FIRE WORKS

遠山李衣

第1話 花火大会、そして波乱の予感

「帯よし、前髪よし、笑顔よし」

 姿見の前でクルッとターンすると可愛らしく微笑む。

 私、碧城紫音あおきしおん。花の女子高生よ。

 何故私が菫色の地に黒蝶の柄の浴衣を着て、入念に身嗜みをチェックしているのか。それは、今夜、花火大会が有るから。

 え? 花火大会だからってそこまでお洒落する意味が有るのかって?

 無粋な人ね。私、今夜は、で・え・となの。しかも彼氏が出来て初めての。

 ずっと勉強だけしてきた私にとって、彼―加藤君―は何もかも初めての人。学校帰りに隣で優しく包んでくれる大きな掌も、私だけに見せてくれる照れたような笑顔も。加藤君と一緒に居る一瞬一瞬が、私に幸せを与えてくれる。幸せすぎて怖いくらいだ。で、今日が初デート。頬がこれ以上ないくらい緩んでいるのがよく分かる。二人で金魚掬いをして、林檎飴を食べて。その後二人で花火を見て、気付いたら距離が縮まってて、花火を背景にどちらからともなく顔を近づけて……。

「紫音。愛羅人あらと君が来てくれたわよー。って何、その顔」

 いきなり部屋のドアが開いたかと思ったら、ママに自分の世界に浸りきった顔を見られてしまった。私ったら何を妄想してたのかしら。

「あんまり羽目を外しすぎないようにね。二十二時には帰ってくるのよ。いいわね」

「分かってる」

 唇を尖らせて返事をする。全く、ママは心配性なんだから。

「じゃあ、行ってきまーす」

 元気よくママに告げると、下駄を履いて外に出る。愛しい彼の元へ行く為に。

 この時はまさかあんなことになるなんて……幸せ一杯の私には知る由もなかった。


「楽しみだな、花火」

 烏賊須いかす神社への道を歩いている時、私達は巷で言う『恋人繋ぎ』をしていた。

 私、手に変な汗をかいてないかしら、と思いながら歩いていたものだから、驚いて加藤君の顔を見上げた。

「どうした?」

「花火大会楽しみにしてたのって……私だけじゃなかったんだってびっくりしちゃって」

 彼は眉を寄せると拗ねたように云った。

「紫音は俺のコト、何だと思っているんだ。当たり前だろ。そもそも誘う時から『断られたらどうしよう』って不安だったし、今日だってドタキャンされるかもって紫音の顔を見るまで安心できなかった」

「加藤君……」

「こらっ」

 加藤君が怒ったように眉を寄せる。どうかしたのかしら……

 彼は人指し指を私の唇に寄せて云った。

「付き合うようになって一ヶ月。そろそろ俺のコト、名前呼びしてくれてもいいんじゃないのか……」

「えっと……うん。云ってみる」

 私は大きく息を吸うと口を開いた。

「あっ、あっ、……あ……っ。ダメ! 恥ずかしくて……できないっ!」

「紫音。できないのなら……お仕置きだぞ。お仕置きされたいのか?」

 いつになく意地悪な加藤君に涙が出てくる。

「そんなに可愛くをうるうるさせてもダメだぞ。ほら、早く」 

「あ……あっ、あらとくんっ……」

 彼の強い眸に射貫かれて私はやっと声を振り絞る。

「好い子だ」

 忽ち《たちま》彼は八重歯を覗かせて笑うと、幼子にするかのように大きな掌を私の頭に載せる。ぽんぽんと優しく叩くと、いつの間にか彼の顔がすぐそこにあった。柔らかく温かいものが頬に触れたかと思うとす

ぐに離れていく。

「え……?」

「ご・ほ・う・び」

 加……愛羅人君はイタズラっぽい眸をして笑うと、甘い雰囲気を醸し出す。

「続きは……後でのお楽しみな」

 彼は何事もなかったかのように私の手を取ると歩き出した。

 風に当たっているのに彼が握っている左手と、さっき触れられた頬がじわりと熱を持つ。感触が思い出され、顔が赤くなるのが分かる。私は空いている手で頬を押さえると、あの柔らかな感触を忘れようと首を振る。

「ん? 紫音、どうした。そんなに可愛く首を振って」

「かっ、可愛い!?」

「ほら、あっちに林檎飴がある。一緒に食べようぜ」

「う、うん」

 どうしたんだろう。今日の愛羅人君は怖いぐらいに甘い。

 加藤愛羅人君。私と同じ高校一年生。皆からは「アラジン」と呼ばれている。あまりない名前だけど、「親父が「私が武人たけひとで母さんがゆう。三人合わせて『愛羅武優あいらぶゆう』にしたい」ってゴネてさ。だからこんな変な名前になったんだ」と云う彼は嬉しそうに笑っていた。気に入っているのだろう。

 成績優秀・品行方正・運動神経抜群。中心の女子グループの厳しい目によれば、「加藤は顔が平凡だよね~。頭が良くてもあれはないわ~」だそう。私から見れば十二分にカッコイイんだけど。彼は一体私の何処を好きになってくれたんだろ……って惚気のろけじゃないからね!

 そんな事を考えていると、私の代わりに並んで林檎飴を買ってくれていた愛羅人君が戻ってきた。

「ありがと……って、何で一個しかないの!?」

「紫音……意外と食いしん坊だな。二個も食べる気だったのか?」

 彼は呆れたように飴を此方こちらに差し出した。

「そうじゃなくて。愛羅人君は食べないの?」

「食べるよ」

「どうやって……」

「こうするに決まってんだろ?」

 彼はそう云うと既に私が口をつけていた林檎飴に食いついた。そして親指で私の

唇についた飴を拭い取ると……、

「この飴、紫音の唇と同じ味がする」

 あろうことか親指を口に入れていた。フリーズしている私になおも云う。

「お前、甘すぎ」

 そ、そんなコト素面しらふで云える貴方の方が甘すぎですっっ。

「~~~~」

 顔を真っ赤にしていると遠くの方で大きな音がした。

 ヒュルルルル~ン  バーン!

「加…愛羅人君、見て!花火よ!綺麗!」

「そうだな」

 折角、二人寄り添って花火を見ていたのに、

「花火だねぇ、お爺さん」

「そうだねぇ、お婆さん」

「もうちょっと前で見ようよ~」

「ん?じゃあ肩車してやるよ」

 恋人達や親子連れがどんどん前に来て……一五一センチしかない私には花開く夜空は見えなくなってしまった。

「み、見えない…」

 精一杯背伸びしてみるけど、そそり立つ壁はあまりにも高くて。

 愛羅人君と一緒に居られるだけで感謝しなくちゃ、と思った時だった。

「紫音、場所を変えよう」

 云うが早いか、私の手を掴むと足早にその場を抜け出した。

 愛羅人君はコンパスが長いから足が速く、手加減はしてくれてるんだろうけど、私は半ば引き摺られるような形で人気の少ない場所へと導かれた。

「虫が出てきたら俺が守ってやるからな」

 愛羅人君は私が虫に怯えていると思ったのか、そんな事を云った。

「うん、お願い」

 本当は、虫よりも不気味な程の闇の方が私達の未来を暗示しているようで怖かったんだけど、傍で愛羅人君を感じていたかったからそう答えた。

「紫音、空を見上げてみろよ」

 彼の声に釣られて顔を上げた。

 ヒュルルルル~ バーン!

 目を見開く。

 さっき見た花火よりは一回りも二回りも小さく見えるけど、周りが闇夜に包まれているせいか、ずっと鮮やかに咲き乱れている。

「どうだ、綺麗だろ」

 横を見ると花火の灯りで彼の顔が誇らしげに此方を見ているのが分かった。

「うん。でも、ごめんね。私が小さいせいでこんな所まで連れて来させてしまって……」

「別に。折角二人で来たんだ。紫音が楽しめないのに俺が楽しめるわけないだろ。……もしかして俺と二人きりで居るのはイヤ?」

 驚いて慌てて首を振る。嫌だったら出掛けにあんな妄想はしない。

「だったら…俺は『ごめん』じゃない別の言葉が欲しい」

「ありがとう、愛羅人君」

如何致どういたしまして」

 彼の肩から力が抜けるのが分かる。空気が少し和らいだ。

「くしゅん」

 風が吹いてきた。まだまだ昼間は暑いけど、夜は涼しく過ごしやすくなっている。秋はすぐそこまで来ているのかもしれない。

「風邪ひくなよ」

 彼が上着を脱いで優しく肩にかけてくれる。そして私を風にさえ触れさせたくないとでも云うかのように肩を抱き寄せた。頬が赤いのは今上がった赤色の花火のせい?

「あ、あの赤い花火はきっとリチウムね」

「……」

 反応がない。そっと彼を窺うと頬が強張っていた。

「あ、愛羅人君?」

「あれがリチウム? 冗談はよしてくれ」

「リチウムじゃない? じゃあ何だって云うの?」

「ストロンチウムだよ」

「嘘よ、あれはリチウムなのよ。どうしてそんな嘘を吐くの?」

「間違いは正さないといけない。曖昧にしていると、将来困ることになる」

 いつの間にか彼は、愛羅人君は私に蔑みの目を向けていた。

「愛羅人君、貴方があれをストロンチウムと云い張るのなら、私は愛羅人君と別れるわ……」

「構わない。紫音、別れよう」

 愛羅人君は踵を返すとさっさと去ろうとする。

「愛羅人君! 上着……」

「……返さなくていい。君には失望したよ。じゃあな碧城」

 もう、彼が振り返ることはなかった。

「愛羅人君、私の事、碧城って呼んでたね……」

 涙が後から後から溢れてくる。愛羅人君が残した上着はすぐに濡れしょぼたれた。もう愛羅人君は居ない。加藤君になってしまったんだ。

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