第三の蘇生法(2)

 夜明け前、おれ達──おれ、グレイ、バーバヤガ、ギルミア、そしてマロウ──は市庁舎に帰ってきた。

 グレイの操る二頭の屍馬ネクロホースは、その背に馬車の残骸から剥いだ板を渡されている。マロウの遺骸──もはや蘇生リバイヴの見込み無い死肉だが、おれ達はそれを死体と呼ぶことを避けていた──は、灰色の布に包まれて、板の上に載せられていた。


 薄暗い市庁舎の裏口には、すでにオブシダン色の自動人形オートマタが待ち構えていた。装飾の薄い無骨な人形の首元に据えられたスピーカから、音割れがちな声が流れてくる。


「よく戻ったな、エリオット。しかし千客万来とはこのことか。いいとも、歓迎しようじゃないか」


 流れた市長の声の背景に、衣擦れと女の笑い声が混じったのを、おれは聞き逃さなかった。千客万来とは、おれたち一行パーティを指すものではなく、先客を含めてのことらしい。


 先導するオブシダン色の自動人形とは別に、橙と黒の縞模様を施された腰の高さほどのチビ人形が集団で現れた。彼らはほとんど自律して思考せず、定められた作業ルーティンを行うために存在している。

 術の戒めを解かれた屍馬を片付け、マロウの遺骸を左右から持ち上げる。六体のチビ人形は、おれ達の後についてくるようだった。


 グレイは帰途以来、呆然とおれの指示に従い続け、バーバヤガは落ち着きなく不安げだったが、ギルミアだけはなぜか泰然として不敵な笑みを浮かべていた。


「気にならないのか?これからどうなるのか」


 おれが問えば、この白髪のダークエルフは、片頬を歪めて笑んだ。


「ボクがカ?気ニしなければ、ならなイのは、お前の方でハ?」


 ギルミアの声調はかなり自然なものに近くなってきていた。真意を測りかねる返答に、おれは問いを重ねようとしたが、ふとこのダークエルフは魔女と血を交わして、占術を己の血に取り込んでいたことに思い当たった。

 成りたての占術師にありがちな態度だと、おれは問いを呑み込んだ。


 階段脇の隠し戸から入り、壁材の剥げ落ちたバックヤードを歩く。以前に十三フロアへと向かう際に用いた昇降機の前を通り過ぎ、二回りほど大きい吊り籠ゴンドラのある場所へと通された。

 四名の生者と一人の遺骸、そして七体の自動人形が乗り込むと、箱はほとんどいっぱいになる。上方へと加速する箱のなかで、おれはここに至るまでのバーバヤガとのやり取りを思い出していた。


「グレイ、大丈夫か?」


 心ここにあらず、といった調子のグレイは、一気に老け込んで呆けてしまったように見えた。おれの声にも一拍遅れで「うむ」と答えただけだった。

 昇降機はその大きさに反比例して、緩やかな制動で動きを止めた。箱の前面を遮っていた柵が払われ、自動人形達が先んじて降りていく。オブシダン色の指揮者と、それに従う橙黒の従者。その後を、残された人間はついていく。


「儂はな、エリオット。酷く裏切られた思いがする。ホワイトマン君をどのような形で扱うにせよ、我らが大いなる存在の御前に供する役目を授かったと喜んでいたのだ。御手にのぼせる仕業しごとをお授けになられたのだ、邂逅のときが来たのだ、と。にも関わらず、儂はその刹那を逃した。そも、神は我ら──お仕えする我ら──を必要とはしておらぬのではないか」


 老翁は力なく愚痴をこぼした。そして、誰に対してともなく「赦しを逃した」と呟き、うつむいたまま歩き出した。


 つなぎ目のない青壁が続く十三フロアを、おれ達は歩いていく。そして、市長室とつながる壁が開かれ、赤い絨毯の広がる部屋が現れた。


 紫煙と麝香の匂い、酒精がひどく漂っている。

 迎え入れられた部屋には、調度品から発せられた薄い光しかなく、頽廃的な雰囲気を醸し出していた。市長が、自室にこういった空気を持ち込むことは、今までにも何度かあった。すべて、が重畳に運んで終わったときのことだ。


 巨大な円卓──三十人以上がかけられるであろう──には、白い布がかけられ、その上にマロウの遺骸を包んだものが置かれた。それは遺骸を供える祭壇には、ふさわしいとは思えなかった。まるで、饗膳を扱うかのようで、おれは不愉快に顔をしかめずにはいられなかった。


 円卓の彼岸には、一人の男と、一人の女、そして見慣れた緑鬼がいた。


 最も不審な装いをしていたのは、左端の男だった。

 男は顔の上半分を黒い仮面で覆い隠している。


 半面ハーフマスクそのものは、夜会に用いられるような瀟洒な装飾である。

 すらりとした体型に、首筋から胸元にかけてにフリルのついたドレスシャツ。羽織った裾の長い上着は、青蝶の鱗粉を振ったように光を帯びている。

 服飾の程度から見ても、富裕の者であることは見て取れる。露わになった口元は緩んでおり、この場の享楽を味わっている様子だった。


 しかし、おれはそれ以上、その不審な男を見分することに時間をかけるのをやめた。なぜなら、中央の女こそ、最も警戒するべき存在だったからだ。


 純白の装飾鎧ドレスアーマー──コルセットとパニエを骨格として、金属札を連ねた儀装──を身にまとう、妙齢の美女だ。


 柔らかな笑みには、下卑たところが一毛も無く、高く結い上げられた白金の御髪には、一筋のほころびも見られなかった。

 女はまるで陽だまりのようにありながら、完全な騎士であり、緩みを見出すことができない存在だった。


 その名から、白百合に例えられる女の相貌は、確かに美しい。ふっくらとした頬の上に、角度の緩い下がり気味の目じりが置かれている。だがそれは傾城といった趣ではなく、穏やかな慈愛を感じさせた。


 すらりと伸びた腕は、白い長手袋で覆われており、その手にはワイングラスが掲げられている。


 帝都三千騎士の母と称される女侯でありながら、彼女は本来対立する間柄である騎士と教会のいずれにも権を及ぼす存在である。それは両権を束ねる皇帝以外には存在せぬ例外であった。


 名をリリィ・ホワイトマン。

 本来であればゴーフル市長の政敵であった女が、卓を同じくしている。


 最も右の席を占めていた緑肌の小鬼は、椅子から立ち上がり、労いの言葉をかけた。


「まずは諸君らの無事を祝おう、よく帰ったな、エリオット」


 濃紫のスラックスに、白いシャツ。

 それは普段のゴーフルの装いからは、少しばかり清潔感がある。


 漆塗りの黒人形が、人数分のグラスを盆に携えて歩み寄ってくる。

 その歓待を無視して、おれは問うた。


「なぜ、ここに白百合殿が?」


 リリィは取り出した扇子を広げると、口元を覆い隠して曖昧に微笑むだけだった。

 代わりに、仮面の男が口を開く。


「本来なら、君たちのような者と同じ場に居合わせること自体が不潔なのだが」


 貴族主義を絵に描いたような物言いに、おれは思わず鼻白んだ。


「とはいえ、功績は認めざるをえまい。『しるし』を持ち帰っただけでなく、傀儡を仕立て上げる目算まで立てたそうだな……そこの畜生と出来損ないの罪も、一等減じて見逃してやろう」


 仮面の男は、芝居がかって指を振り、ギルミアとバーバヤガを指した。


「ありがたく存じます、占宮頭取」


 バーバヤガの返答を、仮面の男は鼻で笑う。ギルミアは膝をついて、俯いたまま、それらのやり取りを聞いていた。

 占宮家門の実務を担う長にあたる人物、すなわちは放逐されたバーバヤガの血統に繋がる者であろう。どうやら彼女の存在は、本家筋からは「出来損ない」と蔑まされるものであるようだ。


「市長、ご説明していただけますか」


 視線を厳しくしてゴーフルに向ければ、渋面のゴブリンは、ばさりと紙束を投げて寄越した。紐で括られただけの簡素な企画書レポートだが、相当の厚みがある。


「奴隷資源の持続可能性と管理の強化について?」


 表紙に印字された内容だけでは、内容に思い至らず、おれは頁をめくる。

 冒頭に示される要旨を一読し、続く詳細を読み進めながら、おれは薄ら寒い思いを抱く。振り返ってギルミアを見れば、俯いた影にある口元が歪んでいる。


「まさかとは思いますが、市長」


 その、まさかだよ。と、ゴーフルは受け止める。

 円卓につく権力者どもは、一様に鷹揚な態度を崩さない。


「エリオット君には私の代理として、帝国議会でそいつを立法してもらう」


 おれは速読した紙束を、悄然として成り行きを眺めていただけのグレイに押し付けた。老翁は興味なさげに読み始めたが、すぐに指の速度に勢いがつき出した。そして憤懣を隠そうともせずに、紙束を卓へと投げ返した。


「くだらぬ!死霊術を公然と運用するなど、皇帝陛下がお許しにならん!」


 エルフの寿命はながい。奴隷として縛られてなお、彼らが老いて死ぬ姿を見たものは、ほとんど無い。しかしながら苦役に苛まれる彼らの身体はそうはいかず、また心を擦り減らして自死に至る者も多くある。

 おれはこの表題を目にしたとき、一種の奴隷に対する規制論なのかと考えたが、実際はそれとは遠くかけ離れた内容だった。


「エルフは蘇生できない。彼らは堕神の種であるからな。そこで死霊術の出番というわけだ。帝都の労働人口は減少の一途でな、こういった抜本的な解決をはかる施策が必要とされている。可及的速やかにだ。わかるな、エリオット」


 ゴーフルは淡々と告げる。


「問題が、二つあります」


 ゴーフルは身振りで言を許した。おれは続ける。


「一つは死霊術に伴う精神の荒廃です。一般的には、魂を縛られたものは術者からの指示以外を受け付けないでしょう。運用に支障をきたすことになるでしょうが」


 ゴーフルを制して、仮面の男が答えた。


「そのために傀儡を立てるのだ。ギルセリオンの復活と、その魂の束縛。彼奴らは祖王の声に耳を傾ける。そういう『蟲』のような連中だからな」


 嘲るような声音に、おれが眉をひそめていると、中央で今まで沈黙を保っていたリリィ・ホワイトマンが扇を畳んで、視線をこちらに寄越した。


「あの泥人形は、悪くない出来でございましたよ。ギルミア」


 へっ、と調子の外れた声が背後から聞こえた。リリィの声はマロウのものとは全く似ていなかった。清澄な鈴のように、それでいて冴えた剣のような声音だった。


「あれは、あなたの愛おしい祖王様を象られたものなのでしょう?人間に蹂躙されて、襤褸々々ぼろぼろになった、あの哀れな王の最後の姿を象ったのでしょう?何とも可愛らしいこと。お前たちエルフは、例えそれが屍であれ、愛おしい愛おしいギルセリオンに支配されたくて仕方ないのでしょう?何かに支配されずには生きていられない、真性の畜生ですものね。挙句にその王様の仇敵かたきである人間ヒューマンにさえ支配されて喜ぶ奉仕豚め」


 くつくつと笑う女は、あまりに純白でありながら隠しきれぬ悪を発露させていた。


「それで、さあエリオット?二つ目の問題は何かしら」


 興が乗ったように、彼女は扇でおれを指す。

 おれは気圧されまいと、前を見返して答えた。


「すでにグレイ翁が申し上げたように、皇帝陛下はお許しになられないでしょう。故に、このような施策は実現し得ない」


 ふむ、とリリィは息を吐き、おれは次の言葉を聞くべきではなかったと後悔した。


「ねえ、エリオット。そこの畜生は変性術を扱うのねえ。魔術とは血の術、血統の枝に咲くあだ花と呼んで然るもの。あら──さて、そういえば皇帝陛下の扱われる術もまた変性術であらせられた──これはどういうことかしら?まさか、私たちが仰ぐべき方が『人間』ではなかったと?身近にあって、お前はどう感じたのかしら、エリオット」


 皇位簒奪。

 この謀略の行きつく先には、終わりなき暗闘が待ち構えていた。


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