第三の蘇生法(1)

 マロウ・ホワイトマンの死に、最も早く気づいたのはおれだった。

 肉体から青白い影がずれ、彼女の相貌が二つ重なる様を、おれは見ていた。

 しかしながら、先んじて動き出していた人物がいた。

 グレイ・ドゥームストーンはこの経過を見るでもなく、予見していたからだ。


 気づけば、老翁は灰色の外套を翻して、マロウの傍らを占めていた。その動作は、未だこちらに敵意を向けるダークエルフの視線を切り、生じた意識の間に短刀を抜き出していた。

 それは武威としては最低限の威嚇に過ぎず、この聖女の遺骸に対する主導権を握ろうという意思表示だった。


「今、儂には神の力を目の当たりにして、この『しるし』を持ち帰る義務が生じた」


 先ほどまでの狂奔は嘘のように消え去っていた。目には理知の光が宿り、口をつく言葉は淡々としている。それでいて、浅黒い頬には紅潮のあとがある。


 おれが体の痛みに抗って立ち上がる素振りを見せると、グレイは短刀を持つ側とは反対の掌をこちらに向ける。無言の内に、おれの挙動を制して、彼は呟いた。


「が、迷っておる。我が友、エリオットよ。如何にするべきか」


 友と呼ばれることに、ぞっとする相手だ。

 如何にするとは、マロウの処遇の他にはない。


「ここで蘇生を施すべきだ、今すぐに」


 異端審問官の「親」の地位にある男だ。最低限、蘇生の祈祷は修めていて然るべきだろう。しかし彼はマロウの遺骸を指して「しるし」と言ったのだ。おれの言に従って、蘇生を施すだろうか。


「……率直にいえば、貴殿の言うところに従いたい。が、十中八九にホワイトマン君は御許に召されることになるだろう。それが彼女の平穏であるというならば、それも良かろうが」


 御許に召される、という言い回しの意味するところは誓願の成就──蘇生は祈祷術に基づいた神との誓願契約である──遺骸の持ち主たる魂が、昇天に値するだけの力を神に認められるということだ。すなわち、それによって引き起こされる事象とは、死者の復活に非ず。残されるものは、聖絶された灰のみ。


「先に我らが目にしたものは、神降ろし。これを成し遂げる力ある英雄となれば、それはもはや昇天して信奉を捧げるに相応しい存在と見なすべきだろう。ゆえに──」


 グレイは改めて言いよどむ。

 彼の立場であれば、グレイに蘇生を留める理由などないのだ。原理主義者の眼鏡で見れば、相応しい力ある魂を御許にのぼせることこそ、司祭に課される一番の仕業しごとであろう。

 一方で、彼はこの奇蹟の「しるし」であるマロウを持ち帰ろうという目論見を持っている。いずれに持ち去るか──教会のいずれの派閥に違いはないが──最も高い値を付ける者とは。


「お前もまた、リリィ・ホワイトマンの走狗だったか」


 看破すれば、グレイはこちらに顔を向け、苦しげに呻いた。


「自由の対価でな!こうした仕業がなくば、儂は穴蔵から出ることすら許されぬのだ。皇帝の庭を守る騎士どもが妬ましい。外道に手を染めねば、このようなことも無かったであろうものを……否、詮無いことよ」


 独白には、死霊術師としてのグレイ・ドゥームストーンの半生がにじみ出ていた。

 彼は油断なく短刀の切っ先をダークエルフに向けたまま、おれに顔を向ける。そこには茫洋として読み切れぬ悲哀と、悟ったような諦念が同居していた。


 市長──ゴーフル・ダークビアード──が、その政敵となるリリィ・ホワイトマンを失脚させる情報を求めていた一方で、リリィもまた動いていたのだ。

 彼女の躍進の原動力となってきたものは、処女受胎という奇蹟、そしてそれを背景とした聖人騎士としての身分である。その彼女が市政を手中に収めるべく選んだ方策とは、再びの奇蹟だったのだ。


「マロウの遺骸を御旗に立てて、リリィ・ホワイトマンは悲劇の聖母を演じるわけか。英雄の奇蹟を背景ハロウにして、『市』を切り取ろうというわけだな」


 果たして、この策謀はどの時点で絵図を引かれていたのか。

 事の始まりはどこにあった?

 帝都の地下からダークエルフが逃亡したことは?

 近在の村に死霊術が撒き散らされ、その追討にマロウが置かれたことは?

 そもそも……マロウが異端審問官の任に就くことができたのは?


「不思議だったのだ。お前のような手練れが、この程度の逃亡奴隷の捕縛に手をこまねいているのが。識別票タグを切られたことは誤算だったかもしれんが、市に紛れ込む前にはカタを付けられただろう」


 おれはようやく背筋を伸ばし、マロウの遺骸に向けて一歩を踏み出した。

 グレイはおれと目を合わせると、ゆるゆると頭を振った。


「そこの奴隷はな、本来このように術を扱えるものではなかった。万物流転を司る変性術を修めることとは、その物質に対する深い知識と観想を要する。教えた者がいるのだ、『肉体』の何たるかを!」


 言いざま、グレイは首を返し、ダークエルフを──その抱きかかえた魔女を──見た。

 バーバヤガは血を交わしたと言っていた。それは血に寄る辺を持つ術の交換につながる。

 変性術は適性を持とうとも、移り変わる「モノ」の性質について知らなければ、術の卓越性へとは至らない。一方、魔女の占術が扱う情報とは、単なる知識の集積を越えた領域へと接続する。それにより補完された「肉体」は不完全だったダークエルフの変性術を、最上級術の域にまで押し上げた。


 その問答を裂いて、女の細い声が響いた。

 身を起こそうとするバーバヤガを、ダークエルフが押しとどめる。それに逆らって、魔女は非難めいた言葉を吐いた。


「ふふ、白々しい……こうなること……私がギルミアと血を交わすことも全てわかっていたでしょうに。占宮家門が忌み子を始末するために、送り込んだ刺客があなたなのでしょう?この日、この時、この場所に、私たちが居合わせることも『見てきた』はず」


 占宮とは、帝国において占術の血を宿した貴族家が占める要職を指す名である。バーバヤガの顔からは血の気が失せていた。グレイを指し示す指先は、かすかに震え続けていた。


「儂はそのような命は受けておらぬ。教皇猊下の名において働く異端審問官を、陪臣の暗殺騎士などと見られては困る」


 指弾をかわして、老翁は憮然と言い返した。

 ギルミア、と呼ばれたダークエルフは、震えるバーバヤガの手を押し抱いた。

 そこで初めて、この痩せた白髪褐色のエルフの喉が震えた。


「取引シタい」


 いくらか、歪な音調だった。エルフは本来、帝国の共通語とは異なる言語を操る。おそらくだが、バーバヤガの占術から、共通語に通じた知識を得たものの、喉を通して発話することに不慣れなのだろう。


 それにしても「取引」の申し出があるとは意外なことだった。


「聞こう」

「エリオット、この場で貴殿に何かを差配する権利があると思っておるか」


 気色ばんだグレイを無視して、おれは先を進めるように促した。

 ギルミアは言葉を選んでいるようだった。

 その言い淀む様子に、バーバヤガが言を継いだ。


蘇生リバイヴ以外の方法があるとしたら、私たちを放免してくれるかしら」

「もちろんだ」


 即答するおれに対して、グレイはかろうじて憤激を押し殺している様子だった。


「勝手なことを申すな、そもそもが……蘇生リバイヴ以外?何を言い出すかと思えば、死霊術ネクロマンシーでホワイトマン君を反魂しようとでもいうのか?この聖絶に値する肉体に、そのようなこと儂は決して認めぬが!」


 死霊術によって魂を肉体に強引に縛り直すことで、肉体を再び動かすことは可能だろう。しかしそれは心身のいずれか──腐れた肉か、あるいは人格の荒廃か──その危険を孕んでいる。当代に一位と言ってよい死霊術の使い手がこの場にあるとても、それは変わるまい。


「……ギルセリオン……ノ、復活ニ、手ヲ貸スとシタら、ドウか?」


 ギルミアの提案を耳にした途端、グレイは豹変した。

 感情の浮かばぬ、つるりとした表情で、冷酷に言い捨てた。


「何か……あるのであれば、やってみるがいい。言葉を違えることがなければ、貴様とそこの女は、正統な帝国民として扱われるだろう」


 先ほどまでとは打って変わって、グレイはひどく平静な様子だった。それは彼に課せられた使命──彼を走狗として扱う者は一人ではない──の一つ、そのうちの最も上位の者より課せられたる命に際しての態度だった。


 白髪のダークエルフは、褐色黒髪の魔女を介添えして立たせると、肩を貸しながらおれの方へと向かって来る。


眼球めだまヲ、持ッてイルナ?」


 ギルミアの問いかけに応じて、おれはバーバヤガの人形フェイクに嵌っていた眼球を取り出す。バーバヤガは震える手で、おれからそれを受け取ると、おもむろに口中に含んで嚥下した。


「どうするつもりだ」


 おれが問えば、彼女は弱々しくも、確たる調子で答える。


「私がたところでは、このの魂を隠したり、あるいは肉体に戻せば、それは神意に背くことになるでしょう。捧げられるべき信奉を蔑ろにしたことに、神は怒り……世の崩壊が起こる」


 それは、マロウが身に宿す魔名そのものが神との契約に近い性質のものであることによるものだ。彼女は超常の力イモータルパワーを振るう代償に、神との契約を履行せねばならない。そして……ここで倒れたということは、それを神が望んだということなのだ。

 他ならず、彼女の魂を自らの御手に引き寄せるために。


「故に、彼女の魂は捧げられねばならない」


 バーバヤガの額にあるべき第三の瞳を隠す裂け目は、閉ざされたままである。しかしながら、呑み下した目玉の影響か、衰弱していた様子は徐々に薄れつつあった。

 卓越した占術師の血筋に生まれ、さらに名を塗り重ねる代償とともに得た力だ。彼女の言葉は神託・預言にも等しい力を持っている。


 おれは沈黙して、話の続きを待った。

 マロウの復活について、絶望的な見解が下されていたが、それだけではないはずだ。


「なら、魂を創造すればいい」


 おれとバーバヤガのやり取りを聞いていたグレイの喉が、ひゅっと鳴った。


「魂の創造?この儂が言うのもおかしなことだが、正気かね?君は魂とは何かを同定したとでも?一体どのようにして、霊魂を創ろうというのかね」


 グレイの冷めた言葉に、バーバヤガは首を振る。

 そして、おれに体を向けなおす。改まった様子でバーバヤガはおれの手を取り、土ぼこりを払うと、二つとない宝石を扱うごとく、指先から手の甲に至る線を撫でた。


「エリオットならば」


 おれならば?おれの、この手ならば?


「霊魂へと直接に触れる手です。この世に命ある者のなかで、ただ一人、見えざる領域へと介入する力を持つ、あなたならば」


 魂を、望む形へと変えることができるというのか。


「だが……おれにできるとは……否、お前が言うのなら可能なのだろう。教えてくれ、バーバヤガ。マロウの魂を象る道を」


 心の天秤が、関を切って傾いた瞬間。

 遥かなる天頂に在って、おれたちを見ていた目が瞬いた。

 マロウ?

 振り返った途端、青ざめた魂は、目を閉じたまま、淡雪のように融けて消えた。


 その現象は、おれ以外の誰の目にも映らなかった。

 同時に、おれは聞いたのだ。

 これから辿る道が、神からの試練であるという声を。

 不遜なる反抗を企図した定命の者モータルに課される、苦難の試練であると。


「エリオット?」


 マロウ・ホワイトマンの遺骸を凝視するおれに、バーバヤガが声をかけた。

 未だ温かいマロウの肉体には、もはや霊魂の楔は無かった。

 遅れて、グレイの目が驚愕に見開かれた。

 恐らくだが霊魂の存在を探知する術が、マロウが去ったことを知らせたのだろう。


「逝ったのか!?」


 おれは頷いた。

 老翁は目を見開いたまま、信じられない、と数度繰り返して、その場に腰を下ろした。

 バーバヤガは、事態を呑み込めずにいる様子だった。

 神からの直接の介入は、彼女がたものの外にあったようだった。


 しばらくして、おれは立った。

 グレイは残された死体を、恭しい手つきで包み始めた。


「さあ、教えてくれ、バーバヤガ。マロウをこの世に象る道を」


 決意は揺らぎはしないだろう。

 神からの試練は、おれの潰した魔名に対しての試練でもある。

 すなわち、放逐した堕ちたる邪神、その残滓に何ができるか。

 神はその力を見せてみよ、と嘲笑っているのだ。





 ただ一人、ダークエルフはことの成り行きに、喜悦を浮かべて笑んでいた。

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