第4話 サルくんの涙

 翌朝。教室に着くと、教卓の近くでみんなが騒いでいた。

「紫音、大変!」

「お早う、タァコ。どうしたの?」

 友人の貴子(タァコ)が血相を変えて駆け寄ってくる。

「どーしたもこーしたも。アラジンとサルが殴り合いの喧嘩をしてるのよォ」

「え?」

 タァコに云われそちらを見ると、確かに騒ぎの中心にいるのはサルくんと加藤君。それを男子は囃したて、女子は二人が机にぶつかる度に悲鳴を上げていた。

 呆然としながらも、私の目が追いかける先にいるのは……加藤君だった。彼の一挙一動に目が奪われる。忘れると決めたはずなのに、どうしても目を離せない。

 先に倒れたのは加藤君だった。サルくんは運動部。力(パワー)も体力(スタミナ)も圧倒的だ。

 思わず加藤君の方へと足が動く。と、その前に、私の視界いっぱいに栗色の髪が広がった。

「アラト! 大丈夫?」

「ああ……」

「保健室へ行くわよ! 掴まって」

 よろよろとよろめきながら教室を出る加藤君。私とすれ違う際に香る制汗剤の芳香。

 こんなに近くにいるのに、忘れられるわけがない。


 その後、二人は生徒指導室に呼び出され、こってり絞られた。でも、なぜ喧嘩が起こったのか口を割らず、二人以外に知る者もいなかった。ただ、羅紗からは完璧に無視されるようになり、友情とは何て脆いものなのかと改めて思い知らされた。


「――、……しー!」

 ハッと我に返ると、サルくんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「小学生がブランコ譲ってほしそうに見てるぞ」

 サルくんに云われて周りを見渡すと、柵の外でスポーツ刈りの男の子とツインテールの女の子がこちらを物欲しそうに見ている。

「あっ、ごめんね」

 慌てて立ちあがって場所をあける。

「「ありがとーっ」」

 小学生達は満面の笑みを浮かべてお礼を言うと、ブランコに駆け寄る。すぐにギーコギーコと漕ぎ始めた。

 私とサルくんは木陰の傍のベンチに移ると並んで座る。

「しー、今何考えてたんだ? 周りが見えなくなるくらいだから、大事なコト考えてたんだろ?」

「う、うん」

 云わなきゃ。これ以上サルくんを傷つけない為にも。

「あ、あのねっ」

「ダメなんだろ?」

 私の言葉を遮ってサルくんがそう云う。

「分かってたぜ。いつも愛羅人(アイツ)のコトばっかり考えてること。ずっとしーの心の中にいる奴が誰なのか、今日、はっきり分かった」

「……」

「おれさ、アラジンと殴り合ってたろ? 今朝……」

 今朝、アラジンから『七時に教室に来い』ってメールが来てさ。行かないってのもおれのポリシーに反するから時間ぴったりで行ったんだよ。そしたらさ、

『お前は紫音に相応しくない』

 開口一番にそう云ってきたんだよ。おれ、カーッと来ちゃってさ、云い返したんだよな。

『しーはもう、お前のことなんて忘れたぜ』

 悔しくて、しーからまだ返事も貰ってないのにそう云ってしまったんだ。

『何?』

『自分を振って、他の女とイチャイチャしてる男より自分のコト想ってくれる男に心が傾くのは当然だろ』

『フン。それはオレに言ってるんじゃなくて、自分がそう思いたいだけなんじゃないのか?』

『何だと!』

『紫音は、今でもオレを愛してる』

 おれはそれを聞いた瞬間、アラジンに殴りかかった。あいつが自信ありげにそう云ったのが気に食わなかったんだ。

 でも、怒りと同時に納得している自分がいるのに気付く。おれと一緒に居ても、顔はこっちを見てても、しーの心はいつもアラジンの方を向いていた。おれがふざけて笑わせても、眸は寂しそうにしていた。

 そう、最初からそんな事は分かっていた。でも、おれの心が理解することを拒絶していたんだ。

『そうだよ! しーは今でもお前が好きだよ! そんなしーを捨てたのはお前だろ? これ見よがしに泉とくっついて。そんなにしーが嫌いかよ!』

『違う!』

 そこで初めてアラジンがおれを殴った。威力はないのに、何故か頬がジンジンする。

『おれは―!』


『たがいに殴り合ってるうちに、皆が来ちまってよ。野郎どもが囃し立てるもんだからやめるにやめられなくなった。しーが来て、アイツが吹っ飛ぶ度に駆け寄りたそうにしているのを見て思ったよ。アラジンには勝てないって』

「サルくん……」

「もうしーを困らせたりなんかしねーよ。だけど……友達のままでいてくれよ」

 しーは、何度も何度も頷いた。はらはら落ちる涙を拭ってやれないのが悲しい。

「うん、ひっく……ごめんね、サルくん。ありがとっ……サルくん!」

 おれは一瞬だけしーをギュッとすると、すぐに立ち去る。おれだってもう限界だった。走りながら辺りを憚らずに大泣きする。

「……ったく、おれも未練がましいよなあ」

 フラれてもなお、変わらぬ気持ちに苦笑する。

 今朝、痛む頬を押さえるおれにアラジンが言い放った言葉を思い出す。

『おれは、今でも宇宙で一番紫音を愛してる!!!』

 完全に負けた。この時そう思った。

 おれはしーに『好き』とは言ったけど、『愛してる』とは言ったことがない。気持ちの上でも負けていたんだ。

「でも、おれからしーに伝えないぜ。せいぜい苦労しろよ」

 ちょっとした意地悪。

 おれは気持ちをリセットする為に、夕日に向かって大きく一歩を踏み出した。


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