占術師バーバヤガ(3)

 バーバヤガは亡くなり、その蘇生リバイブは失敗した。使者のもたらした訃報の内容をかいつまんでいえば、そういうことになる。

 ただ、おれがそれを耳にしたとき、最初に浮かんだ疑問は「なぜ?」ではなく「誰が?」だったのだ。おれはバーバヤガが蘇生リバイブを受けられないだろうことを分かっていたのだから。


 彼女の亡くなった場所は、彼女が暮らしていた『穴』だった。

 使者となった憲兵が御者を務め、おれたちは二頭立ての馬車に揺られて西区を訪れた。周囲の長屋からは一時的に住民が退去させられ、青い幕によって区画全体が囲われていた。

 とうに日が入り果てていたが、周辺には煌々と篝火が焚かれ、退去させられた住民らは人通りの無くなった路地に座り込んでいる。区画に入っていくおれたちに、彼らが面倒そうな視線を向けていた。

 もっとも、後日に補償金が出るので、ほとんどの市民はこういったアクシデントを歓迎していた。


 現場を統制していたのは憲兵団だ。彼らは今度こそは教会側に「死体」を奪われまいと躍起になっていた。教会側から現場に立ち入りを許されたのは、詰所に出向してきている馴染みの神官で、年かさの男が蘇生リバイブを試みたらしい。


「だが、すぐに祈祷は取りやめになった、と。全く反応が無かったために」


 おれとマロウ、案内してきた憲兵団の使者が室の内に入る。


 バーバヤガの死体は、発見された状態から一切動かされていなかった。床板の上に、仰向けに倒れた姿。姿勢に乱れはなく、胸の前で両腕を組んだ状態で亡くなっていた。両の瞳は閉じられ、一見安らかだった。だが、目じりから頬、口元へと流れる筋肉は弛緩し、水分を含んだ泥のように流れ落ちていた。


 使者となった男は──バーンズ巡査部長という──相応に立場のある人物だったらしい。マロウの同行について、おれが全責任を負うことを約束すれば、不承不承に許可してくれた。


「バーンズさん、申し訳ないが、少し出ていてもらいたい。私がこれから行う儀式は人に見せられるものではないので」


『穴』の内に入り、床に寝そべるバーバヤガを見下ろしながら、おれが要請すれば、バーンズはため息を一つ置いて、外に出る支度を始めた。


 そもそもバーンズが、おれに捜査協力を求めてきた理由が、今一つ詳らかではない。問えば「さる高貴な御仁から紹介を受けた」としか答えない。マロウに怯えながらも、決まった口上であるというように述べるものだから、おれはそれ以上の追及をしなかった。おそらくだが……リリィ・ホワイトマンだろう。


 そもそもおれの「目」は、帝都において役に就く者の間では有名な話だ。それが原因もととなって、おれは都を離れることになったのだから、リリィ・ホワイトマンが知っていたとしても不思議はない。


「エリオットさん、その、差し出がましいようですがね……遺骸の掌を検めていただけますか。何か握っているようなのですが、我々は遺骸に触れる権限を有していないものですから……後で教えてください」


 言いおいて、彼は簾の向こうへと消えていった。

 制度上、憲兵団は事件性のある事象に対しての捜査権を有している。だが、遺骸についての権限は教会の専決だ。

 そもそも物理的な身体がその場に居合わせない拉致誘拐事件は発生しても、遺骸を伴った殺人事件などというものは、ほとんど例が無いのである。あったとしても事故であるとして、憲兵・騎士会の関与の度合いは低く置かれる。


「面倒なことだな、パッパと調べちまえばいいのに」


 マロウは何でもないように、バーバヤガの死体を一瞥して周辺を物色し始める。


「マロウ、先におれの考えを伝えておく。これをやったのは、死霊術師ネクロマンサーだ。なぜならここには彼女の霊魂が存在しない。持ち去ったんだ。蘇生リバイブが失敗したのはそのためだ」


 おれは自分で講釈しながら、詭弁を弄ミスリードしている自覚があった。一つの仮説としては有力だが、おれは確信にも近い別の見解を持っていた。

 バーバヤガが蘇生リバイブを受けられなかったのは、彼女がダークエルフの血を受け入れていたからだろう。つまり彼女は異神を崇拝し──信仰の形跡はなくとも神は許さないだろう──恩寵を受け取るにふさわしくない存在アンフォーギヴンとなった。

 だが、これは彼女の名誉を守るために伏せておくべき事柄で、なおかつマロウが知れば事件の方向性を大きく変えてしまう事実だ。異端審問官にとって、異神崇拝の痕跡を見逃すなど言語道断であろうから。


「……グレイ・ドゥームストーンが?ここにか?」


 マロウはおれの言葉に振り返ると、死体とおれを交互に見て疑わし気な声をあげた。


「グレイとは限らない。いずれにしても死霊術の使い手が、強引に繋がりを断った。だから、ここにバーバヤガの魂がいないんだ」


 マロウは「死霊術の使い手など、今世に一人しかいないだろ」と、呟いて、バーバヤガの胸の上で組まれた掌を開きにかかった。途端、だらりと腕がずれ落ちて、彼女が最期に握っていたものが転がり出た。


「目玉だ」


 マロウの手がそれを拾い上げるよりも、おれの手の方が速かった。眼球を検める。濁りが無い。透き通った水晶体を思わせて硬質な眼球には、未だ魔力が宿っている。


「おい、ルーラー。その目玉はいったい何だ?こいつはただの市井の占術師じゃないのか?」


 薄暗い室に、頼りないランプの灯が揺れている。おれは置かれた火の傍に屈みこみ、眼球を幾度も確かめる。光に透かし、その火の反射を見る。振り向いて、バーバヤガの死体を確認すれば、額にあるべき瞳は無く、切れ込みすらも消えていた。

 おれの頭の中で、新たな仮説が像を結ぶ。


「ルーラー!一人で分かった気になるんじゃねえ、私にも説明しろ」


 鎖骨に食い込むほどに強く肩を握られ、おれは我に返った。痛みに表情を歪めれば、マロウもまた思いがけないといった顔つきで謝罪する。


「ああ、うん。何から話すべきか」


 掌中の瞳に、未だ魔力が宿っていることの意味は、すなわちこの魔力の持ち主が存命であるということを意味している。しかし、おれの考えが正しいならば、この魔力はバーバヤガに由来するものではない。

 これはおそらく彼女とともに、この『穴』に暮らしていたダークエルフだ。そして奴の姿がここにはない。


 なんのために──姿を消した?──この死体を作った?──『ホテルメイソン』の死体も同様に?──そう、何のために?


 追われているのか。そして助けを求めている。

 だからこそ魔力の残り香を残した。おれが追ってこれるように。


「マロウ、人を追う。お前も来るか?」

「外の連中は使わないのか?」


 マロウは簾の外、長屋を囲む憲兵団の協力について言っているのだろう。


「使えない。来るなら、お前も一人で頼む。」

「わかった。行く先は?」


 情報は漏れているものとして考えるべきだ。これ以上、誰も頼むべきではない。

 彼らが求めているものは何か?


 おれは懐から、初めにゴーフルから預かった写真を取り出す。

 そして改めてその像を見返しながら、この事件の意味について考えていた。


「なあ、マロウ。お前にはこれが何に見える?不出来な泥人形か?」


 力の抜けた手足の向きが歪な死体。だがこれは不完全な人体だ。


「これは……人間にしか見えないが、人間ではない。その……人間はこんな風に関節が折れ曲がったりはしない。もしもあるとしたら、必ず外傷の痕跡があるはずだ。まさか、これ『ホテルメイソン』の死体か?」


 おれは口にすべきか迷ったが、マロウに伝えることに決めた。こうなっては、俺一人で追うのは難しい。


「肉を扱う変性術師がいるんだ。最上級術を操り、死体と見分けのつかない品質の人形を捏ね上げる……ダークエルフのな」


 マロウは耳を疑っていた。皇帝家の血筋にしか顕れないであろう最上級変性術を扱う在野の術師がいるというだけでも、ひと悶着起ころうというものを、それが奴隷身分のエルフであるというのだから。


「バーバヤガはそのエルフを使い魔として匿っていた。問題はだ。このエルフの出どころだよ。こんな代物が、一般の市場に出てくるはずがないんだ」


 おれの言葉に、マロウは思い当たるところがあるようだった。


「逃亡奴隷か……しかもグレイ・ドゥームストーンの研究室からの」


 おれは頷く。行く先は瞳の魔力が引き合う先だ。まだそう遠くはない。

 おれは『穴』の奥に向かって進んでいく。表から出ずに、裏から長屋の屋根伝いに失礼するつもりだったのだ。


「マロウ?何をしている?」


 ついてくるとばかり思っていたマロウが、狭い『穴』一杯の巨躯を折りたたんで、部屋の中をうろうろとしている。じわり、と鼻孔に異臭が届いてきた。

 油だ。彼女は部屋の隅にあった油壺を、床に次々と転がしていく。


「荼毘に付してやろうと思ってな。何、残ってたらろくでもない証拠になるんだろ?これ?」


 言いながら、ジャバジャバと油をバーバヤガの死体の周りに撒いていく。この割り切りだ。彼女はすでに、目の前の遺骸とも死体とも見ていなかった。ただの変性術で捏ねられた肉でしかないと認識を切り替えていたのだ。


「お前、おれの見込みが間違ってたら」


 どうする、と言いかけたところで、マロウは足元の灯を蹴り込んだ。


「そのときは私の『子』にしてやるよ」


 マロウの凄絶な含み笑いとともに、襤褸廃材の穴蔵に火の手が回っていく。天を焼く火の橙を背景に、おれたちは表に留めてあった馬車を奪い去った。

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