ゴーフル・ダークビアード(1)


 ゴーフルは腰かけていた脚長の椅子から飛び降りると、隣室へと進んでいく。そこには複数人が着くことのできる長卓が置かれ、純白のテーブルクロスが引かれている。遅れて室に入ってみれば、頭上には瀟洒なランプの灯が揺れていた。


「リクエストはあるかね?私は肉を食うつもりだったが」


 テーブルの向こうには、背の低いカウンターが拵えられている。そこは俗にいうアイランドキッチンというタイプの調理場になっていた。市長は自ら調理さえする。この男は他人のこしらえた飲食物を口にしないポリシーを持っているからだ。

 彼は三つ揃いのダークスーツのジャケットを脇に投げ、濃紫のネクタイを緩めて、黒い光沢のあるエプロンを巻き始めた。そしてキッチンの内側から冴えた光を放つ片刃のナイフを取り出すと、曲芸師めいて指先で弄んで見せる。


魚醬ユウジャン拉麺、ハリガネ、葱焦がしてマシマシでお願いします」


 おれはできうる限り、眼鏡越しに恨みがましい目つきをしてみせた。今日こそはランチタイムに間に合うはずだったというのに。


製麺機パスタマシーンの用意はあるが、生地がない。何よりあっさり系のスープなど軟弱すぎて気に食わん。せめて髄を煮出した骨出汁ボーンスープ、まあいい。君も肉を食え。足りなければ後で寒天麺を茹でてやる」


 彼の前には樫の木株を加工した無骨な調理台が置かれており、そこには背後の冷蔵設備から取り出された桃色の肉塊が載せられていた。無音の内に、ゴーフルは刃を振るって肉を拳骨ほどの薄切りに変えた。早業と呼ぶにふさわしい技量を備えているのは、彼自身が元は港湾都市で魚市場を仕切っていた経歴があることにも関わるのだろう。


 おれは勧められるままに席に着く。すると、すぐに自動人形がやってきて、火桶に網を敷いた櫃を卓上に用意した。


「最近、市井で流行っているらしいな」


 間を置かず、ゴーフルが調理場から抜け出てきた。左手には鉄箸を握り、右手には涼やかな硝子の大皿を携えている。皿には飾り包丁を施された桃色の肉が帯となって、美事な円弧を描いている。その中心には短冊状の肉が花弁を思わせて盛られていた。器用なものだ。


「焼肉がですか?私はオーセンティックな厚切りステーキの方がいい」


 市長は手ずから、網に肉を載せていく。霜降りの短冊が炭火で焙られて、真っ白な脂肪分が溶け出すと、雫となって滴り落ちる。じゅっ、と旨味の凝縮された音が響いた。

 ゴーフルはおれの方を一瞥して、眉を歪めてみせた。


「何もわかってない馬鹿のフリをするのはやめろ。まあいい、先に食え」


 彼が何を指しているのか、おれには今一つわからなかった。そういえば料理屋を謀事の舞台にするような芝居がやっていたか。


 火櫃を挟んで、差し向いに座る。自動人形が細くくびれた酒瓶を持ってくる。冷気が目に見えるほどに冷やされた瓶を握れば、手のひらの皮に張り付くのではないかと錯覚させられた。

 陶器のビアジョッキに、琥珀色のエールをお互いに注ぎあう。腕を交錯させて同時に注ぎ始め、またタイミングを同じくして引き上げるのが作法だ。


「乾杯できる状況ならいいのですが」


 おれの皮肉に、ゴーフルは鋭い犬歯を剥いて笑った。そして低いドスのきいた声で、彼は心にもない──無いだろう?──乾杯の声をかけた。


「市民の幸福と、帝国の繁栄に」


 おれもまた、同じ文句──市民の幸福と、帝国の繁栄。なんと素晴らしい章句だろう──を繰り返した。

 酒杯を掲げ、勢いよく呷る。苦みの強い、焦げた味わいが舌の上を滑り、喉元を直撃して胃腑へと流れ込んでいく。後から鼻に抜けた控えめな香りが、フルーティな余韻を漂わせる。


 テーブルにはいつの間にか、醤油ダレと味噌ダレ、そして薄いピンク色の岩塩におろし金が用意されていた。ゴーフルは焼けた肉の上で、素早く岩塩を磨りおろす。色づいた淡雪のような塩の結晶が降り、熱に溶けて消えていく。

 おれは黙って最初の一枚に箸を伸ばし、焼き目のついた短冊を網から引き揚げた。


「選挙が近い」


 ゴーフルは出し抜けに言い出した。おれは頷いて目線で先を促しながら、口中の肉を噛む楽しみを味わっていた。一度噛み、二度噛む頃には大部分が溶けてなくなる上質さだ。市中の店に同様の質を求めるなら、相応の額を積み、伝手を以て約束せねばなるまい。


「確実な材料が欲しいのだ。わかるな」


 おれは頷いて、二枚目の肉に手を伸ばす。ゴーフルは網に新たな短冊を敷きながら、己のベストの内側から一枚の紙きれを取り出した。

 差しだされたそれは、正方形の熱転写紙のようだった。インスタント写真と呼ばれる類のものだ。一般には念写が普及して、こういった正確に記録することだけを目的とした技術は限られた場面でのみ用いられるようになっていた。


「君にはどう見える?」


 ゴーフルは厚手の写真紙を差しだしながら、おれの表情を伺っているようだった。

 写真に描かれているものが何なのか。おれには瞬時に判別することができなかった。だが、注意深く眺め続けて、ようやくそこに写っているものの正体へと、おれの意識が辿り着いた。


「まさかとは思いますが、死体ですか?」


 おれの問いかけにゴーフルは頷いた。

 最初におれの脳裏に浮かんだ言葉は「あり得ない」という否定だった。おれは「遺骸」ではなく「死体」を目にするのは初めてだった。

 非生物的に損壊した、本来であれば人体が可動しない角度に折れ曲がった手足、たるんだ皮膚はねじくれた腰骨にまとわりつき、粘土人形のような恰好となった……死体。


蘇生リバイヴしなかったのですか?」


 二枚目の肉が、タレ皿の上で沼に浸るように冷えていく。

 差しだされた写真から、おれは目を背ける。ゴーフルは意外そうに「それだけか」と呟いて、淡々と事の経緯を語りだした。


「一昨日の昼過ぎだ。市内の宿泊施設『ホテルメイソン』の二〇三号室で、この死体は発見された。前日から宿泊していた客が、チェックアウト時間を過ぎても退室しなかったことから、宿の主人が部屋を訪問したところ、こんな有り様だった」


 ゴーフルはおれの手が止まったのを見て、網の上で具合の良くなった肉を自分の皿へと移した。彼は肉を口に運び、ほとんど噛まないままそれを呑み込むと、話の先を続けた。


「主人は憲兵団に連絡した。これは我々にとって幸いなことだった。この写真は憲兵団内の協力者から持ち込まれた情報だからだ。最寄りの詰め所から、すぐに騎士位の邏卒が送り込まれ、現場保存と検証が行われた。だが、例の無いことだ。彼らの手際が悪かったと責めることもできまい。彼らは後からきた教会関係者に死体を掻っ攫われた」


「市」に限らず帝国領内での管轄として、事件であれば憲兵団、だが死亡に関わる事項は教会に連絡を入れるのが通例だ。

 つまり。もしも、宿の主人が最初に教会に連絡を入れていたら、この情報は市長のもとには届くことなく事態は水面下に進行していたということか。


「確認ですが、『遺骸』ではなかったのですね?死体を持って行かれたということは、教会から派遣された人物は、その場で蘇生リバイヴ処置を施さなかった……ですね?」


 奇妙な話だ。死亡した人物が蘇生リバイヴを拒否する意思が明確でない場合、教会は可能な限り迅速に蘇生リバイヴ処置を行うのが通例だ。死亡者の肉体を移動させる、というのは、彼らの教義内規に反する異例の対応ではないか。


「そうだ。そして憲兵団及び帝国騎士会からの質問状の体をした抗議文書に対して、教会は『あれは遺骸に間違いなかった』と一方的な言い分で突っぱねた。これが昨日の出来事で、私のところに情報が回ってきたのは、この決裂を受けてのことだ」


 なんとなく、今回おれに回って来た案件ミッションが見えてきた。要するにこれは帝国騎士会と教会の勢力争いに、市長が一噛みして「使える」材料を探してこいということなのだろう。


「当然、騎士会側も調査は継続している訳ですよね?共同戦線を張るという方策で構いませんか?」


 問えば、ゴーフルは側頭部の角を撫でながら、口角を曲げて難し気な表情を作ってみせた。騎士会と協調する路線では足りないというのだろうか。


「リリィ・ホワイトマンを知っているな?次の選挙戦に出馬するだろう、姫騎士殿だ。聖人騎士パラディン号を有する彼女が仲介に入って、この件を収めようとしているらしい。憲兵団は身動きとれず、反百合派閥の若手騎士が独自に調査しようと吹き上がっている……だが、身元さえ分からずじまい。その程度の状況だ。期待できん」


 話の入り口は見えたが、状況は混沌としている。


 まず「死体」だ。蘇生リバイヴを受け付けない「死体」などと言うのは、過去に例がない。もっとも蘇生リバイヴ自体が発見されて二〇〇年弱という若い術式だ。しかも研究が進んだ治癒術ではなく、歴史的には神威による奇跡の扱いをされてきた期間の方が長い祈祷術に類している。

 もしかすると、これは蘇生リバイヴの対象外となる例外事象が新たに発見されたということなのかもしれない。

 そうなれば、教会の対応も納得がいくというものだ。蘇生リバイヴの通用しない死因、即ち「天寿を全うした」以外にそれが存在するなどという情報が出回ったら、致命的なスキャンダルになりかねない。下手をすると社会的なパニックを引き起こしてもおかしくないだけのインパクトがある。


 しかし、この状況をどうしろと……ああ、なるほど。


「このままリリィ女史が事を収めると、帝国騎士会の票だけでなく教会の票まで彼女に流れることになる。だから、私に事を荒らしてこい、波風立ててこいと言うわけですか」


 おれの言葉に、ゴーフルはにやりと笑うと、新たに一枚の紙を差しだしてきた。それは市長印の捺された正式な辞令だった。


「今日付けで市民生活課から、市長付特別政策室に異動だ。課には優秀な後任を充てておく。君はこの件に専念しろ」


 おれは見慣れた辞令を素直に受け取るか躊躇した。

 正直なところ、これは何度目かのパターンだ。その度にろくでもない事案に投げ込まれ、帰ってくれば再び窓際部署へと送られる。報いが無いことへの抗議をすれば、課長昇進などという、望んでもいない面倒事を付け足される始末だ。


「ゴーフル、貴方には恩義もあるし、感謝もしている。だがこの案件が済んだら──」

「私が再選した暁には、君を帝国議会に私の代理評議員として送り込む。それでいいか」


 おれは耳を疑った。だが、この男は口にした言を誤ることはない。網に浸みた脂が落ち、焦げ付いた匂いを漂わせる。火櫃の中では炭の勢いが弱々しくなり、細い灰が吹き始めていた。


「いい。違えてくれるなよ」


 俄然として野心の火が熾り始めた。捲土重来を胸に期して、南方に下ってきたものの、二度と帝国政治の中枢に戻ることは叶わないのではないかと思っていた。心の片隅に蔓延っていた不安を薪として、おれはこの件に是が非でも喰らいつく覚悟を燃やす。


 おれは馳走に礼を言うと、席を立とうとした。

 そんなおれの性急な様子に、ゴーフルは苦笑しながら言葉をかけてくる。


「食事はお気に召さなかったか、食後の喫茶も待たないとは。良ければ今夜は泊まってもらい、昔語りの一つもと思っていたものだが」


 短い付き合いではない。確かに約束事を違えることはない男だが、睦言にあってはどこまで本気なのか怪しいものだ。おれはゴーフルの言葉に首を振って応じる。


「私は食客であって愛妾ではない。借りを閨で返すつもりもない。昔語りは、事が終わった後でなら考えましょう。本日はこれで失礼する」


 ゴーフルは愉快げに微笑んで、自動人形におれを送らせた。エレベーターの加速は来た時よりも幾分か緩やかで、それはこの領域の主人である男の意思が介在しているかのようだった。






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