マロウ・ホワイトマン(3)

 夜空をほの白く照らすのは、マロウの体から発散される光輝である。彼女が対峙するのは、縦横に極端なまでに膨らんだ肉塊──マロウの二メートル八十センチという巨躯をゆうに越える──であった。肉塊は、その表面に光を反射させて、ぬめり気を帯びた体をブヨブヨと太らせている。それは未だに膨張の最中さなかにあるらしかった。


 状況は、一言にするならばマロウの防戦である。しかしながら、そう言い切るには、あまりにも凄絶なやり取りであった。肉塊はその一部を突出させ、戦鎚のごとく横薙ぎに振るう。マロウはそれを躱すでもなく、拳を合わせて破裂させる。応酬は単調ながら、質量の巨大さが異様に過ぎて、音と衝撃は周囲の夜気を震わせるほどであった。


 とはいえ、彼我の射程リーチの差は、そのまま攻防の主導権をいずれが握るかという問題に直結していた。マロウが拳打けんだするたびに、彼女は正しく地を踏んで構えねばならぬ。生来、人外然とした膂力に任せて事を済ませてきたマロウからすれば、正しき打法に頼って戦うことは、久しくなかったことであった。無論のこと、その打技は彼女が若年にして『親』の地位にあることを鑑みれば、当然修めて然るべき技法ではあるのだが。


「勤勉よなあ、ホワイトマン君は」


 屍馬ネクロホースから降りたグレイは、おれに向かって降りるように促した。従順な屍馬は四肢を折って、姿勢を低くする。グレイが術の戒めを解いたらしく、馬首に込められていた力が唐突に失われて、おれは反動で馬の背から転がり落ちる結果となった。


「なあ、エリオット。君はこの光景をどう思う?」


 おれの眼前で展開されているのは、もはや人外の拳打応酬、骨と肉を以て互いを削り合う死闘としか言えない。だが、それはマロウという暴威の化身が振るうのであれば、至極に自然であるとも見えた。


「別段に驚くこともない。マロウなら、あの程度の敵は……」


 言いかけて、ひと際に激しい音が響く。荒野に尻をついた、おれの五体を揺さぶる振動が走る。地が砕ける衝撃と、それに遅れて小石を混じらせた砂塵が視界を遮った。

 おれは腕を泳がせて、その霞を払う。振り下ろされた大質量の肉槌を、彼女は両の腕で受け止めていた。同時にマロウの腹から背中せなにかけて、肉の腕が貫通し、ずるりと引き抜かれ、空洞だけが残された。


「あ…あ…!」


 否、マロウはこの程度の事象を危機とはしない。彼女の胴に口を開けた虚空に、白い光輝パーティクルが集合すると、かくあるべき様へと再生されていく。

 それでもマロウをして、守勢に入らねばならない質量、応打を以て破裂させ得ぬ打撃を繰り出す敵とはいったい何だ。


「そう、そうなのだ。あれがホワイトマンの備える術理だ。全く同じ魔名でも白百合の娘とは思えぬがな!」


 グレイは喜色を浮かべて、一人悦に入ると頷きを繰り返す。


「おや、顔色がよろしくないな。まるで死人のようだぞ、エリオット。それとも知らなかったか?ホワイトマンの司る術理とは何か」


 知っている、はずだった。マロウの母であるリリィ・ホワイトマン聖人騎士、彼女が聖人の列に加えられた経緯にこそ、その術理が関わっている。


「帝国に仕える身で、それを知らない者がどれほどいるか。リリィ・ホワイトマンの為した奇蹟、処女受胎。マロウは神が現世に預けし現身うつしみ、あるいは半身を神から賜った御子そのものだ。そのマロウが、あの程度の敵に苦労するはずがないだろう!」


 マロウの発する光は徐々にその強さを増していた。彼女の逞しいかいなは、奇怪な肉塊を受け止めるたびに、みしりと軋んで、時には可動域を違えて腱骨が皮を裂いて目に見えることさえあった。そして、そのたびに彼女を覆う光の帯は強さをいや増すのだ。

 光景の崇高さに反して、おれの脳裏を嫌な予感がよぎっていた。おれは確かに知らなかった。おれはリリィ・ホワイトマンの喧伝されたそれこそ知れども、マロウがいかな形質かたちで血を継承しているのか、この時まで知らなかったのだ。

 人並み外れた体格と、性差をものともせぬ膂力をマロウが授かった血の力だろうと思い込んでいたのかもしれない。事実それは、他に比肩するもの無い勇者の資質と賞されるに値したものだったのだから。


「そうだとも。ホワイトマン君は神の現身と呼ぶにふさわしい。見たまえ、あの無限とも思われる再生リジェネレーションを!あの無尽と呼ぶに相応しい力の賦活ヴィガーを!ああ、私とて異端に身を浸す卑しい異教狩りの私とて、仕える神へのきざはしを目に覚えて、恩寵に震える心地がするというもの」


 グレイ・ドゥームストーンは異端審問官であり、それは最も苛烈な信奉を神に捧げる熱狂をその身に宿しているということでもあった。

 狂信の徒は、続けて謳う。


「エリオット!目を背けるな、今宵一夜の偉大なる儀式だ。我らが神の威光が、古き異敵を打ち滅ぼす神話の再現だ。かぶりつきの最前席が用意されているというのに、貴殿はどうして震えている?」


 もはやマロウは光そのものと言ってもよかった。彼女の身体は、光と同化して、周囲の光輝パーティクルを巻き込んだ流体の如く拳を振るう。

 対峙する肉塊の膨張は、これもまた無限無尽の膨張を見せていたが、増加した質量は比例してその動作を緩慢なものにしていた。

 拮抗は傾きつつあった。破裂する肉と光は、時を巻き戻すように幾度も繰り返して衝突する。しかし失われては光のなかで再生されるマロウの肩口、盛り上がった筋肉を支える肩甲骨が、光と融け始めたのだ。


「光の翼だ」


 大きく開かれた翼は、夜の帳を裂いて広がっていく。

 頭上を覆う光網と化して、舞い散る羽が降り注ぐ。

 ふわふわと降る淡雪のように、光を帯びた羽が肉塊に触れた瞬間、閃光の連鎖が始まった。振るわれる拳は滂沱として流れを生み、降り注ぐ光がまばゆく輝くたびに、肉塊は爆散していく。そのグロテスクな膨張はもはや為らず、見る間に質量は削り取られていく。ここに至って、もはや趨勢は決したようだった。


 塊と呼ぶ以外になかったそれは、今や膨張を阻まれ、光の巨人と化したマロウの掌に押しつぶされていた。その掌中に残っていたのは、二つの人影である。

 月光を塗りつぶして、超自然の光が注ぐ荒野には、もはや身を守る肉を奪われたダークエルフと、その腕に抱かれて意識を失うバーバヤガの姿があった。しかしながら未だダークエルフの瞳には意志の力が宿っており、この状況にあってもなお抗うべしと克己する様子があった。


 グレイは暫し、自らのおもてを手で覆っていたものの、やがてそれを払うと、泰然として言い放つ。


「見たとも、神の御姿。確かに我が目に焼き付けた。今宵は満願の成就する夜と言ってよい。魔道の深奥に逢い、死者の王たる者の手とまみえ、神話にのみ聞く神代の聖戦に立ち会えたのだから」


 神威に酔ったような老翁を横目に、おれはマロウの背中を見つめていた。彼女は一度として振り返らず、光輝は次第に弱まって、蒸発するように月天へと立ち昇っていく。

 すべての神秘が取り除かれ、凪いでいた風が再び吹き始めた。


 熱狂が冷え、残された者どもには、皆闘争に能う力が残されていなかった。

 死王の魔名は度を過ぎた。

 老翁は使役すべき魂をもはや持たぬ。

 呪われたエルフは魔女を抱き、風に震えていた。

 そして、マロウ・ホワイトマンは膝から崩れ落ち、彼女の心臓は拍動を止めた。

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