Scene 05

猫の目をした少女

 




 ふと思いだした。


 押し寄せてきた。


 毎回のことだけど。


 今日のように無理やり仕事をあてがわれると、決まって、紹介屋としての初勤務の日を思いだす。


 もちろん、思いだせるほどには憶えていない。最初から最後まで失神しそうなぐらいに緊張していたから。いや、記憶にないのだから、やっぱり失神していたのかも知れない。なにはともあれ、初勤務の日のことが断片的に、走馬灯のように、フラッシュバックで頭のなかへと押し寄せてくる。





 猫の目をした少女。


 自殺だった。


 長く伸ばした触覚もみあげ


 急行電車に轢かれて。


 指でくるくると巻く癖。


 ネットで苛められて。


 泳ぐ上目づかい。


 顔写真をさらされて。


 挙動不審。


 全国に。全世界に。


『死。死んだ。死。死ん』


 なぜか停学処分。


『やっぱ死ん。マジか。マジかぁ』


 スマホのなかは誹謗中傷だらけ。


『マジで死んだか。ウソ。嘘だ。ボク。死』


 いくらで売ってんの?──とか。


 ぼそぼそとひとりごちて。


 オ○ネタさーせん──とか。


 口角が弓なりにあがってるから。


 いつまで生きてるつもりですか?──とか。


 微笑んでいるようでもあって。


 だれにも相談できず。


 それがすごく怖くて。


 ひとりきりで抱えこんで。


 人見知りってのもあるけど。


 でも抱えきれず。


 怖くて。怖くて。怖くて。


 辛くて。辛くて。辛くて。


 泣きながら。


 泣きながら。




『私もなんです……!』


『ボク死んだの……!?』





「あぁもう。毎回毎回!」


 大袈裟に頭を振ってフラッシュバックを断ち切ると、視線を空へと逃がした。曇りのない青空。底なしの青空。落ちてしまいそうな青空。そのまんなかに、米粒大の鳥の影。美しい、長元坊ジゼルの影。


 それから、占いの館へと視線をさげる。なんの変哲もないカスタードクリーム色の雑居ビル。ついさっき、このなかにテトさんは消えた。器用に、自然に、お約束のように、コンビニ袋をさげた事務員スーツの女性に張りついて、


『結果オーライでいいのよ。頑張ってね』


 アクティブに消えていった。


 ひとりになったら、やっぱり不安。テトさんの励ましはまだ効いているけれど、憂鬱に苛まれて肩を落とすのはもはや時間の問題。


 ふと、あの少女のことも思いだしてしまったし。


 彼女──名前は確か──なんだったか──猫の目を持つ、猫の口角を持つ、ホントに猫のような顔をした少女のことを、いまはどこでどうしているのかわからないけれど、いまもこうして思いだす。仕事をあてがわれるたびに、断片的に、走馬灯のように、フラッシュバックで思いだす。きっと心的外傷トラウマなのだろう。


 あのとき、初勤務の緊張とか、共感とか、いろんな感情に押し潰され、とうとう泣き崩れてしまった私を、彼女はたぶん、ずっと眺めてて、それで、たぶん、たぶんだけど、自分の死を悟ったのだと思う。あきらめたように、それとも、白けたように。


『あーあ。この程度か。ボクの人生』


 いや、このときはまだ悟っていなかったのかも知れない。自分を景気づけるために、悟ったようなことを口にしたのかも。


 あれから3年。彼女はもう悟っただろうか。自分の死を受け入れただろうか。まだ疑心暗鬼だろうか。それとも、産方みたいに、抱えきれずに、虜囚に、虜囚霊になってしまっただろうか。


『楽しくなさそうですね。こっちの世界』


『私もまだ咀嚼中です』


『ソシャクチュウ。あっはは。言い方』


 そんなような会話もしたっけ。


 元気かな。


 会いたい気もする。いや、たった1日で別れてしまったから、会うのが怖い気もする。


 元気かな。


 ちゃんと歩いてるかな。


 同い年。同い年なんだ。そう、同い年。


 小まめに連絡を取ってたら、友達になれたかな。私にとって、生まれてはじめての、同い年の友達に。


 元気かな。


 まだ、猫みたいな顔してるかな。


 猫みたいな。


 猫。


 猫……、


「……タマ」


 あぁ。


 思いだした。


 名前。


 猫の名前。



皆月みなづき珠美たまみ



 初勤務のまえの晩、源頼朝が数珠で必勝祈願──みたいな憶え方をしたんだっけ。とてもややこしい、ひどく遠回りな憶え方。


「みな、づき、たま、み」


 よくよく考えれば、私の名前「望月空美」に似てる。


「なんだよ」


 どうしていままで気がつかなかったんだろう。


 ややこしい憶え方をしてしまったんだろう。


 運命の出会いだったかも知れないのに。


 こんな前向きな共通点にまったく気づかず、おどおどしながら彼女のもとを訪れ、切羽つまって泣き崩れ、慰められるようにして役場へと向かい、アフターケアも思わないまま、むしろ逃げるようにして、右も左もわからないグリーンの彼女をこの世に放ってしまった。置き去りにしてしまった。


 元気かな──よくもそんなことを。薄情すぎる。


 大丈夫かな。


 まだ、かな。


「タマ……ちゃん」


 いま、私は「空ちゃん」って呼ばれたりしてる。


「珠ちゃん」って、呼んでたのかな。


 なんで、連絡、取りあわなかったのかな。


 同い年で、似たような境遇で、似たような名前なのに。


「なんだよ」


 運命、だったかも知れないのに。


「なにやってんだよ、私」


 つぶやきを叫んで、ふたたび、空を見あげた。


 いまだに小さな鳥の影。あの子の円らな瞳に、広い視界に、猫の姿は、映ってないかな。映っているなら、いますぐ、知らせてくれないかな。かつて、置き去りにしたこと、謝りたいんだ。そして、できれば、友達に、ムリかな、でも、できればでいいから、私の、友達に、なんか泣きそう、でも、友達に、なれない、かな、ムリかな、もう、もう、もう、ムリなのかな。




 

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