第三の蘇生法(3)

 白百合の女侯は指先で合図し、葉巻を要求する。自動人形は求めに応じ、吸い口をカットしたものを差し出した。リリィ・ホワイトマンの隣席を占める仮面の男が、絶妙なタイミングで着火器を差し出すと、紫煙が緩やかに流れ出す。

 女の唇から、ふぅと吐き出された息は、頽廃的な甘さを含んでいた。


「市長、いつからです?」


 おれの問いはつまり「いつからリリィ・ホワイトマンと結託したのか」ということだ。

 ゴーフルもまた葉巻を手に取りながら、答える。


「つい、今しがただとも。君がそこの魔女の追跡に出向いてから、ほどなくしてだ。こちらの占宮司殿がおいでになられてな。ことの次第と、互いの今後についてお話しくださった」


 ゴーフルは満足げだったが、おれにはそれが信じられなかった。

 この緑鬼は極めて強欲かつ慎重、そして何より諦めない。

 その彼が敵対すると認めた陣営と、手を組むからには相応の条件があったはずなのだ。


 訝しむおれの様子に、仮面の占術師が言う。


「我々は、市長の地位を脅かすものではない。『市』は今後ともゴーフル氏の治世によって繫栄するだろう。我々が求めているものは、すでに余さずそろったのだから」


 不意に、周囲の空気が澱んだような感覚があった。

 肌を伝う不快な感覚のもとを探ろうと周囲を見渡せば、状況は奇異に変わっていた。

 おれの隣で激昂していたはずのグレイは虚ろに宙を眺め、背後に控えていたギルミアとバーバヤガもまた膝をつき視線を落としたままである。


「驚くことはない。君以外の人物には、認識阻害の術を張らせてもらった。君が──私にとっては不本意だが──信頼に足ると推薦されたものだからな。君はこれから代議員として帝都に向かい、この施策を立法することになる。そして、エルフどもの祖王ギルセリオン復活の指揮を執ることになる」


 おれは不安定な姿勢のグレイを手近な椅子に腰かけさせる。

 半面から露わとなった唇の歪みが、対する男の人間性を物語っていた。


「おれがおとなしく従う理由があるか?」


 内心にチリとした苛立ちが沸き上がった。

 魔名リッチを解放して、この場で暴威を振るうことを選択肢に加える。

 たとえ、自滅することが予見されていたとしても。


「おやめなさい、エリオット。娘も悲しみますよ」


 リリィ・ホワイトマンが、マロウを包む骸布をほどいていく。

 傷一つない彼女の遺骸があばかれて、円卓の上に晒された。

 あの光輝の中で、マロウの肉体に刻まれてきた古傷は洗い流されていた。


「マロウを人質にとれば、おれが言うことを聞くとでも」


 女侯は下がり気味の眉をさらに傾けて、残念そうにつぶやく。


「それだけでは聞いてくださらない?もっとも、もう娘は還らないのでしょうね。

 わたくしにもその程度のことはわかりましてよ。それに、あなたに対して脅すような交渉は失礼というものでしたわね。その魔名にかけても」


 くふふ、と含み笑いするリリィ・ホワイトマンを、おれは射殺さんばかりに睨む。

 横合いから、ゴーフルが仲裁に入った。


「エリオット。私からも頼もう。正直に言えば、これは私にとっても千載一遇の好機に違いないのだ。これを逃して、私がこの先に自由の身になることはあるまい」


 ゴーフル市長の口ぶりに、おれは思い当たる。

 彼がなぜ、この要塞のような市庁舎の最上階に潜み棲むのか。

 それにはただ一つの理由──すなわち彼が「破門」の身であること──があった。


「なるほど、ホワイトマン卿の伝手から贖宥状を得られるのですか」


 死者の蘇生リバイヴは、同時にあらゆる暴力からタガを外した。

 苦痛に対する恐怖は未だ人々の中にある。

 しかし暴力をふるう側に付きまとう、命を奪うかもしれない、という恐怖は失われ、殺人に対する忌避感もかき消えた。

 ゆえに、暴力の行使から歯止めはなくなり、たやすく限界に至ることとなる。

 それでも、人々もまた蘇生があるがゆえに、その死を受け入れてきた。


 蘇生リバイヴとは祈祷術に属する術理であり、それは教会の有する秘儀である。

 これが今日の教会の隆盛を支える下地となっており、その権力の行使手段の一つとして「破門」がある。


「破門」の烙印スティグマを受けたものは蘇生リバイブを受けることが叶わない。

 神から拒絶された者、アンフォーギヴンへの転落。それはこの時代に生きる者たちにとって、この上ない恐怖であった。

 生が元来に有していた一回性と向き合うことに、もはや人々は耐えられなかった。


「それは、市長にとってはこの上ないことでしょう」


 罪一等を赦免する贖宥状は、相当のことがなければ手に入らない。

 この豪奢な城は、ゴーフルにとっては孤独な牢獄にも等しいものであったはずだ。


「あなた自身にとっても帝都に戻ることは、望むものなのではなくて?」


 たゆたう紫煙の帯が、円卓の上を踊る。

 吸い込んだ空気に混ざる煙は甘く、おれの思考を曇らせた。

 おそらくだが認識阻害の触媒となっているのは、この煙か。


「問題は、ホワイトマン卿の真意です。あなたは、帝国をいかになさるおつもりか。その点をお聞かせいただきたい」


 限られた者たちだけが意識を有する、静止した空間で、白百合の騎士は語る。


「神託です。この娘を授かったときに、神より受け取ったのです。偽皇を廃し、世界の秩序をあるべき姿に戻せと。私も、未だ皇帝陛下が下賤なるエルフの血につらなるとは信じかねております。しかしながら……いえ、なおさらに確かめねばなりません。この地を支配する者が、神に仇なす眷属であって良いはずがないのですから」


 まっすぐにおれを見る女の目は、狂信的でありながら、グレイの如き熱狂とは程遠い。どんよりと絡みつく、泥沼のような信仰が蒼い瞳の奥に煮えている。


「断れば、どうなる」


 聞くまでもない問いかもしれなかった。


「エリオット、あなたでやるだけですよ」


 剣呑な言葉とともに放たれた殺気が、おれを貫いて呼吸を誤らせた。

 引き込んだ呼気が、喉の奥でヒュッと鳴る。

 なるほど、この女は騎士としても一流に属するらしい。


「具体的に……聞かせてもらいましょう」


 魔名の解放よりも早く、女はおれの首を刎ねるだろう。

 この場にあって、もはやおれに選択肢などない。

 それでも、できる限りの交渉をおれは始めたのだ。



 §



「それで、姐さんはどうなるんです」


「市」から供与された馬車の内側には、おれとグレイ、ギルミアとバーバヤガ、そして激しく主張する赤毛の青年、ミスラがいた。

 マロウの従者である彼とは、おれ達が「市」に戻る直前に出会っていた。


「ホワイトマン君の遺骸は、教会が守っておる。誰も手出しできん」


 グレイのもともと白髪の多く占めていた頭髪は、一夜を経て真っ白になっていた。

 彫りの深い顔立ちは、さらに骨ばって、さながらに死人のようである。


「このままなラ、聖遺物セイイブツとしテ、祀られルだろう」


 グレイに比較すれば、銀めいた白髪、褐色の肌を持つダークエルフが皮肉めいて言う。ギルミアの声音は、随分と自然になったように思われる。


 ミスラは赤毛を振り乱して、彼らの言葉を遮った。


「あんたらには聞いてねえ!なあ、エリオットの旦那?!」


 こらえかねて、バーバヤガはくつくつと笑う。

 それに釣られたように他の者も含み笑いを始めた。


「やめろ、何もまだ始まっていない」


 おれは、馬車の後ろに曳かれる荷台に目をやる。

 そこには幕をかけられ、丁重に温湿管理を仕掛けられたひつぎがあった。

 他の者らは出し抜いたつもりかもしれないが、おれの内心は暗澹としていた。


 おれ達がリリィ・ホワイトマン達に引き渡した遺骸は、ギルミアの造り出した「泥人形」だった。

 グレイが死霊術師として屍の体裁を整え、

 バーバヤガが占術師としてその情報を整理統合し、

 ギルミアが変性術師として、受け取った情報から捏ね上げた。

 おれは「泥人形」を確かめたが、並べた本物の遺骸と一分も変わらない出来栄えだった。

 そして、ミスラは彼女の遺骸を一晩の間、隠匿していたのだ。


「お主は、結局ギルセリオンの復活を企図して『市』を訪れたか。否、そもそもお主を地下から手引きした存在というのが……連中だったか」


 グレイはギルミアに問う。

 ギルミアはニヤリと笑い頷いたが、すぐに表情を曇らせた。


「祖王の御霊ヲ探しあてル、力ある占術師がいると聞いタ。それに従イ、メレ(これはエルフの言葉に愛する者を指す)と出会えタことは実に良かっタ。だが……結局ハ、連中の手の内ダ」


 占宮頭取と呼ばれた仮面の男が、帝都から逃れた奴隷と「市」を結び付けた。

 ギルミアはバーバヤガと血を交わし、それによって得た知識から「肉」の変性術を編み上げたが、交換直後の不完全な定着では文字通りの泥人形にしかならなかったのだ。


「あの男にハ、必ず報いヲ与える。メレに致死の反術カウンターを仕掛けたことヲ、後悔させてやル」


 奴隷のエルフと血を交わすことは、不浄の交わりである。

 占宮貴族の係累のなかで、望んでそれを為す者などいなかった。

 忘れられた忌み子であるバーバヤガは、こうして改めて見出され、そして血の交わりの後に消される……はずだった。


 バーバヤガは、今、メレという二つ名を得た。彼女の魔名は弱まるだろうが、その代償にもたらされるものは、かけがえがないものとなるだろう。

 褐色の魔女がたたえる無言の微笑みには、ささやかな幸福が宿っている。


 おれ達は一つの仕事クエストを受けている。

 すなわちそれはエルフの祖王ギルセリオンの復活である。

 死霊術によって長命なるエルフの魂を束縛し、祖王の号令のもとに隷属させる。

 外法の成就に加担しようとしていた。


 もっとも、この場にいる者達のなかで、それ自体を気にかけているものはいない。

 グレイは頑なに拒んでいたものの、それもまた死霊術が公のものとして認められ、彼自身が表舞台に戻るためであると説得されれば、受け入れない理由は無かった。

 ギルミアにも同族に対して忌避の念はないかと問えば、奴隷どもの多くは、ダークエルフを迫害してきた他の種族に過ぎず、これもまた復仇に叶うなどと答える始末だった。


 そして、もう一つ。

 おれ達には果たすべき使命クエストがある。

 それこそが、今この場に居合わせる者たちが真に力を合わせて臨むものだった。


「まずは、グレイの研究室に溜まった黄泉を祓う。そこで魂を相当量調達できるだろう」


 マロウの復活。

 祈祷術とも、死霊術とも違う、魂の創造。


「だが、いずれにしても白百合殿とは仕合わねばなるまい」


 おれの手が魂の在り方を定める。

 だが、そのためにはマロウ・ホワイトマンの「すべて」を知らねばならない。

 彼女が生まれ、そして死ぬまでの時の「すべて」を……占術によって蒐集する。

 おれ達はマロウの生きた足跡を辿っていくのだ。


 彼女の従者として付き従うミスラ。

 異端審問官としてのマロウを知るグレイ。

 学生であった彼女を知るおれ。

 蒐集した魂を練り上げ、彼女の生まれから今日までを刻みつける。

 それには……母であるリリィ・ホワイトマンの記憶は、欠かせないだろう。


 危惧するグレイの言葉に頷きながら、おれは内心にそれを否定する。

 なぜなら、リリィ・ホワイトマンは、マロウの復活に協力することをおれに約束したからだ。

 しかし、この場でその条件を知る者はおれだけだ。

 他の者達は、認識阻害の帳の外にいた。

 そしておれ達が仕掛けた浅はかな「人形」のすり替えなど、見抜かれて当然だったのだ。

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