ひとの人生
『間とか』の軒。ここで私たちは3手に別れる。
やっぱり名残惜しい。
産方には、名残惜しく思うことなんて1度しかなかった。まさか、ただ1度のベクトルが緩和されず、胸のうちにこびりついているんだろうか?
「また来てね」
「また来るよ」
とうに帳は下り、すっかりと夜。それなのに、小夜ちゃんの黄色がまぶしい。アダムの白がまぶしい。まぶしいと思わせてくれる。
だって、ひとは
もしも、ひとがひとりで生きていけるのならば、そのひとの色はそのひと独自のものになるだろう。でも、多くのひとは他者の人生をも歩いている。気にかけたり、憂えたり、悲しんだりしている。孤独でいたいひとだって、もとを正せば、ひとの人生を生きていると認識しているからこそ負担を感じ、孤独に憧れている。つまり、みんな独自の色とはいかない。必ずや他者の色が混じる。どこかで見たことのある、腑に落ちる、着地点のある色になる。
「そうだ。空ちゃん、つぎはどんな花がいい?」
例えば、ファッションモデル。
彼らは、より他者に近い人生を生きている。むしろ、自分を殺さなくてはやっていけないほど。
なぜならば、ファッションモデルの世界においては、決してモデルが主役であってはならないから。衣服や髪型やメイクなど、他者の人生を彩るであろうファッションのほうが主役なんだ。モデルとは、あくまでもファッションの基準を提案する
「んー。和風な花」
でも、だからといってトルソーであってもならない。それでよいのならば最初からトルソーを使えばよい。生身の人間を起用する以上、人間にしか醸しだせないものを持たなくてはならない。例えば、艶・風合い・匂い・モーション──しかも、モデル同士で重複してはならない。おなじであってはならない。
「和風な花かぁ。色は?」
自分を殺し、かつ、自分を出す。
不可能に思える。ファッションモデルって難しい。ルックスが整っていればできるような、そんな簡単な仕事ではない。
「色は、青か、紫かなぁ」
では、どのようにして彼らは不可能を可能にしているのか?
プライベートを充実させている。
旅をしてみたり、勉強してみたり、身体を磨いたり、心を洗ったり、たまには怠けてみたり──どんなかたちであれ、自分の時間を充実させている。そして、プライベートで培養された充実を、窮屈ともいえる仕事のなかで存分に活かしている。染みださせ、匂わせている。
だから、雑誌などに垣間見られるモデルの素顔は、たくましかったり、ゴージャスだったり、美しかったりする。たくましいから、ゴージャスだから、美しいからモデルをしているわけではない。モデル
「じゃあ、桔梗かなぁ」
「桔梗……あぁ、すごくいいかも」
きっと、小夜ちゃんも、アダムも、ひとの人生を生きてるんだ。充実してるんだ。だから私の目にまぶしく映るんだ。
「和の花だし、色もぴったりでしょ?」
「僕、椿がいい」
「わぁ。冬の花だ」
「難しい?」
「ううん。育てられない花はないから」
「ナノテク?」
「あはははナノテク。環境を整えてあげればいいだけだから」
「なるほど、努力ね」
「ナノテクも努力だよアダム」
「オゥ!」
私の茶々に、みんなで笑う。
「じゃあ、決まりだね。空ちゃんには桔梗と、アダムには椿……なんで椿?」
「僕が生まれた日の花。12月10日」
「へぇ。そうなんだ!」
「マムに聞いたね。キャメリアって」
「空ちゃんは10月8日。肖像節、だっけ?」
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★ 肖像節
【 しょうぞうせつ 】
あの世でいうところの「誕生日」のこと。
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★ 祝恩節
【 しゅくおんせつ 】
あの世でいうところの「命日」のこと。
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★ 節年
【 せつねん 】
あの世でいうところの「享年」のこと。
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★ 幽年
【 ゆうねん 】
祝恩節から現在までの年齢のこと。
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★ 合年
【 ごうねん 】
節年と幽年を足した総年齢のこと。
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上記についての捕捉──この世で頻繁に取りあげられるのは祝恩節と幽年のみ。あとの3つは、あくまでも役所のデータとしてあつかわれているにすぎない。
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そういえば、昨秋、はじめて祝福してもらった。祝恩節ではなく、肖像節のほう。アダムのお店で、小夜ちゃんに、
オチバさんからは謎のサイン色紙が届いた。
九十九さんからは電報をもらった。
『ソラミ、ウマレキテ、ヨロコバシ』──どうやってあの世の電報屋にメッセージを伝えたんだろう?
「10月8日の誕生花は、野牡丹だね」
「ノボタン」
とにかく、照れくさかった。でも嬉しかった。
しばらくぶりの誕生日パーティ。最後に祝ってもらったのは、あれはいつのことだっけ?
「花言葉は、
登校拒否をはじめてからは、とんと祝われなくなった。まぁ、それはそうだと思うけど。
「小夜ちゃんは1月25日だよね?」
「うん。花は耳菜草だよ」
「ミミナグサ。花言葉は?」
「純真……ひゃあ、恥ずかしい!」
急に叫ぶ小夜ちゃん。両の頬を押さえ、小柄な身体をさらに小さく丸める。究極にかわいい。
それに、
「僕は? 赤い椿ね」
「赤い椿はね、ええと……高潔な理性」
すごい記憶力。本当にお花が好きなんだ。
「コウケツナリセイ?」
「Noble Reason」
流暢な英語で説明され、ウワォ、恥ずかしい!──頬を押さえて小夜ちゃんを真似るアダム。そしてまた3人で笑う。
はたから見れば2人だけど、小夜ちゃんもアダムもぜんぜん気にしていない。それも嬉しい。心が穏やかになる。もっともっと笑っていたくなる。
皐月の夜。駄々っ子のようだった春一番をなだめすかし、ようようの穏やかさを手にしている。そしてその手に、生体と幽体、似て非なるふたつの営みを優しく包みこんでいる。きらびやかな営みを、和やかな営みを、小夜ちゃんを、アダムを、数㎞後方で膝を抱えている吉瀬翔子を、もっともっと向こうの青空に漂っている宮城セツを、それから、今日、またもや理不尽なことを仕出かしてしまったポンコツな私までもを、差別なく、遠慮なく、嫌悪なく包みこんでいる。
壊してしまわないよう、プリムローズの花束を大事に抱えこむ。
『初恋』
このお花も、ひとの人生を生きている。吉瀬翔子の人生を、あるいは、すべてのひとの人生を。
私は、どうだろう?
小夜ちゃんのような充実で、アダムのような充実で、小夜ちゃんの人生を、アダムの人生を、ちゃんと生きているんだろうか。生きていられるんだろうか。生きていけるんだろうか?
いや……そうじゃないな。
生きてみよう。
さすがにファッションモデルのようにはできそうもないけれど、テトさんのいう「充実」とは違うのかも知れないけれど、私なりに充実できるよう、頑張ってみよう。
まずは、自分の人生を見つめてみよう。
この、永遠の人生を。
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