占術師バーバヤガ(2)

 魔術とは、その文字通り魔に連なる業である。ゆえに、魔道に精通する──その身により濃い血統を流す──ものは、等しく人から外れた道を歩むことを約されて産み落とされてくる。そして魔道に生まれた者には、特別な名が授けられる。


 例えば、市長であるゴーフル・ダークビアードの相貌には、その名にそぐわず髭と呼べるものがない。彼は無毛の緑肌を持つ小鬼種ゴブリンである。ダークビアードの指すところ、それは彼が優れた傀儡術師パペッターであることに由来する。闇の髭とは、自動人形を繰るための、目に見えぬ魔力で編まれた無数の糸なのだ。


「……『ホテルメイソン』……二〇三号室……さっき貴方が剥いできたばかりね」


 バーバヤガは絨毯の切れ端を、すんすんと嗅いでいる。彼女の額には、縦に裂けた切れ目が走り、その奥に第三の瞳が収まっている。異形の眼球は、バーバヤガのつまみ上げる先を凝視していた。


「また目の濁りが濃くなっているな」


 おれは彼女の額を、斜めから覗き込みながら、細く絞られた瞳孔を観察する。眼病を思わせる白い濁りが、第三の瞳のなかを泳いでいる。バーバヤガに言わせれば、これは強く力を振るった代償であり、目に力を入れた際に残った魔力の澱なのだという。


 魔名──魔術の血統に連なるものに授けられる名──は、ただの称号ではない。名とは「重し」であるとされる。魔道を歩む者、人の外に踏み出す者が、そのか細い道を踏み外さぬようにという祈りにも似たまじないが込められている。

 これは迷信の類ではない。事実として名を授けられなかった者の多くは、成長とともに心身に異常をきたし、最終的には人からかけ離れた存在──魔物と呼ばれる化け物──へと身を落とす。

 一方で、「重し」の天秤が釣り合わぬほどに力の強い者、そういった者は人としての名を捨てて、魔名を真名とすることで、傾きを保つのだ。


「血……そして毛髪……」


 魔女の凝視ゲイズを浴びて、端切れからぽたぽたと血雫が滴り落ちた。赤く垂れ落ちる血が糸を引いて、その縦軸から、バーバヤガは一本の毛をつまみ上げた。

 彼女は愉快気に口角を吊り上げる。


「リリィ・ホワイトマンのものね」


 思わぬ名前が出てきたことに、おれは眉をひそめる。あの場に聖人騎士リリィがいただと?


「ああ、ダメだわ……これ以上は……見えない……アッアッ!!」


 唐突にバーバヤガが額を抑えて苦しみ始める。浅い呼吸を繰り返し、両の目の視線は虚空を彷徨う。彼女は仰向けに倒れこみながら、あばら屋の壁にかかっている薬棚を指さしていた。

 おれは彼女が示した薬瓶を取り上げる。小瓶の蓋を抜くと、薬液に浸された針が飛び出ていた。


「し、舌に!」


 女は口腔を露わに、艶めかしくも怪しく長い、舌を曝して懇願する。注射しろ、と。おれは躊躇いながらも、彼女の舌に指をかけ、もう片方の手で薬針を刺し込んだ。

 刺激が女の四肢に走り、激しく痙攣を引き起こす。ほんのわずかな分量であるというのに、とんでもない反応を引き出す劇薬であるらしい。


 荒く息をついて、バーバヤガは震える指先を撫でていた。どうやら危険な域を乗り越えたらしかった。


「助かったわ……まさか対抗魔術カウンターマジックが仕込まれているなんて」


 薬の副作用か、唇はだらしなく半開きになっている。涎をぬぐいながら、バーバヤガは力なく呟いた。


「この端切れには──おそらく『ホテルメイソン』全体なのでしょうけれど──ある時点で過去視パストサーチを拒む、拒絶ニゲイトが仕込まれていたわ。相手は私の存在を知っている奴よ。現在から遡るタイプの過去視の使い手パストサーチャーを嵌めようとしていたのね」


 彼女の魔眼には過去を見通す術パストサーチがかかっている。瞳を通じて対象の由緒起源へと遡るという偉大な魔術だ。

 バーバヤガは、彼女がかつて彼女であると名乗っていた頃に、その力を世界に向けて振るい、瞳を大きく濁らせた。世界の起源を知りたい、という好奇心が、人としての彼女を殺したのだ。そして宮廷占術師である家門から遺棄された……そう自称している。


「君、このままここにいるのは危険だろう。市庁舎のセーフルームに、しばらく身を隠すつもりはないか?リリィ・ホワイトマンが絡むとなると、異端審問官が君を狩りに来る可能性もあるぞ」


 バーバヤガは思案して、おれの申し出を固辞した。それは酷く迷った末に結論したようで、彼女自身どのようにするべきか決めかねているようだった。


「貴方を信用しないわけじゃないのよ。ただゴーフルの庇護下に入るというのは、あまりに危険に思えてしまって……幸い、私は下級の変性術なら扱えるようになったから──あの子に血を分けてもらったのよ──生きるには困らないわ」


 それはあまりに衝撃的な告白だった。血を分かつ!つまり交換であり、血統の交歓という!よりにもよって、エルフ種と。

 なるほど、先だって血の雫から、リリィ・ホワイトマンの毛髪を見出したのは占術と変性術の複合魔術ということか。


「名の『重し』では足りないのよ。目を裂いて塞ぐか、別の代償を背負わなければいけないと見えたの。私、あの子と交わって、未来が変わるのを感じたのよ。今夜にも街を出るわ」


 妄執病者のように、熱病のうわごとのように、バーバヤガはぽつりぽつりと呟いた。おれは自らには理解できない、埒外の言葉として聞き流して、「そうしたいなら、そうすればいい」と答えるのが精いっぱいだった。


 彼女はおれの答えを聞き、寂し気に笑った。


「最後にひとつだけ教えてちょうだい。あの子に、何か見えたかしら」


 おれとバーバヤガの間には、一つのルールが敷かれている。けして、おれの過去を見ないこと。それは彼女自身を守るためだった。


「何も見えないさ」


 おれは正直に答えた。彼女は満足したように微笑んだ。


 座を辞して、『穴』を這い出れば、とっくに日は落ちていた。

 今にして思えば、バラックの境界の定めとなる簾が、これほどに洒落た品であるのは、彼女自身の出自を密かに仄めかしていたのかもしれない。

 向かいの長屋の屋根に、ダークエルフが膝を丸めて座っている。奇異なことに、欠けたはずの長耳が確かにあり、識別票となる鉄環が何重にも連なっていた。


 昇り始めた月を背に、ダークエルフは立ち上がる。襤褸を身に帯びて、その姿は浅い夜の闇より尚暗くあった。

 奴はおれと目を合わせることなく、横をすり抜けて、『穴』へと入れ替わりに入っていった。


 おれはゴーフル市長に事態の進捗を報告すべく、西区を後にする。今宵、月光は弱々しく青ざめていた。


 直後、おれは強襲を受けることになる。

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