第2話 優しい人はすぐそばに
「
振り向くと、
「……サルくん……」
保育園から一緒の
「サル」と読めるのと、顔と行動がサルみたいなことから皆「サル」と呼んでいる。悪口ではなく愛称。本人も満更でもないみたいだから、問題は無いだろう。
「見てたの?」
「悪い。……なあ、おれはしーや
「……サルくんは私が間違ってても『正しい』って云えるの?」
「ああ。少なくともおれはしーを傷つけるようなことは云わない。世界中の人間が『間違っている』と云ってもおれだけは『正しい』って云うよ」
愛羅人君を失った今、サルくんの優しさが心に沁みる。触れられてもいないのに温かくなった気がする。
「どうしてサルくんは私に優しくしてくれるの?」
「おれは……」
サルくんは一度口を噤んだけど、すぐに意を決して云った。
「お前が泣くと雨が降るんだよ、しーは雨女だから。そしたら祭りに来てる人達に迷惑がかかるんだよ。おれはそれを回避するためにだな……」
「ありがとう……」
「おいおい、今泣くなって云ったばかりだろ。ほら、笑えよ、しー」
サルくんは私の頬を両手で摘まむと、横にビヨーンと伸ばした。
「ひ、ひはひほー( 痛いよー)」
「あはは、しーの顔、面白いな!」
サルくんは私の伸びた顔を見て大笑いした。
「ひ、ひどいわ。サルくんがこんな風にしたんじゃない!」
最初は怒ってそう云っていた私も、少年のようなサルくんの笑顔に釣られ、一緒になって笑ってしまう。
気付いたら花火が終わったのか、あれだけ鳴り響いていた轟音は鎮まっていた。
「花火、終わったな。しー、帰ろうか。十時までだろ?」
「うん」
サルくんの後を小走りで追いかけていると、ブチッと嫌な音がした。
「しー? どうした」
「鼻緒が、切れちゃったみたい」
私がそう云うと、サルくんは私の前でくるっと背を向けしゃがんだ。
「え? サルくん?」
「乗れ」
「で、でも……」
「それじゃ歩けねーだろうが。門限守らねーと
蓮ちゃんというのは、私のママ・
「ママに怒られるのは……イヤだな……」
私は素直にサルくんの首に手を回した。
ずっと小柄だと思っていたサルくんの背中は逞しく、黒いTシャツは幽かに汗ばんでいた。私を負ぶう腕には均整の取れた筋肉がついていて、大人への片鱗を窺わせるようでドキッとしてしまう。
「これ、持ってくれ」
渡されたのは金魚が二匹入ったビニール袋。何にでも熱くなるサルくんのことだ。獲れるまで大金を叩いている様子が目に浮かぶ。 サルくんは駆けた。流石学校一最速の男。とにかく速い。もしかすると……メロスより、宇宙刑事ギャバンより速いかもしれない。
「もう大丈夫だろ」
気が付いたら家の傍の曲がり角だった。
「うん、ありがとう」
「あ、これやるよ。どうせ金魚掬いとかやる暇なかったろ」
サルくんの苦労を感じさせる二匹の金魚達。私はありがたく頂戴することにした。
「なあ、しー」
「なあに? サルくん」
軽いデジャヴを覚える。いつの間にかサルくんの顔が目の前にあった。
「え……」
皮肉にも愛羅人君にされたのとは違う頬に口づけを受けていたのだ。
「嫌がらせでも何でもない。おれの気持ちだ。……考えてくれるか?」
サルくんが……私の全然知らない大人の男の人のように見える。
「何を……?」
「おれがお前を……」
ガチャッ
「あっらあ。外で話し声がすると思ったら、紫音と然ちゃんじゃあない」
「れ、蓮ちゃん……」
曲がり角を曲がったママが私とサルくんの顔を見比べる。私の泣き腫らした顔を見て何かを悟ったのだろう。すぐにサルくんに笑顔を向けた。
「ありがとね。紫音を送ってくれて。あっ、作りすぎちゃった煮物、持って行ってくれる?」
「あ、ありがとう、蓮ちゃん」
「じゃ、然ちゃん、頑張るのよ。明日も学校で娘をよろぴくね」
ママはサルくんにだけ分かるようにウインクした。そして私の背中を押して家に入る。
「……紫音、男なんてしゃぼん玉よ。あまり気にしなくてもいいのよん」
「うん……そうだね……」
おどけたように云うママにほっとする。
部屋に戻った私は手早く浴衣を脱いでパジャマに着替えた。布団に入ると、愛羅人君とサルくんの顔が浮かんできた。
「今日は色んなコトがあったな……」
呟き終わるか終わらないかのうちに睡魔が襲ってくる。
私は思考を手放し、眠りに落ちた―
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