第3話 シカクカンケイ、そして別れ
夏休み後半の補習始め、登校中での出来事だった。
前を歩いている、栗色の髪を腰まで波打たせている子を見つけ足早に駆けた。
「おっはよー、
彼女は私の親友・
「……」
彼女はちらと私を見ただけで挨拶を返すこともなく、靴箱へと消えていった。挙げた私の右手は、行き場を失う。
「ら、羅紗?」
私は慌てて靴を履き替えると羅紗の後を追う。彼女は手足がすらっと長く、姿勢も綺麗なので颯爽と歩く姿は格好良い。『廊下は走るな!』のポスターを尻目にそんな彼女を全速力で追いかけた。
「ちょっと羅紗! 無視しないでよ!」
羅紗の腕を掴むと、彼女は初めて私を見た。
「……何か用?」
「何か用……って、何で無視するのか聞いてるんだけど……」
「……紫音、アラトと別れたって本当?」
「え? う、うん。愛羅人君とは別れたよ」
「……そう」
急に羅紗の表情が消える。かと思いきやすぐに笑顔が咲いた。
「そう、それが聞けて良かった!」
「え……?」
「今更アラトとヨリ戻したいとか思わないよね!」
「あ……うん」
「じゃ、私がアラトもらうね! 紫音、応援してくれるよね」
「え……」
呆然としている私を置いて羅紗は丁度階段を昇ってきた愛羅人君に駆け寄った。
「アラト! おはよっ」
「お早う、羅紗。朝っぱらからテンション高いな」
呆れたように笑う愛羅人君。その手を羅紗の頭の上に載せている。チクリと胸が痛くなる。
少し離れて二人を見ていると、ふいに愛羅人君と目が合った。
「お早う、碧城」
「お早う、愛……加藤君」
笑って挨拶はしてくれたけど、それ以上の事は無くて。お早うの後に耳元に投げかけてくれた甘やかな囁きも、羅紗が今立っている場所も、彼女の頭にある悪戯好きのあの手も、全てが私の物だった。全てが私一人の為にあったのに。昨日までとは同じようで違う。咲き乱れた後の花火のように全て散ってしまった。
笑い合いながら教室に入っていく二人の姿がぼんやりと歪む。眸から涙が溢れ出ようとしたその時。
「しー、なあにぼけーっと突っ立ってんだ。遅刻になっちゃうぞ」
サルくんが勢い良く背中を叩いてきた。彼は昔から手加減というものを知らないから、苦しくて思い切り咳き込んでしまう。
「だ、大丈夫か?」
急におろおろしだすサルくんを見ていると、背中の痛みも心の痛みも忘れて自然と笑みが零れる。
「あははっ」
「むう。人が折角心配してやってるのにその態度は何だ」
仕返しとばかりに私の頬をビヨーンと引っ張った。
「ひはい、ひはい(痛い、痛い)」
「……」
私の頬を引っ張ったまま、サルくんの表情が消えた。
「……サルくん?」
「……しー、お前は笑ってろよ」
「え?」
「いや、教室行こうぜ。
今、サルくん「笑え」って云ったよね?
彼のさり気ない優しさが心に沁みる。私はサルくんに笑顔を向けた。今はまだ、ぎこちないかもしれないけど、何時か心からあんな事あったな、と笑いたい。
そう思ったばかりなのに。一緒に教室に入ったサルくんを凄くキツイ眸でにらんだあの人を見つけて、ヤキモチ焼いてくれるといいな、と期待する自分がいた。
それからすぐに私と加藤君の破局が学年中に広まった。と、同時に
「知ってる? 碧城さん、サルなんかに乗り換えたったってサ」
「マジで? 急に男のレヴェル下げすぎじゃない?」
「いいじゃん、碧城さんにはサルぐらいが似合ってるって」
「いえてる~」
また、別の所では、
「愛羅人、今度は泉さんと付き合うらしいゼ」
「え~。狙ってたのに」
「どっちを?」
「愛羅人に決まってるだろ?」
「お前、ホモかよ!」
「あはははは」
噂通り、加藤君は羅紗と一緒に居るのを見かけるようになった。そして私も……雰囲気に流され、サルくんの優しさに甘えていた。
「ごめんね、サルくん。あんなウワサ……」
「構わねーよ。それよりしー、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。本当にサルくん、優しいね」
放課後の坂道。友達は気を利かせたのか(?)私とサルくんは二人、並んで帰路についていた。既に日は沈みかけ、夏の終わりを感じさせる。少し前に立ち、私は彼の頭に手を乗せた。日を浴びてキラキラ光る茶色がかった髪は、芯が硬く、チクチクする。
「な、なんだよ!」
サルくんは私の手を払う。手首を掴んできたサルくんの手は、野性的で、同じ男性でも加藤君の長く繊細な指とは全然違っていた。
「いや、なでなでしたくなっちゃって。……明日には誤解解いとくから……」
「別にいいぜ」
「え……?」
彼の顔を覗き込むと耳まで真っ赤になっていた。
「このまま、しーの恋人のままでいいって云ってんだよ」
そう云って小さな子供のようにぷいっと横を向く。
「そんなのサルくんに悪いよ」
「悪くない! おれは……」
彼はすうっと胸一杯に息を吸い込んだ、そして、
「しーのコトが好きだからっっ」
日本中に聞こえるような声で叫んでいた。
近くを歩いている人がぎょっとしたようにこちらを見る。周りの視線にさらされ、恥ずかしい。
「あ……」
サルくんも気付いたのか、私の手を取って走り出した。私を視線から守る為に学ランの上着で覆ってくれる。
「あらぁ、奥様、今時の若い子は大胆ねぇ」
「本当だこと。きっとこれからキッスよ、キッス」
風を切る音と共に、井戸端会議のおばさま達のそんな声が聞こえて、
(さっきは流しちゃったけど……今の告白だよね……)
サルくんがそんな風に想っていたなんて、知らなかった。小さい頃から一緒に遊んで、バカやって。そんな事がずっと続くと信じてた。
(バカだね、私)
涙が一筋頬をつたう。サルくんに見られないように、上着でそっと頬を拭う。部屋の隅に置いてある加藤君の上着は今では冷たくなっているのに、サルくんの上着はほんのり暖かかった。
「ごめんな、しー。嫌な気分にさせちまったな」
花火大会の帰りに話した曲がり角。一足先に息を整えたサルくんが申し訳なさそうにそう云った。
「確かにあれは恥ずかしかったよ。……だけど、気持ちは嬉しい。ありがと」
顔から火が出るほど、恥ずかしかった。だけど、サルくんの気持ちは本物だって、言葉から、表情から、声から、サルくんの全てから伝わってくるから素直に受け止められる。
「なあ、さっきの言葉も、あの日のキスも嘘じゃねーから。今はアラジンの次でも構わない。だから、考えてくれ」
おちゃらけた様子は何処にもなかった。ただ、大きな眸が真剣に私を見ていた。
「うん……」
やっとそれだけ云うと、サルくんに笑みが広がった。
「やっと云えた! この前は蓮ちゃんに邪魔されたからな。すっきりしたぜ」
いつものサルくんだ。
「じゃあな!」
晴れ晴れとした表情で去っていくサルくんを見えなくなるまで見送った。そして家に入るとずっとそのままにしていた加藤君の上着を袋に詰めた。『今までありがとう』のメッセージを添えて隣町の加藤君の家の郵便受けに入れる。
(ありがとう、加藤君、サヨナラ、私の初恋)
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