ファベーラ

 




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★ ファベーラ

【 Favela 】


 もとは「スラム」を意味するポルトガル語だけれど、この場合、あの世でいうところの一種のコミュニティを指しているわけではない。


 心霊スポット──を指す。


 では、心霊スポットとはなんなのか、その構造を紹介しよう。


 幽体とて、地球上から完全に消失してしまうわけではない。ロストしないかぎり、物理的な構成要素以外は確実にとどまる。肉体や、肉体からダイレクトに発信される要素──声や体臭など以外は確実に残留するんだ。こうして私やテトさんが生活し、活動していることがなによりもの証拠。


 とはいえ、肉体は消失し、それにともなって声や体臭も消失するのだから、原則的には、生体の目に幽体の姿は映らない。ひいては、手に触れられないんだし、耳に響かないんだし、鼻に漂わないんだし、舌に残らない。完全無欠の物理世界のうえに生きている生体にとって、物理の係らない幽体なんて無いもおなじこと。なるほど、


『なくなる』

『ゆかれる』

『おかくれになる』


 あの世では、死について、あたかも目のまえからいなくなるかのようにとらえている。


 さて。


 では、逆に、残留する要素とはいったいどういうものなのか?


「気」と表現されるものだ。雰囲気・殺気・狂気・語気・陽気・陰気・オーラ──物理的知見としては認められないが、しかし、感じるひとには確かに感じられるもの。


 ちなみに、こののことを、この世では『慟力』と定義している。専門家が曰く、慟力をコアにして倫体ヴィジョンが象られ、倫力インストゥルメントが決まり、これをエンジンにして活動や運動の大小──エネルギー──が定められるのだとか。


 閑話休題。


 物理的には認められないのに感じるひとには感じられる──完全に矛盾しているように思えるが、これはあくまでも物理における矛盾にすぎない。を思えば、おのずと物理存在論の脆弱性も見えてくるというもの。とかく、人間の持つアンテナには物理の脆弱性を突くものもふくまれる。科学が想定する以上に、人間とは神秘的な生き物なんだ。


 人間の神秘性を言いあらわす例として、かつて幽協の考古部こうこぶの前部長である悉海しっかいは、こう述べている。


『我、ざいに於ては不在だが、きょに於ては居に恃む』


 居るとわかるひとには居り、居るとわからないひとには居らず、つまり、感じられるひとには感じられ、感じられないひとには感じられず、しかし、それはすべて物理存在論のそとの話である──というわけだ。


 で、彼らがなにを感じるのかといえば、それが幽体の慟力。そして、それができる彼らのことを、この世では「アンテナ」と呼び、あの世では「霊感の強いひと」と呼ぶ。


 いわずもがな、アンテナは幽体の姿を見ているわけではない。声を聞いているわけでもない。感じている。五感で感じているのではなく、第六感的な分野に受信している。


 いや、そもそも、感覚を5種類のみに限定していること自体が誤りなんだ。たった4種類の血液型で性格を分けるのはおかしい──というロジックをそのまま感覚へと代入してみればわかりやすい。実際、絵画を見て温度を感じるひともいる。音楽を聞いて色彩を感じるひともいる。草花の匂いを嗅いで四季を感じるひともいる。5種類のみに限定する論法では辻褄があわなくなるのが「感覚」というものなのだと、ここでわかる。


 ところで、これはあくまでも一般社会での話だけど、個性的な人相だったり、憶えやすい声質だったり、強烈な体臭だったり、複雑な暴力性だったりすることで、第三者からを置かれるひとがいる。好きとか嫌いとか、苦手だとか憎めないとか、そういう一目を。


 これと同様、生体から一目を置かれてしまう幽体も、じつはいる。アンテナではない、ごく普通の生体から、その強烈な慟力を汲み取られてしまうことがあるんだ。


 例えば、人間にはこんな力がある。


 まだ物心がつくかつかないかの幼児の手の甲に、藪から棒に、シャレのわからないバカな大人が「ほら熱いッ!」と脅しながらをあてた。すると、びっくりした幼児は手の甲にリアルな高熱を感じ取り、思わず泣きだしてしまった。肝心なのはその直後のこと、幼児の手の甲に、ひと筋の水膨れが浮かびあがったのだという。


 この実例からもわかるように、イメージの力──持ちの強さは、ときに自分の肉体の形状さえも変化させてしまう。


 ダイエットだっておなじこと。ただなんとなく運動しているだけでは思うように痩せられない。痩せていく姿をどれだけリアルにイメージできるのか──を持てるのかによって成果も大きく変わってくる。


 他にも、バラエティ番組の衝撃映像を見て「痛ッ!」と共感すると同時、多少の苦痛をおぼえることもある。ファンタジー映画『アバター』の公開序盤には、その美麗なCGの世界に没入するあまり、現実世界を物足りなく思う観客が多くあらわれたと取り沙汰されもした。


 ということは、サブリミナル効果のように、第三者に意図的影響をあたえることも可能だといえるだろう。もっというのならば、幽体の慟力でもって生体に影響をあたえることも可能だということになる。特に、偏ったベクトルに支配されている超自我的な幽体であれば、なおさらに。


 覚醒霊と呪詛霊の慟力は、もはやモンスタークラスだ。


 ごく一般的な活動霊の手には絶対に届かないほどの強烈な慟力を、しかも無尽蔵に宿している彼らであれば、アンテナ以外の生体に影響をあたえられたとしても不思議なことではない。


 でも、アンテナでない生体に彼らの姿は見えない。声も聞こえなければ、匂いも嗅げない。すくなくとも五感には引っかからない。


 でも、でも、でも、


『なんか身体がおかしい』

『この場所、なんか変だ』

『なんだか、持ち悪い』

『なんかここ、居るかも』


 このようにして、を置く。


 これが、心霊スポットのカラクリだ。そして、この世では、そういう場所のことを『ファベーラ』と呼んでいる。

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 からからからから。


「同情しゅるか?」


「……いえ」


やしゃしいものだな」


 宮城セツ──彼女は、これからずっと、孤独を孤独とも思わず、むしろ喜んでファベーラに居座りつづけ、無垢であるがゆえの強烈無比な慟力を生体に感づかれ、やがて都市伝説として祭りあげられ、そうして末永く嫌われ、末永く面白がられていくんだ。


 そう思ったら、また私は泣きたくなった。


「こうしゅるしかないんだろうか」


「え?」


「逃げたがっとるな、空美しょらみよ?」


「聞いてたんですか?」


 ふん。ベビーカーが笑う。


「グリーンの死に方が死に方だからな、もしやと思ってちゅけてみれば、あの訴えよ」


 西武新宿駅の程近く、歌舞伎町の鳥居に背中を向ける私たち。


「で、次回はどうしゅる?」


 背中が、昼間よりもまぶしがってる。


「ちゃんとできるのか?」


「それは……」


「しょれとも、仕事を放棄しゅるか?」


 もう間もなく風営法の定めるリミットなのか、スジ盛りの黒服たちが慌ただしく駆けまわっている。そして彼らの頭上、家具店の特大スクリーンにとまり、1羽の小鳥が『Lullaby Of Birdland』を囀っている。


「しかし、仕事を放棄したところで」


 2011年2月14日──愛の日にこの世へと羽撃いてきた盲目のジャズピアニスト、George Shearing。


「まともに生きられた幽体はおらん」


「いない?」


 いつもの私ならば、ずっと聴いていたいと思ってやまないはずの愛の囀りが、なのに、聴いたそばから遠ざかっていく。


 九十九さんの言葉が、愛する静けさに封をする。


「おらんおらん。半分は 姿しゅがた を消し、半分は虜囚霊になった」


 やっぱり、そういうものなのかな。自分に期待をしてはいけないものなのかな。


 でも、私には、宮城セツのように引きあげない選択をすることはできない気がする。彼女のように、今回の失敗をバネにして、次回こそは完走、完走、完走──そんなふうには志せそうにない。


 仕事を継続するためのモチベーションとして、報酬を求める幽体もいる。例えば、もがりオチバという紹介屋は、女性の毛髪が報酬だったりする。イルマ姉さんも何度か彼にしている。お安い御用だと笑いながら。


 でも、私の望むものは、物じゃない。穏やかで、和やかで、暖かで、静かで──あくまでも心の賜物。つまり、絶対に報酬システムは成り立たない。


 テトさんは無報酬だ。強いて言うのならば充実が報酬。実質的な充実が。


 でも、私にはムリだ。私には、テトさんの望む充実に充実感をおぼえられない。


「まぁいい」


 つぶやくように言うと、ふたたび動きはじめる九十九さん。


 王子はなにもしゃべらない。しゃべらず、


「じっくり考えなしゃい」


 向日葵のベビーカーをウィリーさせ、


「イルマにはワシのほうからちゅたえとく」


「すいません」


 ぐるっと半回転、鳥居の内側へと向けた。


 新宿になんて来なければよかった。八高線に乗っていればよかった。西武拝島線に乗り換え、そのまま、お家に帰ればよかった。


 聞きたくもない話を聞いてしまった。


『仕事を放棄したところで、まともに生きられた幽体はおらん』


 でも、どうせいずれは聞くのだろう。幽体であるかぎり、その可能性は無限にある。


 と、不意に、


「しょらみ」


「はい?」


 呼びかけられ、反射的にふりかえった。


 たちまち、歌舞伎町の輝きに目がくらむ。くらんだような感覚に陥った。まさに、生命のまばゆさ、そのものだった。さては、街ごと永遠に生きるつもりか?


「空美の泣き顔──」


 王子の背中に隠れ、情報屋の父の姿は、もう見えない。


 でも、白いスーツのその脇に、


「かわいかったじょ?」


 虹色の右手が、しゅッ、水平の敬礼を切ってみせた。




 

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