第9話

ステージから観客を見渡すと、今日は元気くんが来ていないことに気づいた。こんな私への罰かしら。たった一回のステージに来てないだけでこんなにも寂しい。虚しい気持ちになるなんて。一人、カウンターに座り何も考えず誰とも喋らず一人でお酒を飲んでいた。私のファンは居ないわけではないし、私のステージの時間になったら来てくれるお客さんもいるが元気くん以外は私に話しかけることは無かった。顔面合成糞野朗もあれから二度と、タルトで見かけることは無かった。怖気ついたのでしょうか。なんだかとってもやさぐれていた。アキさんの言葉が耳の中で大暴れしてるのを必死に無視した。うるせえ。うるせえんだよ。うるせえ。どいつもこいつも。自分の声でかき消すように、心の中で怒鳴っていた。そのうち、気がついたら河川敷でべちゃべちゃのぐちゃぐちゃで立っている私が居た。少し離れて、見上げると彼が私に向かって財布を投げてきた。大笑いしてる彼を見て、顔が腫れすぎてどうにもならなかった。お母さんに平手で殴られたときも、こんなに腫れてないのに。虫ってすごいわねぇ、怖いわねぇ…彼が私に向かって、叫んだ。

「俺の名前は、山田太郎だーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」

ピンポンピンポンピンポン

入店です。

酔っ払ってタルトで突っ伏して寝ていた私だが、気づいたら早朝のコンビニで履歴書をずっと手にとって眺めていた。一番前にある、見本の名前のところに『山田太郎』の文字。そのうえにはもちろん『やまだ たろう』。なんて馬鹿馬鹿しい。

それにしても具合が悪かった。遠くにあるコンビニトイレの鏡に写る私服の自分を見て、なんて普通なんだと叫んでしまいたかった。もしかして私は、とっても小さくて細かいことでやけになってるんじゃないかと思ってきた。三年も一緒に居て命の恩人で初めて本気で好きになった彼と付き合ってると勘違いしてた私は気がついたらおまけに名前も知らなかったなんてよくある話なんだろうか。笑って終わらせることなんて簡単なんだ。私は彼の何も知らない。なんで言ってくれなかったのじゃなくて、なんで聞かないのだろう。アキさんの思い出したくも無い言葉達が耳の中を這いずり回って、私はもう一度履歴書に目をやる。それからぐわんぐわんする脳みそとお友達。ぼーっと何気なく横を見た。元気くんだ。

「あ」

話しかけようと思い、小さな声が出たが元気くんは私に気づく前に近くの商品のガムを鞄に入れた。私は言葉も出ず、動けずに居た。元気くんは躊躇無くガムや駄菓子を袖にしまってこちらに向かって歩いてきて、すれ違いそうになって私に気がついた。

「あ」

鞄の中はさっきのガムと、おまけに大量のコンドーム。箱から出してどうやって。どこで盗んできたんだ。それと、大量のAV。私は、冷静を装うのがとっても得意なはずなのに、ふいにその鞄の中身をガン見してしまい目が離せなくなった。ぐるぐるぐるぐると、二日酔いの気持ち悪さと自称山田太郎の『付き合ってとか言ってない』がマーブル色になって私を襲う。アキさんの言葉なんかは、もう私の頭の中では沸騰して歌になってしまっていた。

【清純ぶってんでしょ~♪

普通のセックスしかできないと思って拒否?

現に出来てたから、大丈夫だよ~

本命が居るから?

そんなの関係ないでしょ~元からそうじゃない】

歌にあわせて、マーブル色の顔した山田太郎が空中ブランコに乗って「あはは、あはは」と棒読みで笑っていた。元気くんは、鞄の中を見つめる私のおっぱいを突然わし掴み、何故かウインクした。

は?

は?どうゆう意味ですか?

【現に出来てたから、大丈夫だよ】

類は友を呼ぶ?私は、こいつらの類なの?

なんてろくでもねえ!!

今度は元気くんの目から、目が離せなくなり私は何も言わずに店を出た。ピンポンピンポンと音が鳴り、早歩きで歩いた。元気くんだけは普通だと思ってたのに、元気くんだけは。助けて。誰か私をこの世から引っ張り出してください。しばらく早歩きしてから、気配を感じて後ろに突然振り返った。

「わぁ」

とカズキがアニメみたいな声を出し、馬鹿みたいに口を押さえていた。ストーカー。クズ。ゴミ。私と言う人間はなんて見る目がなくてどうしようもない馬鹿女でおまけにこいつはなんでこんなにどうしようもないくらい女心がわからなくて間が悪くて女の気持ちを見下してなんていうか…もう…もうっ!!!!イライラする!!!胸倉を掴んで意味不明なことを叫んだ後、私はカズキを突き放した。落ち着け、落ち着け、落ち着け。

「だって、聞いてよ。俺の話を聞いてよ、そら。そらってば、好きなんだ。俺、わかんないけどそらのこと好きなんだ。空が本気じゃ無くったってなんでもいい。俺は…そらを愛しているんだよおお!!!!!」

気味が悪い。目が、絵で書いたみたいに真っ黒だ。

「消えろよ!!!!!」

怒鳴った。のどから血が出そうよ。助けて、誰でもいいから。ゆらゆらと、彼の顔を思い出した。目が回る。私は何をやってるんだろう。夏祭り、私にりんご飴を差し出す、自称やまだたろう。そんな夢だった。人って、起きている時にもきっと夢を見るんだ。お母さんだって、そうよ。てか、りんご飴、でけえよ…。でかすぎだろ…。私は息を切らし肩の震えが止まらなかった。興奮状態のカズキは、私を通り越して背後を奇妙に見つめて突然首をかしげた。時間は平凡で、朝の6:45。ふくろうみたいに見えた。カズキは、ふくろうみたいに私の背後を見つめた。恐れもせずに振り返る。

彼が。

反対車線に彼が違う女と歩いていた。

こんな時間に、何してるのよ。

最近の私と居る時みたいに、冷めた目はしてなかった。きらきらと、まるで恋をしていた。隣に居る女の人は、私なんかよりずっと背が高くて綺麗で細くて。じゃれるみたいに彼のことをばしばし叩いてた。

触んないで。

触んないで。私のよ。

がたんごとん

がたんごとん

がたんごとんがたんごとんがたんごとん

がたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとん

ストン。

カズキが私の顔を無理矢理掴んでキスをしてきた。時が止まっていた。爆音のヘビメタな音楽とバイオリンのクラシックを交互に頭の中で再生した。何かの歯車がキリキリと音を立てて暴れまくっていた。きっと、もう少しで爆発。爆発するんだわ。カズキの舌が、私の口の中で踊っている。べたべたと、ぬるぬると。ああ、涙も出ない。吐き気もしない。乾いている。こんなにべとべとぬるぬるとねっとりしているのにのどが渇いてカラカラだ。

からっから!!!

「お疲れ、もう上がり?」

気がついたら私は、レストランの休憩室でただぼーっと正面を見つめていた。アキさんが、私の間の前に手をパタパタさせて「お~い」と言った。私は、何も返事をしなかった。アキさんの整った顔がすごく癇に障る今日だった。横目で、それを見ていた。頭の中で何度も、赤いドレスに赤いリボンのいつもの衣装で首吊りを繰り返した。アキさんは隣に座って野菜ジュースを飲みながら私を見つめているようだった。うざかった。

「ねえ」

甘えるようにアキさんが言った。

「今夜おいでよ」

「…」

にやにやしながら、アキさんは私の頭を触った。

「こいよ、今夜」

おい。そこの腐れナルシスト。

私はあんたにこれっぽっちも依存してないしこれっぽっちも好きじゃねえ 第一タイプじゃねえ そんなに格好よくもねえ 頭触られるのも 好きじゃねえ 転がされてる つもりもねえ 調子に乗るな とっとと消えろ 消えうせろ 見つめてくるな 可愛くねえ 甘えてくるな うざったい ただ憎たらしいだけの性癖にキュンとするギャップなんてねえ 虜にもなってねえ さっさと消えろ 勘違い男 てめえにときめかされたことなんて一度もねえよ 

思ってたことを私は気がついたら全部口に出して居た。

そして、

ゲップが出た。

大爆笑が止まらなかった。これっぽっちも男としてなんて見ちゃいないわ。笑いが止まらなくなって、私は鞄を肩に背負い、元気な声で「お疲れ様でした」と言って頭を下げた。アキさんは、化け物を見る目でこちらを見ていた。懐かしい目だった。カズキがついて来てるのがわかったが、私はタルトに向かった。

「なんだか久しぶりね」

タルトさんが笑って私を見た。私も、微笑んだ。

「いえ」

鏡の前のカラフルな化粧道具たち。古臭くて派手な更衣室。赤いドレスがかかったハンガーラックがなんだか懐かしく思えた。そんなに久しぶりでもないはずなのに。

キラキラして見えた。私の機嫌はすぐに良くなった。

「ねえタルトさん」

「ん?どうしたの?」

「一番の勘違い女は私よ。キチガイは私よ」

「…」

「だってね、ゲップが出たのよ。セックスした男の目の前の目の前で、ゲップが出たの。おっかしい!!」

私が笑うと、タルトさんは少し間を置いて私よりはるかに大きな声で大爆笑したのでそちらを見つめてしまった。男みたいな声で、机を激しく叩いて手を負傷していた。タルトさんらしかったので、私は途中から無視して口紅を塗っていた。ステージの上に立つ私は相変わらずスポットライトを浴びていた。光の中に浮く埃が、私を高揚させた。何もかも忘れて、きっと私の本当の名前はマリンだわ。彼の顔が何回も頭をよぎって苦しいが、それすら私の歌に繋がった。

「はじめましてぇええ!!」

私は叫んだ。叫び声は響き渡る。全然はじめましてじゃないのに誰も指摘しない。タルトさんもどこかわかっていて、私を色っぽく見つめて煙草の煙を吐いていた。好き。タルトさんが好き。人間として、生物として。涙が出そうだ。遠くに、ちらっとカズキが口をパクパクさせ私を見ていた。カズキは、母の姿を知っていたから私を恐怖の目で見た。完全に洗脳された姿だとでも思ったのか。それとも、私の瞳も貴方みたいに不気味に真っ黒だったのか。歌い終わると、カズキが尿をもらして騒ぎが起きた。よかったね、私と一緒じゃない。おもらし。あんたのおもらしパンツ。誰か買ってくれるといいわね。ふと携帯を見ると、彼から電話が入っていた。私は騒ぎも無視して、ステージの上で電話に出た。

「はい」

さぁ、言い訳しなさい。

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