Scene 07
充実?
──などと思いつつ、結局、ポンコツの私は八王子の大地を踏んでいた。
JRの駅北口を出、アンプラグドなストリートミュージシャンたちを尻目に階段をおりる。正面の大通りを直進、入店欲求をこらえながらヨドバシカメラやモスバーガーの軒先を通過、いくつかの信号をくぐり抜け、大通りが平懐らかに右手へとカーブしはじめる手前、ガソリンスタンドのある交差点を左折、改めて直進し、一軒家やアパートなど、駅前とはだいぶ異なる色合いを目にしていると気づいたころ、私は目的地と思しい公園を視認した。
「運動すれば疲れる」という産方由来のベクトルも手伝い、まだ仕事の段取りにさえも取りかかっていないというのに心が疲労困憊。テトさんからは徒歩20分と教えられていたけれど、なるほど、倍の時間もかかるほどの重い足取りだった。どうやら、駅に到着した時点ですでに疲れきっていたとみえる。自分でいうのもナンだけど、私は正直者だ。テトさんの励ましのおかげでプラスへと持ちなおした心意気も、しょせんは一過性の気付けだったか、呆気なくマイナスへとリバースしている。
だけど、ここまで来てしまった。否が応にも、是が非でも、仕事に取りかかるしかない。面倒はイヤだ。逮捕なんかされたくない。
上半身を大きく傾がせ、おそるおそるに様子をうかがいながら目的の空間へ近づく。目撃者がいれば間違いなく不審者だと思われるだろう。
『
予想よりもはるかに小さな公園だった。
ミカン色の団地と団地に挟まれる狭小な公園。水色の金網フェンスによって出入口以外の3面が囲われている。そのせいか、園内そのものが青みがかって見える。
遊んでいる者はいなかった。透きとおる青空の午後にも関わらず、まだ放課後には程遠いのか、はしゃぐ子供の姿がない。まぁ、ベンチと給水所と花壇しか備わっていないので、遊びようもなさそうだけれど。
金網フェンスの網目を透かしたずっと向こうに、何本かの桜の木がうかがえた。あのあたりには微風が吹いているらしい、ときおり、薄紅のシャワーがおりる。ひらひらと表裏の違いをひけらかすように、知的なスピードでアスファルトの大地へと舞いおりている。
ちちゅちゅ。
こおおおお。
駅前の大通りとは打って変わり、とても静か。スズメの鳴き声と飛行機の羽音を薄くまとうのみ。
正方形の公園、そのゆいいつの出入口の中央には、直方体の花壇が据えられてある。煉瓦調の箱庭のなか、小さな羽根を寄せあって戯れる宿根霞草たちも、いまかいまかと微風の訪れを待っている。
悪くない。いや、最適かも。ベンチに腰かけ、本を読み、おもむろに寝そべり、うとうとと風を数えるには最適。
本は、そうだな……、
・ さとうまきこ『宇宙人のいる教室』
・ 松谷みよ子『ちいさいアカネちゃん』
・ 灰谷健次郎『せんせいけらいになれ』
・ 池田あきこ『わちふぃーるどシリーズ』
でも、いまの気分だったら、
・ Alex Shearer『ラベルのない缶詰をめぐる冒険』
これだな。
小夜ちゃんから薦められてもらった、若草色の装丁もかわいらしい、きっとお気に入りの1冊になるだろうハードカバー。しばらく胸中を鬱いでいたから、じつはまだ1ページも読めずじまい。読んでなかった、早く読みたい──という本音をようやく思いだした。
持ってこればよかった。あの木目のベンチへと気兼ねなく身をゆだねてしまいたい、そんな欲求に駆られる。気が済むまで本を読み、それから栞を挟み、ひと息を入れ、Aselin Debison『To Say Goodbye To You』に耳を傾けるんだ。
でも、肝心のベンチのうえには、すでに先客の姿があった。
正座を崩して地べたに座り、霞草の花壇に接するベンチ、その座面に上半身を伏せている。両腕で輪をつくり、輪のなかに頭を挿し入れ、まるで授業に疲れて眠る女子のよう。
白髪だらけの、小柄な老女。
宮城セツ──きっと、このひとがそう。あの世では、こんなふうにしてベンチに寝入るお年寄りには身内やケアマネージャーが付き添うのが定石だ。しかし、彼女以外に人影は見られない。俗にいう徘徊老人である可能性も否めないが、たぶん、十中八九、この世の光景と見ていいだろう。
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★ 不利不省の法則
【 ふりふせいのほうそく 】
死んだひとが第2の人生の姿となってどこへ送られるのか、どこで目を醒ますのかは、完全にランダムとなっている。
この世の摂理を学問する『
「幽体の、幽体と成って
なのだそう。要するに、この世の摂理においては、グリーンが死に場所の支配下に置かれないことが重要らしい。よって、目醒める場所はランダムなのだとか。なるほど、私も、自殺した部屋ではなく、無関係な団地の屋上で目を醒ました。
ただし、
「緩和されたベクトルの磁力関与に因り、生活習慣を長くしていた
との学術見解も発している。難しいことは省くが、
なんにせよ、だれが選定するわけでもなく、摂理のままに、当人の死にまつわらない場所へとランダムに導かれ、そうして、グリーンとして目を醒ますようにできている。
この普遍的な誘導現象のことを『不利不省の法則』という。
確かに、死に場所に支配されてしまったら、例えば関ケ原は幽体の吹き溜まりになっていることだろう。さらに遡り、縄文時代にまでカウントを延ばした暁には、特定地域に幽体が偏って収拾がつかないことになってしまう。死に場所に支配されず、こだわらず、フェアに、ランダムに目を醒まし、あるいは自由に往来できるような
裏をかえせば、ランダムであるがゆえに紹介屋稼業が成立するともいえる。だって、死に場所なんかで目醒められた日には、あっという間に生の未練に囚われてしまい、ラストされかねないのだから。これでは、紹介するどころの話ではない。
宮城セツもまた、ここではない、どこかべつの場所で死んだんだ。
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あぁ……ヤだな。
そんなようなことを考えているうちに人見知りが花を咲かせた。胸の芯がもじもじする。歯が浮き、指先が痒くなった……ような気分になる。
『若者には不思議さで。年寄りには厳粛さで』
テトさんが言うには、これがグリーンに対する最良のファーストコンタクトなのだとか。好奇心を刺激するか、摂理を悟らせるか、年代によってリアクションが異なるのだとか。なるほど、私がグリーンだったときには寿命が縮むほどの摩訶不思議な体験をしたんだっけ。団地の屋上から突き落とされたのだから。
いや、もちろん、これはテトさんのやり方なのでアテにはならない。彼女の真似をしようにも、できるわけがない。ましてや、ポンコツの私なんかには。
こおおおお。
いまだに飛行機が飛んでいる。音のするほうを探してみる。でも機影は見えない。微睡むための青空のなか、さっきから羽音だけが飛んでいる。
微睡みたい。太陽と、微風と、小説と、草花、あとはほんの少しの雑音──そんな微睡み。それだけあればいい。それ以外はいらない。緊張感だけは絶対にいらない。
『望月空美の
『ダメよ?
充実?
充実って、なんだろう?
私の慕う充実感ではダメなんだろうか。うまくいかないんだろうか。やっていくことができないんだろうか。
そんなことはなさそうに思えるけれど。むしろ、そのほうが長続きしそうに思えるけれど。
微睡み、揺蕩い、静けさに寄りかかる以外に、いったいどんな充実感が存在するというんだろう。私には、それがイメージできない。
幽体歴、たった3年の私。
経験不足の、未熟者の私。
ポンコツの私。
私の慕う充実感ではダメな理由があるんだろうか。そして、その理由に裏打ちされる狂おしい現実が、現実に打ちのめされる日が、裏切られる日が、いずれ訪れるんだろうか。イルマ姉さんやテトさんは、いったいなにを、どこまで知っているんだろうか。
『幽体の感覚には限界がある。限界は限界。そのさきはない。ないんだ』
わからない。
私には、ぜんぜんわからない。
幽体の抱く感覚は、しょせん錯覚に等しいということなのだろうか。生体に透けたときの不快感も、静電気の痛みも、人見知りの痒みも、すべて?
感覚には限界がある?
つまり、錯覚には限界がある?
充実感もまた錯覚で、いずれ限界がくる?
わからない。
私には、ぜんぜんわからない。
給水所の縁にお尻をもたれさせてから5分、私はまだ、なんにも行動を起こせないでいる。
微睡みとは程遠い不毛な停滞。産方の私は、確か嘔気をもよおすぐらいに人見知りの激しい性格だったような気がする。でも、この停滞が産方由来のベクトルによるものなのかはわからない。
わからない。
私には、ぜんぜんわからない。
「はぁ」
ため息の声を吐く。お尻で蹴って給水所を離れた。
このままでは日が暮れる。だいいち、私の紹介はダラダラしていて長いんだし。だったら、さっさと仕事を終わらせなきゃ。そうして、お家に帰るんだ。静かなお家に。目先の充実感に。
とはいえ、ドタキャンだけは赦されない。どこで監視しているかも知れない
仕事は、完遂させなくてはならない。
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