アスカは、
西武新宿線の、武蔵関駅と東伏見駅のなかほどにある線路沿いの並木道で、まだまだ幼い桜の蕾を仰ぎ見ながら、
『みんなも、おのおのの
大きな垂れ目を細めながら、
『生きてるときはそれがわからなかったです。いや、生きてるからこそわからないことなのかも知れないです。あの美結だってそれを見失って泣いたわけですし。それって、たぶん、生きてるからこそわからないことであり、わからなくなることでもあるんです』
左の親指で自分の鳩尾を指して、力強く、こう答えたんだ。
『改めて
『私?』
『ここで、ここから──って』
太陽だけでできているかのようにまっ白に晴れわたる空を、飛鳥は、蕾や枝の隙間に眺めていた。南国の花こそふさわしい子なのに、私は不思議と、咲いてもいない桜の木さえも似合っているように思えた。だって、
『そうなんです。みんな、ここで、ここからなんです。アスカも、美結も、乃南も、由芽も、華子も、紗綾も、いつだってみんな、ここで、ここからなんです。おのおのの
そう語る飛鳥が、美しかったから。
『だってアスカ、死んだのにまだ
美しさは、すべてを似合わせる。
『アスカそう思います!』
私はそう思う。
『応援しない理由はないんです。ここにいる仲間を、ここからの仲間を、生きている仲間を、アスカは応援するんです』
それから、ようやく視線をおろすと、こちらを向き、美しい少女は笑った。
『どうせ、いつかまたみんなと会えますし。たくましくなってるだろう仲間と。そしたら、みんなでアイドルグループでもつくろうかな。みんなで応援しあえるアイドルグループ。だってですね、この世にはアイドルが存在しないんですもんおかしくないですかっ!?』
飛鳥は、たぶん、これからもずっと、
『だったらアスカがアイドル第1号になってやるんです。みんなをメロメロのイチコロにしてやるんです。そうすれば虜囚霊なんて激減ですよ見ててくださいね空美さん!』
私は、どうだろう?
『ここで、ここから』
自分で言っておきながら、わからない。
私には、まだ、ぜんぜん、わからない。
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