Scene 09
起因 ~ 吉瀬翔子
だって、苦しみながら死んだんだ。戸惑いながら死んだんだ。覚悟もできないうちに死んだんだ。まだ生きていたいのに死んだんだ。それなのに、配慮せず、同情せず、ただの興味本位で、ただの自分本位で、
『怖ぁい!』
そんなの、生まれつきビジュアルに恵まれず、生まれつき身体に不利や不便を宿し、こんなふうに生まれたくはなかったと苦しみ、戸惑い、覚悟もできず、しかしそれでも生きていたいと望んでいるひとを指さして、
『怖ぁい!』
生体だとゆるされず、幽体だとゆるされる?
そんな道理はない。あるわけがない。
だから、幽体の登場する怖い話を怖がってみせる生体が、私は嫌いだ。
宮城セツに、そんな、あまりにも残酷な宿命をあたえてしまった。私が不甲斐ないばっかりに、ちゃんと生きたひとを、これからだったひとを……。
☆
西武新宿駅の改札前、公衆電話エリアの片すみにあるホーネットのサボに3枚のシルバーメダルをおさめ、3枚の10円玉と交換、これでようやく250円を確保した。さっそく券売機に投入すると、わずかにすっきりとした足取りで改札を抜ける。それから、各駅停車の田無行きへと乗りこみ、お家の最寄り駅である東伏見駅を目指した。
今も昔も、この時間帯の急行電車はラッシュの様相。生体への透過は避けられないだろう。だから、時間よりも余裕のほうを選んだ。生体に透けながらの15分間よりも、まったく触れあいのない30分間のほうがどんなに幸せか。
連結部の貫通幌にもたれ、穏やかな各駅停車に揺られる。隣の車両を目指して数人の乗客が目のまえを横切っていったけれど、幸いにして日本人は安全主義者ばかり、わざわざタラップの床を食みだして貫通幌に触れようとはしない。つまり、この場所は私にとっても安全地帯なんだ。お行儀の悪い行為ではあるけれど、電車を利用する際には、私はできるだけ貫通幌に身を隠すようにしている。
それでも、東伏見駅に到着する頃には、私はよれよれの状態だった。幽体なのだから疲労なんて感じないはずなのに、倫力が素寒貧で、果たして疲れているような状態だった。
降車する。重たくなっているような足を引きずってホームの階段をあがる。先行するサラリーマンに張りついて改札を抜け、左に折れ、通路を進み、階段をおり、ようやくそとに出た。はじめてそとに出たような気分。
コンビニ・ドラッグストア・美容室・寿司屋・不動産屋・蕎麦屋・銀行──歌舞伎町にはおよばないものの、ここにも生体の営みがある。きらきらと、力強く明滅している。
まばゆい営みを目に焼きつけながら、駅周辺を見わたす。自動ドアさえも開けられない身のうえであることも忘れ、営みのお裾分けに関りたい欲求を疼かせる。特に、ロータリーの向かい側、不動産屋の脇の通路を入ったところにあるウサギカフェへと、羨望のまなざしが馳せてやまない。
小動物が好き。子猫や小型犬、リスやシマエナガ、ハムスターやウサギが好き。もふもふとしていれば文句なし。
ウサギに触りたい。いっそ飼いたい。ウサギの幽体、探せばどこかにはいるだろう。でも、まだめぐり会えない。その代わりに、ジゼルと出会った。隼の仲間である
ウサギを飼いたい。いますぐに飼いたい。静かなお家に新たな静けさを迎え入れ、いますぐに磐石なものにしたい。
……いますぐに?
なぜそう思うんだろう? 死なないのにな。焦る必要なんてないのにな。
そう、九十九さんの言葉が胸に引っかかってるんだ。
『半分は姿を消し、半分は虜囚霊になった』
私の望む充実感では、うまくいかないの?
永遠とはいかないの?
ホントに?
小説に浸り、音楽を愛で、転た寝に耽り、ウサギを撫で、そうやって終えていく毎日では、天国の毎日では、磐石の毎日では
「あ? おまえふざけんなよ?」
不意に、背後にハスキーな愚痴が聞こえ、私は不動産屋の脇から視線を外すと、つい声のしたほうをふり向いてしまった。
カーキのシャツと黒のガウチョパンツをまとうシックな女が、相手は恋人だろうか、友達だろうか、スマホに向かってさらなる愚痴をぶつけながら駅から離れていく。コンビニにでも寄るつもりなのか、のしのしと大股で歩きながら、その直前に設えられてある郵便ポストの横をすり抜けた。
朱色のポスト。
あぁ……見ちゃった。見ないようにしてたのに。
ポストと寄り添うようにして、小柄な少女が座りこんでいる。紺色のブレザージャケット、おなじく紺色の短いブレザースカートとソックス、それから、黒いローファーを履いている。乳白色のスポーツバッグを襷がけにしたまましゃがみこみ、丸くなった背中をこちらに向けている。とても小さなうしろ姿で、バッグが横倒しになっているほど。
夜の帳をゆるさない白や赤や青──闘志のあふれる鮮烈なライティングのおこぼれを浴びてもなお、少女のボブヘアに焼きつく茜色は、いまだに揺らぐことをしない。いまだ、夕焼けのままでいようとしている。
2週間前、あの照りつけるスタートラインの日をもって、彼女の時計は、永遠に動かなくなってしまった。
節年14歳。中学2年生にあがったばかり。
ちょっとだけヤンチャな中学校に通い、そんな環境に染まらず、負けず、バスケットボールに汗を流す活発な少女。副キャプテンで、まわりから慕われ、頼られ、憧れられ──きっと無敵だったんだろうな。
運命の朝。
愛用の自転車で学校を目指す車道、翔子は、いきなり大型トラックに幅寄せされた。ナビに気を取られた運転手による、まさかの不意討ち。
コントロールを失った20tトラックと格子状のガードレールに挟まれたまま、およそ80mもスライド。抵抗することも悲鳴をあげることもできず、左腕をもぎ取られ、右足をねじり切られ、上顎から頭頂部までをぺしゃんこに潰され、脊椎と肋骨を飛びださせられ、大腸や子宮をあふれさせられ、ブリッジをするようにまっ2つに折り畳まれ、そうして、マロニエの街路樹がストッパーになってようやく止まった。
地獄絵図だった。
すぐに救急車が呼ばれるも、頭蓋骨もろともに完全に圧縮、眼球も脳もアスファルトに散乱する始末で、処置のしようもない即死であることが確認。
『今回はちょいと難しいミッションかも』
めずらしく、イルマ姉さんには釘を刺された。簡単なミッションなんていただいたことはありません──胸裏に毒づきながらも、お家から近いらしい現場だということを不幸中の幸いに、私は現場を訪問。しかし、東伏見駅の北に広がるのは入り組んだ住宅地。お目当ての場所がなかなか見つからず、我が家とを往復する羽目に。そして、〆切のギリギリになってようやくターゲットと思われる少女を発見。すでに目醒め、茫然とたたずんでいる彼女に、逮捕をおそれるあまりの焦りの声をかけた。
ひどい目にあった。
あとで知ったことだ。彼女にとって、大惨事に見舞われたこの日は、ずっと大好きだった幼馴染みの少年から「恋人になってほしい」と告白された翌日だった。
初恋を叶えたばかりだった。真の無敵になったばかりだった。
『ィヤだぁケンくんッ!』
リセットされた70%──新たなベクトルをゆっくりと蓄えていくはずだった心の余白が「ケンくん」でいっぱいになっていた。一瞬のうちに、もはやこれ以上にはストックできないほどに。
慎重なつもりだった。私は、クールを演じられるような器用な紹介屋ではない。むしろ、おっかなびっくりの状態。あげくのはてには、それが慎重ということなのだと勘違いしていた。
『なに言ってんだかわっかんないよぉッ!』
ぼろぼろと泣きわめく翔子。なだめる私の手を払いのけ、勢いあまって転倒、四つん這いになりながらも、ケンくん、ケンくん、ケンくんッ!──そして、抱き起こそうとする私を力のかぎりに突き飛ばすと、とうとう、鍛えられたハスキーな声で絶叫した。
『もうおまえ……死ねよッ!』
足もとから、じわじわと霞のようにロストしていく私の身体。慌ててポケットを探る目のまえで、しかし彼女は、
『お、おぉお、ぉおおお……』
譫言のような気の抜けた声をあげ、かッと目を見開き、両手で頭を抱え、よたよたと後退りし、したたかにポストにぶつかって身をひるがえらせると、その拍子に、まるで墜ちるように、座りこんだ。
翔子の異変を目で追いながら、私は金木犀の巾着袋を鼻にあてていた。甘い香りと、みるみるうちによみがえってくる両足とを同時に認め、あろうことか、私は
あの日以降、彼女はなにも言わない。ポストの横にしゃがみこんだまま、ぼおっと、死んだ魚のような目でコンビニのほうを見つめている。あの世に心を囚われてる。ケンくんのいるところへ帰りたがってる。
ゆっくりと背後に近づく。顔を覗きこむ。いかにもスポーツに打ちこんでいそうな精悍な顔。でも、ちゃんと女の子してる可憐な顔。
本来ならば、初音ミク(ぐにょ)の『福寿草』が似合っていただろう。ケンくんのことを想いつつも、この歌にあるように、ひとりきりじゃない明日を歩んでいたかも知れなかった。
もう、視線は合わない。完全に瞳孔が開いている。あの日、この手を乱暴に払いのけ、無垢のままに泣きじゃくった生命の輝きは、私への殺意とともに、どこかへと消えてしまった。
14歳……か。
私が登校拒否をはじめた年ごろ。
翔子のような無垢な人生に、あの当時の私は、果たして憧れていただろうか?
外され、破られ、放られ、殴られ、殺され、
『……べつに?』
なのに、生きるように教えこむ学校だった。
「お願いしまーす!」
黄色い声に、はッとなって我にかえる。いつの間にあらわれたのか、駅階段をおりたあたりで金髪ベリーショートの女がチラシを配布していた。美容師の卵だろうか。
「帰ろ」
回顧を邪魔され、大きなため息をつくと、
「……ごめん」
背筋を正し、翔子に背中を向けた。
美容師の背後を横切り、ロータリーの出入口へと進む。横断歩道をわたる。左にラーメン屋と、車道を挟んで右にスーパーマーケットを眺めながら、のろまな足をお家へと憧れさせる。
ところが、憧れたばかりの足がさっそく止まった。
『ヱルフ』
森の精霊という意味の、小さなお花屋さん。
ライラック・ゼラニウム・チューリップ・麝香バラ・ペルシャ菊・グラジオラス・クレマチス・アロエ・つりうき草・くろたね草・やぐるま草・アジアンタム・ネモフィラ・パンジー・福寿草・桔梗・バラ・カルミア・ヘリオトロープ──開放されたガラス戸の奥にさまざまなカラーが混ざりあい、夜だということを忘れそう。陽向の香り・木陰の香り・午睡の香り・帰路の香り──敬愛するフレイバーも混ざりあい、胸の痛みを忘れそう。
思わず、店の軒先にたたずんでしまっていた。素寒貧だった倫力が瞬く間もなく回復していくのを感じるから。
店内では、店長と店員、ふたりの女性が忙しなく植木鉢を移動させていた。もう閉店の時間か。
と、店員のほうの女性が、なに気なくこちらを向いた。
ふわふわとやわらかそうな、でも、目の醒めるような黄色のワンピースを着ている。その胸の中央には白いリボンの蝶がとまり、鎖骨の中央には5枚の花びらからなる小さなシルバーネックレスがおりている。いかにも癒し系の出で立ち。
腰まで伸びる黒髪をアップにし、いまは大人びた風情ではあるものの、くりくりっとした瞳と笑窪だけは隠せない、とてもかわいい女の子。
私に気づくと同時、小夜ちゃんは「あらー」とでもいわんばかりの花を咲かせ、にっと笑窪を浮かべた。
すごく好きだ、あの笑顔。私も思わず微笑む。
「ちょっとお願いねぇ」
高らかに電話が鳴り、姉御肌そうな女店長がジャングルの奥へと消えた。それを確認するなり、小夜ちゃん、おいでおいでと私を手招き。
おそるおそるに入店。
軒先とは比較にならないほどの存在感のある芳香たちが眉間をくすぐる。四方八方にうっとりと見蕩れていると、どこに隠していたのか、花束を抱え、レジの脇から小夜ちゃんが駆けてきた。
「ナーイスタイミング」
新聞紙に包まれる小さなお花。5枚1組の純白の花びらからなるネックレスのお花。優しくあつかいたくなる可憐なお花。
「空ちゃんにあげるっ」
小声を絞り、押しつけるようにして素早く私に手わたす。
ぱちッ。
「ぅいッ!」
五体が縮んだ。それを見て、ふふふふ──悪戯っ子の笑窪を笑わせる小夜ちゃん。
「これが、プリムローズね?」
「プリムローズ」
釣られて、幽体の私までもが小声。
「うん。でね?」
小夜ちゃんからも甘い香りがする。それから、やっぱり大好きな、あたたかい笑窪。
『もうおまえ……死ねよッ!』
あの騒動の直後、騒ぎの音を
「白いプリムローズの花言葉は──」
大親友をまえにして、今日1日の緊張がようやく溶けはじめる。
視界がぼやける。
泣きそう。
泣きたい。
今度こそ、ちゃんと泣きたい。
「──
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