第5話

彼の仕事は、デザイン関係だった。

これまた、私の職種とは全然違ったが彼はいつも、仕事するのが楽しそうだった。私も私なりに、だんだんステージで歌うのが生きがいになってきていた。いつもと違う自分になるために名前を変えて演技をして、自分には誰も知らない顔がある。というだけでなんだか楽しい気分になった。

「マリンさーん」

夜、帰るときに高校生くらいにも見える男の子から突然手紙を渡された。いつもステージを見に来てくれているようだった。私は少し嬉しくなって頭を下げた。レストランの仕事なんかよりずっとやりがいを感じるようになっていた。

手紙の内容は、『いつも憧れてステージを見ていました。これからもマリンさんらしく、頑張ってください。応援しています。』という内容で下の方に『よかったらご飯に行きましょう』と電話番号が載っていた。

見た目は少し幼いが、昔のカズキみたいに痩せていて長身で顔は目が細めの童顔だった。タルトさんに相談したが、「行って来なさいよ、出会いよ、出会い!楽しいじゃない。そうゆうの。」とウキウキして背中を押されてしまった。

どうしたものか、気がついたら私は懲りずにカズキとランチをしていた。

カズキは、ようく見ると前より格好良くなっていたが、そんなことはまるでどうっっっでも良かった。もう一回会ってしまった事で調子に乗ったのか、テンションが無駄に高くてしまいには

「なあ、今日空の家行ってもいい?」

と真昼間からこっそりと聞いてきたので、私はそれを真顔で見つめながら

「ダメよ!!」

と急に果てしなく大きな声で叫んだ。カズキは焦ったように周りを見て口に人差し指を当てた。なんの前触れも無く突然、カズキの昔からのウザさに耐えられなくなり秘めてたものが小さく爆発した。

「泊めてだなんて!!そんな、付き合っても無いのに!!泊めてだなんて!!」

大きく、爆発した。

「しっ、しっ。」

「チャラーーーーーーい!!!!!」

ひたすら大声でそう叫んで、まわりでコソコソ噂をするお客様方の反応を見てしまいには笑いが止まらなくなった。けらけらと子供みたいに足をばたつかせて笑った。この店のハンバーグは、うまくて美味しくて、うまかった。なので、今度タルトさんでも連れてこようと思った。今日も割り勘か。と財布を出すと、珍しくカズキが私の手を止めた。

「払う」

しばらく見つめあってしまい、私はまたもや笑いが止まらなくなり大爆笑した。何が払うだよ。ここまで一緒に居て、誕生日もクリスマスも割り勘だったのに、払うですって。無邪気に笑う私を見て、カズキは何故か嬉しそうだった。店員さんにこっそり「また来ます」とささやいて、私たちは店を出た。

「そらさ」

外は相変わらず蒸し暑くて、もう可愛い子ぶるのがめんどくさくなっちゃった私はカバンを振り回していた。

「うん」

「変わったね」

「え?」

「昔はもっと冷静で、まぁ昔も可愛かったけどなんていうか。子供みたいになったね」

「変わってないよ別に」

「変わったよ。今のほうがいいよ」

言い終わる前に、振り回していた鞄でカズキの頭を思いっきりぶん殴った。本質が見えてないだけで何を自分を棚に上げて言ってんだよ。本質を見せたくないような偏見という壁を持って、なんで上からそんなことを。

「変わってないよ」

「・・・痛いよ」

「だって昔から私はカズキのことぶっ殺したいだとか死ねばいいのにだとか思ってたよ。」

「痛い」

「聞けよ」

少しだけ腹が立って、低い声が出た。私は、カズキの目の前に回りこんで、にっこりと笑った。

「今度会うときはディナーね」

カズキは頭を抑えながら呆然と私を見つめていたが、私は早歩きでその場を去った。別にイライラはしなかったし、本当に暇があればまた会ってやろうとか上から思っていた。しばらく歩いてから駅につく前に、あの手紙を鞄から出した。よーく見ると、下のほうに【相田 元気】と名前が書いてあった。やつの名前は、元気というのね。

人生ではじめてのファン。少し緊張しながら電話をかけた。

長めにコールが鳴って、『もしもし』と寝起きの声が聞こえた。

こんな時間に、寝起きかよ。

「もしもし、マリンです。急にごめんなさい」

『あぁ!!』

飛び起きたようだった。

「寝てました?」

タルトで私は、卑猥な唄ばっかり感情こめて歌っているので何故か元気くんには気を使うことも猫を被ることもせず話すことが出来た。第一、服装も化粧も母親の生き写しで、それを知らずにファンになってくれるだなんて都合が良かった。

『どうも。まさか電話来るなんて!うわぁ!!』

「私なんかにそんなに緊張しなくていいよ」

『いや、もういっぱいいっぱいっすわ!』

「今日、夜ステージ出るんだけど早く終わりそうだからご飯でもと思って」

『えっ?!いいんすか!!』

若いなぁ~。

「いや、私友達少ないからさ。楽しくいこうよ。」

『いきますっ!ステージも、見に行きます』

「連絡する!」

私にしては珍しく、いい子だなあと心から思っていた。私は、男の子とたくさん遊びたかった訳でも、遅れてきた発情期な訳でも無い。ただ寂しくて一人の時間を少しでも減らしたかった。つまりは普通の人間のお話です。電車に乗って蒸し暑い部屋に帰り、窓を開けた。携帯を見た。『熱中症で死んでない?』と彼からメッセージが入っていて、気の抜けた気分になった。私が寂しいのはあんたのせいよ。そう思いながらも、誰と会っても一番彼に会いたい気持ちで居た。お前等馬鹿にすんなよ。私には本命が居るんだぞ。と思っていたが、本命には馬鹿にすんなよ、男はお前だけじゃねえ、優しくしないとどっかに行っちゃうよ。って思っていた。これは

普通の人間の、お話なのでしょうか。

そういえば、うちのお父さんと、お母さんの恋愛事情はきっと他の家の親と比べると果てしなく良かった。私が生まれて、お父さんがヘマをするまではバカップルを永遠と見ているかのようにラブラブだった。愛情とは、目に見えないものだとよく言うけど私にはよーく見えていた。父から、子へ。母から、子へ。父から母へ。母から父へ。全部見えていた。子から両親への愛情も、目に見えてただろうか。

きっと今の彼と私が長く一緒に居ようと心に両方誓ったとしてもああなるのは難しいことである。つまりは、綺麗事は嫌いだが運命っていうのはいい意味でも悪い意味でもあるのかもしれない。例えば私とカズキは出会うことで私のイライラが止まらなくなるというそれはそれで運命と呼んでもいいのよ。

相変わらずじっくりと更衣室で鏡を見つめていると、タルトさんがまた心配そうに言った。

「最近生き生きしてるから、変に。マリンちゃん。」

「そう?」

「変になったらだめよ」

「ありがとう」

タルトさんを除いても、ここの店の女の子や、オッサンも居るけれどいい人たちばかりだ。タルトさんが私を心配すると、みんながみんな流れに乗って心配そうに私を見た。お互い、何も聞かないけれど。こんなに目立たない場所でオーナーがオカマでなんの店かもわからないのに働いているのはきっとみんな訳アリに違いない。そんな事はなんとなく察していた。全員がドレスな訳でもなく、セーラー服でステージに立ってるのも居ればオッサンなんて黒い仮面をかぶってアコースティックギターを弾いているのだ。不思議な空間だが、悪い人は一人も居ない。

今日は、最初にタルトさんが歌う日だ。私はいつもこの日を楽しみにしていた。

「そういえば、私ってなんでマリンちゃんなの?」

私がそう言うと、タルトさんが、ウイスキーのロックグラス片手に話し始めた。

「アタシね」

「…」

「栗がすきなのよ、栗のことを考えていたのあの時。アンタにワインぶっかけられたあのとき。だから頭の中で、とげとげの栗を何回もあんたに思いっきりぶつけて血だらけにしてやりたいだとか考えてたら。話してるうちにこの子、絶対に、マロンって名前にしたいって。したら、」

「…」

「噛んだのよ。マリンって言っちゃった。仕方ないわよね、まぁいっかって。やっだもう」

途中で、聞くのをやめて口紅を塗っていた。

真っ暗な少し狭い空間がたくさんのキチガイで埋め尽くされてた。この中にだったら、もしかしたらティッシュを噛んでる人が一人か二人いるかもしれないとまじめに考えていた。ガムを噛んでそうな一人一人に、「あーんして口の中見ーせーて。」って言いたかった。私は生まれてから出会った中で一番のキチガイの格好をして隅っこのカウンターで色んなお酒を楽しんでいた。バーテンダーは爆発頭の陽気なおじさんだったが、この人はきっと普通の人だ。楽しく会話をしていると、『ヴーーーー』と古臭いブザーが鳴って、みんなステージに目を向けた。スポットライトに埃が浮いているのを私はぼーっと目で追っかけていた。そのうち、スポットライトの中にいかつい黒人が入ってきた。耳には大きめのピアスがいつも通りじゃらじゃらと光っていた。背が高くて、顔立ちがはっきりしていて陰影が目立つ。私はお酒を一口飲んで、うっとりとステージを見つめていた。なんて色っぽくて、なんて格好いいのだろう。タルトさんは、流し目で遠くから私を見下すと、ニヤリと口角を上げてみんなにお辞儀をした。

いつもの陽気なタルトさんは、居なかった。

ワクワクする。私は唾を飲んだ。のどが熱くなって、度数の高いお酒の香りがほんのり鼻から抜けていく。タルトさんは、マイクも持たずに歌い始めた。そこからは、聴き入って、魅入って、もう虜そのものだった。誰一人身動きをとらなかった。タルトさんは私みたいに感情にまかせて歌うことはしない。静かな歌声だが感情がすぅっと入ってくる。伝わってくる。タルトさんの人生は、一体どんな物語だったのだろうか。どんな辛く悲しく打ちひしがれるような想いをしたのだろうか。きっと、誰もがそう思うほど切ない歌声で涙が出そうだった。

タルトさんのステージが終わって、みんなワイワイと騒ぎ始めた。次のステージまでは、まだ時間がある。しばらくカウンターでまた、お酒を飲んでいた。何故か目の前にあった顔が溶けそうなピエロの蝋人形と目が合って、背の高い椅子に座りそれがライトに少しだけ照らされてるのを見つめていた。目のところが剥げてて、ホラー。少しだけ酔っ払っていた。静かに、首を傾けると「うそでしょ」と後ろから声がした。

「空ちゃん?」

振り向くと何か見覚えがあるような無いような、同じくらいの年の女の人が居た。茶色くて長い髪の毛を巻いて、団子鼻でどこかダサいような派手な色のワンピースを着ていた。何か見たことあるようでないような。私がキョトンとしていると、彼女は笑った。

「うっわ、マジ?大丈夫?」

「…」

馬鹿っぽい喋り方で、少しずつ私の記憶が蘇ってきた。それはまだ私が若くてとんがっていた頃の、顔面合成を見事に成功させ頭を何かで毎日二時間くらいかけてわざわざ大爆発させていたような…

『友達になろう』

「…ああ」

極端に低くて大きな声が出たので向こうもびっくりしたようだった。彼女は、見た目はすっかり落ち着いていて小さくなったようにも見えた。どこの毛で作られてるのかわからないようなバサバサの付け睫毛も卒業していて頭も爆発していなかった。当時、人の名前なんてそもそも聞いてたとしても全く興味が無かったので覚えてるか覚えてないかという以前の問題で名前はわかりませんが

「綺麗になったね」

素直にそう言うと

「えっ?!…変わりましたね?なんか。」

「…」

「でも、本当に大丈夫?」

「なにが?」

「あれ、これ、言っていいのかな?・・・洗脳されてたじゃん?」

「…」

「その様子じゃ…」

デリカシーの【デ】の字が落ちてないか必死に彼女の周りを探す夢を見た。遠慮がちに、どこか退いていて馬鹿にしてるかのように苦笑いするその顔は昔と変わっていなかった。私は表情も変えずとっさに頭で自分の姿を客観視してみた。母親の、生き写し。自分で精神病院にぶちこんだ母親の、生き写し。

こんなに面白いこと他にないでしょう。

また発作のように笑いが止まらなくなりそうなのをぐっと堪えて、つばを飲んだ。

「なんでここに?」

「えー、タルトって書いてあったからスイーツ系かと思ったのよね。違うんだもん。でも、お酒飲めるし、楽しいからいいかーって」

初めて来た様だった。発言の馬鹿っぽさも昔から変わらなかった。明るいトーンで話してニコニコはしているが時折私の頭の先からつま先まで何か意味深に舐めまわすように物色するところも変わらなかった。気味が悪いとでも思っているのだろうか。

彼女はブサイクの癖に偏見の塊で、きっとこの世で最も人間としてどうってことなかった。とんがり終わったというのに、それ前提で話してしまっていた。今更憎しみも哀れみも無いが彼女が着ているワンピースに墨汁でもなんでも洗濯しても落ちないヤツをぶっかける妄想を繰り返しながら目を見ていた。

「まだオナニー大好きなの?」

これまた、馬鹿にしたように笑う彼女に

「うん」

と適当に返事をした。彼女は鼻の横をぴくっとさせ「相変わらず変わってるね」と言った。私は「そうそう参っちゃう」と適当に言いその場を離れた。出番の時間だ。ロックグラスを片手に持ったまま、ステージに上がるといつも通りお辞儀をした。ステージの隅にあらかじめ置いてあった双子のカエルの蝋人形をもう片方の手に持ってニコッとすると小さな歓声が上がった。元気くんが手前側に立っているのがわかった。私を見て、瞳を子供みたいに輝かせていた。私は目であいさつした。

「今日は、ついてる方が三人。三人も居るわ。この子達、一匹ずつあげちゃう。三人目は、お楽しみ。ひみつ。私、ラッキーだよって思う人。一番可愛い顔して手を挙げてくれたら、一匹ずつ、あげちゃう。三人目は、乞うご期待。はい、せーの」

私が舞台口調でそう言うと、たくさんの人が手を挙げた。その中に元気くんも居た。ピンと腕を上に一生懸命伸ばしていたので、笑いそうになった。「ひとりめ」と片方のカエルにキスをして元気くんに渡した。きらきらと、すごく嬉しそうだった。

もうひとつは、目が合ったタルトさんに微笑み「今日のトップバッターね」といって「ふたりめ、私の師匠」ともう一匹のカエルを投げた。タルトさんは「やだっ」と言って焦って床に落としたので、会場に笑いが漏れた。

「サイゴに」

と私は観客を見下ろす。にやにやしながら、キョロキョロと周りを見た。手を挙げる客の中に埋もれて、苦笑いをする元顔面合成女を発見した。ひいたような、哀れんだような顔で私を見ていたので私は深呼吸をしてロックグラスのお酒を飲み干した。グラスの中の大きな丸い氷がいやらしい音を立てて、私は彼女の方を無表情で目を見開いて見つめていた。彼女はそれに気づいて、恐る恐る目をそらしたので、私は笑顔を見せた。

「さんにんめ」

三人目は決まっていた。とっさに氷を彼女めがけて投げた。彼女は「キャー」と言って涙目で尻餅をついていた。周りのお客様は、悲鳴もあげなければ何も言わなかった。元気くんはと言えば、そんな私に喜んでるようにも見えた。私は大笑いして、今夜も気持ちよく歌い始めた。

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