第5話

真っ白い空間。真っ白な服。子供の頃にしていた前掛けは、もうしていなかった。目の前に小さなカエルのオモチャが山積みで、カラフルではなかった。白黒で、そのほとんどは白だった。私はそれを慣れた手つきで口の中に入れた。一つ一つ入れて、一つ一つ飲み込んでいった。何も味がしなかった。噛むこともなかった。カエルの形を舌で感じながら、舐めたらもう丸呑みした。喉をボコボコつたっていく感触がした。

味なんていらなかった。ティッシュにだって味はないでしょ?見ないでどんどん食べていたのに、突然私の口の中に、赤が入ったのがわかった。

硬直した。恐くなった。赤が口の中に入っただけなのに、何が起こるのかわからないと焦った。汗が脇から滲み出るのがわかった。私は小さな短い奇声をあげて、まっすぐ前を向き、広くて白い部屋に大量の赤い毒を吐き出し、動けなくなった。

目が覚めると私は、ベッドも無視して床で寝ていた。丸くなって横向きに、赤ちゃんみたいに、寝ていた。リビングから、りんごの唄が聞こえる。母が起きている。頭がガンガンして、首が痛い。今日は土曜日だ。

起き上がり部屋のドアを開けると、母が絵の具片手に今度はりんごを眺めていた。相変わらず、うっとりとした表情だった。一口かじると、赤の絵の具をりんごのかじった部分に塗っていた。りんごは、中身が黄色だからか。

「おはよ」と、私に気づいて笑った母は、懐かしい昔の笑顔だ。母親のようだ。風呂に入ったばかりのようで、リボンもしていなければ化粧もせずだがワンピースは着ていた。少しだけ泣きそうになったのを堪えて、私も「おはよう」と笑う。私は要するに、みんなより早めの生理がきたくらいから家族が一番好きだった。

そういえば来週は、私の誕生日だ。

私は化粧をして、髪の毛を巻いて精一杯オシャレをしていた。そんなとき、メールがきた。

『ランチ、どこ行くか決めた?』

え?探してないの?

『おはよう。私が探すの?』

『だってランチに行きたいって言ったのは空でしょ?w w 』

いらっ

未成年の私は、男の子とはそういうものだと思うようにした。本当はそちらが引っ張って行って欲しかったが、期待もしていない。いらいらいらいらと、音になって耳元で、ああ、うるさい。

『じゃあ表参道の、パスタ屋さん!』と無邪気に言ってみた。

『駅から近い?』

調べろや。

『行ったことがないからわからない。調べよーよ』そっちに受け流そうと必死だったが、予想以上に彼は天然だった。

『よろしくw ありがと w 』

いらラララララララララ

世の中そうゆうもんよね。

耳鳴りがする。

駅まで行く道のりで、私は本物のガムを噛んでいた。なんだかつまらない人間に格下げになったような気分だった。

遠回りして、空気が綺麗な公園を通った。ぽかぽか良いお天気。深呼吸をした。クルクルに巻いたポニーテールを、わざと揺らして歩いた。可愛いでしょ?

歩きながら幾千もの屁をこいた。

ポカポカ陽気にご機嫌でオシャレをした女の子が、屁をこき歩いてるなんて誰も思わないだろう。そう考えるともっとご機嫌になった。私はティッシュを噛んでみたりだとか、誰も予想だにしないけど本当はあり得ることをいつでも実現したいんだっ。いつか突然誰かに口の中見せてやるんだ。貴方私がガム噛んでると思ったでしょ?って。

お父さんに昔、「女の子はオナラをしない生き物」と教えられた。それからはオナラをするたび思いっきり引っ叩かれた。何も悪いと思わなかった。私はオナラをしない生き物の中の珍しくオナラをするやつ。絶滅危惧種的なイメージだった。遠くで小さい音でこいても走ってくるの、お父さんは。そして手加減なしに頭を思いっきり、、

そんなことを考えていると向こうからヒールを履いた女の人が早歩きで歩いてきた。顔のバランスが、ものすごかった。顔が異常にでかい。トリッ○アート美術館。笑いたくて仕方が無い。何をしてもこの人の見た目のインパクトにはきっと敵わないと考えた。すれ違う瞬間、彼女の鼻のしたの薄くて長い毛に気づいた。汗で少し潤っていて、前髪はデコの広さが目立つセンター分け。ケツのでかさが目立つタイトスカート。すれ違って後ろ姿を見送ると、ヒールの部分がすごく短く見えた。錯覚でしょうか。全てに置いて間違えの方を選択している。この人を私は一生の先輩としよう。

そんなことを考えてるうちに、デートは終わった。

帰りの電車は、早く家に着けと思いながら寝ていた。耳元で喧嘩するのは「がたん」と「ごとん」では無かった。

「ストン」

それをかき消すようにイヤホンで狂気のヘビメタルと天使のクラシックをyoutubeで交互に聞いている。頭の中で朝出会った「妖怪顔でかヒール先輩」が、ひたすら私に「大丈夫」と言った。つまりは、吐きそうだ。

足元には、つぶれたカエル。電車よ止まれ。

「ただいま」

母の声がしません。寝てるのかな。靴を脱ぎ、カバンを乱暴にぶん投げた。一日のほとんどなのに、私は今日カズキと何をしたか何を話したかっていうのが全く頭から消えていた。最近自分が起きている時間帯、何をしてたか忘れてしまう。すぐに。そんなことをぼんやり考えながら、居間に行くと、母が鉄腕アトムだった。鉄腕アトムの格好をしてオヤスミになられていた。布団をめくる。鉄腕アトムだった。もう一度めくる。空を超えた。

まつ毛の長さまで完璧。うちの母親たまに鉄腕アトムなんです。と錯覚するほど思考停止。きらきらしちゃう。きらきらしちゃう。

私は静かに携帯で写真を撮る。そのうち、動けなくなった。なんて面白くないのだろう。こんなにも摩訶不思議なこと、他にないのに。絶好のシチュエーションなのに。なんて笑えない。なんでだろう。全身にワイヤーが入った人形みたいに、体が強張って

笑え!笑え!

私は色んな方向、角度から連写。つまり連写連射連写だ。

もっと

もっと、もっと、もっと、

もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっともっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと

ぱしゃ ぱしゃ ぱしゃ ぱしゃ

「あは、あは、あは」と声を出してみた。笑えない。笑え。笑え。下半身が震えて動かなくなって、股のところに力が入らない。それからは足が震え、ひやっと太ももを冷たい液体が通り過ぎた。「あ…」と声が出た。

おもらし。

一瞬信じられず固まっていたが、これを機に台所のトマトをばれないように綺麗にしようと冷静に考え、おもらしぱんつを脱いだ。そうだ、私は冷静を装うのが得意だった。ああ、誰か買ってくれますかね。私のおもらしぱんつ。おもらしすることなんて人生で無かったもんだからさ。

私はパンツも穿かず偉く冷静に皿を洗っていた。床を拭いていた。叩きつけられたトマト達を回収していた。何を考えてたかなんて、覚えてません。むしろ、何も考えてないのは都合が悪いからだ。

食べるものが無いので、一人でラーメンを食べに行こうと思った。商店街を、スウェットで歩いた。マスクもした。なんならポケットに果物ナイフも入れた。特に意味なんてなかった。危ないやつだと思われたかった。なんか、ヤンキーの気の小さな奴みたいになりたい気分で、それだけ。近くにあった。それだけ。

ラーメンが美味しいことで、今日の自分のいいことになる。きっと。見た目で、美味しそうな店を決めて入ってその店おすすめの「炙り味噌」を注文した。携帯を開くと、メッセージ。カズキだ。

『なにしてる?』

うるせえなぁ。

何も無かったように私はメッセージを開封して、ゲームを開いた。集中してるうちに、ラーメンがきた。今日という日がいい日に変わる瞬間だ。私は店員さんに可愛く笑顔を振りまいて「いただきます」といった。店員さんは、まあまあイケメンだった。

何か気に食わないことがあるとすれば、ただの味噌だった。炙り要素ゼロ。あと、旨味ってゆうものがまるで無かったというか。美味しくないからクレームつけたいところだけど、まずくもない。

えぇっ!?

今日という日が、いい日に終わらない。私は接客に期待をして、店員さんに笑いかけた。

「あの、」

イケメンの店員。

「はい」

「美味しいです」

嘘です。

「…はい」

ありがとうだろうがこの白い歯のクソガキ!!!!!!私はお金を卓上に置き、「レシートいいです」と言った。すると「あの」と店員が呼び止め、舌打ちをしそうになる。

「足りません」

早く今日という日をリベンジさせてあげたかった。これを史上最悪と呼ぶ。私は早歩きでその場を去った。イケメンの店員は「ありがとうございます」の声だけ無駄に大きかった。私は急いでいた。別に用はない。ついてない今日から逃げたかった。そして、発見したのだ。向こうから歩いてくる

「妖怪、顔でかヒール」

そう呟くと、人に肩がぶつかった。

「すいません」

厄介そうなおばさんだって覚えてる。おばさんは私の顔を見た途端あからさまに不機嫌な顔をした。それも覚えてる。私は頭を下げた。それも覚えてる。後は、私の顔を見てから、視線をさげたおばさんの目が飛び出るんじゃないかってくらい全開で開いたの。それも覚えて

「キャーーーーーーッッ!!」

奇声。おばさんの視線を追うと、

果物ナイフ。

「違うんです」

とっさに叫ぶ。紛れも無く私のポケットから落ちた果物ナイフだ。身に覚えしかない。でも、でも、

「ごめんなさい!ごめんなさい!誰かァァー!!」

違う違う違うのよ。危ないヤツだとは思われたかったけどこのままじゃ、母が。

とっさに思ったのはそれだった。母が病院にぶち込まれてしまう。治るものも治らなくなってしまう。治す?

え?何を?

「誤解。誤解です」

私は冷静を装うのが得意だった。果物ナイフを拾って再びポケットにしまい、両手を上げて出来るだけ淡々と喋った。

なんてついてない。

お父さん、お父さん。私が見えてるなら、おばけっぽいアイテム使って今日という日をいい日にしてくれないか。もう、夜だけど。

それなら、明日が今日の損した分いい日のほうが嬉しいかしら。兎に角ピンチなんです。

私は言い訳を考えたが、そのうち何故かお父さんの名言集しか思い浮かばなくなり思考停止。完全に真っ白になった。

パトカーの音がして、周りで写メを撮る人や、私に怯える人がでてきた。今日の自分を客観視してみる。危ないヤツだ。ばばあてめーがうっせえからだ。

私は意味のない行動をよくして楽しんだ。それを、説明できる自信が全くなかった。証明する人も居ない。

「なんとなく危ないやつだとか思われたかっただけなんだけど」

そう呟くと、周りは私を余計怯えるような目で見た。

「おりゃああああー!!」

英雄ぶったじじいが、私に突進してきた。私は地面に強く頭を打ち「いてえな畜生」ととっさにキレてしまった。終わりだと思った。だって痛いのよ痛いじゃない。こんなばかな英雄じじいよりばかだと思われるのね。なんて死にたいのよ。それより痛いのよ、頭が。もう、どうだっていいさ。はい、終了。

そんなところで、目が覚めた。

私は気がつくと、ラーメン屋で突っ伏して寝ていた。

心の中で、終了と叫んだと同時に気絶したらしい。「大丈夫ですか?」と能無しなイケメンが私に囁く。しばらくの沈黙。頭よ、回れ。私は、黙ってお金を卓上に置き、その場を去ろうとする。

「あの」

「知ってます」

私は足りない分を財布から出して、なんとなく走って帰った。

走りながら考えていたのは、私は今日、おもらしをしたのかという事。あんな感覚初めてだった。

『ご飯食べてた』カズキに適当に返信をして、家についた。

ドアが全開だ。

「ただいま」

家の中に、母の姿は無かった。私は

【 トマトを綺麗に片付けてしまった 】

ふと、どろどろした赤い部屋を幸せな家族の住む部屋に戻してしまった自分を思い出して息がつまりそうになり、外に走り出した。まだ床は、綺麗なままだった。

握りしめた携帯にはカズキからのメールと、知らない番号からの着信音が表示されていた。

うちのアトムはどこ?

ああ

ああ

嗚呼

歌声が聞こえる。私は、違うことを考えようとしている。

ああ

ああ~~~

ああ

目が回る。汗をかく。吐きそうだ。

またもや着信音が鳴った。また、知らない番号からだ。私は一瞬立ち止まり、息を軽く整えてから電話に出た。

嫌な予感がする。手にびっしょりとかいた原因不明の汗を拭いて、

「もしもし」

相手は、スーパーマーケットでした。

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