第7話 2人の女神様が元凶だ、オッサン
★約130年前
今から約130年前、当時の俺は、帝都でも指折りの冒険者をやっていた。
階位レベル68、HP340、MP643
確か絶頂期の俺のステータスは、こんな数字だったはず。
MPの多さから見て分かる通り、いわゆる魔法職の回復系プリーストだったが、ソロでダンジョンに潜って、レベルを上げ物理で殴る。怪我をすれば自分で治す、敵が倒れなければ肉体強化で殴る。
以上の黄金コンボを極めて、いくつかのダンジョンや、神域を個人踏破する最強の冒険者だと自負していた。
その頃の俺は、まとまったお宝を手に入れ、帝都で長期の休暇を取っていた。
貴族達の社交界に招かれ、様々な地方の大貴族とも交流を持ち、時には皇族の夜会にも招かれ、一流の名士として休暇を楽しんでいた日々。
暇なときは、帝都内の高級料亭を食べ歩き、世界最高峰の料理に舌鼓を打ったものだ。
ある日、なじみとなったコルボの小熊亭で昼食を楽しんでいた時の事だ。
俺は、何時ものように、食後の感想を伝える為シェフを呼び、今日の日替わり定食について語り合っていた。
「ああっははは、さすがシェフだな、このサンダルカレイのムニエル、実に素晴らしかった、煮付けに使ったショツル、新しい物に変えたのではないか? 良い選択だ」
「さすがホーンズさま、お目が高い、東方のショド島産のショツル、五大蔵の中で一の蔵と呼ばれるマルキソの銘柄にございます……あ、ショド島と言えば、こんな話しは、ご存じでしょうか?」
「ふむ?」
「近々、彼の地で、夜女神と太陽神の逢瀬の日が訪れるそうですよ。夜女神と太陽神の恋煩いも、休戦の時のようです」
「ほう、日食か……」
夜女神と太陽神の逢瀬の日とは。
夜を支配する夜女神のヒルダと、昼を支配する太陽の神ホルス、神話の時代から互いに相争い、そして恋い焦がれて、永遠に交わることの無いはずの昼と夜を繰り返す永久運動。
その永遠の追いかけ合いに、休息の日がある。
月の女神セラムが二人を覆い隠し、昼間に夜を招き入れ、ほんの数刻の逢瀬を取り持つ日と言われている。
天文台の星読み博士達に言わせると、それは日食と呼ばれる天体現象らしいが、色々と伝説は残っていた。
日食の最中、月の女神セラムが、地上に降りてきて水の女神シェリシュの元で水浴をすると言われ、この時、月の女神セラムに出会えば、加護をもらえると言い伝えられている。
「ショド島で二柱の女神降臨か……行ってみる価値はありそうだな」
俺は、早速、ショド島へと旅立った。
★
ショドの島へと交易船を乗り継ぎ、ようやくたどり着いてからが大変であった。
ショド島、山間部の名産、ホリーブの実から取れる食用油を使った地元海鮮料理に舌鼓み、ショド島ジャンガ肉料理も味わった。
そして極めつけは、ウドム。
二柱の女神に出会う手がかりを得るため、たまたま入った、小さな民家を改造した食堂。
食堂の亭主に進められたのは、ウドムの麺を釜から上げたての熱々の状態で、生卵を落とし、ショツルをさっとかけ、ニャギュの香菜を刻んだ物を乗せて食べるだけの、田舎料理。
これを出された時、最初は、正直落胆した。
(何だこれは、こんな手抜き料理を料理呼ばわりしよって、田舎者はこれだから困る)
俺は、料理への冒涜であると、内心怒りに我を忘れそうになったが、出された料理を残すのは、己の美徳に反すると、フォークを取った。
恐る恐る、口に麺を運ぶ。
ツルッ
「ぬうっ」
ツルツルツルルルルルル
だが、一口、麺を啜ったとき、俺の常識は驚天動地を迎える事となった。
麺を運ぶ指先は震え、限界まで見開いた眼球は泳ぎ、踊ることを辞めない舌先が震えた。
(グヌヌヌヌヌヌヌヌ、何という噛み応え……いや、この粘りは、肉体強化された体幹が、粘り腰を発揮するときの、あのコシつきと同じ。
いや、それだけでは無い。こののど越し……ツルツルツールツルののど越しは、熱々の麺によって半熟卵と化した卵が独特の食感の麺と絡み合い、ショツルの塩分とうまみ成分が加わり、更にその上香菜ニャギュの香りが加わって、最高の
くっ、世界最高の食文化を誇っていた帝都人であるこの私が、手抜きと思った田舎料理相手に、これほどの敗北感を味わうとは……)
「グヌヌヌヌヌ、えええい、シェフを呼べーい……」
俺は、ウドム店での大騒ぎの末、麺の秘密を知った後、次なる秘密、五大ショツル蔵の一の蔵、マルキソを紹介され早速急行した。
そして急行した先で、驚くべき情報を得る。
工場長に、ショツルの美味さの秘訣を教わっていた時の事だ。
「それは、そうと、ホーンズ様、ご存じでしょうか?
(……何だと、この蔵の泉が例の二柱の女神が水浴をする泉であったか、神官ごときが近づけるなと言っているようだが、そうはいかん、ぜひ二柱の女神の御前にまかり出て、加護を賜らねば)
俺は、早速行動した。泉の場所を調べ、早くも辺りを警戒してうろつく神官の目を盗んで、泉へと侵入する道を探し出した。
そして当日、木陰に身を隠し、半刻毎に見回りにくる神官達の目をごまかして時を待った。
水の女神の神官といえど、階位レベルは、俺に比べるも無く低く、隠れるのは容易い。
やがて、昼間の明るさは、徐々に陰りだし、太陽神ホルスが隠れようとした時、泉に光が瞬いた。
(来た)
俺は、心の中で喝采を叫んだ。ただの伝説ではなかったのだと。
早速、泉の見える場所まで、地面を這って移動した。一端警備の包囲網を突破すれば、泉の近くには誰もいない。簡単に泉が見える場所へとたどり着いた。
チャポッ
水が跳ねる音がする。
(居た)
二柱の女神が、一糸まとわぬ姿で泉に入っている所だった。
俺は、見とれた、そう、これは芸術である、けしてイヤラシいおっさんの
女神の水浴と言えば、我が帝国元老院の大議事堂の壁面をも飾る、芸術的題材の一つである。
議事堂を飾る、数々の神々を題材に、色とりどりに彩色された石像が並ぶ光景は、圧巻の一言だった。
そして石像の神々の殆どは、衣服を身につけていない。なぜなら芸術だからだ。
なので、けしてイヤラシい視線ではない。
(俺の記憶では、水の女神シェリシュ様の石像は、水色の髪をしていたので、恐らく、手前にいる水色の髪の女神が、水の女神シェリシュ様なのだろう、そして奥の金色の髪を靡かせているのが、月の女神セラム様だ)
二人が並んだ姿を同時に目に納める。
(ふむふむ、神殿に飾られた石像よりも、水の女神シェリシュ様のは……大きいな、良い房成りである。ふむ、月の女神セラム様も小ぶりながら悪くないぞ、これはなかなか……)
俺は、全神経を目に集中して、全ての事象をその奥へと焼き付けようとした。
なぜなら、芸術だからだ。
カラッ
極度の集中によって、つい手が滑ったらしい。小さな石が滑り落ちた。
「何ヤツ!」
「曲者っ!」
ズズズズ……ドオオオドドドドド
水の女神シェリシュの水魔法によって、俺は捕らえられていた。
そして、ついでなのか、フルぼっこに殴られた。
高階位レベルのプリーストである俺で無ければ、死亡していたはずだ。
あっという間に、HPやMPも、ギリギリ生きているぐらいの状態まで追い込まれてしまった。
「ふうっ、ふっふっふ、なかなか堅い奴じゃ」
「貴様、セラム姉様や妾の水浴を覗き見て、ただで済むと思うなよ」
「ず、ずみばぜん、おゆるぢぐだざい、お二人に会うごどがでぎれば、加護をいだだげるどぎいで……」
俺は、顔面が腫れ上がり過ぎて口が回らなくなったが、謝った、それはそれは謝った。
「何言ってるのか分からん、ちょっとだけ治してやる」
水の女神シェリシュ様によって回復の魔法が掛けられる。
パーッと、目の前が光り、腫れ上がっていた顔が少し楽になって喋れるようになった。
「申し訳ございません、わたくし、ただ御女神様の加護を賜りたく、この地にはせ参上いたしましたるところ」
「あーん? 覗き見してただけではないか、このゴミめっ」
「キモいおっさんの癖に、何を言っておる……ん、待てよ……おおそうじゃ、それほど妾の加護が欲しいか?」
「え、セラム姉様?」
(この状況でも、加護が欲しいかと言われたなら、欲しいに決まっている)
月の女神セラム様は、白く凄みのある笑顔になり、俺を睨んでいる。
もう一柱の水の女神シェリシュ様は、セラム様の言葉に驚いていた。
「シェリシュ、そなたの加護で最も高い物があったじゃろ、アレをこやつにくれてやれ」
「は、はい? 絶対回復の加護でございますか? アレは壊れ加護でございます、階位レベルも∞になりますし、人間ごときには……」
「よい、欲しいと申して居るのじゃ、くれてやれ」
「はっ、かしこまりました」
水の女神シェリシュ様が、俺の方へと向きなおし、冷たい目で俺を見下ろした。
「聴いておったな、セラム様に感謝するのだな、きさま如きに勿体ないが、絶対回復の加護を与える。この加護は、例え灰になろうが、元通りに回復する加護じゃ……感謝せよ」
世界が光に包まれた。
俺は、自分の身に何が起きているのか理解できないまま、絶対回復の加護を受け取っていた。
(ありがたや、ありがたや、この加護があれば、すぐに顔面をボコボコにされたのが治る)
俺が、そう考えていると、水の女神シェリシュ様が、冷たい目で言い放つ。
「ああ、言い忘れたわ、その加護ね、今の状態に自動回復するから」
「えっ? も、元通りには……」
「しらないわ、人間の癖に何か文句あるの?」
「と、とんでもございません、誠にありがたく頂戴いたします」
俺は、震え上がって、水の女神シェリシュ様の言上に従った。
「シェリシュの加護は、それでお終いね、じゃあ私の番だわ」
月の女神セラム様が、俺に続いての加護をくれるらしい。
「あ、あの、もう一つも加護を頂いてもよろしいのでしょうか?」
「いいわよお……うふふふ」
笑っている目に鬼火が光っている。
(もの凄く悪い予感がする、でも、身体が震えて逃げ出せない)
シュッ……ッッツツツツツツツツツツツツ
変な音が、周りに満ちる。
シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ……ドドーン!
雷鳴のような轟きと共に、俺の頭が光った。
「はい、終わり、良かったわね。私たち二人から加護がもらえて」
「は、はい、有り難き幸せに存知ます。して、わたくしめに授かった加護とは、いかようなる物で?」
「クスクスクス……そうね、とっても強力な加護をあげたわ」
「はあ……」
セラム様の目に、さっきより更に強い鬼火が爛々と輝いている。
(本当に嫌な予感しかない……)
「その加護はね……ヘイト……憎しみの加護よ」
「え……」
俺は、絶句した。
(意味が分からない。ヘイト? 憎しみ? 何だそれは。ただ碌でもない加護で有るのは分かる)
「うふふふ、あなたに、
「さすが、姉様、このような覗きをするオッサン如きに、加護などもったいないと思いましたが、実に楽しい加護を与える事になりました」
「うふふ、でしょ、私って賢いから」
「おーほほほほ」「おーほほほほほ」
俺の上で2柱の上位神が高笑いをする中、必死に考えていた。
(まずい、これは、加護なんかじゃない、呪いだ、死ぬことすらできないのに、ヘイトの呪いとか無茶苦茶すぎる)
「ふ、ふざけないでください、こんな加護はまっぴらゴメンだ、今すぐ返上いたします。お願いです」
「あーら、だめよ、周りをご覧なさい」
月の女神セラムに言われて、ようやく気がついた、周りが明るくなってきている。
「気がついた? もう太陽神ホルス様と、夜女神ヒルダ様の逢瀬の時は終わり。私達は、ここまで……あ、ついでに教えてあげるけど、ヘイトの加護は、何もしてなくても、貴方に憎しみを引き寄せるから気をつけてね……じゃっ」
「うふふふふ……」
「あ、まって、『ジャッ』じゃないです。待ってくださーい」
2柱の女神は、笑いながら消えていった。
★
2柱の女神と分かれた直後から、MP残量が少な過ぎて、高階位プリーストとして使っていた魔法は全滅。
HPに至っては、低すぎて、弱小魔物の一撃で即死。そして即時発動する絶対回復のコンボを、敵が攻撃力を使いすぎて衰弱死するまで、何度も臨死体験を繰り返した。
はじめの頃は、花畑の河原に立ちすくんだ俺に、誰かが手を振ろうとしたのを見かけた。
一瞬しか観察が出来なかったが、何回か確認すると、俺が幼い頃死んだはずの婆ちゃんだった。
婆ちゃんが、対岸に出てきて、手を振ろうとした所で絶対回復の加護で生き返り、また死亡して婆ちゃんが出てこようとした所で生き返り、また死亡してを生き返り繰り返す内、10回目辺りで婆ちゃんが、対岸の河原に倒れていたため、これは悪いことをしたと思い悩んだものだ。
最初の一年ぐらいは、ご先祖様らしき人が入れ替わって対岸に立つ事はあったが、すぐに誰も迎えに来なくなった。
そうして130年の時が過ぎ、あまりにもの死亡体験で、もう死ぬことの意味がよく分からなくなった俺がいた。
★補足
神話 夜女神と太陽神の恋煩い=千日手
かつて、天界が一なる世界だった頃、太陽神ホルスと夜女神ヒルダは、互いを愛し合う夫婦であった。
ある時、太陽神ホルスに邪な恋慕を抱いてしまった女神が出てしまう。月の女神セラムだ。
月の女神セラムは、夜女神ヒルダに従う女神達の中で最も輝いていた女神だった。
だが、そんなセラムの輝きも、太陽神の輝きの前では、かろうじて存在を確認できる程度の物でしかなく、己の未熟さを恥じてしまう日々を送っていた。
やがてセラムは、自分以上の輝きを持つ太陽神ホルスに恋心を抱いてしまった。
『己こそが、太陽神ホルスの横にいるべきである』と……
その恋心は、けして許される物ではなく、月の女神セラムは、胸が張り裂けんばかりに苦しんだ。胸の苦しみはやがて、大悪間ラクーシャの知ることとなる。
大悪間ラクーシャは、月の女神セラムに近づき囁いた『あの男が欲しいか? ならば望みを叶えてやろう。この薬を太陽神と夜女神の二人に飲ませるがよい』
セラムは、悪魔の囁きに抗しきれず、薬を使ってしまった。
薬は、太陽神ホルスと、夜女神ヒルダの仲を引き裂き、お互いに争って、大きな大乱となった。
こうしてすれ違った二人は、互いを憎み合い、そしてまだ恋し合いながら、毎日夜と太陽が追いかけ合うようになったと言う。
太陽神と夜女神の恋煩いとは、太陽と夜との争いのように繰り返し、永遠に決着しない勝負の例えだ。
神話には、後日談もあって、月の女神セラムは、二人に毒を飲ませた罪で、姿を徐々に消される呪いをかけられ、己の肉体が消えるのと復活する苦しみを、毎月繰り返すようになったと言う。
月の女神セラムは、贖罪の苦しみに耐えかね、時折、太陽神ホルスの姿を自らの身体で隠し、昼の世界に夜女神を連れ戻して、かつての夫婦の逢瀬を助けると言われている。
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