第8話
ざー。ざっざざー。
黄金の波が見える。僕の一番好きな海だ。
君はすっかり定位置となった平らな岩の上に腰を下ろして本を読んでいた。書店のカバーをつけているからタイトルは分からない。時折めくる頁の音が本の世界に没頭していることを伝える。
「ねぇ」
「ん……何?」
本に夢中らしく、生返事が返ってきた。
「この前街で一緒に歩いていた男の人って知り合い?」
「街で?」
やっと本から顔を上げた君は、何かを思い出すように目を宙に漂わせた。
「別に無理に答えなくていいから」
「男の人ってどんな人だった?」
「
「美男……格好良い……女性に人気……。うーん分かんない」
「一緒に洒落たレストランに入るところを見たんだけど……」
「レストラン……あっ。ああ、あの人のことね」
そうか。やっぱりあの男は……。
「こっちに引っ越してきたばかりで、こっちのこと、よく分からなかったみたい。それで私に道を聞いてきたから教えてあげたの。その日は偶々会って、お礼がしたいって云うからお昼を奢ってもらったのよ」
「君の……その、彼氏とかじゃ……」
「ふふふ、違うよ。それ以来一度も会ってないもん。それにあの人、すごく綺麗な恋人がいるしね」
兄弟とか親戚とかじゃなくて、唯の通行人だったとは。気のせいかもしれないけど、視界がぱあっと明るくなった気がした。
「じゃあ、今、君がお付き合いしてる人は……」
「いないよ。まず出会い自体がほとんどないもん」
よし。僕にもまだ希望がある。丈琉と晶のためにもここはちゃんと云わなければ……。
「あ、あのさ」
「なあに?」
「僕は……僕は君が『ざっばーん』」
「ぇ?何、聞こえ……」
僕の一世一代の告白は波の音に掻き消されてしまった。だけどがっかりする間もなく、おそらく僕が隠れ処を見つけてから史上最大の大波がやって来た。僕たちを飲み込む。塩辛い海水が口や鼻に大量に入ってきた。すごくしょっぱい。頭から海水をかぶった僕たちは、髪も服もびしょ濡れで濡鼠になっていた。水分を吸って体全体が重く、気持ち悪い。
「ふふふ。あはははは」
君が突然腹を抱えて笑い出した。
「どうしたの?」
「何か可笑しくって。波の音が急に大きくなったなって思ったら、いつの間にかずぶ濡れになってるんだもん。今超面白い格好だって自分で気付いてる?」
「そう云う君だって柳の下にいる幽霊みたいだよ」
「幽霊?ひどっ」
そう意味のない云い合いをしているうちに僕も可笑しいと思えてきて、結局君と一緒になって笑ってしまった。
直前まで緊張でガチガチになっていたことを思い出すと笑えてくる。肩から余計な力が抜けた。今度は普通に云えるかもしれない。
「僕は君のことが『っくしゅん!』なんだ」
君が小さくくしゃみをした。
「風邪ひいたら嫌だし、もう帰るね。夕飯の準備もしないといけないし」
「えっと……」
「じゃあね、ばいばい」
君は手を振るとさっさと帰ってしまった。
二度において告白は失敗。恋はいきなり始まるのに、道のりは長い。海に邪魔された気がする。いつもは心地良い波の音も、今は僕を嘲笑っているように聞こえる。ライバルは意外と身近にいたのかもしれない。
「海になんかまけないぞー。夏の間に君に思いを伝えてみせる!」
そう海に向かって叫ぶと、僕は次の手を考える為に、その場を後にしたのだった。
――― 終わり ―――
夏の日の君に 遠山李衣 @Toyamarii
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