マロウ・ホワイトマン(2)
おれとマロウは互いの握る札を、推し量り合うように沈黙した。
おれの手にある最大のカードはリリィ・ホワイトマンの関与だが、それについてマロウは把握しているのだろうか。だが、これを切るときは、マロウを取り込めると確信できたときだ。
ひとまずは、先ほど切った「子」にあたる
「私がこいつらに下した指示は『ホテルメイソン』の監視だ。怪しい奴が現れたら、そいつを尾行してとっ捕まえるようにな」
そういう意味では、男たちはマロウの指示に従っているといえる。だが、それならばおれが『ホテルメイソン』を離れた段階で襲撃があってもよかったはずだ。
おれが西区へと向かい、バーバヤガに会うところまで泳がせた意味はなんだ?単純に日中だったために、襲撃を躊躇したのか。
「お前の『子』はおれを殺害してから、運搬しようとしてくれた。異端審問官の職務が荒いのは分かるが、あまりに問答無用すぎないか?」
教会内規は遺骸の運搬を禁じている。身体と霊魂のつながりを断ってしまうことを恐れるからだ。実際のところ死亡から四十八時間程度は、遺骸の位置を大きく動かしても問題ない。霊魂は──そこに刻まれた個人の自我は──自身の身体に強く惹かれているためだ。
マロウは刈り込んだ短髪を、がしがしと乱暴に搔きむしった。
「容疑者がいる」
彼女は唐突に、容疑者、という単語を持ち出した。おれは意図を汲みかねて、マロウに先を進めるように促した。
「死体は──そう、こいつは死体だ──うちが押さえてある。
教会側は未だに「死体」の謎を解明できていない。おれは是非、その現物を見せてもらいたいと思ったが、マロウ曰く、すでに「死体」は「市」の外へと運び出されてしまった後らしい。彼女自身も目にしてはいないそうだ。
「複数の『親』が動いてる。私が追ってる線は、グレイ・ドゥームストーンだ」
異端審問官は中央教皇庁の直轄だ。帝国全土を股にかけて暗躍する、教会の耳目である。これの面白いところは偉大なる神聖皇帝陛下は諸侯に所領を封じ、騎士侯爵に剣を捧げられる存在であると同時に、法王猊下としての地位にあり教会の頂点でもあるという点だ。原理的には教会と騎士会は反目するところではないのだが、そこを上手く競い合わせているところが、皇帝家の巧みさであろう。
さて、とおれは頭をひねる。
『親』にあたる異端審問官というのは、それほど数のいる存在ではない。少なくとも高貴な血筋にある必要があり、なおかつ教会と皇帝に忠誠を誓うとともに、場合によっては表に出すこと憚られる汚れ仕事に手を染めねばならぬ。
それが複数、送り込まれてきている?
ブラフの可能性も考慮するが、マロウはそのような腹芸ができる娘ではない。なるほど歳月は人を変えるかもしれないが、いや増したのは暴威ばかりと思われた。おそらくだが、リリィ・ホワイトマンの娘という金看板で、それほど暗い仕業は回ってこないのかもしれない。
懐疑的なおれの視線に気づいたか、マロウは机を指でトントンと叩きながら付け加える。
「思うところがあるならはっきり言えよ、ルーラー先生」
あまり苛立たせても、より良い結果へとたどり着くまい。すでに彼女は十分なほどに、内情を明かしたように思われた。何より、おれのところに来た理由が、ほとんどはっきりしたと言ってよい。
「グレイ・ドゥームストーンの名前は知っている。おれが軍令院で、皇帝の筆を預かっていたときに、かなりの予算を食っていた学者だ」
皇帝直轄の諮問機関において、おれは祐筆を務めていた。そのために多くの機密に触れていたが、その中に術理研究に対する助成があったのを覚えている。書院の奥から地下に続く、牢獄のような施設に、莫大な額の配当があった。大抵、その規模になれば頻繁に監査が入るのだが、この施設だけは三年にわたって無監査だったのだ。
しかも所属している研究員はただ一人……それがグレイ・ドゥームストーンだ。
マロウはおれの言葉に、待ってましたとばかりに身を乗り出して食いついている。
こいつめ、本当に腕力と義侠だけで人をまとめているのではあるまいな。母親が教会寄りだからといって、異端審問官にしていい人材ではなかっただろう。
「ルーラーは、グレイの研究内容を知っていたのか?」
マロウの言葉に、おれは力強く頷いた。なぜなら、それを知って以来、おれは決してこの男には近づくまいと心に決めていたからだ。
「
死霊術は禁術とされている。というより、それ以前に現代においては文献研究しかできないのだ。何しろ、術の対象とするべき「死体」が無い。しかしグレイ・ドゥームストーンは一つの「案」を陛下に奏上し、結果として研究施設を得た。
その「案」とは、奴隷であるエルフを研究材料とすることである。
マロウは厳しい面持ちで、語る。
「先月、その研究施設が全焼した。焼け跡からはグレイの遺骸が出なかった。ルーラーがいたら、もうちょっとマシな調査ができたんだが……飼われてたエルフどもに混じってしまって、区別ができねえ。今も検証は続いてるが」
おれがいたら、というのは、おそらく地下施設にはエルフの霊魂溜まりができあがってしまっているのだろう。検証もいいが、早々に切り上げて鎮魂しなければ帝都に地獄の沼が出来上がる。
「そこからはたまたま、だ。私が帝都に帰っていたときに連続して失踪事件が起きた。ただの拉致の類じゃねえ……死体が動く、知性の無い
おれはぞっとした。マロウが次に言うであろう言葉が、おれには予想できたからだ。
「まさかだが、グレイは……人間を……」
おれの疑念に、マロウは静かに頷いた。
「当然、箝口令が敷かれてる。というか、関係者には心術が施され、記憶をいじられた。村には助成金を与え、周辺から移民をいれて、表向きには事件はなかったことになった。だが、グレイはまだ捕捉できていない。『市』に逃げ込んだところまではわかってるが、そこから先が見えない。奴はここで協力者を得たんだ、強力な占術師だ」
おれの脳裏に、すぐにバーバヤガの顔が浮かんだ。だが、ダークエルフと暮らしている彼女が、エルフを材料として弄んだグレイ・ドゥームストーンに協力するとは思えなかった。
そして、彼女が食らったというカウンターマジックに思い至った。
「『ホテルメイソン』には時間遡行型の占術に対する
おれの言葉に、マロウは満足そうに頷いた。彼女からしてみれば、帝都を起点とした連続する死霊術の事件と、この『市』で起きた謎の死体が線でつながった瞬間だろう。
「実のところ、この二人は私の直接の『子』じゃねえんだ。『市』の調査のために人手が足りないだろう、というので、お母様から預けられたんだよ。私の直属はミスラだけなんだ……だから、お前が襲われた件について、私ははっきりしたことはわからねえ。すまん」
マロウは巨躯を折り曲げて、机に額をついた。おれはこの教え子の不出来を愛しく思うが、しかしこのまま異端審問官を続けるのはツライのではないかとも思った。
「マロウ、お前の母親はこの件にかなり深いところで関与してる。少なくとも
おれは、マロウに関して取り込めたと判断した。彼女は現在のところ、どの利害関係筋にも所属して──所属できて──いないようだった。愚直に事件解決を果たそうとする純粋さだけが、若い異端審問官の取り柄のように思われた。
それから、おれたちは互いの情報を可能な限りやり取りした。事件の経緯、昨日におれが経験したこと。ただし、バーバヤガとメルキオールに関する情報は伏せた。協力者を売ることは避けたいからだ。
マロウは溶けかけたマロンパフェに手をつけ、三口で飲み干すと、勢いよく席を立った。おれはもう一度、バーバヤガの協力を仰ぐことを検討していた。昨夜の内に「市」を出るとは言っていたが、追えば今ならまだ間に合うだろう。
「明日、もう一度この時間に情報交換しよう。おれにアテがある」
おれの提案をマロウは快く受け入れた。
連れ立って小会議室を出ると、長椅子にミスラと憲兵団の男が並んで座っていた。どういう経緯かはわからないが、打ち解けたらしい。険悪な雰囲気は霧散していた。
会議室から出てきたおれを見ると、憲兵は自身の任を思い出したらしく、距離を詰めて報告し始めた。
「重要な、非常に重要な要請です。エリオットさん」
マロウの前で内容を話すことを男は拒んだが、おれはこれを許した。何より彼はマロウの拳を恐れていたし、彼女が笑顔を向ければ震えあがって、おれに取りなしを求めた。
直後、この男の言葉におれは耳を疑うことになる。
バーバヤガが殺害され、
二つ目の死体ができた。
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