第5話

「お前、もしかして好きな女とかいるの?」

八月某日。僕と晶は丈琉の家に集まっていた。晶の宿題を写すためだ。

七月中には宿題を全て終わらせる晶。それを僕と丈琉が書き写すのが小学校時代から続く恒例行事だ。晶は菓子目当て。丈琉のお母さんお手製の菓子は絶品なんだ。この行事に嫌がりもせず、むしろ進んで参加してくれるのは丈琉のお母さんのおかげだ。

ダラダラ書き写して一時。マドレーヌを頬張ってる最中、丈琉からの爆弾発言だった。

「な、何だよいきなり。いるわけないだろ! 何でそんなこときくんだよ!」

おかげで僕はむせかけた。

「……夏に入ってから君はいつも以上にぼんやりしている。溜息をついては遠くを見て。いくら君がいつもぼんやりしていても、多少の違いは分かる」

いつも本に夢中の晶が珍しく口を挟んだ。……というか「いつもぼんやり」ってひどくないか? よくのんびりしているとは云われるけど……。

「勘だよ、勘。長年の付き合いだからピンとくるんだよ。というわけで、この夏、何があったかとくと話してもらおうか」

 丈琉の顔が鼻先三センチまで近づく。日焼けしてグリズリーみたいになった顔は迫力満点だ。晶はハーブティーを味わいながら目をキラリと光らせて僕を見ている。

 ……僕の負けだ。いつも正反対の二人でも、一度意見が一致すると何故だか息がピッタリ合う。それぞれの得意分野を活かして協力する。丈琉の熱気と晶の冷気に押され、とうてい勝ち目はない。僕は渋々話し始めた。

「夏休みに入ってから僕は海に行ったんだけど……」

「夏休みに限らず行ってるだろう」

「……丈琉、茶化すな。……で?」

「で、ついうとうとして、気付いたら天使がいたんだ」

「「天使?」」

「うん。白い服を着た天使が水際で遊んでいたんだ」

「その水際のエンジェルは何処の誰だったんだ?」

「分からない。気付いたらいなくなっていたんだ」

二人には何となく君の事を知られたくなかった。だから少し嘘をついた。

「何だよ。怪談話にしてはあんまり怖くないぜ」

案の定、丈琉はあからさまにガッカリした顔をした。それはそうだ。話のオチが幻でした、なんて一番つまらないパターンだ。でも晶は僕をじっと見て、今度は腕を組んで考え込む。たっぷり熟考してから意見を云った。

「……君は水際の天使エンジェルを見た。でも彼女はいつの間にか消えていた。となると、君は幻を見たことになる」

「まあ、そうだな」

「うん、そうだね」

「でも、いくらぼんやり屋の君でも真昼間まっぴるまに幻を見たとは思えない。僕は、君が彼女に見惚れている間に彼女が帰ってしまったか……」

「彼女が帰ってしまったか……?」

「今の話自体が幻だった……君が嘘をついたかのどちらかだと思う」

「何で嘘をついたと思うの?」

「君が何かを隠しているみたいだから」

す、鋭い!父さんにも母さんにも兄貴にだって嘘を見破られたことはないのに。晶は追及してくるのだろうか。

「……まあ、君は云いたくないんだろうし、強くは聞かない」

助かった。晶が目の前にいると嘘をつき通す自信がない。

「話を戻そうぜ。お前が本当に天使を見たとして、もう一度会いたいか?」

「そりゃあ、会いたいよ。一度見たら忘れられない。彼女が現れた時の事は今でも鮮明に覚えている。空の色も波の音も砂の感触も全部」

目を閉じると君と海で出会った時の事をリアルな映像として思い出せる。丈琉の家にいながら隠れ処にいるような錯覚を覚えた。

思い出に浸りながら目を開けると、口を開けてぽかんとしている丈琉と晶がいた。丈琉は顎が外れそうなくらいだから面白かった。晶が驚くことは滅多に無いからレアものを見た気分。

「どうしたの?」

「い、いやあ。お前も大人になったんだなあって思ってさ」

「大人?」

「お前のその異常なまでのぼんやりは病気が原因だな」

「病気?」

助けを求めるように晶を見ると、晶は丈琉の言葉に頷いていた。

「な、何の病気だって云うんだよ」

「ズバリ、恋の病だよ」

丈琉がニヤリとして云った.。何なんだ。その確信に満ちた顔は。

「誰が誰に恋をしてるんだ」

「お前が水際の天使に」

「何を根拠に……」

「お前が変わったなあってこのところ思ってたんだよな。で、今のお前の話を聞いて、ああ、こいつ恋してるって確信した」

「……『恋』とは特定の異性に強くひかれること―まさに君のことだね。―また、切ないまでに深く思いを寄せること―出会った時の状況を覚えてるくらいだから、君にピッタリ当てはまる」

辞書を片手に晶が解説した。

二人は小さい頃からの仲だし、僕以上に僕を知っていると思うことがよくある。二人が断言するぐらいだから、僕は君のことを好きなんだろう。

「しかし、残念だな。一目惚れなんてな。もう会えないかもしれないのに」

「え?うん、そうだね」

危ない、危ない。毎日のように会ってるって口が滑るところだった。

「初恋は叶わないっていうからな。まあ、気落ちしないで素敵な思い出として大事にとっておけよ」

丈琉が慰めるようにして僕の肩をぽんぽんと叩いた。

なんか……寂しい。

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